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蛮族騎士の挽歌  作者: 液体の雪
第1章 騎士になるまで
1/23

1 陰謀

 最初は素朴な疑問だった。


 神に対する些細な解釈違いで、我々フベラーワッド樹海人は多数の部族に分かれ、相争い血で血を洗っている。

 なぜ神は、それをただ見ているばかりで、正そうとしないのだろうか。

 本当に我々の神は絶対的に正しい存在なのか?

 ――と。


 文献を調べ、口伝を調べ、神殿を調べ――神殿に隠された地下階層を遂に発見し、探索の末、壁画や石碑の古代語を解読した。

 そうして判明したのは、フベラーワッド樹海で信仰されている『獣神トース』は実は邪神である、ということ。


 かつて世界を滅ぼそうとして封印された獣神トースは、しかし復活を予言された。

 復活を防ぐために神を見張るのが、フベラーワッド樹海人の役目だったのだ。


 その筈が、途中で伝承が忘れられて捻じ曲がってしまったらしい。

 いつの間にか、獣神トースを信仰することになっていた。


 由々しき事態である。

 すぐに長老衆に奏上しなくては。更なる調査と事実確認を急ぎ、ともすれば信仰を根本的に見直す必要がある。

 そう考え準備をしていたところ、長老衆に呼び出され、


「カナヴェササネよ、お前をアーク族から追放する」


 ――そう告げられた。


 木と草で組み上げられた家屋。地面の上に毛皮の絨毯。

 毛皮の衣服に、獣の骨や角、羽毛などの装飾品を纏った長老たち。

 見慣れた光景が、ぐらりと揺れて歪むようだった。


 カナヴェササネは、その場で倒れ込まぬように気を入れ直す。ゆっくりと深呼吸。

 それから、声が震えぬように注意しながら問うた。


「何ゆえ」

「タクトダクトが殺された。お前の短刀が落ちていた。戦いの痕跡はなかった」


 冤罪だ。

 確かにタクトダクトとは犬猿の仲だったが、実力を認め合う間柄でもあった。

 仮に殺すとしても、不意打ちではなく正々堂々の決闘で殺す。それが戦士の習い。

 いや、殺していないが。


 そもそもカナヴェササネは、神殿の地下階層を探索していたのだ。出発前には、彼はまだ生きていた――確かに挨拶を交わした。

 しかし神殿は、神を煩わせぬようにとのことで、普段は人の寄りつかぬ場所である。カナヴェササネは、誰にも目撃されていない。少なくとも、ここで証言をして庇ってくれるような者には。


 どう考えても陰謀である。

 先手を打たれた。

 ぎり、と歯が鳴る。


 つまり獣神トースが邪神であることは事実で、それを隠蔽せんとしているのか。知ってはならぬことを知った者を排除することで。

 将来を嘱望された若者を、辻褄合わせのために殺してまで。

 それとも彼もまた、何かに気付いてしまったのか?


 里を混乱させぬために情報を伏せてほしいと言ってくれたなら、ただ頷いたろうに。

 こうまでの過剰な対処をするなど、後ろ暗いことがあると宣言しているも同然だ。


 屋内には、追放を突きつけた最長老のほか、各家の長老たちも居並んでいる。

 恐らく殆どがグルだ。そういう空気感。


「わたしは殺していません。――おじいさま」


 長老のひとり、カナヴェササネの祖父は、沈痛な表情で目を逸らした。

 彼はグルではないようだが、完全に敵に騙されているようだ。

 味方がいない。


 最長老が述べる。


「お前の祖父の嘆願で、処刑ではなく追放となったのだ。彼には感謝しろ」

「ありがとうございます」


 味方がいないと思ったことを恥じる。

 祖父に頭を下げた。

 彼は全力を尽くしてくれたのだろう。その上で、これが限界だったのだ。


 若衆としては破格の力を持った最強の戦士であり、アーク族の新たな勇者とすら呼ばれたカナヴェササネだが、流石にここで戦っても勝ち目は薄い。

 いや、よしんば勝ったところで、事態は悪化するのみだろう。


 相手は権力者だ。白を黒に出来る。

 何を言い募っても無駄だし、暴力で覆そうとすれば一族全てを敵に回してしまう。

 抵抗するだけ、祖父の立場も悪くなろう。


 ここは雌伏する。

 大人しく追放され、外で力を蓄え、再び戻ってくるのだ。

 今度こそ一族を正すために。


 カナヴェササネは全ての装備を没収され、何も持つことは赦されず、ただ簡素な麻の貫頭衣と手枷のみを身に付けた状態で、一族の領土の外縁まで連行されることになった。

 白昼堂々、里の中をその状態で歩かされる。

 突然の追放に、一族は皆困惑する――と思っていた。


 向けられる視線は、侮蔑と嫌悪ばかりだった。

 正式な決闘を経ずに同胞を殺せば、それは何よりも戦士の誇りに(もと)る行為だ。弁解の余地などなく、絶対的な悪なのである。

 それを思い知らされた。


「産まなきゃ良かった……あんたなんて……!」


 母は泣き崩れていた。


「お姉ちゃん、悪い子なんだね」


 幼い妹は、だからこそ純粋に汚物を見る目を向けてきた。


「この恥晒しめっ!」


 父には石を投げられた。


 それを皮切りに、人々も手近なものを次々に投げつけてきた――カナヴェササネではなく連行を担う戦士のひとりに当たりそうになって、彼が憤り怒鳴るまで、それは続いた。

 手枷が邪魔だ。あちこちから流れる血を拭うこともできない。

 落涙は流血に紛れてくれたらいい、と思った。


 ずっと一族のために戦ってきたのに。

 他部族との戦争で常に陣頭に立ってきたのも――

 食料の尽きた冬にたったひとりで大量の獲物を狩ってきたのも――

 樹海奥地より溢れ出た正体不明の凶悪な魔物を退治したのも――

 このカナヴェササネだというのに。


 冤罪であるという疑いを、碌に誰も持ってくれぬとは。

 こうまで盲目的で流されやすい民族だなどと、考えもしなかった。


 やがて里を出て、更に歩き、歩き――フベラーワッド樹海の外縁部、森林の密度が下がってくる場所に辿り着く。

 抵抗しないようにと嵌められていた手枷をここで外され、あとは槍で追い立てられながら樹海の外へと立ち去るのみ――の筈である。

 が、手枷を外される気配がない。


「おい」


 カナヴェササネが問い質そうとすると、戦士たちは頷き合い、槍を構えた。

 狼の毛皮――顔の部分すら頭巾のように被る構造の衣服を纏う、樹海の民の戦士たち。

 彼らは口々に言った。


「甘いんだよ。あの最長老がただで追い出すわけないだろ」

「処刑は里の内で殺し、追放は里の外で殺す。分かってると思ってたが」

「まあ建前って奴だ。お前の祖父の、長老のひとりとしての顔を立ててやろうっていうな」


 誰も皆、一族の戦士として、共に戦ってきた者たちだった。

 時に獣を狩り、時に敵対部族の戦士を狩り、時に無遠慮に樹海に踏み込む外の人間を狩った。

 その仲間たちが今、カナヴェササネに槍を向けている。

 悪意と獣欲に満ちた笑みを浮かべながら。


「カナヴェササネ……。殺す前にたっぷり可愛がってやるよ。逃げられないようにしてからな」

「物好きだねえ。こんな女傑より、もっと従順な子がさあ」

「これから従順にすんだろが。物理的にな」


 戦士たち――男たち。

 彼らは最長老の忠実な手駒ではないようだ。手駒ではないが、あれだけ友情と誇りを語り合ったのに、容易く掌を返してくる。

 手駒だった方がマシだ。


 フベラーワッド樹海人の肌は褐色。髪や目も、黒や褐色など暗い色が多い。

 しかしカナヴェササネは、褐色の肌に銀髪と赤い目がよく映える。珍しい色合い。


 美しいと、昔からよく言われてきた。

 いっそ不気味だと、多くの者に避けられてきた。

 己を鍛え、力を付けたのは、誰に何を言われようと、己の足で立って生きるためだった。


 それを戦士たちは、踏み躙ろうというのだ。

 だからカナヴェササネは、戦士たちの中で最も先頭で最も気が逸っている男に声をかけた。


「おい、ヒロハギロハ」

「なん――」


 向けられていた槍とすれ違うようにして踏み込み、胴体に爪先を突き刺した。

 内臓を潰した感触。


「ぐっ――が、!?」

「えっ」

「バカなッ」


 戦士たちが浮き足立つ。

 カナヴェササネには装備がなく、手枷をつけられている。戦士たちにとって圧倒的に有利な状況だった――だから油断した。


 ただでさえ『戦う』より『甚振る』ことに意識が向いていた彼らだ。そこに話しかけられ、会話で甚振ることを続けようと反射的に考えてしまったのだろう。

 その頃には既に、話しかけた側は動き出していたのに。


 大人しく追放するなら、今は大人しく追放される気でいた。

 しかしこう来るなら最早、先に殺すしかない。


 戦って殺し殺されは、フベラーワッド樹海における戦士の習いだ。

 決闘ではないが、命を狙ったなら、命を狙われて当然なのである。


「こいつッ」

「殺せ!」


 くずおれようとするヒロハギロハを、我が身で支えた。その陰に隠れるように。

 するとまだ生きていて呻き声を上げるヒロハギロハを巻き込むまいと、彼らは一瞬躊躇する。

 肉の盾。


 ――を、突き飛ばした。

 後続の戦士の構えていた槍が、ヒロハギロハを貫くように。


「あっ」

「てめえっ」


 突き飛ばした反動で後退すると、寸前までいた場所に槍の穂先が殺到した。

 弧を描く運足で、制動なしに再び前進。槍を突き出した直後の隙を狙う。

 高い蹴りが、ひとりの喉を打ち抜いた。


「げべっ」


 骨の折れた首が妙な角度にへし曲がりながら、口から血を噴いて倒れる。

 更にその身を残る戦士たちに蹴り飛ばし、牽制。

 反動でまた後退し、槍の間合から外れる。


「降霊だ! 降霊しろ!」


 戦士たちが叫ぶ。

 そして彼らは気合を入れ――被っていた狼の毛皮と融合した。人型の狼と化す。毛皮に付いている狼の顔が、今や生きた本物となって咆哮を上げる。


 降霊。

 毛皮に宿る狼の精霊を身に降ろし、その超常の力を得る技術。

 上位戦士の証だ。


 人狼戦士たちは短く鋭く吼え声を発し、敵味方の位置と動きを確認し合う。

 圧縮言語による意思疎通。狼の精霊が齎す異能。

 筋力と敏捷性も生身を遥かに超えて。


 事ここに至っては、最早カナヴェササネの蹴りも入らぬ。

 いや、当たるには当たったのだが、分厚い毛皮と筋肉の守りに弾かれてしまった。


 あまつさえ反撃に槍が飛んでくる。

 次々と繰り出される攻撃を、足を止めずにかわし続けていく。


「ちょこまかと……!」

「囲め! 追い込め!」


 人狼化して、戦士たちの連携は劇的に向上した。

 刃が掠め、塗られた毒が浸透してくる。

 尤も幼少時から耐性を鍛えているカナヴェササネには、この程度では効かぬが。


 しかし単純に、人数と地力と武装の差が大きい。

 ひとり対、動ける戦士があと5人。

 生身と、狼を降霊済み。

 手枷と、槍。


 最早反撃の隙もなく、遂に1本の槍がカナヴェササネを捉えた――


()ったッ!」


 ――しかし槍と胴の間に、手枷を挟み込ませた。

 手枷が槍の一撃に粉砕破壊され、両手が自由になる。


「バカ、何やって……!」

「落ち着け、今更手が使えて何になる! 奴は降霊できないんだぞ!」


 連行の前に、装備は全て奪われている。

 霊器なくして降霊はない。つまり、例えば狼の毛皮など、降ろしたい精霊が生きていた頃の肉体の一部だ。それも自分専用に加工を施して、ようやく使用可能になるのが普通。

 だがカナヴェササネが神殿地下で発見した壁画には、それを覆す法も書かれていた。


「うわっ」

「くそ、蜂か……! 鬱陶しい!」


 人狼戦士の一部が、蜂の巣に近付いてしまった――蜂の群れに襲われている。

 丈夫な毛皮に覆われた彼らは刺されても傷を受けぬが、煩わしいのだろう、咄嗟に振り払おうとして隙が出来た。


 そもそもカナヴェササネが先に蜂の巣を発見していて、槍を避けていく動きの中でそこに誘導していたのだと、知りもせずに。

 つまりその隙は想定内。心構えの一瞬の差。


 しなやかに地を蹴り疾駆、人狼戦士のひとりに組みついた。

 相手の手首を取り、その爪で相手本人の胴体を引き裂く。


「ぎゃあああっ」

「な、なんて奴だ……! 降霊なしで、こうまで……!」


 自分も蜂には襲われるが、問題ない。

 刺される前に、引き裂いて切り離した胴体の毛皮を身に纏うから。


 同時に相手の溢れ出た血をたっぷりと舐めて飲んだ。

 こうして相手専用に加工された霊器を騙す。

 あとは気の持ちようだ。目を閉じ一瞬の瞑想、相手の男の人となりを想起し、心の内に別の心を模倣再現することでも騙す。

 方法を分かっていも、凡人に出来ることではない。


「降霊」


 奪った毛皮に宿る狼の精霊を、即座に我が身に降ろした。


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