五ノ巻「快楽の斧」
第四話投稿からかなり間が空いてしまいました。
拙い文ですが興味を持っていただければ幸いです。
人の物を欲しいと思ったことはこれまで生きてきてただの一度だけだった。普通の家庭で育った私。家には祖父、父、母、弟、妹の六人。どこにでもいそうな三世代家族。
何かあれば弟と妹に分け与え、私が欲しいと思っていたモノでも譲っていた。
だけどどうしても、あの子だけは私が欲しいと思ってしまった。
親友と呼んだただ一人の友達、北宮灯。転校生の灯。周囲の言いなりだった私。高校で浮いていた私たちは何が切っ掛けというわけではなかったが自然と話すようになっていた。特にどこかに出かけたりしたというのもないが、それでもなぜかお互いのことを深く知っていた。だからこそなぜかわからない。あの子が大事にしているあの青年を奪いたくて仕方がない。そしてその気持ちは彼と間近で話すようになったこの二年間でさらに膨れ上がり、醜い怪物へと私を変えていった。いや、元々醜い怪物だったのかもしれない。
だからこそ私が本当に望んだのは白馬に乗った王子様じゃなくて、血塗れになりながら私に立ち向かおうとする騎士だった。それを本当に実感できたのは彼に刃を向け、そして最後に胸を貫かれた瞬間だった。
駅前で起きた俺と近衛の戦い。周辺に人がいなかったことが幸いし事情徴収などになることなく普段通りの生活に戻ることが出来た。が、現状学校は閉鎖中でありそうなれば必然的にやることなどなく昼間から道場に通い詰めるようになっていた。
「・・・まったく、こちらが先に音を上げそうになるわ」
「申し訳ないです。だけど、時間が・・・ないんです」
「焦るなとは言わんが、焦燥感を抱いても仕方がないと”水華六式”を教えた時も言った筈だが?」
その言葉を受け、何も返せなくなる。実戦を通して技の精度こそ上がっているが決して反動なしで放てるようになったわけではない。それに”水華六式”もあれ以来放つことが出来ていない。現状だと俺が使うには第二封印解除形態”辺獄の焔”と併用でなければ使いこなすことができない。
「・・・体極流の奥義を身に付けても勝てるかどうかわからん相手がまだいるということか」
「俺自身の未熟さは重々承知しています。ですがそれを差し引いても今の手持ちの武器で勝機を見出すのは難しいと思います」
師匠は何も言わないが体極流にはこれ以上技などない。既にすべての技を習得している。俺にできることなどあとは技の精度を上げるだけ、
「ならば、さらに奥の手をお前に教えるとするか」
「は?」
今、この老人は何と言ったのだろうか。さも当然だと言わんばかりに髭を撫でながらこちらを見据えていた。
「体極流にはこれ以上の技も奥義もないが、技法と言ったらよいかの。詰まるところ体極流秘技とでも言おうか」
「それって、どんな技なんですか」
「これこれ、人の話はちゃんと聞かんか。技ではなく技法だ。簡単に言えば、体極流の技同士を繋げ合わせる混成接続による技だな」
「混成接続、技」
「そうだ。”真突一閃””氷牙絶刀””月花””砕破””雷電””胴絶””鎌狩り””甲牙一閃””鎧刀粉砕”の合計九つの技を己の最適な順番で連続で放つ技。それこそが体極流の秘技である」
その内容に頭が混乱しそうになる。どれもこれもが単体で放たねば技の精度を大きく落とすことになる。速く使うわけではないだろうが、それでも連続で使えば体がどうなるかなど分かったものではない。
「儂も打てるのは日に二度までだ。まあ、それもだいぶ怪しいがな。お前なら一日に一度放てば限界を迎えるだろうな。一度でも技の接続や感覚がずれればその瞬間、混成接続とは呼べなくなる。かなり危険だが覚える価値はあるんじゃないか?」
確かにこの技があればあの男に報いることができる可能性は広がる。その一方で師匠の言う危険性に関しては言わずもがなである。放てば止めることは叶わず、肉体に返ってくる反動も筋線維が完全に引きちぎられるはずだ。
「だったら完全体得するために付き合ってもらえますよね? 師匠」
「ふん、仕方あるまいに。ただし容赦はしないがな?」
「望むところです」
八つの技を繋げるならば合計で八〇六四通りとなる。その中で最も自分の中に合うのは一つだけ。それをこれからの短期間で見つけ出す。あの男を倒すために。
暗く陰湿な部屋。そこでは刃物が板を打つような甲高い音と液体と肉が飛び散る音とが混ざり合い不気味な不協和音を奏でていた。
「もっと・・・・もっと・・・・」
「人の肉を喰らうことで更に力をつけ続ける。まさに鬼だな」
「・・・あら、女性の食事中を覗き込むなんて・・・失礼よ!!」
女が振り向きざまに手に持っていた斧を振り回す。すると向かいの壁に大きな跡が残される。
「危ない危ない。私はこれにてお暇するとしよう」
その言葉とともに男は部屋から姿を消す。女、木羽霧果は男が消え去った場所をしばらく見つめていたがすぐにまた食事を再開する。部屋中に響き渡る肉を引きちぎり、骨を砕く音。それがまた恐怖の度合いを高めていた。
(成長速度は他の四人よりも早いがあれでは私の制御も効かないか。怪物になるのも時間の問題だがあの男に疵を追わせるには丁度いい。私の願望が叶うように精々頑張ってくれよ)
北宮京の計画は着実に進行している。左腕に巻かれた包帯に視線を落とすとその口元は不敵と言わざるを得ないほど下手物のような顔をしていた。
深夜近くまで稽古をつけてもらっていたこともあってか俺は楓のいる神社の社務所についた瞬間、居眠りをしていたらしい。
「まったく、先輩は。帰ってきているなら汗くらい流しておいてください。」
「悪かったって」
前回の近衛との一件以来俺が自宅に帰ることはなかった。楓に強く言われ自宅に戻っていなかったのだ。
「・・先輩、今更ですけど理由とか聞かないんですね」
「自宅に戻っちゃいけないことのか? お前が言うんだから何か事情があっての事なんだろ?」
この後輩が自分に対して強く言うときは大抵何かしら理由があるときだけだ。付き合いこそそこまで長くないが短くもない。灯さんの遠い親戚というだけあって特殊な力だけでなく危機察知に関しても常人を逸している。ならば詮索することなくとも向うから話してくれるのを待つだけだ。
「それに家のことをやらなくていいのはこっちとしても助かる。情報収集するにしてもこっちの方が周りの目を気にしなくて済むしな。近所の爺さん婆さんたちがきな臭さで何かと聞いてくるからよ」
神社でも人は来るが流石にこんなところでそんな詮索をしてくる輩はいないだろう。それに祭りの時期はまだ先ということもあって閑古鳥が鳴いているような有様だ。集中して作業に取り掛かれる。
「・・・それで先輩、お聞きしますが・・・・」
「分かってるよ。”快楽の斧”に勝てるかどうか聞きたいんだろ?」
「・・・はい。私が観察してきた”五つの凶器”の中では冗談抜きで一番危険な代物です。正直現状の先輩の開放可能な能力と体極流の技では太刀打ちできるかどうかかなり怪しいところです」
「知ってるよ。それでもあの人を止めるしかない。今日で何人目だ?」
「五人目です」
それは近衛との戦いの後から突然起き出した誘拐された人の数だ。およそ三週間で五人。四日に一人は消えている計算だがそれはあくまでも平均を取ればの話である。実際の感覚は一人目から二人目に十日、二人か目から三人目で五日、三人目から五人目にかけては二日とおかずに消えている。このままいけば数時間単位で人が消えることも視野に入れるしかなくなる。
「止めに行くしかないが。場所の特定ができないのも難点なんだよな」
「無差別すぎます。年齢も場所もバラバラ。特定しようにも情報網が掴み切れません」
「やり口はみんな一緒だけど・・・」
相手はわかっている。だが普段の住まいの方にはここ数日返ってきていない。他にも拠点を構えているのだろう。楓の式神が探してくれているが犯行現場からにおいが途切れているせい足取りを追うことが出来ていない。
「犯行現場を抑えて捕まえるしかありませんが・・・」
「そうなれば近隣の住宅が犠牲になるのは目に見えているな。でもあれこれ言ってられないし、俺を餌にして呼び寄せた方が良さそうだな」
”五つの凶器”がもたらす被害はそれこそひどいものである。近衛との戦いでは駅前通りが現在でも完全封鎖されているほどであり、これまでの戦いで人が近くに居なかったことでどうにか死人は出ていない。
「先輩、分かっているでしょうが・・・・」
「分かってる。霧果さんだからって手加減する理由にはならないよ」
ここで悩んでいても解決策が見つかるわけではない。動きやすい服装に着替え、
「ここで腐ってても仕方ない。心当たりのありそうなところをもう一回見てくる」
「それなら私も別件で出かけてきます」
「別件?」
「以前お話したこの子が入れなかった施設に行ってみます」
そう言って隣に姿を現した狐の頭を撫でる楓。以前この狐が入れない建物があるということは聞いた。あれ以降も何度か入れないか試したらしいが、必要以上に怯えてしまい最近では建物に行かせることが出来なくなっているという。
「大丈夫なのか? その狐が怖がっているなら相当な怪物がいるんだろ?」
「恐らくは。ですが、中身を確かめないままにいるわけにはいきません。それにこれは先輩のためでもあるんです」
「俺の?」
まったくもって意味が分からない。だがここでその意味を問いただすことはしない。ただ一言だけ不甲斐無い先輩のために戦おうとしてくれている後輩に、
「行って来い」
「ええ、いってきます」
互いに拳を突き合わせ同時に家を出る。境内を出れば向かうのは真逆の方向。
全力の戦いへと再び向かう。
マンションにある管理人室兼居室へと向かったがそこにはやはり誰も居なかった。気配を探りながら慎重に室内を探るが床の埃を見れば誰も帰っていないことは間違いなかった。
(ここじゃないか。次だな)
次は駅前へと移動する。ここ最近では河隅市全体で高齢化が進んでおり、駅前の店は次々と廃業となっている。何軒もある廃ビルを一つ一つ調べていくが痕跡らしいものはやはり一つとしてなかった。警察の巡回を抜けながら比較的大きめの通りを歩く。下手な路地裏に行けば咄嗟の反応が遅れる。周囲の気配を探りながら歩き回るが引っ掛からない。
(次か・・・)
心当たりがあるのはあとは半年近く前の忍の事件から閉鎖となっている白皇学院だった。
早足に学校へと向かいながら周囲にも注意を向ける。突然どこから襲ってくるかわからないのだ。先に見つければそれだけ有利になる。それは逆も然りということを意味している。一瞬でも気を抜けば間違いなく首を撥ね飛ばされる。
そしてその瞬間は数分と待たずに訪れた背後から襲ってくる金切り音にその場を転げるようにして回避する。そして同時に第一封印を解除し即座に”煉獄の焔舞・改メ”へと変化させる。
「ふふふふ・・・・・・ははふひはふあはひあひはい」
「・・・とんだ化生になったもんだな。霧果さん」
醜い姿に変えた右半身。右腕と思われる箇所には幾つもの刃が生えていた。だがそれ以上に目に映ったのは、
(五人分のデスマスク。間違いない。最近行方知れずになっていた人たちだ)
当然、楓と共にそうだろうと確信をもって事に当たっていたがそれでもここまでくるまでは信じたくなかったという気持ちがあるのも事実だ。
「霧果さん、アンタをここで止める」
「ひぎ・・・ぁがっぎいがいいああはははあっはひひはおぐ」
”晴天轟雷”を発動すると自分の肉体へと直撃させ、第二封印解除形態へと姿を変える。
瞬時に距離を詰め、胴体へと拳を減り込ませる。そして様子を窺う前に次の一手へと出る。”砕破””胴絶”と食らわせていていくが、
「!!」
その場を飛び退くと右腕による斬撃がすかさず入る。直撃こそ免れたものの右腕には掠り傷が、
(な・・・掠っただけでこの抉れ方かよ)
再生能力も向上しているおかげで二秒とおかずに肉が繋ぎ合わされるが今更になって自分が敵対している相手がどれほどの相手か思い知らされる。
(直撃なんかしたらシャレにならないな。切れ味が良すぎるとかじゃない。触れれば真っ二つか)
何より厄介なのは右腕から無数に生えている棘も侮れないことだ。長さと太さが均一でないこともそうだが、それ以上に本体の刃と変わらないほどの切れ味を持っていることだ。
(回避することを考えながらの一撃じゃダメだ。何としてでも致命傷になるような一撃じゃないと)
踏み込むと同時に振りかざされる鋭い右腕。右肩へと掌底を入れ半身の構えを取る。半端な一撃ではない完膚なきまでに叩きのめす技。
「体極流”胴絶・円弧”!!」
一切のぶれなく軌跡を描くようにして放たれた右足の蹴り。その先は見事に脇腹を捉え足に骨を砕く音と肉が深く減り込む感覚が伝わってくる。
すぐさま距離を取り相手の出方を窺う。最悪この一撃で沈んでくれなければ次の手は、
「嘘だろ・・・」
思わず笑みすら浮かんでしまう。蹴りが減り込んだ左わき腹は避けているのもお構いなしに立ち上がるその姿はホラーそのものである。
霧果さんの目がこちらを捉えると右腕を容赦なく振るってくる。距離を取りながら躱しきる。背後にあったブロック塀どころかその後ろの民家すら綺麗に斬り裂いてみせる。
「どんな冗談だよ!!」
すぐさま背後に回り込み”氷牙絶刀”を打ち込むがこれも効果がない。軟体生物のような動きと共にこちらへ振り返りまた右腕を振り回す。
「ははっひひひひあひあはひあいはひひひっひがひぎぎい!!」
「くそッたれ」
反応速度をどれだけ上げても必ずそれについてくる。それこそ肉体の限界を超えた動きをしてである。
”辺獄の焔”から”煉獄の焔”へと姿を戻す。破壊力、速度、回復速度。その全てを捨て、ただ一つ相手の持つ武器を破壊するために一つの策を弄ずる。
「”晴天轟雷”」
その言葉とともに霧果さんが俺へと襲い掛かる。その速度は先ほど姿をくらませるほど高速で動いていた俺に追いつくそれよりもずっと緩慢だった。予想通り、こちらの反応速度が遅くなれば霧果さんの動きは人間の範疇に留まる。動き自体は野生どころか怪物よりであるがそれでも動きをとらえるのに苦労はない。
左腕を掌底の構えへと変えるとそこに雷を落とす。刃が迫る直前、身を屈め一気に地面を蹴る。
「変化奥義”轟雷拳”!!」
左腕に宿した雷が軌跡となり霧果さんの胴体を貫いてみせた。
「う・・・・がぁっぁああああああああああああああああああああああああ!!」
霧果さんが悲痛の叫び声をあげる。同時に右半身を覆いつくそうとしていた肉塊が崩れ始める。
「・・・・ぐ・・ぅ」
「く・・・」
僅か一撃で左腕は鉛のように重くなる。だが相手がこちらの状態など気にかけてくれないことはわかっている。左腕を手刀の形に変えると先ほど帯電させたままだった”晴天轟雷”を収束させ、
「変化奥義”晴天轟雷・剣刃”」
振り下ろされた”快楽の斧”を受け止める。超高密度の雷の刃。斧の刃すら受け止め往なしてみせる。
「体極流”甲牙一閃”!!」
左腕に”剣刃”を纏ったままの斬撃技。当然の如く斧は斬り裂こうと刃を振り下ろすがこちらの読み通り俺の動きに合わせた速度になったせいか止まって見える。
『我の動きが遅いと思ったか小僧』
「え・・・」
斬撃が相手に入る直前、帯電している左腕を掴まれ右肩へと刃が刺し穿たれ背後の壁へと激突する。
「ぐ・・・がぁああああ・・・・」
捕まれている左腕は万力の壁に挟まれているかのように動かせない。左腕の手刀を解き”煉獄の焔舞”をすぐさま発動し右肩に刺さった刃を筋肉だけで固定する。
『ほう・・・刃が動かせなくなった。なるほどその力、自身の肉体を向上させる力があるのか』
「・・・分かったからって何ができるんだよ」
『何も・・・だがお前は我と違い失血する可能性があるがな』
言われなくても分かっている現実を突きつけられる。今、動かそうとしても右肩に刺さった腕を解除できるわけでもない。ましてや掴んでいる相手の腕を離せば右腕はオレの腕から綺麗に切り飛ばされる。だからといって何も策を弄さないわけにはいかない。これまでがそうであったように。
「面白いもの見せてやるよ。”晴天轟雷”!!」
『ふん、その技はもう喰らわん』
「は・・・最大出力だ!!」
空から巨大な雷が俺たち二人を包み込む。頭から巨大な槌で叩かれたような衝撃が走る。
『ぐぅ・・・ぁぁああああああああああああああああ!!』
「くたば・・・れぇえええええええ!!」
”終焉の焔”による炎と雷の耐性があるからこそ使える自滅技。
落雷が止むと、霧果さんは頭を項垂れ後ろに倒れ込む。それと同時に右肩に刺さっていた刃が抜け、出血が進む。
着ていた服を破くと肩に巻き付け応急的な止血を施す。霧果さんの身体は所々高熱による火傷が散見された。命に別状はないだろうが、早いうちに右腕に寄生している”快楽の斧”を破壊しておくべきだろう。そして左腕で刃目掛けて拳を振り下ろすと。呆気ないほど簡単に刃が砕けた。そして霧果さんの右半身がみるみるうちに人間の物へと戻っていく。
「霧果さん」
「・・・・」
反応がなく肩を掴んで起こそうとしたとき、両目が同時に見開かれ、
「!!」
「油断したな!!」
右腕の拳が俺の胸へと減り込みブロック塀を突き破って空地の地面に無様に転げまわった。
「ぅ・・かは!!」
今ので胸骨に嫌な音が走った。地面に撒いた血の量からしても骨が折れているのはわかっている。何とか立ち上がると呼吸を整え両足にまで”焔舞”を伸ばす。ゆっくりとこちらにやってくる霧果さん、否”快楽の斧”は人間らしからぬ笑みを浮かべ、
『今ので殺す勢いだったがな。生きていたか」
「丈夫、なのが・・・取柄なんでね」
息も絶え絶え視界も先ほどから僅かに傾ている。それでも立ち上がる。周囲に再び落雷が起きる。その一つが俺の肉体に直撃し、
「第二封印解除”辺獄の焔”」
最初通用しないと判断した”辺獄の焔”を使用する。高速戦闘だけで勝てる相手ではないが、今の霧果さんの拳や蹴りの威力は”煉獄の焔舞・改メ”を用いたからと言って防げる代物ではない。それは先ほどの戦いで嫌というほど痛感させられた。ならばどうすればいいか。時間を掛けずに倒す。それだけが今の俺にできる唯一の方法である。
「いくぞ」
「こい!!」
両者の拳が激突し辺りに鮮血をまき散らす。二人の目にはただ目の前の敵だけが映し出されていた。
由一が霧果と激闘を繰り広げている間、楓は河隅山の中腹にある廃研究所へと辿り着いていた。右手には剥き出しの短刀が握られている。本来は儀式の際に用いられる神聖なものだが、護身用としても申し分ない。式神である妖狐は入り口付近で小さく蹲っていた。
「ごめんね、ここまで連れてきてくれてありがとう」
狐の頭を撫でると決意を固め入り口に向き直る。
「いってくる」
入り口をまたぎ内部を隈なく探していく。だが何十年も前に廃墟となってからの損傷がひどく内部を探すのは手間が掛かっていた。
(物はそんなに多い訳じゃないんだけど、こんな二階建ての建物のどこにあの子が恐れるような怪物がいるっていうの?)
あちこち探し回ったがそんな気配など感じ取れない。仕方なく楓はその場で目を瞑ると感覚を研ぎ澄ませ、より深く気配を感じ取ろうとする。
(随分と用心深く気配を隠しているけど、ようやく居場所は掴んだわ)
一階に戻ると階段裏に隠された隠し階段で下へと向かっていく。一直線にしたまで降りると突然、白い部屋が視界に映りこむ。
「ここは・・・」
”ほう、こんなところにあの男以外の客人が来るとはな”
腹の底に響くような声に思わず飛び退きながらその咆哮に目を向ける。
「あなたは・・・一体・・・」
視線の先に映ったのは黒い体毛で覆われた六つ目の怪物。人の二回りはありそうなその怪物は静かに楓を見下ろしていた。
「娘よ、お前は一体なんだ?」
その言葉に楓はただただ言葉を発することができなかった。
道路に鮮血をまき散らし肉の破片が辺りに飛び散るのもお構いなしに俺と霧果さんは殴り続けていた。俺の一撃は体極流も織り交ぜた速さも威力も申し分ないものだが、霧果さんの拳は型など全くないど素人の拳でありながら受ければ骨を砕き、ややもすれば体に穴を開けられるのではないかと思うほどの威力だった。
「体極流”砕破”!!」
砕破による衝撃の伝導で霧果さんの肉体を壊していくがまるで野生の獣のような動きで反撃を繰り出してくる。その後も”鎌狩り””甲牙一閃”とぶつけていくがどれもこれもが決定打足り得る一撃になっていなかった。
(どれだけ肉体を壊しても再生速度が速すぎる。それに”砕破”以外はほとんど効いてない)
”砕破”と同系統の”氷牙絶刀”は衝撃の伝導に即効性がなく発動前にかき消されている。斬撃や刺突技については肉体に切り傷や穴を穿つことは出来てもすぐに再生してしまう。
(一瞬でいい。動きが止められれば・・・)
先程から”砕破”を打ち込み続けているのは肉体の損傷を積み重ね続けるためだ。どれだけ屈強な相手であろうと完全に疲労を取り去ることは出来ない。果てのない戦い方だが、そうしなければこちらに勝機はない。
「はぁ!!」
”胴絶”による上段からの蹴りを受け止められるが、そのまま体を回転させ束縛より逃げだす。相手の強さは身に染みて理解しているつもりだったがそれでもこれほどの強さを見せつけられるのは正直気持ちの良いものではなかった。
第二封印も先ほどより効力が少しずつ薄くなっていた。再生能力も落ち始めているうえに加速力すら目に見えて霧果さんに捉えられるようになっていた。以前”素戔嗚”戦にて披露した”辺獄の焔・雷神”で戦うか悩んだが、通常の”辺獄の焔”ですら反応されている状態では能力が上がっただけの”雷神”は意味を為さない。
「いい加減にくたばれ!!」
そうして何度目かわからないほど放たれた”砕破”を霧果さんの肉体へと打ち込む。
「うぐ・・・が・・・・」
異変はあまりにも突然訪れた。霧果さんの体中に走り出す亀裂。再生しようとしてもそれすら破って亀裂は大きく、深くなっていった。
この機を逃すわけにはいかない。呼吸を整え”鎧刀粉砕”を打ちこむ。
(早く、早く、もっと、早く!!)
とにかく打ち込み続ける。腕の疲労が少しずつ鎌首をもたげるがそんなことなど構わない。持てる力の全てを使って霧果さんの肉体に打ち込む。
「これで・・・止めだ!!」
最後の一撃が霧果さんの胸を捉え、地面を転がりながら吹き飛んでいく。俺はといえば今になって自分がどれだけの無茶をしたのか思い知っていた。両腕は損傷こそ”辺獄の焔”によって回避できたがもう次は一撃撃つことすらできるかづかわからないほどの疲労に襲われていた。呼吸もそうだ。無理な技の連続行使に体に酸素が行き渡っていなかった。
息を整え、霧果さんの状態を確かめようと立ち上がると、
「うそだろ・・・」
口をついたのはそれだけだった。肉体は崩壊寸前だというのにそれでも立ち上がろうとする霧果さん。
「よし・・・か・・・ず・・・くん」
「ぅ・・・」
崩れ落ちる顔に浮かんでいたのはいつもの霧果さんだった。
「うぁぁぁあああああああああああああああ!!」
涙で視界が揺らぎながらも意を決し、霧果さんへと駆け出す。俺を見つめる表情は穏やかであり、
「体極流”真突一閃”!!」
「・・ありがとう・・・」
霧果さんの言葉と俺の腕が霧果さんの心臓を貫いたのは同時だった。
心臓を貫かれた霧果は走馬灯を見ていた。
「ねえ、灯。アンタの彼氏、私がもらってもいい?」
「は?」
「て、言ったらどうする?」
それはかつての親友との昼下がり。二人はいつも通り、昼食を摂っている時に霧果の言葉がもたらした空気だった。
「冗談でも笑えないわよ、それ」
「灯は本当に真面目ね。冗談くらい付き合いなさいよ」
だが霧果の軽口に灯は表情を和らげるどころか険しさを増すばかりだった。
「・・・まあ、そうね。そんなことがないなんて言いきれないだろうし・・・」
「お、意外とそういうこと言うんだ」
霧果からすれば灯がそのようなことを言うなど万に一つも有り得ないと考えていた。
だが灯から返ってきた答えは彼女の予想とは違うものだった。
「でも、きっとあの子は目の前の人が間違っていることをしたら、泣きながらでもあなたを止めるでしょうね」
「なにそれ・・・」
意味が分からないとかぶりを振る霧果だったが、灯は親友に対し優しい笑みで続けた。
「意味が分からなくてもいいわよ。もしあなたが間違ったことをしたとき、あの子が近くに居れば必ず叱ってくれるわ」
(灯の言葉通りだったなぁ・・・)
走馬灯から目を覚ました霧果は由一に背負われていた。由一を呼ぼうとするが、口から出たのは泡交じりの吐血だった。
「霧果さん、喋らない方がいいです。体中の筋繊維が壊れて、肺も片方潰れてます。下手に動けば死にます」
(そっか、私、由一君に・・・)
心臓を貫かれたと思っていたが、今こうして生きているということは先ほどの一撃は致命傷とはならなかったのだろう。だが、こうして話すことすらできなくなるとは。これが自分が行ったことの報いなのかもしれないと霧果は僅かばかりの後悔を抱いていた。が、すぐにその考えを捨てた。
(それじゃあ、私が手を掛けてきた人たちを愚弄することになる。それだけはしちゃだめ)
人格を狂わせ、自分が手に入れたいと思った男にすら刃を振わせた”快楽の斧”。当然それが自分の心の奥底にあった大切な何かを歪んだものにしたというのは間違いないだろう。それでも歪んでいたとしてもあれはきっと自分の本性なのだろう。無差別に人を殺めていたのも自分。親友の大切なものを奪い取ろうとしたのも自分。そしてその大切な物ですら壊してでも手に入れようとした自分。破壊衝動を前面に押し出していながらそれでもその全てが自分だったのだ。
そして何もかも奪い、壊し、手に入れようとした自分を助けてくれたのは、自分が壊そうとした少年だった。
”間違ったことをしたとき、あの子が近くに居れば必ず叱ってくれるわ”
灯のその言葉が蘇り、同時に自分では親友に勝つことができないということを決定づけられた、否もうすでに決まっていた。灯は由一をずっと信じ、最後に自分のわがままだと分かっていても自分の力を彼に託した。彼が千年近く続く一族の怨嗟を止めることができると信じて。
そしてその由一もひたむきに、ただひたすらに灯を愛し、信じていた。託されたと言っても自分には何の関係もない一族の争いに巻き込まれ、自分の日常を壊されてもなお闘い続けている。それは彼が灯に対して並々ならない愛情を抱いているという証拠だった。そうでなければ死と隣り合わせの戦いに臨み続けることなどできない。
あらゆる面で目の前の少年に、親友に敗北を味合わされた霧果は微笑を浮かべ、由一の背中に指で文字を書いていった。
ただ一言。”ありがとう”と。
その言葉を書き終えた霧果は力なく由一の背中に枝垂れかかる。
由一は振り返ることなくただひたすら歩き続ける。
「・・・霧果さん。おやすみなさい・・・」
明け方、いつもの病院で目を覚ました俺は全身に圧し掛かる疲労に苦しみながらもなんとか起き上がる。
すると丁度いいタイミングだったのか主治医の爺さんがやってきた。
「まったく、毎度重患者をよく連れてくるなお前は」
「俺もその一人ですけどね・・・」
「お前は他の奴よりも治りが早いからな。カウントしてない」
よく見れば爺さんの格好は手術衣のままだった。ところどころに血がついていることからも相当な手術だったのはうかがえる。
「お嬢ちゃんの身体だがな、崩れた部分はあのお嬢ちゃんのとは違う肉で出来ていた。恐らくだがここ数日の間に攫った人間の肉を掻っ捌いて自分の体につなげたんだろう。お前さんの力であの娘の全身が崩れかけたのは異能の力でその肉を繋ぎとめていたからだろうな。皮膚についてはこっちである程度移植はしておいた。だが片肺は全摘だ。身体中の筋繊維も完治するまで数年ってところだろうな。生きているだけ儲けもんだろうな」
「やっぱりですか」
立ち上がり、ふらつきながらも先生に頭を下げ病院を後にしようとする。
「行くのか?」
「はい。ここで立ち止まっているわけにはいかないんで。それにようやく約束を果たす時が来たんです」
「怪我に関してはあのお嬢さんの手術前に話したが、すぐに完治するだろう」
「・・・・お世話になりました」
「次会うときにお互い仏様になってないことを祈ろうか」
先生は手をひらひらと振りながら奥へと向かっていく。昨夜からずっと手術を行っていたのだ。今から仮眠でも取らなければやっていられないだろう。
そして俺も病院を後にすると一旦楓の神社へと戻ることとした。
石の階段を上りきり社務所へと向かおうとしたとき、
「楓・・・」
「先輩、おかえりなさい」
意外なことに本殿の前で楓が頬杖を突きながら待っていた。若干不貞腐れているような感じが否めないが何故待っていたのかと訊ねると、
「この人が先輩に直接会わせろって言うんです」
「この人?」
その言葉と同時に本殿の扉が開くと、
「ほう、お前が橘由一か」
「・・・」
一瞬、全身に鳥肌が立つ感覚に襲われる。目の前に姿を現したのは長身痩せ型の男だが、目つきは野生の獣のように鋭い。
「お前は・・・誰だ」
「安心しろ。お嬢ちゃんには手を出してない。あくまで俺が頼み込む形でここに居させてもらってんだ」
頭を掻きながらこちらへと降りてくる。大きな欠伸と伸びをした後にこちらを一瞥し、
「お前、”北宮の霊獣”って知ってるか?」
「なんでお前が、北宮の名前を・・・」
「質問しているのは俺の方だ。答えろ。”北宮の霊獣”って言葉は知ってるか?」
有無を言わせない迫力。次にまた問いを返せば首を撥ね飛ばさんとする眼力でこちらを睨み付けてくる。
「ああ、知ってるよ」
「・・・なら良しだ」
「・・・何が良しだ。いい加減、自分の正体くらい答えろ!!」
境内に俺の怒声が反響する。静寂の中で男はこちらへ向き直ると得物を見つけた狩人のような笑みでこう答えた。
「俺の名前は”凶鬼”。今はこの河隅市に伝わる伝承の怪物にしてかつて北宮家の開祖、北宮秋比古麿に仕えていた”北宮の霊獣”だ」
物語もいよいよ佳境に入りつつありますが、次回はこれまでのおさらいを含めた解決編となります。最終章までもう少しだけお待ちください。