12 夜
「お父さま……」
ロベリアが呆れの声を出す。
「不治の病は、治らないから不治の病って言うんですよ。それを治すことを条件にしようだなんて……」
「条件ではない」
一方、父親は最早冷静だった。
「それだけの――天地が引っ繰り返るほどの事をしてみせなければ、到底周囲を黙らせることは出来ないと言っているのだ。蛮族であることへの差別や風当たりを和らげることはな。それでさえ『和らげる』だけだし、逆にやっかみも生むかも知れない。だが、必要なことだろう?」
「それは……はい……」
騎士になることが最終目標ではないのだ。
ロベリアにはその後の更なる功績を。
カナには故郷を攻める兵力を。
そのために。
「詳しいことは町長から聞きなさい。パパからはここまでだ。何か進展などあれば、また連絡してもらうとして……。ピアニィはもう帰るのだろう?」
「え? 帰りませんわよ」
「えっ?」
目が点になった。
ふたりしてきょとんとした顔で見詰め合う。
「帰りませんわ」
「なぜ!?」
「お姉さまのご助力を」
「お前がそんなことをする必要は――」
「そういうところですわよ、お父さま」
ピアニィは呆れの溜め息と共に鏡に手を伸ばし、通信魔術を成立させている紋様を雑に拭って乱す。
途端、映像が歪み、ぼやけ、そしてこの部屋の光景が映るようになった。
通信終了。
一連の流れに、ロベリアが目を見開いて妹を見た。
「珍しいですね。妹くんがお父さまに分かりやすく反抗するなんて」
「それだけ腹に据えかねたということですわ。折角お姉さまを見付けましたのに、またすぐに離れ離れだなんて嫌ですし」
「愛されてますねえ……」
「はい!」
ロベリアは冗談半分に言ったのだろう。ピアニィの満面の笑みでの力強い即答に、ばつが悪そうに目を逸らした。
そしてカナに抱きかかえられていることも思い出したようだ。急にもじもじと落ち着かない動きをし始めた。
「あの……カナさま?」
「もう陽も落ちた。町長に仔細を聞くのは明日で良かろう。寝るぞ」
「寝るなら放してくれませんかねー!?」
軽く暴れようとする体を、緩く押さえつける。
どちらも本気ではない。
「放したくない」
「ここに来てデレ過ぎでしょ!!」
「嫌か?」
「え、えー……。いやー……そのお……」
真っ赤な顔を俯かせて必死に隠しても、耳まで赤いから意味はない。
故郷の妹は元気だろうか。代償行為と呼ぶには、妹とはあまりにも違うロベリアだが、それでも好ましく感じていた。
そんな彼女は、自分の妹に手を伸ばす。
「妹くん! 助けて!」
「お姉さまを放してあげてください、カナさん」
ピアニィが指に付着した塗料を拭い去り、姉の手を取った。
「お姉さま、たまにおねしょをなさるから……まずおむつを穿いていただかないと……」
「あああああああああああ!!! はっきり言わないでくださいよ! はっきり言わないでくださいよ!」
ロベリアは涙声で叫び、片手で顔を覆う様子。
一方、カナは泰然。
「ああ、確かに一度やられたな。わたしを恐れて悪夢を見たからだと思っていたが……」
「元からですわ。ストレスの多い生活を送っていらっしゃいましたから……」
「なるほど。可哀想なことだ」
「冷静にコメントするのはやめてください……! バカにされた方がまだマシですよ……!」
さめざめと泣くロベリアを解放し、ベッドから降りた。
「昨夜野営した時に使わなかったのは、わたしに知られたくなかったからか?」
「やめて……! 冷静に言うのはやめて……!」
ロベリアはベッドの上に座り込んでいる。
「だって最低じゃないですか……。この歳で……我慢出来ないとか……。家を出て自立したら治ると思ったのに、全然ダメで。やっぱり私、欠陥品なんですよ。どうしようもないゴミクズなんです。ごめんなさいカナさま……汚いし気持ち悪いですよね、私……。ウェヘヘ……」
「お姉さま……。お労しや……」
姉は自嘲の笑みを浮かべ、妹は目を伏せた。
なるほど、事は深刻らしい。
樹海人は多くが戦士だから、恐怖や緊張から戦闘中または前後に人間は失禁することがある、とよく知っている。戦闘や狩猟の最中に、ともすれば自由に用を足しには行けぬことも。それをいちいち気にする方が士気を下げるため、あまり重くは受け取らぬ文化が育った。
それを説いたところで意味はあるまい。
だからカナは、当然のことのように泰然のまま述べることにした。
「わたしの前では、いくら漏らしてもいい」
「へっ……?」
「バカにしないし、軽蔑もしない。人間は排泄するものだからな。わたしだって漏らすことくらいある」
そんなバカな、という驚きの顔をされた。
次いで、お為ごかしはやめろ、と言わんばかりの怒りの表情へと変わる。
「一昼夜ほど休むことなく、狩りの獲物を追いかけ続けるときとかな」
「あっ、そういう……」
呆れられた。
それはそれで腹立たしい。
ともあれ。
「気にするなとは言わぬ、治せとも言わぬ。お前はそのままでもいい」
「そんな……いいわけないでしょ!」
「お前自身がそう思っているからだ。お前は欠点だらけだが、それを恥じ、変わろうとする心を持っている。ならばわたしが外からどうこう言い募る必要はない。ただその姿勢を認めるのみだ」
ロベリアは目を見開いた。
「そんなこと、初めて言われました。妹でさえ、哀れんでくるのに……」
「お姉さま……。ごめんなさい、私……」
「いいんです、それが普通なんですよ。でも、そっか……。私を、ただの私を、カナさまはそのまま認めてくれるんですね」
頷いてみせた。
出会った時点で既に家出していたから、貴族としてのロベリアを知らぬ、という点はある。
が、どう出会ったにせよ、きっと最終的にはそうしていただろう。
「それじゃあ……寝ましょうか。今日のところは」
「お姉さま、ですからその前に……」
ピアニィが空間拡張の鞄からおむつを取り出した。
ロベリアは露骨に嫌そうな顔をする。
「やっぱり穿かなきゃダメですか……?」
「よそのお家ですからね」
圧倒的な正論だった。
助けを求めるように見られたが、カナは肩を竦めた。
「絶対こっち見ないでくださいね! 絶対こっち見ないでくださいね!」
「分かったから」
「はい、お姉さま」
改めて思う。
本当に欠点だらけの人間だと。
だからこそ放っておけぬ面もあるのだろうか、とも。
故郷への報復と信仰の是正。出世し周囲に認められること。
互いに利用し合う関係ではあっても、それのみではないのだと感じる。
用意されたベッドは大きく、3人で一緒に寝ることになった。
真ん中のロベリアを右側からカナが抱き締め、反対の左腕にピアニィが抱き着く形。
「あの……。狭いんですけど」
「安心するかと思って」
「久し振りにお姉さまと眠れるんですもの! カナさんも、おやすみなさい」
「おやすみ」
「えぇ……」
ロベリアは釈然としない顔をしていた。
「これはこれでモテ期なんですかね……?」
そしてよく分からぬことを言った。
さて、翌朝には町長から話を聞かなくては。
あまりにもふかふかなベッドは、カナには慣れぬものだったが、存外安らかに眠ることが出来た。
抱き締めて安心するのは、どうやら自分の方だったらしい。