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蛮族騎士の挽歌  作者: 液体の雪
第1章 騎士になるまで
17/23

17 晴天の霹靂

 決闘前の祈りと見せかけて、魔術を遅延発動する――ロベリアの策は確かに嵌った。

 だがその一度で看破され、封じられこそしなかったものの、最早100%の効果は期待出来ない。


「降霊……!」


 矮躯ながらに筋肉質で横幅が非常に太い男、トイドイマが降霊を行う。

 霊器はノイノイヤと同じ、虫入り琥珀の首飾り。キーテ族の文化だ。


 トイドイマの身が瞬く間に変容する。

 黒光りする外骨格に覆われ、長い触角が生え、背には翅、目は複眼に。

 元の体形はずんぐりむっくりしたものだが、その昆虫形質は見るからに――


「ゴキブリッ……!?」


 ――であった。

 ロベリアが渋い顔をする。


「よくそんなの降霊しようと思いましたね!?」


 トイドイマは答えぬ。

 センと異なり、彼には帝国語は通じていないようだ。

 しかし表情を失くした昆虫の顔で無視されると、そもそも本当に心のある人間なのか、という疑問すら湧いてくる。


 もちろん、人間だ。

 今も彼の闘気は、膨らみこそすれ、萎みはせずに放たれ続けている。


 しかしロベリアは一勝したことで自信をつけたか、気圧されはしなかった。

 小声早口で呪文を唱え、末に発動を保留する。


 注意深く観察すれば、なるほど、魔力の漲りが短杖(ワンド)に僅かながら見受けられる。

 分かっていなければ気付けぬだろう。


「準備はいいな? です」


 センが問いかける頃には、雷撃に撃ち抜かれたノイノイヤの骸はどかされ、空いた空間にロベリアとトイドイマが向き合っていた。

 距離は10歩分ほど。


 トイドイマはゴキブリの降霊を済ませ、ロベリアも遅延発動を構えた。

 ふたりが頷く。


 と、離れて見守るカナにピアニィが縋りついた。


「カナさん、何かアドバイスはないのですか!? もう不意打ちは……!」

「ゴキブリは感知力と素早さに非常に長ける。そして元の体格からして筋力も凄まじい筈だ。一撃で倒されぬように気を付けろ」


 ピアニィは信じられないと言わんばかりの顔で、カナを見上げてきた。


 確かにこれでは相手の強さを説明したのみで、助言とは呼べぬかも知れぬ。

 しかし素の肉体と降霊形質を合わせて、基礎的な力と素早さを高水準で兼ね備えるのがトイドイマの流儀のようだ。

 つまり単純に強い。格上を殺すような搦め手には欠けるが、逆に格下には確実に勝つ、非常に安定した強さを持っている。

 即席で突けるような露骨な弱点など、そこには存在しないのだ。


 ピアニィと違い、ロベリアはそれを分かっている――そう見えた。


「ええ、カナさま。ありがとうございます。任せてください……! 大将まで引き摺り出してやりますよ!」

「兄者の仇だ。無事に済むと思うなよ……」


 トイドイマの言葉は樹海語だ。ロベリアには通じていない。

 カナはわざわざ翻訳して伝えはしなかったし、センも同様だった。


「それでは――血を捧げよ! です」


 センの合図。


 直後、ロベリアが短杖(ワンド)をトイドイマに向け――その頃には既に、ゴキブリは短杖(ワンド)の延長線上から逃れていた。

 撃たれる前に射線から姿を消す、最速の回避。


 そしてトイドイマの挙動は回避のみならず、射線とすれ違うようにして肉薄していた。

 瞬きよりも速く間合を殺し、その剛拳を腹に打ち込む。


 ロベリアの身はくの字に折れ、轟音と共に吹き飛び、その軌跡に口から吐き出した血と嘔吐物を撒き散らした。

 後方に立っていた木に激突して止まり、そこからずるりと落ちて尻が地に付き、力なく座り込む。


「――お姉さま?」


 あまりの早業に、ピアニィは一瞬、姉を見失ったようだ。

 虚ろな視線が数秒彷徨い、それから――咳き込む声に、ようやく姉を見付けた。


 ロベリアは項垂れ、その口から血と胃液を吐き出し続けている。鉄臭さ、酸っぱい臭い。

 衣服の胸や腹の部分が、そうしてぐちゃぐちゃに汚れていった。

 内臓が破裂しているかも知れぬ。


「あ……そんな、嘘、嘘……」


 気が遠くなったか、駆け寄ることも出来ずに倒れそうになったピアニィをカナは支え、その場にそっと座らせた。

 そしてロベリアに歩み寄り、汚れるのも厭わず顎に手をやって顔を上げさせる。


「よくやった。お前の勝ちだ」


 ロベリアは、涙をぼろぼろと零しながら――会心の笑みを浮かべていた。


「……バカな……。です」

「ああ、バカだ。ロベリアを侮ったトイドイマも、だからと言ってこんな策を採ったロベリアもな」


 センの震える声を追うように振り向けば、トイドイマが地に伏している。

 降霊が解けた人間の姿。

 煙を上げ、焦げ臭さを纏って。雷撃の痕跡。


「――リ、アクティ、ヴ……ライト……ニング」


 ロベリアが血を吐きながら、静かに宣言した。

 リアクティヴ・ライトニング。反応性雷撃。


 彼女が遅延発動したのは、ライトニング・ボルトではなかったのだ。雷撃を飛ばす技ではなかった。

 短杖(ワンド)を向けたのはフェイク。そこからは何も放たれなかった。

 ただ向ける動作に反応して回避肉薄してくると、ロベリアは踏んだのだろう。その通りになった。


 そして殴打が接触した瞬間、杖に溜まった雷撃はロベリアの腕を通り胴を通り、トイドイマの拳から腕へ、全身へと走ったのだ。

 触れられると反応し、自動的に反撃する雷撃――つまりはそういう技だろう。


 これならば狙う必要はなく、絶対に当たる。敵が肉弾攻撃を仕掛けてくる限り。

 そして通電はトイドイマの動きを硬直させ、拳打の威力を軽減すらした。でなくば、上下半身が泣き別れになっていた筈だ。


 ということは、そこまで読み切っていたのだろう。

 トイドイマは同胞を殺された怒りをぶつけるため、直接攻撃で攻めてくる、と。

 初撃さえかわせば、外人の呪文使いなど接近して殴れば終わる――その侮りから、投擲などの遠隔攻撃は採らない、と。


 そして彼女は、勝った。

 賭けに勝ち、決闘に勝ったのだ。


「どちらもバカだ。本当に……。だが――バカさがより上なのは、ロベリアだったようだな」

「ウェヘヘヘッ……ごほっ、おごっ……!!」


 吐血が止まらぬ。

 このまま放置すれば死ぬだろう。


 カナはロベリアの前に跪くと、自らの舌を噛み――その上で、ロベリアに口付けをした。


「んぶっ……!?」


 それも唇を合わせる程度の軽いものではない。

 舌を割り入れて強引に口を開かせ、舌に舌を絡め取ってしゃぶるように扱き、喉の奥までを蹂躙せんばかりの、深い深い口付け。


 ロベリアは驚きのあまりに目を閉じることも出来ず、逆にハッキリと見開いたまま、誰よりも近くでカナを見た。

 今、自分はどんな顔をしているだろう? カナには分からぬ。

 ロベリアの顔が魅力的なことは分かる。青白かった頬を赤く染めて、目は潤み、戸惑いと、しかし受容がそこにあった。


 カナは舌を半ば噛み切ったから、口の中はロベリアの吐く血とカナの流した血とが混じり合う。

 互いにそれを飲み合う形。ロベリアは幾度も喉を鳴らし、飲み下して――その度に、呼吸が荒く深くなる。

 興奮しているから? 最大の理由は違う――腹部の灼熱の激痛が和らぎ、より安定した呼吸が出来るようになってきたからの筈。


 上の上の降霊使いであるカナにかかれば、自身の圧倒的生命力を体液に凝縮して受け渡すことが出来るのだ。

 血と、唾液と。飲ませたそれが臓腑を癒し、苦痛を取り去り、生命を繋いだ。


 ロベリアの腹に手を当てて触診し、治癒の度合いを確認すると、カナはそれからやっと彼女を口付けから解放した。

 赤く染まった唾液が糸を引き、切れる。


「これで大丈夫だ」

「はっ……はっ……」


 ロベリアは言葉を失っているありさま。

 抗議するように、悦ぶように、濡れた目でカナを見上げるのみだった。


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