七ノ巻「地獄の焔」
由一の物語もついに佳境へ突入しました。
どうか最後まで温かい目でお読みください。
秋晴れとはこのことを言うのだろうと思ってしまうほどに澄んだ青空が広がっていた。俺は境内でその空を見上げていた。本当であれば夜にむけて十分な休息をとっておくべきなのだろうが、目は異様に冴えてしまっているこの状況では眠るなどできるはずも無い。余計なことを考えたくはなかったが、それでもあれこれと考えてしまう。今日の夜には全てに答えが出る。この二年間、悩み続け、先が見えない出口を探すようなこの戦いに決着がつくんだ。
(・・・お前って本当にどうしようもない奴だな。一緒になってみてようやくわかった)
「うるせえよ」
頭の中に直接話かけられるのは何とも嫌な感覚だ。先刻”凶鬼”の発案してきた策、心臓への憑依を俺は受け入れた。精神世界での”終焉の焔”との戦いで疑似的に”地獄の焔”を体感した。確かに身体能力は極限以上を発現できたが、その代り全身を襲う痛みに苦しまされた。最後は苦し紛れの”砕破”で”終焉の焔”から及第点をもらうことが叶った。
『お前個人だけでその力を使うのはそれが限界ってことだ。それ以上の力を発揮するのは一人じゃ無理だな。あの式神の力を借りるしかないぞ』
そう言われれば嫌でも受けるしかない。そうでもなくとも痛感させられている。本当であれば今までの戦いも封印をなるたけ解除したくはなかった。それを早い段階で第一、第二と解除させられた。正直に話せば”悲劇の本”との戦いで第二封印だけでは無理だと感じた部分は当然ある。
(お前がどんなこと考えているのかは何となくわかるがそれ以上考えてもいいことねえぞ)
「わかってる。できることなんてもう一つしかないんだ」
俺にできることは詰まる所、あの男を倒すこと。自分の全てを賭けて戦うことだけだ。
(・・・ふん、少しはいい面になったな。俺も腹をくくってんだ。お前も覚悟決めろ)
「それは俺の台詞だ」
本当ならば関係なんてない一族の因縁に巻き込まれ、ここまで命からがら助かってきた。それでも俺が戦い続けられるのはあの人を、北宮灯を取り戻すため以外ので何物でもない。北宮京は俺の左腕”終焉の焔”の完全体としての力を欲している。俺はあの男に囚われている灯さんを取り戻す。互いが互いの欲するものを持ち合わせている。
「灯さん、必ず助けてみせます」
心に誓い、決戦の場へと向かうこととした。
楓は由一が神社を後にするのを影から見ていた。彼を引き留めようと思えば確かにできた。だがそんなことをする気にはどうしてもなれなかった。
由一が目覚めるまでの三日間。傍らで共に過ごしていた”凶鬼”に告げられた言葉で自分の心の内を再確認したのだ。
『お嬢ちゃんはあの男を好いてるんだろ? なら、なんで自分の気持ちに正直にならねえんだ?』
『確かに先輩のことは好きです。でも、想い人を助けようとしている人の気持ちに私を残したくはないんです』
『人間の美徳ってやつか? そんなの気にしているようじゃ、後悔しかないぞ』
『確かにこの先の人生で先輩との日常を考える日は必ず来ます。あの日、あの人とこうして居ればよかったとそう思ったりするかもしれません。でも、私は先輩が選ぶ道をちゃんと応援したいんです』
その言葉を聞いていた”凶鬼”は呆れたような息を吐くと、
『人間というのは本当に分からんな』
『確かに、そうですね』
本当に好きだからこそ彼の隣に居たいという願いと彼自身の幸せを願ってしまう。その願いが両立してくれればと何度も思っていただろう。だが、少女の願いが叶うことはついぞなかった。だからこそ彼女は最後に自分にできることをやると誓ったのだ。
「先輩。必ず勝ってください」
彼女の唯一つの願いは由一が信じたものを取り戻してほしいというものだけだ。
決戦場へと向かう前に俺はかかりつけの病院へと向かっていた。あの夜、今後会う気はないという別れ方をしておきながら数日とおかずに尋ねているのだから何とも言えない。先生に話しておきたいというのとこれまで俺が病院送りにしてきた子達の様子を見るためだ。
(お前も律儀なやつだな)
「・・・いいだろうが」
担当医の待つ診察室へと通され、椅子に座ると、
「・・・はぁ、なんだその今から戦場に行こうとする軍人みたいな目は」
「そんな目してねえよ」
「しとるわ、馬鹿たれ。これでも戦争に行ってた身だぞ。そういう輩を何百人と見てきたわ」
「・・・」
その言葉に最早返すことが出来なかった。先生の目はどこか虚空を見つめていた。
「死地に向かうのなんざ、誰でも嫌だってのにたまにいるんだよ。祖国のためだ、両親のためだ、とか言っていく輩がな。だが一つだけ言っておくぞ。人間生きているだけで儲け物なんだ。それを忘れて戦いを美化する奴は英雄でもなんでもねえ。ただの愚か者だ」
「わかってます・・・」
思わず拳を握りしめてしまう。怒りと恐怖と、様々な感情が俺の腹の中で混ぜ上がっていく。
「・・・忘れていないようだな。それならそのままでいろ。あと、部屋は変わってねえから。見舞いに行くならいってやれ」
「ありがとうございます」
「礼はきっちりやることやってからにしろ、小僧」
そうして俺は診察室を後にし、五人がいるそれぞれの病室へと向かった。
最初に向かったのは比較的軽傷だった悠のいる部屋だ。
そっと覗き込むようにしてみると、
「あ、先輩。来てたんですか?」
「あぁ、久しぶりだな」
少しばかり気まずさもあるが腹を決めて彼女のベッドの傍らにある椅子へと腰かける。
見舞いの品を渡そうとすると彼女の右腕の無い袖に目がいき、
「腕、不自由だよな」
「・・・はい。利き手でしたから余計に。でも先輩があの時一生懸命私を助けてくれたから色んなことを考える時間ができました」
「いろんなこと?」
「はい。それで前々からやってみようと思ってたんですけど、なかなか触る機会がなくて。今回思い切って初めてみたんです」
そう言うと彼女は机に置いてあった鞄を持ってくるとその中身を広げ始めた。
中に入っていたのは画用紙やパレット、筆、絵の具などの画材一式だった。
「これが私の最初の作品です」
そう言うと悠はベッドの脇に置かれていた物にかぶせてあった布を引っ張る。するとその中の絵に俺の視線は吸い寄せられた。
「これって・・・」
「・・・あのとき、私を助けてくれた先輩の姿です」
切株や倒木の中で左腕を燃やす男の姿が描かれていた。油絵を使った描き方の為、顔まではわからないが言われる前から俺の姿だと理解できていた。
「お前から見た俺はどうだったんだ?」
「・・・怖かったです。私の日常を、願いを壊しに来たんだって分かっていましたし。でも、それ以上に嬉しかったんだと思います」
「嬉しかった?」
「はい」
そう彼女は微笑むと絵をそっと撫で、
「私のことを助けてくれるんだと思った時に、まだ見てくれている人がいるんだって気付けたから」
「・・・そっか」
俺はそれ以上言葉が出てこなかった。今まで間違っていたのではないかと一人で悩んでいたこともあった。だが、それも全部杞憂だったんだと思うと少しだけ胸に合った閊えが取れた気がした。
「だから、今は少しでも絵をたくさん描いていつかこれで人を元気づけることができたらいいなって思ってます。誰かの励ましになるような作品を描けるようになればって・・・」
「悠ならできるよ」
「・・・ありがとうございます。お兄さん」
そう言うと悠は少しだけ泣きそうになりながらもそれでも懸命に堪えながら言葉にした。この少女は俺の知らないところで一人で悩み、苦しみ、それでももがいて進んでいたんだ。過去に決着をつけられないでいるのは俺の方だったんだと改めて思い知らされた。
悠の部屋を後にした俺は忍がいるであろう部屋へと顔をのぞかせたが生憎と留守だった。
「あれ・・・また後で来るか」
「あら、貴方は・・」
するとたまたま通りかかった看護師に教えられリハビリステーションへと向かう。すると、そこではリハビリに徹する忍の姿があった。
「先輩が来てくれるなんて思ってませんでした。正直驚いてますよ?」
「そうだな。お前を病院まで運んだあとはずっと顔見せてないしな」
リハビリステーションに設けられたベンチに腰を掛けながら二人で話していた。担当の看護師に許可を取って一時的に休憩時間にしてもらっている。
忍はあれ以来、歩けるようになるまで随分と時間がかかっていたというのは担当医から聞いてはいた。
「先輩は、何か悩みでもあるんですか?」
「え・・・」
「やっぱり図星ですか?」
忍は俯き加減に「私もそうでしたから」とだけ呟く。それは多分、俺が忍の親父を殴りに行く日のことを思い出しているのかもしれない。
「先輩は今まで一人で何とかしてきました。悠のことも私のことも、先輩たちのことも。全部抱え込んできました。それでもみんな先輩に眩しいものを感じていたんです。羨ましいと思っていたんです。本気で好きになった人のことを助けたいって、そう言えるような心を」
「俺はそんなにできた人間じゃないし、真っ直ぐでもない。ただ、取り返すのに必死だっただけだ」
「それがすごいんですよ」
そう言うと忍はふらつきながらもベンチから腰を上げた。補助器具もなくしっかりとした足で立ってみせた。
「私は先輩のこと尊敬してます。私の父を殴ってくださった日からずっと。間違ったことを間違っていると言えるその信念を持ちたいってずっと憧れていたんです」
「忍・・・」
「だから、どうか私の前だけでもいいです。見栄でも、虚勢でも、なんでもいいんです。あの雨の日に間違ったことをしていた私を咎めた先輩でいてください」
どこか縋るような、それでいて強い信念を感じた。だからなのだろう。俺もどこかにあった弱気を必死で抑え込んだ。
「分かった。だからそんな無理するな」
「・・・はは、さすがにバレてましたか」
すると忍はへたり込むようにしてベンチに座る。無理もない。忍は神経に後遺症を残しているんだ。本来なら立って歩くなんて無理とすら言われていた。それでも本人の希望でリハビリを毎日受けているんだ。諦めが悪い所まで似させてくるあたりこの後輩も随分と隅に置けない。
「学校で合える時にはまた元気に絡んで来いよ」
「へへ、その時はもう先輩に近づけないじゃないですか」
哀しそうなそれでもどこか祝福する様な複雑な表情をしていたが、
「そうだな」
それでも可笑しくて互いに笑っていた。
病院の屋上に向かうとそこでは黒髪をたなびかせながら遠く景色を見詰めている会長の姿があった。
「何しに来たの?」
「様子見に来ただけだ。すぐに行くよ」
「そう」
会話がない時間が数分できる。別段苦しいというわけではないが、互いに探りを入れてしまいそうになる。そうして長い沈黙を破ったのは会長だった。
「・・・今日、決着をつけるの?」
「ああ、向うから宣戦布告があった。悪いけど学校壊すと思うわ」
「それ、お母様に言うのは私の役割かしら?」
「そうなるな」
「・・・はぁ、これで貸し借りなしよ」
そういうと彼女は携帯を取り出して電話を繋ぐ。するとすぐにつながり電話の向こう側の相手と数分ほど話し込み、
「なんとか説き伏せたわ。なるべく原型はとどめて返してちょうだい」
「・・・善処はする」
間違いなくグラウンドはひどい状況になるだろうが、そんなことなど構ってはいられない。
「・・・前言撤回よ。やっぱり報酬くれなきゃ割に合わないわ」
「は?」
そう言うと会長は俺の襟を強引につかむと自分の方へと引き寄せ、顔を近づける。
「・・・・なによ、つまらないわね」
「さすがにこれは駄目だ」
間一髪のところで右手で会長の口を覆う。自分の手の甲に口づけるような形になったが会長とするよりかはいいだろう。
「まあ、これで許してあげるわ」
そう言うと会長は俺の襟から手を放し、代わりの俺の頬へとビンタを打ち込んできた。
「痛いわ」
「それで勘弁してあげるんだから安いものでしょう? これから校舎壊すとかほざいてるんだから」
「わるかったな」
俺は打たれた方の頬を擦りながら出口へと向かう。すると会長が俺のことを呼び止め、
「なんだよ」
「・・・・ありがとうね、助けてくれて」
「・・・・礼には及ばねえよ」
そして俺は屋上から出ていく。最後に見た会長の顔が少しだけ赤みを帯びていたように見えたのはきっと日差しのせいだろう。
ナースセンターの前に簡易的ではあるが談話室のようなものがある。いいものではないがそれなりにくつろげる空間に放っている。
そこに一人で本を読む女子、近衛瑠奈が座っていた。
「・・・来たのね」
「ああ、様子見だけどな」
「そう・・・」
自販機の飲み物を買うと一つを近衛に投げて渡す。
「私、珈琲そんな好きじゃないんだけど」
「文句はここの自販機に言ってくれ」
利用者が多いのだろう残っている飲み物が珈琲系しかないのだ。こちらに言われても何も言えない。
「・・・それで、私の所に来たのは本当に様子見だけ? 何か用があったんじゃないの?」
「御見通しかよ」
「貴方の態度見てれば大体の想像は出来るわ」
「そうかい」
そう言うと俺は右腕の手の甲に現れたあの痣を見せた。”悲劇の本”、正確にはその能力の一つである”素戔嗚”に体の傷を治された時に発生したこの痣はあれ以降特に何かがあるわけでもなくこうして腕に残っている。その本来の理由を聞くためにこうして近衛のもとに来たのだ。
「仮説でよければ聞く?」
「・・・頼む」
近衛が立てた仮説は多分オレと同じだ。それだけは根拠なんかないがそう思えてならなかった。
最後に訪れたのは集中治療室と呼ばれる重患者や急患がいる部屋だ。この町でそれほどの人が入っている訳ではないので当然、俺が会いに行くのは一人だけだ。つい先日戦った木羽霧果だ。
「霧果さん」
呼んでも当然言葉が帰ってくるはずがない。彼女はあれから数日間眠り続けているというのだから。担当医にもそこは確認してある。
「今日、いってきます。帰れるかわかりませんけど、それでも灯さん連れ戻してくるつもりです」
霧果さんの顔を見ながら自分の決意を露わにする。
覚悟は決めてきたはずなのにどうしてか時間が近づくにつれて不安は増していく。それでもそれを隠したてるようなことはしない。自分の気持ちを偽ることだけは二度としないと決めたんだ。
「行ってきます」
霧果さんの枕元に俺の部屋の鍵を置いておく。必ず俺の恋人を、彼女の親友を取り返してここに帰ってくる。
時刻は九時。場所は閉鎖中の白皇学院の校庭。
俺はそこでただ静かに待っていた。病院で薄れ始めていた覚悟をもう一度見つめなおし、ここにこうして立っている。死ぬかもしれないなんてものはわかりきっているものだ。だからこそこれから俺は立ち向かうしかない。大切な人を取り戻すために。
(来たぞ・・・)
「ああ」
”凶鬼”の言葉とともに空を見上げると遠くから何かがこちらへと近づいてくる。やがて校庭の真ん中に派手な土煙と共に着地をした。
「待たせたな・・・小僧」
「ああ、ずいぶん待たされたよ」
目の前に立った男の姿は最早人の姿ですらなかった。黒く変色し、筋線維のような皮膚と頭から生えた角と口元の牙。二メートル近い体躯には本来収まりきれないはずの肉体がそこにはあった。
「灯さんはお前を倒せばこっちに帰ってこられるんだよな?」
「ああ、そうだ。あの娘を封印している術式は私を媒介にしてあの娘が発動したものだ。故に私を殺せばあの娘はこちらの世界に帰ってこられる」
「それなら安心した」
腰を落とし、左拳を地面につける。両手と両足に赤い幾何学模様が伸びていく。”煉獄の焔”を発動させる。
「いくぞ、北宮京!!!」
「来い、橘由一!!!」
俺と北宮京の一騎打ちが始まる。京の拳と俺の拳がぶつかる。体極流”鎧刀粉砕”による連打。だが十発と打ち込む前に速度差で相手に追いつけなくなり一発受ける。
「が・・・」
「もう一発行くぞ!!」
両手を組んでの脳天への一撃。胴体と頭への影響が少ない”煉獄の焔”では今の直撃を何度も耐えられない。だからこそ、
「”辺獄の焔”!!」
すぐさま第二封印を解除し、その場から逃げる。そしてすぐさま相手の背後を取り、
「体極流”胴絶・円弧”!!!」
完全な軌跡を描くようにして放たれた斬撃系の蹴り。完璧に京の首に入るが、
「そんなものか、呆れたぞ」
「な・・・ぐぁあ!!!」
斬り裂くことは出来ないと思っていた。最悪、衝撃さえ加えられればと思っていたが甘かった。逆に反撃をうけ、そのままグラウンドをのた打ち回りながら体育倉庫の壁を突き破っていった。
「はあ・・・・強いな・・・・」
(馬鹿野郎が!!! なんで最終封印を使わねえんだ!!)
「いや、なに、自分の実力をちゃんと確認しておきたくってさ・・・武闘家ならああいう怪物でも自分の実力がどこまで通用するのか見てみたくってな」
(お前は本当に大馬鹿野郎だ!! 今の一撃で死んでてもおかしくなかったんだぞ!! いくら回復できてもこんなの続ければいつか本当に・・・・)
「はは、でも自分の実力と彼奴の戦闘力の差をちゃんと実感したよ。だから・・・」
そうして俺は体育倉庫から出る。遠くに立っている怪物はこちらを見据えたまま動こうともしない。”煉獄の焔”と”辺獄の焔”を二つ使ってみて分かった。筋力も、速度も圧倒的に相手が上だ。こんなのを続ければ間違いなく死ぬ。だからこそ腹をくくる。
「お前の命、貰うぞ”凶鬼”」
(初めからそうしろってんだ。いいぞ、とことん付き合ってやる!! やれ、由一!!!)
「”終焉の焔”最終封印、解除!!!」
左腕を前につき出して叫ぶ。全身に赤い幾何学模様が走り、炎が全身を覆っていく。目が、喉が乾いていく。血が沸騰し、内臓と骨が溶けだすような錯覚に陥る。だが頭は、思考だけはどんどんクリアになっていく。どこまでも澄んだ世界。感覚が極限まで高められる。
やがて全身を包んでいた炎が霧散すると、俺の姿は先ほどまでの雷を纏っていた姿から赤いオーラのようなものを発していた。
「ほう、待った甲斐があった。貴様は最終封印の壁を超えると思っていたぞ、橘由一!!」
北宮京は嬉しそうに叫ぶと数百メートル離れた先から突如姿を消した。そして俺の背後を取り拳をぶつけてきた。
「ぬ・・・・」
「なんだよ。蚊でも止まったかと思ったぞ?」
拳を受け止める。それも自分より二回りはあろうかという太さの腕を片手である。そして振り向きざまに胴体目掛けて右腕を鳩尾へと入れる。
「ぐぉ!!」
さきほどの”煉獄の焔”と”辺獄の焔”でびくともしていなかった肉体に重い一撃を入れることが出来た。これこそが最終封印解除により向上した俺の膂力である。そしてこれだけでは終わらない。
「体極流”砕破・・・・」
右腕が更に赤く熱を発する。徐々に膨れ上がるその熱量に怪物も逃げようとするが、
「・・・爆裂”!!!」
大爆発と共に怪物を吹き飛ばす。胴体には焼け焦げた跡が出来上がっている。これこそが”地獄の焔”によって新たに扱えるようになった”焔”の力だ。堅い肉体に追撃を加えられるのは願ったり叶ったりだ。
(時間がないぞ。俺の寿命が尽きるまでざっと一時間程度だ。全力で彼奴をやれ!!!)
「ああ、分かってる」
すぐさま全速力で京の吹き飛んだ場所まで駆け出す。
だが相手も”魍魎の腕”と融合している身だ。先程の一発では致命傷にはなるはずも無く、
「小僧が!!!」
怒りの形相と共に拳を振り抜いてくる。紙一重で躱し、
「体極流”鎌狩り・天火”」
本来は片足による回し蹴りだが躱した態勢を利用し両足による回し蹴りを相手の顎へと打ち付ける。
「この・・・・!!」
だが相手も頑丈さだけは桁違いだった。すぐさま打ち込まれた衝撃を活かして頭突きをかましてくる。頭突きを両腕で往なし、背後を取る。
「体極流”氷牙絶刀・雷火”!!」
衝撃と共に相手の肉体を炎と雷が貫く。本来であれば遅効性の衝撃の伝導で相手の肉体を内側から破壊する技だが、その衝撃の伝導を加速させ貫通させる要領で使う。斬撃による貫通とは違う、肉体を破壊する衝撃が一瞬で身体を貫くのだ。
相手もたまらず腹を押さえて蹲ろうとするが、
「これくらいはやってもらわねばな・・・」
「な・・・・」
なんだと、という前にいつの間にか後方に吹き飛ばされていた。体勢を立て直し相手を見据えると背中から腕が生えていた。それも一本、二本ではない。合計で六本。おまけにそれぞれ計上が異なる。二つは最初からあった人間と同じ手であるが、一本は刀のような刃を持ち、一本は甲殻類のような皮膚と鋏を持ち、一本は鋭い棘をもった鞭を持ち、一本は牙を生やした口を持っていた。
「本当に怪物になり下がったみたいだな」
(おまけにありゃ、とてつもなくやばい類だぞ。”地獄の焔”でもとてもじゃないが耐えきれるものじゃない)
「なら、殺られるまえに殺るだけだ」
そして再び相手目掛けて突っ込んでいく。刃の腕が振るわれる。空気を裂く金切り音が響き渡りこちらの首を狙ってくる。
「体極流”防刀・陽炎”」
振るわれた刃は俺の残像を虚しく斬るだけだった。残像を残せるのは”地獄の焔”による膂力の向上であるが、刃自体は”防刀”による往なしで掻い潜ったに過ぎない。ただその速さが早すぎるというだけだ。次々と振るわれる相手の攻撃を掻い潜りながら相手の懐に再び迫る。
「体極流、裏武術・・・」
両手の構えを手刀へと切り替える。回避など不要。目の前の敵を斬り捨てるだけだ。
「”芹”」
すり抜け様に二回斬りつける。一瞬だが京はこちらを振り返ろうとしたが次の瞬間には腕の一本と胴体から噴水のような出血をしていた。
「な・・・」
「体極流、裏武術”薺”」
続けざまに両手による掌底をぶつける。すると京の体の所々が罅割れを起こしたかのような裂傷が出来上がっていた。
体極流”砕破”の究極系に当たる技だ。今まで”砕破”の効果範囲は直撃した箇所とその周辺程度なものだった。だがこの”薺”はその上を行く。効果範囲を敵の肉体全体にまで広げることができる。
「これほどとはな・・・」
「はぁ・・・はは、どうだかな」
技の精度はまずまずだがそれでも威力は申し分ない。決して決定打になってはいないがそれでも確実に相手へ損傷を負わすことが出来ていた。
(このまま追い込みたいところだが、そうは問屋が卸さねえだろうな。来るぞ)
”凶鬼”の言葉とともに京の身体に異変が起こる。先程あらわれた腕が再び体の中に仕舞われていく。異変は僅か数秒で終わったが、その姿はかろうじて保っている人型をぶち壊しにするような悍ましいものだった。
「先手必勝だ!!」
先程同様に”薺”を胴体目掛けて放つが、気づけば俺は地面。
「は?」
(・・・なまじ体が強化されていると気づけなくなるのも困りもんだな)
理解できなかった。先程までこちらの方が有利にことを運んでいたのに一瞬で相手は上回ってきた。
(恐らくだが、このまま戦い続ければ負けるのはこっちだ)
「なんでだよ」
(”魍魎の腕”は百体の妖魔から構成されている。今までは比較的弱い奴らの力しか彼奴も使えていなかった。だが、”終焉の焔”の力を纏っているお前の攻撃で覚醒しているんだろうよ。このままいけば今より強い奴の力を叩き起こす羽目になる)
酷い話だ。相手を倒すために叩きのめせば叩きのめすほど力を増していくなんて。おまけに今の一撃で気づいた。すでに速さは俺を越えている。
「防御面はまだ大丈夫だ。恐らくは攻撃も・・・・だけどこれ以上強くなるっていうなら・・・」
息を深く吸い込む。俺の意図を汲み取ってくれたのか”凶鬼”が俺の全身の血液を加速させ始めた。ずっと発生している赤いオーラが更に激しさを増す。
(心拍数580だ。呼吸だけは忘れるんじゃねえぞ)
「わかってる」
瞬きをした方が負ける。そう空気が語っていた。必ず追いついて、追い抜く。倒すために全力を出し切る。賭けられるものは全て賭ける。それだけだ。
そして俺と京は再びどちらからともなく相手へと肉薄する。互いの拳がぶつかると衝撃の影響で背後にあったフェンスや木々がなぎ倒され、校舎の窓が割れ、壁にひびが入って行く。
校門の外で楓は一人胸に抱えた札を握りしめていた。学校の門から内側で起きている音も衝撃も外には一切漏れていない。今もこうして目の前で学校の窓ガラスが割れて飛び散っているにもかかわらず誰一人として気づいていない。
「先輩・・・」
校舎を挟んだ向こう側では由一が今なお命の駆け引きをしている。その事実がどうしようもなく重くのしかかる。
その重さに胸が押しつぶされそうになる。そんな楓の肩を叩くものがいた。
「・・・貴女は・・」
そこには北宮灯の姿があった。だが生身ではない。意識だけをこちらに飛ばしてきたのだろう。
”大丈夫よ・・・由一君を・・・・信じて・・・”
その言葉とともに浮かべた微笑みを最後に灯の姿は空気へと溶けていった。
「・・・勝てないなぁ・・・」
今のほんのわずかなやり取りで痛感させられてしまった。なぜ由一が命を懸けてでも戦えるのか。それは彼女が自分を信じてくれていると疑っていないからだ。そしてまた灯も同じように由一が北宮京を倒して自分のもとに辿り着いてくれることを信じて疑っていないのだ。
「そりゃ振り向いてもらえないですよね、相思相愛なんですから」
勝つことのできない二人の障壁に思わず笑みが浮かんでくる。清々しい気持ちを楓の中が満たしていた。
「帰ってきてもらわなきゃ、一発叩くこともできないじゃないですか」
その言葉とともに校舎の壁を何かが突き破ってくるのだった。
「!!」
「!!」
両者一歩も引かない意地の戦いとなっていた。武術もクソもない。原型などとどめない、本来の型とはまったく違うそれを用いながらそれでも戦い続けていく。
「”甲牙一閃・鎌鼬”!!」
右腕の一閃が京を捉える。深々とした斬り傷が出来上がる。
だが相手もそれを意に解することなく丸太のような腕を振るってくる。放たれる拳の初速は最早俺では躱すことが出来ず真正面からまともに受けることとなる。脳を揺らすような衝撃に歯を食いしばりながら耐えひたすらに技を繰り出し続ける。
「”氷牙絶刀・打ち砕き”」
相手の腕を挟み込むようにして放たれた衝撃は相手の腕を見事に壊してみせた。一瞬、目を見開く京。
「”鎧刀粉砕・炎路”」
本来数十発から百発ほど叩き込む武具破壊の技を僅か二発に治めることで一撃の重みを増させる。事実、京の強化された肉体を僅か一発で破壊しその上から同じだけの衝撃を打ち込む。京の肉体が僅かに崩れかけるが再び再生する。そして代わりに俺の脳天目掛けて拳が振り下ろされる。
「あ・・・・が・・・・ぁ・・」
「はぁ・・・はぁ・・・・」
お互い全身に疵こそ残っていないが疲労だけは取ることは不可能だった。
「体極流・・」
相手が動けないうちにと畳みかけようとしたときだった。一歩踏み出すことが、腕を振り上げることもできなくなっていた。
「な・・・」
そしてそんな俺を相手が見逃すはずも無く、先ほど壊したはずの腕で俺を殴りつける。ほとんど足に力を入れられず、防御の姿勢をとれなかった俺は遠くまで飛ばされていく。木々を圧し折り、地面に窪みを作りながら校舎の壁に激突する。そしてそれでも止まらず、正門近くのコンクリートを抉るようにして俺はやっと止まった。
全身の骨が軋みを上げ、立ち上がることを拒んでいた。
(くそ、こんなところで・・・)
立ち上がろうと足掻くと、俺の目の前に一人の少女が北宮京へと立ちはだかる。
「先輩を殺させはしません」
「・・・ならば、殺してくれるわ!!」
楓目掛けて京が容赦なくその剛腕を振るう。全身の血液が沸騰し、頭のどこかで何かが切れる音がした。それでもその剛腕を裏武術”薺”による両手の掌底で相殺、衝撃を伝える。
「なに!!!」
「・・・!!」
全力を振り絞り”胴絶”を相手に決める。わずかな受け身もとれなかった相手はそのままグラウンドまで吹き飛んでいく。
そこで全身から力が抜け膝を地につける。
「先輩!!」
「ばかが・・・なんで危ない真似したんだ」
確かに彼女には周囲へ被害が及ばないように結界を張る役割をお願いした。だが決して俺の戦いには介入だけはしないようにと警告していた。それを無視されれば当然の如く怒りが湧いてくる。
だが俺のそんな怒りなど彼女の目じりに浮かんだ涙を見た瞬間に収まってしまう。
「・・先輩、本気で灯さんに会いたいというならあんな奴に負けちゃダメでしょ・・・・私の、私たち皆をフッておいて負けて会えませんでしたなんて、許しませんから・・・絶対に許しませんから!!」
彼女の一言に頭から冷や水でも被せられたかのような衝撃を受ける。
その通りだ。俺が負けてしまえばこれまでの努力など何の意味も無くなる。ただの無駄死にになってしまう。彼女たちの人生を巻き込んでおいて無責任が過ぎるというものだ。
「は・・・・お前に改めて言われるなんてな。俺も修行が足りないな」
「・・・私に言われるのがそんなに不服ですか?」
「いや。だけどおかげで目が覚めた」
狭まっていた視界が一気に広がる。それと同時に心臓にいる獣が嬉しそうに笑いを溢す。
(まだ、そんな顔ができるとはな。つくづく面白い男だ)
「うるせえ、全力で彼奴のこと叩きのめすぞ」
(は、そうだな。と、言いたいところだが。どうする? さっきの技、打ち込んでみて分かっただろうがあの野郎。こっちの攻撃を防ぐくらいにまでまでなってやがる。このままやればいずれやられるぞ)
「・・・」
分かっていることだ。ここまで時間を掛け過ぎたことは確かにマズかったが、相手が相手である。いくら全力でやっていても致命傷になり得ていない。せめてもう一度だけ振り出しに戻れば、勝機はある。
(勝算はあるのであれば、私がつくってやろう)
その言葉とともに右手の甲に紋章が現れると激しく火花を散らしながら空目掛けて光を飛ばす。
「なんだ・・」
(はは、私が分からないわけではなかろう。橘由一)
(おい、テメエ、なんでここに居やがる。とっくに消えたはずだろう)
頭の中で響く声が二つに増える。その声はかつて近衛と闘った時の使い魔、
「・・”素戔嗚”か」
(ご名答だ。まさかこのタイミングで起きることになるとは思っていなかったがな)
(か、テメエなんざいても居なくても変わらねえってんだよ)
(だが事実押されているのだろう? このままではいずれジリ貧だとも理解している奴の台詞ではないな)
(うるせえ、じゃあ何か。お前は何か秘策でもあるってのか?)
「そのために出てきたってことか?」
俺の問いかけに”素戔嗚”はただ”上を見ろ”とだけ伝える。その言葉に従い天を仰ぐとそこには周囲から淡い光を収束しながら帯電している雷の塊があった。
(北宮家秘伝中の秘伝だ。二代目だけしか使うことが出来ず、古文書にすら残っていない”地獄の焔”との合わせ技。”地獄の焔・火雷神”)
(おい、なんで俺の知らねえものをお前が知ってんだ)
(お前から分離された時に記憶の一部に欠落が発生したんだろう。私が知識の蒐集と蓄積を司っていてよかったな。まあ、それを除いても知識というのはあらゆる媒体に存在する。それは文字にも、絵にも、そして遺伝子にもな)
「なるほどな、俺の中の血液で調べ上げたのか。二代目だけが使えたがそれでもその技の知識だけは遺伝子の中にずっと秘められて」
(そうだ。あの雷をその身に受ければ間違いなく今よりも格段に強さが増す。だが、今まで耐えられたものは一人だけだ。ましてやお前は北宮の人間ではない。不利な材料も多い。やれば命の・・・)
その言葉は”凶鬼”が遮ってくれた。俺が呼吸を整え始めたのを感じ取って集中させてくれている。ありがたいことだった。
(此奴は最初から不利な材料だらけだ。今更一つ二つ増えたところで此奴が止まるわけねえだろ)
(それもそうだったな)
二人とも俺のことをよく理解してくれている。ハンデなんてものは今まで嫌になるほど背負ってきた。今更、気にすることがおかしい。
「いくぞ・・・」
((ああ、来い))
俺達三人の息がそろう。そして天で収束していた雷がついに俺の身体目掛けて直撃する。
体を貫き、焼き焦がそうとする落雷を受け止める。
「・・・最終封印解除形態・・・・限界突破!!!」
そしてついに俺は奴を、北宮京をもう一度超える。
「”地獄の焔・火雷神”」
見た目こそ身体を中心として帯電しているかどうかの差であるが、近くで見ていた楓は俺の変化に驚きを隠せていなかった。霊脈を管理する彼女の目には今の俺の身体は毒だろう。
「そこから次は絶対に動くな」
その言葉に楓は返事を返せずにいた。ただただ驚いたままの表情で固まっている。
遠くから突っ込んでくる怪物目掛けて俺はその動きを上回る速さで、
「が・・・ぁ・・・」
「くたばれ」
蹴りを食らわせる。地面へと轟音と共に叩き付けられた怪物、北宮京は激しく吐血しながらこちらを睨み付けてくる。
「悪いが時間がねえんだ。一気に叩きのめす」
「・・・図に乗るなよ、小僧がぁああああ!!」
その言葉とともにさらに体が変化していく。体の大きさは本来の北宮京のそれまで戻っていく。それは弱々しくも見えながら相手が学習していることの表れとも取れた。
(由一、気合入れなおせ。あれが”魍魎の腕”の素体になった”最初の妖魔”だ)
そして変化が終わる。肌は青白く、額には僅かばかりに生えた角。わずかに見ただけでは人と間違えてしまいそうになるその姿。
「・・・・」
「・・・・」
互いの間に流れるのはただの無言の時間。そして千を超える技の読み合い。
時間にしてわずか二秒。その間で互いに殺し殺される。
刹那。互いの首を何かが霞める。同時に放った拳が相手を掠めた。紙一重でありながら俺たちは驚愕の表情を浮かべることはなかった。
そしてついに俺と北宮京の拳が正面からぶつかり合う。全くの互角。速度も、防御も、攻撃も、何もかもが全くの互角だった。
技の読みあいなど意味を為さなくなっていく。
「「!!!」」
手刀と手刀が、蹴りと蹴りがぶつかる。その衝撃は地面を割り、空気を振るわせた。
そして互いに同時に距離を取る。ここまでくれば最早ただの技などあってなきがごとしだ。
「・・・お前の全力、確かにすさまじいな。北宮家の二代目しか使うことの敵わなかった技をそうして体現しているのだ。賞賛に値する」
「あんたこそ、その妖魔の意識をどうやって捻じ伏せてんだ? そんだけ強ければ並の人間じゃ意識が完全に砕かれるはずだ」
先程までの千に及ぶやり取りで気づいた。あれほどの強さを追い求めた妖魔の意識は確実に強い。それこそ人間の意識では到底太刀打ちできないほどに。それでも先ほどから打ち込まれるそれは北宮京としての拳だった。
「こいつとは一番話したからな。時間だけはたっぷりあった。一族を恨み続けながら、この腕と対話するだけの時間はな」
「そうかよ」
互いに分かっている。次で決着をつける。意味のなさない技を繰り出していても仕方がない。確実に相手を葬れる技で止めを刺すと。
「小僧、貴様がどれだけあの女を愛していようと私の一族に対する恨みに勝るなどと思うな!!!」
お互いに構えを取る。北宮京の怒号に共鳴するかのように空気が振動する。怒りが、恨みが、相手の身体を支配している。熱波すら放っている。
(由一、お前がやってきたこと。お前の信じたもの。それを全部彼奴に見せつけてやれ)
(私に勝ったんだ。あんな怪物に負けたら承知せんぞ)
「・・・・ああ」
静かに目を閉じる。息を整え、自分の意識をどこまでも研ぎすましていく。
放つ技はただ一つ。自分が今まで生きてきたその全てを眼の前の怪物にぶつける。それだけだ。
そして決着の時は訪れる。互いに放つのは拳一つ。
先程よりも強い衝撃が空気を伝い、空をうならせ、周囲のありとあらゆるものをなぎ倒していく。
お互いの腕が鮮血を噴き出しながらそれでも一歩も譲らない。
「北宮京。アンタがどれだけ一族を、世界を呪ってるかなんて俺にはわからねえさ。それでも一つだけ教えてやる。俺の灯さんへの想いが、気持ちが、お前の恨みより小さいなんて誰が決めた!!!」
目の前の拳を打ち砕く。相手の胴体へと”砕破”が完璧に決まる。
全身へと衝撃が伝わり、
「体極流奥義”体極剣技・烈火”!!!!」
”砕破”から始まり、”鎧刀粉砕”の強烈な連打、”胴絶”の打ち上げるような蹴り、”甲牙一閃”の斬り払い、”月花”による顎の撃ち抜き、”鎌狩り”を用いた踵落とし、”氷牙絶刀”による高速の掌底、”真突一閃”の左手の手刀が相手の胸を貫く。烈火の如き怒涛の連続技。北宮京が口から大量の血反吐をぶちまける。からだが少しずつ人間だったものへと戻っていく。腕を引き抜くとそのまま地面に力なく倒れ込む。
右腕がまるで外れたかのように北宮京から離れる。そしてのた打ち回った後、灰となって消えていった。
「・・・私は負けたのか・・・」
「・・・ああ」
静かに、だが目の前の男はその事実を確認していた。
学院の惨状はすさまじいものだった。原型をとどめているのはわずかでありそのほとんどが倒壊し、グラウンドに体育館、別館までもはや使い物にはならない状態となっていた。
「私は・・・私の悲願をかなえられなかったのか・・・」
「・・・復讐なんてものは最初から叶わねえんだよ」
「ふん、なら貴様はどうだ? あの娘との日々を私に奪われ、私を恨んだのではないか?」
その言葉に否と返すことはできなかった。それでもただ一つだけ言えることはある。
「あの日、灯さんが俺にこの力を託してくれた時に一つだけ言ってくれたんだ。”アンタを助けてあげて欲しい”ってな」
「な・・・」
「アンタも被害者だったってことは後から知ったけどそれでも、そう言われたから俺は今日ここに居るんだ」
俺の言葉を聞いた北宮京は信じられないといった表情のままだった。命を何度も落としかけた。自分の周りの人たちを傷つけながら突き進んできた。その結果がこの姿であり、今日ここに居るということだ。
「・・・俺はもう行くよ」
俺は何もない空に手を伸ばす。するとそこに亀裂が入り、暗い空間が姿を現す。どこまでも続く階段。そして京都の千本鳥居を彷彿とさせる鳥居の列。
「あの人を、灯さんを一人にさせたままだから・・・」
そして俺はその空間へと覚束ない足で歩を進めていく。やがて俺が通った亀裂は少しずつ修復されていく。その向こうで身体が崩れかけていた京は、
「私は・・・救われたよ。橘、いや北宮由一。お前によってな」
そう紡がれた言葉とともに亀裂が完全に塞がれる。
どこまでも続く階段を登り続ける。
(一体どうなってやがる。ここに来てから”地獄の焔”の寿命喰いが収まってやがる)
(不思議な空間だ。これほどまでに濃厚な霊力に満ちている場所があろうとは・・・)
二人の念話を聞きながら階段を上り続ける。やがて開けた場所へと出る。無数の梅の花に囲まれた庭園が広がり、奥には神社の本殿と思われる建物が建っていた。
そしてその本殿の前に結晶に包み込まれるようにして眠る灯さんの姿が見えた。
「灯さん!!」
急いで駆け出す。彼女に力を返すことが出来れば彼女を眠りから目覚めさせることができる。
(待て、由一!!!)
「!!!」
俺の目の前に何かが轟音を立てて降り立った。激しい土煙を上げながら姿を現したのは、
「初めましてになるな。私は”神無月の鬼”と呼ばれているものだ」
「・・・お前が・・・」
北宮京の敵にしてこの日の本に生きる者の魂に刻まれた永遠の傷痕。最強の鬼。黒い長髪、黒い着物に彼岸花の絵柄、額に生えた二本の角、嫋やかでありながらどこか淫靡で恐ろしい笑みを浮かべた女性がそこに立っていた。
(なんだって、こんなところに此奴がいやがる)
(無駄口を叩くな”凶鬼”。此奴が”神無月の鬼”だというのであれば一瞬でも油断すれば我らともども消されるぞ)
構えを取る。だが先程から探りを入れてもどこにも隙がない。見つけることができない。
相手は未だに微動だにしない。どう動いても俺が殺される姿しか浮かばない。それでもその恐怖心を呑み込み、
「体極流”砕破”!!!!」
もっとも得意とする技で相手へと先手を決める。神速ともいえる速さで放たれた拳、しかし”神無月の鬼”はそれを掌で受け止めていた。
「な・・・・」
「ふん、なかなかどうしてやるな」
「・・ごふぅ・・・」
華麗ともいえる動きで放たれた蹴り。その鋭さは先ほどまで戦っていた”魍魎の腕”など比較するに値しないものだった。
「選別だ。有り難く受け取れ」
そのまま後方の鳥居まで飛ばされる。強さの格を思い知らされる。
「うぐ・・・」
(おい、ふざけるな。”地獄の焔”の加護でこの痛みはやばすぎる)
「はぁ・・・・はぁ・・アンタ、何が目的だよ」
この場所にいる意味が分からない。俺を殺すつもりならさっきの戦いの最中に現れて北宮京とともども殺せばよかっただろう。それもしてこなかったということは何かしら理由があるはずだ。
「・・・そうね。私の悲願達成のためとでも言っておこうかしら。ずっとかなわずにいる願いを叶えるためのね」
「・・・悲願達成だと? 願いをかなえるだと?・・・・訳の分からねえこと言ってんじゃねえよ!!!」
”神無月の鬼”の言葉に俺の怒りは沸点に達する。体を包む炎が爆発し、帯電していた雷がさらに激しさを増す。
「へえ、まだ強くなるんだ。いいわ。かかっていらっしゃい」
手招きをする鬼。正面から突っ込み、
「”芹””月花””清白””薺””はこべ””氷牙絶刀””月花””雷電”・・・」
あらゆる角度からの斬撃、打撃技を撃ちこんでいく。先程は防いでいたにもかかわらず今度はこちらのなすがままと成る鬼。この好機を逃しはしない。
「”胴絶”!!」
全力の蹴りが相手の腹部へと直撃する。炎が相手の身体を貫通して後ろの梅の木を燃え上がらせる。今の直撃に激しく咳き込む鬼。
(やったか!!)
「・・・な・・・」
右足がまるで万力で挟まれているかのようにびくともしない。幾ら体を捩っても足が動かない。
「さすがは、あの北宮秋比子麿が造った最強の”兵器”。今のは流石に効いたわ。けど使い手がこれじゃ物足りない。出直してきなさい」
口元から一筋血を流しながらそれでも決して致命傷になっていない。そもそも効果があるのかどうかすら怪しい。
「ふ!!!」
その言葉とともにこちらを宙に放ると強烈な蹴りを見舞ってきた。
「ぐ・・・・ぶは!!!!」
広場の床に激しく叩きつけられる。呼吸が上手くできず、身体中に走っていた幾何学模様がぶれ始める。
体を起こそうと四肢に力を込めようとするが、うまく立ち上がることができない。
「どうしたの? 私に立ち向かってきなさい。今までのように、理不尽を、不条理を、跳ねのけてきたように。私に立ち向かってきなさい」
(くそ、こんだけ実力差があるのに立ち向かってこいだと。ふざけてんのか)
(まずいぞ、橘由一よ。今すぐ逃げろ。でなければここで殺される!!)
「は・・・・はぁ・・・・できるかよ、そんなこと・・・」
一瞬、確かに逃げた方がいいかもしれない。もっと強くならなければいけないと思ってしまった。だが、相手の後ろには俺の最愛の女性がいる。ずっと待ってくれていた灯さんがもう手の届くところにいる。こんなところで背中を向けて逃げられるはずがない。
「・・・ぃくぞ・・・」
まともな発音すらできない。それでも正面から相手に突っ込んでいく。再び技の嵐を見舞うが、僅か一撃で跳ねのけられる。
そして俺はひたすらに何度跳ねのけられても立ち上がっては敵目掛けて突っ込んでいくことをつづけた。
”神無月の鬼”はただひたすらに死に場所を求めていた。家族を、故郷を奪われ、訳の分からない輩に身体を弄り回された挙句死ぬことも満足に叶わない体にされた。自身の故郷を滅ぼした存在も、得体のしれない輩もこの世から消し去ったが彼女の心はひたすら荒み続けた。そんな彼女を救ってくれた存在がいた。京の都で封印されてから千年後に目覚めたときその男と出会った。戦国と呼ばれた時代に目覚めた彼女は行く先々で様々な勢力から目をつけられた。当然のように返り討ちにするだけの力を持っていた。そんな彼女に只一人寄り添ってくれた者がいた。はじめは他の物のように消し去ろうとも考えたが、なぜかそうすることが出来なかった。彼は武器すら真面に扱うことのできないひ弱な存在だった。名を冬馬という若者だった。一目ぼれだと言われ、傍に居たいと言われ続けた。当然断った。消そうかと何度も思ったが彼の浮かべる笑みになぜかそんな気が薄れてしまった。やがて根負けした彼女は彼と夫婦になり幸せな日々を送り始めた。しかしそんな日々もすぐに終わりを迎えることとなった。町まで野菜を売りに行った彼女の留守を狙って国の者が彼を人質に取ったのだ。文だけを残して夫を連れ去って行った。指定された場所に向かうと、激しく抵抗したのだろう、体中を痛めつけられた最愛の人が柱につるされていた。元々体の強くない夫のその姿を見た彼女の怒りは一気に沸点へと達した。気が付けば国一つを滅ぼす災厄を振りまいていた。炎に包まれた中、夫を抱き締めながら懸命に治療をしようとした。しかしすでに死にかけだった彼を救うことは出来なかった。
『私は先に行くが、君は決して死のうと思わないでくれ。いつか天寿を全うするまで・・・・』
その言葉とともに男、冬馬は息を引き取った。彼の遺言に従って天寿を全うしようかとも考えたが既に千年以上生きている身。あと何百、何千年生きるかもわからないままではいつか彼との思い出も薄れてしまうと考えた彼女はある計画を企てた。自分を殺せるだけの一族がいるということを思い出し、その一族の者に自分を殺させるように仕向けたのだ。ただ自分と人間とではすでに住んでいる領域が違い過ぎる。そんな彼らを自分と同じ土俵に立たせるためわざわざ一芝居打ったのだ。結婚目前だった北宮京の婚約者を殺害し、その彼が私へと復讐するための道具を手に入れるために工作を行った。そうして引き留めようとした一族に反逆をしてきた京に自信を殺させる。本来ならそうなる計画だった。だが一人だけ生き残りがいたことは計算外だったが、その女もまた復讐のため自身の受け継いだ力を利用した。結果二人の復讐劇を見た時、ようやく自信を殺せるだけの存在が現れるかもしれないと期待した。だが女は負けこの空間へと封印された。正直落胆を覚えたのは言うまでもない。その女が現れるまでにすでに数百年要していたのだから当然である。だがその女が残してきた置き土産の成長を見た時にまた少しだけ期待が膨れ上がった。そして自分が嗾けた男と闘っていた姿を見て確信したこの男なら私を殺せると。そう、橘由一ならと。
そして”神無月の鬼”は目の前に立つ男をただ眺めていた。
いや、その表情は少しだけ憤りを覚えていた。それはそうだろう。あれだけ期待していたのにこの男も結局は自分を超えることが出来なかったのだと、そう判断してしまいたくなるような状態だったからだ。
「もう、飽き飽きだ、小僧!!!!」
「・・・・」
鬼の言葉に由一は何も答えない。”地獄の焔”すら破る強さを持った力で体のあらゆる箇所を破壊されている。目の神経を断裂されているのだから視界は閉ざされている。鼓膜を破壊されているせいで耳すら聞こえない。全身に出来上がっている裂傷が表すのは神経が破壊されたという事実。両腕を上げられず、足が前に出ないのも骨を砕かれているからだ。内臓を破壊されたせいで口からは絶え間なく血を垂れ流している。本当に生きたまま屍とされたのだ。
「今度こそ殺してやる」
そう言うと彼女の右手が禍々しい何かに包まれていく。彼女自身がその身に集めるこの世の”厄”と呼ばれるもの。その全てだ。
「目的も、信念も、何も成し得ないまま、消えてなくなれ!!」
その言葉とともに鬼の右手が由一へと振りかざされる。世人では感知することすらできない速さで放たれた手刀。
その手刀を死に体の由一の左手が掴む。
「なに・・・」
思わずついて出た言葉。そしてもはや物言わない状態になっていた由一の身体を激しい炎が包み込んでいく。
「く・・・」
相手の手を振りほどいて後ろへと下がる”神無月の鬼”。僅かに焼けた自身の手に歯ぎしりしながら業火に包まれた相手を見やる。
「一体、なにが・・・」
やがて業火の中から先ほどとは打って変わった姿の男が出てきた。
背丈は先ほどよりもやや高く、髪の毛先と瞳が紅く変色していた。着ていた学ランも、炎の意匠が象られた黒い着物と袴へと姿を変えていた。
「・・・今度は負けないぞ”神無月の鬼”」
「まだ進化するというのか?”終焉の焔”の最後の姿は”地獄の焔”のはず・・・・」
「ああ、それは変わらないさ。これが、この姿こそが”地獄の焔”の真の姿だ」
構えまで移行する時間。その動きはどこまでも洗練されたものだった。
「見せてやる。人が持つ可能性と魂の輝きを」
時間は少しだけ戻り、俺が”神無月の鬼”へと突っ込んでいくこと三度目の時。
「ここって・・・」
僅かに意識が飛んだ瞬間にはこの場所に立っていた。以前も楓の神社で潜った俺の潜在意識の世界だ。周りはどこまでも暗い海の中。そして俺を囲むように”凶鬼””素戔嗚””終焉の焔”が立っていた。
「お前ら、なんで・・・」
「お前の今の状況考えればわかるだろ。このままやり合えば間違いなく死ぬからだよ」
「ここからは奥の手、というよりも誰も辿り着いたの事のない境地に、お前が至れるかだ。由一」
”終焉の焔”の瞳は以前見たときよりもはるかに真剣なものだった。”地獄の焔”のお膳立てすらやってもらったのに、その先に至るための道を示してくれようとしていた。
「やるさ。俺なら倒せるっていう確証があって今提案してくれてんだろ?」
「ああ、そうだ。あの史上最強の鬼を葬れるのは今を置いて他にない。そして彼奴と渡り合えるのは後にも先にもお前だけだ」
そう断言されれば答えは一つ。全力振り絞ってやるだけだ。
「そう言うと思ってた。お前ら、急いで始めるぞ。外で此奴の身体が木端微塵にされる前に此奴の魂を完成させる」
「ああ」
「委細承知だ」
そして俺を囲むようにして立っている三人の足元から炎が巻き上がり、その炎は俺を包み込んでいった。
「本来”終焉の焔”の本質っていうのは、異能の力を喰らい消すことじゃない。人間の魂と結びつき、高次元の物へと昇華させることにある。高次元に在るものは触れることも干渉することもできなくなる。つまるところその能力の一端が異能の力を喰らい消す、という歪な形で現れていたってだけの話しだ」
俺の身体に走っていた幾何学模様が点滅を始めると、俺の肌へと溶けていく。
「俺の本質に辿り着くには何世代も重ねて初めて完成し、最後の代で魂の昇華が完了するものだ。それをお前で行う。お前の魂はあの鬼の力すら及ばない領域の物に変わる。だがその代償としてお前は、灯より長い年月を生きることになる。ありとあらゆる怪我も病気もお前には通じなくなる。それはたとえお前が灯に俺の力を返したとしてもだ。お前の魂が昇華したという事実は残り続けるし、不変のものになる。それでもお前はこの俺の本質へと手を伸ばすか?」
「・・・・」
これが最後のチャンスだ。俺が拒めばきっとこの儀式は取りやめとなる。だが、それは”神無月の鬼”を倒せないどころか俺が今ここで殺されることと同義だ。
ならばそんなことを聞くなと普通の人は言うだろう。だが、今俺に問いかけをしている奴は誰よりも優しいんだ。僅か数年だが俺の体の一部として共に過ごしたんだ。
だから俺の身を案じてくれている。そう、俺の寿命が伸びてしまうことにも、俺が灯さんに力を返す時に支払わなければならない代償についても。此奴は全部払わせたくないんだ。だけど、それでも、
「俺は、灯さんを助けるためにここまで来たんだ。だから最後の最後に諦めるなんてことだけは絶対にしたくないんだよ!!」
その言葉とともに巻き上がる炎が激しさを増す。身体が少しずつ変えられていくのが分かる。筋肉や骨、内臓、様々な部分が変わっていく。
「お前の言葉、しかと受け取った。ならば最後まで全力で走り抜けろ!!」
「ああ!!」
「・・・・あばよ。あとは頼んだぞ」
そして俺を取り巻く炎が一斉に霧散する。そこには先ほどまでいた三人の姿はなくなっていた。
代わりに俺の背中には何かが刻み込まれていた。
「行くか」
足にそっと力を込めると頭上高くにある光目掛けて跳び上がる。
そして肉体へと意識が戻った瞬間、現実での俺の身体にも同様の変化が訪れた。
「”地獄の焔・開闢”。俺の持てる正真正銘最後の力だ!!」
「・・・ふん、見た目が変わったくらいで粋がるな。私の強さは貴様らのそれとは決定的に違う。魂の質自体が違う!!!」
振りかざされた拳を掌で往なし、そのまま肘の関節を極める。一連の動作に流石の”神無月の鬼”も驚きを隠せいないといった表情だった。
「なに・・・いったい、どういう・・・」
「言っただろう。最後の力だって。アンタが至っている魂の境地よりもさらに先の領域に俺はいる。アンタが俺に勝てる道理はもう無いんだよ」
「・・・・ふざけるな!!」
怒りに身を任せ極まっていた関節を砕きながらこちらへと反撃を仕掛けてくる。その反撃も紙一重で躱す。
「小僧、今度こそ肉片ひとつ残さずに殺してやる」
「こっちこそさっきまでのやられてた分を全部を上乗せで返してやるよ」
拳と蹴りの押収が始まる。周囲の梅の花が衝撃によって宙を舞う。
そして数十回の押収の後、互いの手刀で鍔迫り合いとなる。
「お前はなぜまだ私に歯向かう意思を持ち続けている。私にまだ勝てるなどと思っている!!」
「決まってんだろ。俺とあの人の大切な逢瀬を邪魔したからだ。頭にきてんだよ!!」
クロスカウンターが見事に決まり全力の拳で鬼を殴りつける。ふらつきながらも倒れることは決してない。代わりに両手から黒い閃光を放ってきた。回避行動をとろうとするが後ろの存在に気付き、その場から動かずに全身で受け止める。
「今のを受けてその程度か。つくづく化け物になったものだ」
肉体への損傷自体はそこまで、というよりもほとんどない。代わりに着物は左上半分が消し飛んだのと袴に多少穴が開いていた。
だがそんなことは些末なものだ。俺が許せないのは後ろにいる灯さんの事だった。
「てめえ、分かってて撃ってきやがったな」
「戦いにおいて卑怯も何もないでしょうに」
「・・・ああ、そのことは同意してやるよ。だけどな、俺の逆鱗に二度も触れやがって。覚悟しやがれ!!」
互いに再び拳を交える。だがもはやどうにもならないほどの戦力差がついた。確かに彼女の一撃は俺にも響く。それでもその一撃すら俺の力が上回っていく。
やがて鬼の方から後ろへと後退る。小手調べと称して蹂躙しようとした相手にここまでしてやられたのだ。彼女の腹の中はさぞ怒りで燃え上がっていることだろう。
「赦さんぞ、許さんぞ、小僧!!!」
彼女の頭上に黒い渦が収束していく。やがて球状の形にまとまっていく。肌で感じていればわかる。あの一撃は間違いなく拙い。しくじれば俺はともかく灯さんは存在ごと消される。
「そんなことさせるか」
左手を引き、溜めの動作に移る。静かに目を瞑ると呼吸を整える。最大限まで体の緊張を解くが、決して脱力しきらない。俺が今までの戦いで最も信頼を置き、そして多用してきた技の構えを取る。一撃。全てを一撃に込める。最速かつ最大の威力で相手に打ち込むだけだ。
「「行くぞ!!」」
互いに同時に技を繰り出す。黒い球体が俺と灯さんへと迫る。半身の構えから左足を踏み出す。そして地を踏みしめ黒い球体目掛けて一直線に突っ込む。
球体へと衝突する寸前で左腕を突き出す。球体との衝突で腕全体に衝撃が走る。超重量の塊でもぶつけられているような感覚を気合で吹き飛ばす。左腕に溜めた衝撃を伝えると球体全体に罅が入る。
「なに・・・」
「俺の・・・俺の想いをなめるんじゃねえええええ!!」
そして黒い球体全体の罅が深くなり、砕け散った。
そのまま勢いを殺すことなく相手へと肉薄する。再び同じ構えを取る。今度は目の前の相手を完璧に葬るための必殺の奥義を決めるために。
「体極流!!」
左手で放った”砕破”が見事に相手に入る。衝撃が伝導するより早く技を次々と繰り出していく。
「”体極剣技”!!」
止めの”真突一閃”が”神無月の鬼”の胸を捉えた。深い血反吐をぶちまけた”神無月の鬼”は穏やかな顔を浮かべていた。
「あぁ・・・これで・・・やっと・・・逝くことが・・・・でき、る」
その言葉とともに彼女の身体から光の粒子が空へと舞い上がる。何千年と生きた存在だ。どんなことが起きようと驚かない。
「今、参ります・・・・とう、ま様」
その言葉を最後に彼女は完全に消滅した。最後に彼女がみせた表情は恨みだけで生きてきた人間にはできない、聖母のような柔らかい笑みだった。
感傷に浸ろうとする頭を叩くことで意識を立て直す。後ろを振り返ると、一直線に灯さんの元へと向かう。
「・・・やっとここまで来れましたよ、灯さん」
そっと左腕を結晶体に触れさせる。すると全身の焔が左手へと集中していく。
”地獄の焔”によって魂自体は高次元の物へと昇華しているが、決して”終焉の焔”が消えてなくなったわけではない。あくまでも能力の本質によって俺の魂だけを昇華させただけであり能力の意思自体は残っているのだ。それはずっと変わらない。
(本当に良いのか?)
そう尋ねてくるのは左手に宿っている”終焉の焔”の意思だった。此奴は本当にどうしようもない程に扱い辛いのに、どうしようもない程宿主に優しい奴だった。
「ああ、これが俺の背負うべき代償なら喜んで差し出すさ。恋人助けるために腕の一本くらい安いもんだろ」
すると左手の先から炎で出来た口が出現する。凶悪な獣を彷彿とさせるような顎と牙。頭の片隅で痛いだろうな、くらいには考えていた。
(お前の力として戦えたことを誇りに思うぞ、橘由一)
「俺もだ”終焉の焔”」
互いにわずかばかりの沈黙が訪れる。そして俺は目を一度瞑ると、
「灯さん、あなたにこの焔をお返しします。だからどうかもう一度俺の所に帰ってきてください!!」
(由一・・・・すまない)
その言葉とともに炎でできた顎が俺の左腕を喰いちぎった。そして結晶全体にひびが入り、中から灯さんが意識を失ったまま倒れ込んできた。
片腕のまま彼女を抱き留めて倒れ込む。左肩の痛みに顔をゆがめながらも未だ眠り続ける灯さんを見て、
「おかえりなさい、灯さん」
やっと最愛の人を取り戻せたことに安堵の息をつくのだった。