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蛮族騎士の挽歌  作者: 液体の雪
第1章 騎士になるまで
14/23

14 樹海へ

 おぞましい緑色の肌。

 その色は一様ではなく、濃い部分と薄い部分が(まだら)に混じり合っている。皮下に溜まった膿の量の違いだ。


 カナは褐色のその指で、眠る少女――ガーベラに触れた。

 頬、喉、胸、腹、腕……。

 なるほど、このぶよぶよとした感触は、確かに緑の呪いのそれである。


 瞼を開かせ、眼球を窺う。

 普通ならば毛細血管の赤色が透けて見えるところ、それもまた緑に染まっていた。


「ど、どうなんだ……?」


 町長が震える声で問うてきた。

 カナは振り向かずに述べる。


「緑の呪いだ。間違いない。そして症状がかなり進んでいるな……。現状では数日以内に失明し、その後更に数日で死ぬ」

「そんな……!」

「目も緑色になっているからな。そこから脳にまで膿が回ってしまう」


 町長の妻は声も出せずに倒れそうになり、同じく衝撃を受けた夫に身を支えられた。


「ま、間に合うのか……!? 数日以内に行って帰って来られる場所なのか!?」

「微妙なところだ。今すぐにでも出たい」


 言ってカナが町長に振り向きかけた時――


「たす……け、て……」

「ガーベラ……!」


 か細い声が、ガーベラの口から漏れ出た。

 それは寝言か譫言(うわごと)か。意識はハッキリとしていないようだ。

 続きもない。あとはただ苦しみの呼吸が聞こえるのみ。


「装備を用意しよう」


 町長が決然と述べた。


「何もするなと言われたが……承服出来ない! いくら樹海が蛮族の庭でも、距離の問題は如何ともしがたい筈……! 少しでも時間を短縮出来るよう、食料をこちらで用意しよう。ええと、他に必要なものは……傷薬や気付け薬も……」


 妻を椅子に座らせると、町長はあれこれと考え始めた。

 少しは使える顔になった、とカナは思う。


「では、毛皮でも牙や爪の装飾品でも何でもいいのだが……『狼』の加工品を、ありったけ」

「狼? ――そうか、蛮族の変身に使うんだな!? 分かった」


 物わかりも良い。

 伊達で樹海近くの町で長をしてはいないようだ。


 降霊には霊器が必須である。

 専用に加工した霊器があればそれに越したことはないのだが、追放されてからこちら、カナにはそれを用意する暇がなかったのだ。

 今もない。事は一刻を争う。


 しかしカナには、専用品でなくても霊器として扱うことの出来る即席降霊の技がある。

 効果時間が短い上に霊器は使い捨てになるものの、そこは数量で補えば良い。お誂え向きに、ここは町長の家で裕福だし、ロベリアとピアニィが持つ魔法の鞄に入れて持ち運ぶことも出来る。


「狼だけでいいのか?」

「すぐに用意出来るなら兎も頼む」

「よし」


 冷静に診察し、病状を診断してみせたのが効いたのだろうか。

 本当に態度が変わった。


 緑の呪いは本来は珍しい病気で、樹海では殆ど子供や弱った老人しか罹患しない。

 しかし外人が侵略のついでに樹海人を攫い、その被害者が覚悟を決めて自害をすることの出来ぬ子供で、潜伏期間の緑の呪いに感染していたとき――耐性を持たぬ外人の間で、爆発的に広まる。

 それが20年前の流行の実情だろう、とカナは思う。


 そして今、流行によって外人も耐性を得たが、それも完璧ではなかったのだ。

 感染源は樹海だから、ガーベラは、樹海人もしくは樹海所縁の品と接触したのではないか。それが発病の原因だろう。


 準備のために本館に戻りながらその辺りのことを話してみると、案の定、懇意にしていた冒険者から樹海に咲いていた花を贈られ、それから体調を崩したという。


 勝手に樹海に踏み入り、勝手に病気を持ち帰って、結果として大勢が苦しみ、薬草を求めて樹海を荒らす。

 そして今、自分たちが採れるそれを採り尽くしてしまって困っている。


 愚かなことだ。

 だがカナは、今それを追及する気はなかった。

 それは無数の人間のうねりが齎した結果で、町長個人に言ったところで仕方がないからだ。


 寧ろ薬が手に入らぬために不治の病と言われていたのに、樹海には薬があるとこの場ではカナのみが知っていたのだから――これを解決すれば功績になるのだから、いっそ「病気にかかってくれてありがとう」といったところだろう。

 もちろん、口には出さぬ。

 醜いことだ。


「さてと、これでバッチリですかね!」

「はい、お姉さま」


 準備は1時間もしないうちに整った。

 袖や裾の長いしっかりとした衣服に、マント、頑丈な革靴。魔法の鞄に物資を詰め込み、魔力を増幅する魔法器の杖や剣を下げ、髪を括って帽子を被ったロベリアとピアニィが並ぶ。

 カナもおおむね同じ格好だが、狼の毛皮の肩掛けを掛けている点、兎の脚のお守りを付けている点で異なる。


 3人は町長の家の馬車で町の外まで運ばれ、そこで見送られた。


「――降霊」


 カナが早速狼の毛皮を使い、狼の精霊を身に降ろす。

 既に革靴を脱いで裸足となり、ズボンにも突貫工事でとは言え尻尾穴を開けてある。

 半人半狼。頭頂部左右に耳が増え、尾が生え、手足が鋭い爪と肉球を備える。服の下で余人には見えぬが、胸や腰元も毛皮で覆われていよう。


 そしてピアニィを背に負い、ロベリアを両腕で抱き上げた。

 いずれも長い帯で体に括り付けすらする。落下防止。


 ロベリアに至っては、首に手を回して抱き着いてくる形。

 互いの胸が触れ合い、柔らかく潰れた。

 ロベリアの膨らみは元から小さいが。


「行くぞ。喋るな、舌を噛む」


 ふたりが無言で頷くのを確認してから、カナは走り出した。

 狼は瞬発力においては劣るが、持久力においては野獣の中でも有数である。それこそ並の人間の全力疾走程度の速度を、数時間も維持して走り続けられるほどに。

 長距離を行くなら狼の能力が最適だということだ。


 カナは走った。

 草原を越え、森を越え、丘を越え、樹海へと。


 フベラーワッド樹海――ほんの一昨日に追放されたばかりだというのに、既に懐かしい気持ちだ。

 進むにつれて木々の密度はじわじわと上がり、樹海らしくなっていく。どこからが明確に樹海だと線引きは出来ぬが、そこかしこに樹海人の痕跡を感じると、カナとしてはもう樹海だと感じた。

 鬱蒼と茂る、深淵の大森林。鳥獣や虫の鳴き声を背景に、枝葉の天井で薄暗い中を駆け抜ける。


 具体的な行先は、準備の間に話し合ってあった。

 樹海の奥地――樹海人の一部族であるキーテ族の領域を越えていくのが、プコスの町からは近い。

 そしてその先、右手山脈と呼ばれる山の裾野に至れば、緑の呪いを癒す薬草が今も自生しているだろう。


 だろうって何ですか――とはロベリアに言われてしまったが、「だろう」は「だろう」である。

 緑の呪いは珍しい病気で、薬草が必要になることも少ないため、採りに行くことが滅多にないのだ。

 ただ、3年前に行った時にはあったし、その更に2年前にもあったという話だから、今もあるだろう、と。


 件の薬草は生息出来る標高の幅が狭く、元はもっと浅い領域の丘などにも生えていたのだが、それは外人が20年前に採り尽くしてしまった。

 今はもう、あるとしたら、知る限りでは右手山脈しかないのだ。

 ならばどの道、そこに行くしかない。


 ピアニィを背負い、ロベリアを抱えて、カナは樹海を行く。

 精霊が齎す能力の程度は、物理的な肉体に縛られた通常生物を遥かに超えるから、カナは今本物の狼よりも速く疾走出来る。

 即席降霊は長持ちしないため、毛皮を替えていく必要はあるが。


 枝葉を避けるために獣道を行きながら、本来その道を通る獣を跳び越し、攻撃的な魔物でさえ追いつけずに諦めるありさま。

 そもそもカナの纏う鋭利な闘気に当てられて、並の生物ではまず近付こうとすることさえ出来ない。


 しかし並ではない生物が、この樹海には幾らでもいる。山猫を殺し、猪を殺した。

 そして――やがて飛び来る矢を、カナは木を蹴り空中で移動経路を変えすらして回避してみせる。


「お前、同胞ではないな!」

「ここは我らの領域だぞ……! ()()ね!」


 声と、追加の矢の雨が降る。


「キーテ族か」


 しかしここを通って行くのが、最短最速の経路なのだ。


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