13 病気
さて、翌日である。
朝食を終えたその席で、ロベリアが例の話を出した。
不治の病。
「ご存知でしたか……我が娘のことを」
「いえまあ、昨晩、お父さま――トバイアス・ロックハート辺境伯から。その、えー、助けになってやれと」
「おお……!」
失敗前提で話をされたとはまさか言えなかったのか、ロベリアは誤魔化した。
そうとは知らぬ町長は嬉しげだ。
「で、詳しいことは町長さんから聞くようにと……」
「分かりました、詳しくお話ししましょう。ウチの娘が、その不治の病にかかっているのです。病名はゴブリン熱。皮下に溜まった膿で肌がゴブリンのような緑色に染まってしまうことからそう呼ばれる、恐ろしい病です。ずっと熱に浮かされ続け、ベッドから起き上がることも儘なりません。やがては全身が弱り、壊死してしまうと……おお、ガーベラ……」
娘の名はガーベラというらしい。
と、ピアニィが疑問を呈する。
「ゴブリン熱……。確か20年ほど前に大流行した……」
「ああ、そういえば聞いたことありますね」
ロベリアも頷いた。
一方、町長は悲痛。
「そうです、そのゴブリン熱です。猛威を振るった当時と違って、ガーベラの発症したものは感染力は弱いようで……我々も、ずっと付きっ切りで看病を続けている妻も、その意味では無事なのですが……」
娘は病気、妻は看病。
それで貴族の息女たちを持て成す席にあっても、町長と使用人ばかりで、屋敷の主の家族が出て来なかったのか。
「で、ゴブリン熱ってことは――薬がないんですね?」
ロベリアが切り込んだ。
町長は頷く。
「まさしく。20年前の流行の際に、特効薬の材料となる薬草は採り尽くされてしまいました。フベラーワッド樹海にしかなかったのに……。よそで採れるものではないのに! 薬草さえあれば、すぐに薬は作れるのです。それがない……! 何とか……何とか出来ませんか、お嬢さまがた……!」
言い募りながら、しかし、どうしようもないことを改めて認識してしまったのだろう。町長は次第に涙ぐみ、雫を零した。
領主貴族の娘がふたりとペットの蛮族がひとり――その程度が来て解決することなら、とっくの昔に解決していよう、とばかりに。
それにしても――と、カナは思う。それにしても、ゴブリン熱か。
「緑の呪いだな」
「うん?」
カナが言葉を発したことが意外だったのか、町長がきょとんとした。
それから不機嫌そうに言い放つ。
「蛮族は黙っていろ。今は我々が――」
「緑の呪いって何です?」
だがロベリアが、食い気味に続きを促してきた。
答える。
「病気の名だ。患者を診ねば断定は出来ぬが、樹海で言う緑の呪いと、外人の言うゴブリン熱は、恐らく同じ病気だろう。となると、薬はある」
「本当か!?」
「ああ」
町長が身を乗り出してきた。
立ち上がった勢いに、椅子が後ろ向きに倒れる。
「どこだ! どこにある!」
「樹海の奥だ。浅い領域の薬草は20年前に外人に採り尽くされたが、奥地にはまだ残っている」
「な、なんと……。いや、本当か? 本当に本当なんだな? 出任せを言っているなら、たとえロックハートのお嬢さまの所有物と言えど……!」
希望に食いついたかと思えば、今度は唾を飛ばしながら詰め寄る勢いだ。忙しないことである。
カナは鼻を鳴らし、口を噤んだ。
町長が激昂する。
「おい、何とか言ったらどうだ! 本当なのかと聞いているんだぞ!」
「……」
既に一度答えたことを無駄に問い詰めてくる時点で、会話に値しない。
根本的に、町長はカナを見下しているのだ。名前も覚えていないかも知れない。
だから執拗に念を押し、威圧すらしようとする。それが通ると思っている。
必死ではあるのだろうが、浅はかで、薄っぺらだ。
何となれば――
「町長さん。カナさま、じゃねーや、カナは私のです。言いましたよね?」
「えっ……。あっ……」
「その言葉を大した根拠もなく疑うのは、私に対する侮辱ですらありますよ」
ロベリアが露骨なほどのジト目を向けて述べた。
そう、所有物への攻撃は、所有者への攻撃でもある。
蛮族でペットだという身分でカナを見下すのなら、貴族の息女であるという身分でロベリアには服従しなくてはならぬ。つまり、ロベリアのペットを不当に攻撃してはならぬ。
最初から矛盾しているのだ。
現実にはペットではないが……。
「も――申し訳ございません」
町長は頭を下げた。
そして倒れた椅子を起こし、座る。
静寂。
それを破るように、カナが述べる。
「お前は何もするな、町長。邪魔だからな。何ひとつ頼らぬ」
「なっ……! ぐ、うう……!」
だから、余計な口出しもするな。
言外。
「わたしが採ってくる。すぐに行く」
「ちょちょちょ……待ってくださいよ!」
カナが席を立つと、ロベリアも慌てて立ち上がって止めに来た。
「何だ」
「幾ら何でもひとりじゃアレでしょ! 樹海には蛮族も魔物もいるんですから……! このロベリアちゃんに頼るべきじゃないんですか?」
親指で自らを指し示し、片目を閉じてみせるありさま。
微妙に苛立つ。
が、助かる。
「それもそうだ。よく考えれば、ひとりでは町の出入りが面倒だしな」
「ですねえ……」
しみじみと言われてしまった。
と、ロベリアがピアニィに振る。
「妹くんはどうします?」
「お邪魔でなければ、是非ご一緒させてください。お姉さまと冒険だなんて、初めての機会ですもの!」
こんなときだが、ピアニィは楽しそうだった。
もちろん本人はそこまでは口にしないが。
「ま、待て……。お待ちください!」
町長が再び立ち上がる。
「如何な武門のロックハート家のご息女と言えど、護衛が足りないのでは? ウチから兵士を――」
「要らぬ」
しかし、カナが言い捨てた。
「樹海では身軽さが重要だ。人数が増えるほど動きが鈍る。慣れていない者がふたりでも既に限界なのに、これ以上は要らぬ」
「だが万一のことがあれば……!」
「万一をなくすために言っている。わたしが樹海の専門家であることには、それこそ疑いの余地はあるまい」
そうまで言えば、流石の町長も頷きを見せる様子。
「ご安心ください、町長さん。必ず私たちが薬草を持ち帰ります。ね、お姉さま、カナさん」
「そーゆーことです。まあ私はオマケですけどね。ウェヘヘ……」
卑屈ではあるが、身の程を弁えている、という点では好感を持てた。
これならば無茶はすまい。
「――と、その前に患者を診ておくか。いいな?」
カナに一瞥された町長は、嫌そうな顔をした――が、考え直したらしく頷いた。
彼らの認識するゴブリン熱と、樹海で言う緑の呪いがもしも異なっていた場合、薬草を採りに行くこと自体が無意味だからだろう。確認は必要だ。
町長の先導で、敷地内の別館へ。
本館と違い、空気が重い感じがする。人が少なく、それでいて誰もが陰鬱な雰囲気を纏っているせいだろうか。
その部屋に入れば、重さはより増した。
ベッドには薄紅色の髪の少女が寝ていて、その傍らには似た顔立ちの女がいる。
女が振り向いた。
「あなた……?」
「もしかしたら……手に入るかも知れない。薬が……」
「何ですって」
ふたりの脇を通って、眠る少女へとカナは踏み込む。
止めようとする女――妻だろう――を、町長がそっと肩に手を置いて下がらせた。
少女は眠って、だが、熱い呼吸を繰り返し苦しげ。
玉の汗が止むことなく流れ続けているその肌は、緑色に濁っていた。