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蛮族騎士の挽歌  作者: 液体の雪
第1章 騎士になるまで
18/23

18 勇気

「見せつけてくれやがるじゃねえかですよ、カナァ……!!」


 センを振り向く。

 獰猛に笑んでいた。


「外人に戦わせたくない雰囲気だけ見せておいて、こうも初見殺しの手札を持っていたとは……! です。いいだろう、ここまではお前たちの勝ちだ、です。しかし決闘に『降参』はないッ! です」

「分かっている」


 ピアニィがようやく自失から脱してロベリアの介抱に向かってくる――その肩を押し留めた。

 疑問の視線を向けられる。


「今センが言ったろう。決闘に降参はない。そしてこれは勝ち抜き戦だ」

「何を……何を仰っているのですか? お姉さまは……あり得ない、そんなの、もう……!」


 ピアニィを押しやり、ロベリアの手を掴む。

 引っ張り上げる。


「立て、ロベリア」

「ウェヘヘッ……ああ、嬉しいなあ……」


 間の抜けた声で笑いながら、震える膝にもう片手を突いて、ロベリアは立つ。

 涙と鼻水と血と嘔吐物で、顔も胸も腹も脚も汚れている。

 満身創痍の、痛々しい、汚濁と悪臭にまみれた、あまりにも無様なありさま。


 そこにただひとつ、諦めを拒む笑みが加わるのみで、この上なく美しい。


「お姉さま……」

「妹くん」


 ピアニィは姉に手を伸ばし――引っ込めた。

 触れれば壊してしまいそうだと言わんばかりに、その指先は震えていた。

 この場で最も恐怖しているのは、最も戦いから遠いピアニィなのだ。


 カナはロベリアを引っ張り立たせたまま、その手を握り続けているのに。


「お止めください……これ以上……! に、逃げ、ましょう。今なら……今ならまだ……!」

「それは……決闘への侮辱、ですよ。ねえ? カナさま」

「ああ」


 ピアニィがふたりを睨む。

 涙を零し流しながら。

 それは誰のための、何のための涙なのか。


「侮辱だなどと……そんな、気にしている場合では……!」

「気にしてる場合なんですよ……。分かりませんかね、妹くん」


 ロベリアは半笑いになった。


「決闘を反故にして、無事に済むわけないでしょ。今……キーテ族がひとりずつ戦ってくれてるのは、決闘だからなんですよ」

「あ……」

「死にますよ、それこそ。カナさまだって……私たちを庇いながら戦えば……」


 そうだ。

 だから決闘を続けるより他にない。


「足手纏いにはなりたくないんです。私が戦えば、カナさまは力を温存出来る、敵の手の内も見られる。勝率が上がって、ここから先の行き帰りを駆け抜ける体力も残る」

「でも、だからって……! お姉さまがそこまで……!」

「必要不要じゃないんです。私がやりたいの。自分を誇るために……」


 ピアニィが唇を噛む。まるで痛ましげに。

 姉妹愛は良い。だが痛みの共感は、だからこそ結局は他人事だ。

 それは自分の痛みではない。


 強烈な『自分』が、ピアニィにはないのだ。

 だから戦わずに済む位置に回したし、だから今も、ロベリアを止められぬ。


「カナさま」

「ああ。戦え」

「ウェヒヒッ。はい」


 握っていた手をカナが開くと、ロベリアは最後にぎゅっと強く握り返し、それから手を外した。

 前に出て、最後の敵と相対する。


 キーテ族上位戦士、褐色黒髪、極彩色の衣装の少女、セン――センゼンホ。

 トイドイマの骸を部下に下げさせながら、彼女はただ待っていた。


「これは慈悲だ、です。外人はぼくたちの決闘に慣れてねえからな、です」

「お前ならそう言ってくれると思っていた」


 センとカナのやり取り。

 ロベリアとピアニィが首を傾げる。


 カナは語った。


「わたしがロベリアを回復させた件だ。本来は認められぬ。その後の会話で、更に回復が馴染む時間稼ぎをしたこともな」

「そういうことだ、です。賭けの賞品を死なせないためでもあるがですが……」

「ウェヘヘ……。助かりますね……」


 ロベリアが短杖(ワンド)を右手で握り直す。

 センは無手、無形。


「事ここに至って、最早降霊の必要があるとは思えないがですが……いいだろうです。ロベリア、お前の勇気に敬意を表し、最初から本気で行こうじゃないかですよ」

「へっ……?」

「カナのために、ぼくの手の内を晒させたいんだろ? です。叶えてやろうです」


 センが衣服の胸元の内側から、隠れていた首飾りを引っ張り出す。

 キーテ族の文化、虫入り琥珀――だが入っているのは、昆虫ではなかった。

 一部だ。先端に毒針を具えた長い尾が、琥珀に沈んでいた。


「降霊」


 センが変容する。

 まず腰の後ろから尾が生えた。暗褐色の外骨格に覆われ、先端に毒針を具えた長い尾。

 そして肩が盛り上がり、新たなもう一対の腕が生じる――同様に外骨格の、先端が鋏となっている腕。立ったまま地面に付くほどの長大。

 足もまた外骨格に覆われ、爪が伸びる。

 最後に――額にふたつ、左右の頬にふたつずつ、計6つの『眼』が開いた。瞼も白目もない、虫の眼だ。


「蠍……!?」

「如何にも、です」


 蠍の形質。

 人間のままの部分も多く残るからこそ、その異形がより際立つ。


「さあ、ぼくの準備は終わったぞ、です。お前も準備しろですよ、ロベリア」

「上等……!!」


 ロベリアが呪文を唱え始める。

 その内容を把握させぬための、小声早口。


「お前の機会は最初の一撃のみです。更なる初見殺しの手札があれば、ぼくに勝つことも出来るだろうな、でしょう」


 呪文が終わった。


「勝たせる気なんてないくせに」

「もちろんです。まさかのふたり抜きには驚きだがですが、ぼくを前のふたりと同じと思ってもらっちゃ困るですよ」


 センが悠然と立ち、ロベリアは恐怖を滲ませた半笑いの顔で、震える杖を構える。


 だから合図をするのは、カナの役目だ。

 獣神トースに恥じるところのない、正々堂々の決闘を――などとは、とても言えなかったが。

 トースは邪神だ。世界を滅ぼそうとし、それでいて負けて封印されるなど、それこそ恥ではないか。


「血を捧げよ!」


 ならば、自らの誇りに――血を捧げるのだ。


「ライトニング・ウィップ!!」


 杖を向けたロベリアが叫ぶ。遅延発動なのだからその必要はないのだが、気合を込めることは魔術の威力や精度にも関わる。


 雷撃の鞭は瞬時に伸び、螺旋の軌跡で広がる円錐を描いた。

 前方広範囲を巻き込む雷撃、その命中力はライトニング・ボルトの比ではない。

 リアクティヴ・ライトニングは、一度見せた以上は引っ掛からぬだろう。

 ならばこれが最善の手――


 その頃には既に、センはその場から不動のまま、尾を曲げてロベリアに向けていた。

 毒針から紫色の液体の塊が飛ぶ。ぱあっと広がり、霧と化す。

 雷撃は霧に通電し、霧から大気へと拡散して、消えた。


 カナは目を見開く。

 雷撃にこのような対処方法があったのか。


「あっ……」


 ロベリアが声を漏らしたのと、その右手が短杖(ワンド)ごと飛んだのと、どちらが早かったのか。

 鋏による切断。鮮血が散る。

 既に霧を突っ切り、肉薄していた。


 くるくると宙を舞う右手を、ロベリアは不思議そうな顔で見て――その首に、鋏がかかった。

 眼前のセンが、蠍腕の鋏でロベリアの首を捉えている。


「詰みだ、です」


 ピアニィの絶叫がどこか遠い。

 彼女は姉に駆け寄るべきか、落ちた右手を拾うべきか、迷うように足踏みをして――自分の足に自分の足を引っかけて、その場に転んだ。


 ロベリアは動かなかった。

 身は拘束されているわけではない。接触は首筋に這う鋏のみだ。下がることは出来る。

 だが下がれば、その瞬間に断たれよう。それを理解している。


 ふう、ふう――と、荒くも浅い息遣い。

 見る見るうちにロベリアの血の気が引き、歯の根が合わずかちかちと音が鳴る。


 センは鋏を一息に閉じはしなかった。

 嬲るように、蝸牛が這うよりも遅く、ごくゆっくりと。


「やっ……」


 上擦った、か細い、震える声音。


「やだ……やだ……!」


 僅かな食い込み。首筋に血の玉が浮かんだ。

 首を振ることすら出来ず、ただ強張って痙攣するように震える。


「助けて、ママ助けて……。やだ、やだよお……。カナさま、何で、何で……何も……!」


 水の噴き出す音がした。

 ロベリアの股間から、両脚の内側が重く濡れていく。

 あまつさえミチミチと汚らしい音と共に、更なる悪臭すら漂う。


 そこに勇気は、欠片も見えなかった。


「ではさらば、です」


 センが鋏を閉じる――


「はへっ……」


 ――間際、ロベリアの眼がぐるりと裏返るように白目を剥いた。

 全身から力が抜け、立っていられなくなり――頭が鋏に引っ掛かって、首から下がそこにぶら下がっている状態に。

 舌がだらしなく口から垂れている。


「……」


 センは鼻を鳴らし、首の繋がったままのロベリアを放り出した。

 ぬちゃり、服の中で汚物が潰れる。

 ロベリアは動かぬし、言葉も発さぬ。ただ口から血の泡を吹き、時折、不随意に痙攣するのみだ。

 失神。


「よく戦った、ロベリア。本当に……。お前は立派に戦ったのだ」


 カナはロベリアの右腕断面に口付けをした。精霊の口付け――生命力の供給による治療――流血を止める。

 そして弛緩し切ったその身を、垂れ流される諸々に汚れるのも厭わずに抱き上げると、ピアニィの近くで下ろした。落ちた右手も拾って、傍らに。


 振り向く。


「わたしが相手だ。セン」


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