11 親子
遠く離れた鏡と鏡を繋ぎ、光景と音声のやり取りを可能とする通信魔術。
鏡の向こうにいるのは、ロベリアとピアニィの父――金の髪と髭の偉丈夫だ。
「おのれ蛮族、樹海に引き籠っていればいいものを! いったいいつの間に近付いたのだ、我が愛しいロベリアに……! だが愛しいピアニィが見付けてくれた! 決して逃がさん……!! ぶっ殺す!!」
偉丈夫が迫ってきて、鏡の映像が揺れた。
あちら側の鏡に激突したらしい。
「お父さま。鏡は通り抜けられませんわ」
「そうだったな……」
だがその衝撃で、冷静さを取り戻した様子がある。
これでようやくまともに話が出来そうだ。
「それで? いったい何があったのか……。パパに教えておくれ」
話すのは主にピアニィだった。
護衛騎士エイミーを殺され、自身が盗賊団に捕まったこと。カナとロベリアがたまたまその盗賊団に目をつけ、ピアニィの救出に至ったこと。
カナは陰謀と冤罪により一族を追放され、冒険者をしていたロベリアと出会っていたこと。
そしてカナをロベリアの騎士にしたい、ということを。
「ううむ」
偉丈夫は唸った。
そして頭を下げてくる。
「まずは礼を言おう、カナくん。娘たちの助けになってくれて、ありがとう」
「わたしも助けられている」
「それは重畳だ。では、そして、それは今この時点までにして欲しい」
つまり、手を切れ、と。
「ちょっとお父さま! 流石に聞き捨てならないですよ!
ロベリアがいきり立った。
「礼に礼を返さずに、何が為政者ですか!」
「だが蛮族だ。可愛いお前の傍にいるべきではない」
「『べき』って何ですか!? お父さまはいっつもそう!!」
怒りを吐き出すように、クッションをボスボスと殴る様子。
「剣の先生も勝手にやめさせて! そりゃ確かに私は才能ないですよ!? でも、続けたかったのに……! 魔術の先生だって、こっちの人の方がいい、こっちの方がいいって、何度も変えて! 錬金術やりたいって言っても全然聞いてくれないし! そんなのロックハートがやらなくていいって、私の意思はどこにあるんですか!?」
父親は息を呑んで聞き、その上で、戸惑いながら述べる。
「パパはお前のためを思って――」
「私は貴方のお人形じゃないッ!!」
ロベリアは歯を食い縛り、肩で息をした。
静寂と呼ぶには荒々しい空気。
ピアニィが手を伸ばしかけて引っ込める頃、カナは椅子から立ち、ロベリアの手を取る。
そしてベッドの上に引っ張り、自身の胡坐の脚の上に座らせ、背中越しに抱き締めた。
そっと頭を撫でる。
「カ、カナさま……?」
声は上擦っていた。
身は強張って固く、だが撫でるうちに緩んでいく。
カナは鏡に呼び掛けた。
「父親よ」
「貴様にパパと呼ばれる筋合いはないぞ!」
そうは呼んでいない。
「わたしはカナヴェササネだ。今はカナと呼ばれている」
「先程ピアニィから聞いたわ。それがどうした? いやまずロベリアを放せ! 何だその体勢は……! 羨ましい!」
深く溜め息をついた。
なるほど、ロベリアが家出をするわけだ。
「名乗れと要求したことも通じぬか。ならば会話の価値すらもないな。ロベリアはわたしが貰っていく」
「えー!? ちょっ、困りま……困り……困りませんね?」
「だろう」
ロベリアとしては、元々家に帰るのは渋々のことだ。カナが力になると言うから、仕方なく。拗れるようなら再び家出する、とも述べていた。
それを実行するのみのことだ。厳密には家出の継続だが。
「いや困るだろう!? おお、私の可愛いロベリア! 何か弱みでも握られたのか? 領の全軍を差し向けてでも、パパが助けてやるからな! 戻って来なさい!」
「自分の都合ばかりだな、お前は」
「黙れ! 蛮族の都合など知るか!」
カナが呆れた声を出せば、父親は吐き捨てるように言う。
だがそれで委縮するのはハラハラと見守るピアニィくらいで、ロベリアは半笑いだし、カナはより呆れる様子。
「わたしの都合の話などしていない。ロベリアの都合の話だ。こいつの欲求、欲望、希望――お前は何ひとつ叶える気がない。こいつの心を求めていない。ただ、自分の思い通りに。ただ、自分の理想通りに。なら、ひとりで人形遊びでもしていろ。気持ち悪い」
「き、きっ、貴様……! 言うに事欠いて……!」
父親は怒りに顔を真っ赤にして震えた。
これが鏡越しの魔術通信でなく実際に面と向かっていたなら、既に殴りかかってきていただろう。
実際、彼は鏡を両手で掴み、嚇怒の形相を鏡面一杯に映し出していた。
「わたしの発言などどうでもいい。ロベリアは言ったな、自分はお前の人形ではない、と。なぜそう言われたか分かるか?」
「分かるわけがない……! 第一、可愛いロベリアを人形扱いなどしているつもりはないのだ! な、何が不満なんだロベリア……。パパに教えておくれ」
嚇怒から一転、父親の表情は不安へと変容する。
ロベリアはそっぽを向いた。
「もう口を利きたくないし、顔も見たくないそうだ」
「ロベリア……。ロベリア!」
不安は悲哀に。
「誇りだ」
「誇り……?」
しかしカナは泰然のまま述べる。
「ロベリアは、誇りを持つことが出来なかった。全てを父親が決めて動かしてしまうから、『自分』がなかったのだ。それが嫌だった。そうだろう? 才能のなさ故に周囲の愛が圧力となった――それも確かに事実なのだろうが、最大の理由は『誇り』の問題だとわたしは思う」
ロベリアは――頻りに頷いていた。
カナの脚の上、腕の中で。
父から顔を背けて、肩を揺らし、鼻を啜りながら。
父親は愕然のありさま。
「こ、この私より……行きずりの蛮族の方が、可愛いロベリアを理解しているというのか……?」
「少し違いますわ、お父さま」
ピアニィが深呼吸を挟み、続けた。
「お父さまはそもそも、お姉さまを僅かも理解してはいません。誰よりも、です。私がお姉さまを探しに出たのも、家に連れ戻すためというより、単に私が離れがたかったから……。お姉さまはお父さまのもとにいても幸せにはなれませんが、それでも、という酷い我儘だったのです」
目を伏せ、沈痛のありさま。
そんなピアニィを振り向いたロベリアの顔は、涙を流し、鼻水さえ垂らしていた。
「な、なんということだ……」
鏡の向こうで、父親が床に膝をつき、項垂れる。
「まさか可愛いピアニィに、そうまで言われるとは……」
「カナさんが仰ったから、便乗しただけですわ。そうでなければ、とても……」
ピアニィは薄く苦笑し、ゆるゆると首を振った。
カナの言葉は侮辱としか捉えなくても、ピアニィが言えば受け容れるらしい。
「くっ……! わ、分かった。いや、まだ全てが分かったとは言えんが……。それでも、どうやら私が可愛いロベリアを苦しめていたということは、な。すまない、ロベリア……。どうか戻って来てくれ。やり直す機会をパパに与えて欲しい」
「……」
ロベリアは父親の顔を見た。
睨みつけた、という意味で。
「だがそれと蛮族を騎士にすることは話が別だ。奴隷ではダメなのか?」
「よく娘の恩人を奴隷にするって発想が出てきますね……」
最早睨みつけるではなかった。
憐れみですらある視線。
父親はたじろいだ。
「うむ、まあ、そうだな……。しかし、それだけ常識破りだということだ。常識を覆すには、莫大な実績が必要……。何か当てはあるのか?」
「元はと言えば、こっちがそれを聞きたくて鏡を繋げたんですけど……」
「そうか……」
鏡の向こう、顎を撫で、首を傾げる様子。
「今いるのはプコスの町だったな。ならば町長の願いを聞いてやりなさい」
「それって……?」
「不治の病の回復だ」
どうやら、やはり騎士にならせる気はないらしい。
当然、楽に済むとは元より考えていなかったが。