四ノ巻「悲劇の本」
お待たせいたしました。
一度、投稿しましたが再投稿することにしました。
気長に読んでいただければ幸いです。
会長との北宮の地での戦いから二週間が経過した。
あれからというもの会長は意識を覚醒させたり、眠りについたりを繰り返している。忍も入退院を繰り返し、悠に関しても片腕のない不便な生活を強いられていた。
どれもこれも自分が彼女たちに与えてしまったものだというのに心のどこかで非現実のようにしか感じられなかった。そう思うことで自分の心を守ろうとしているだけなのかもしれない。
どちらにしろ今のオレにはそれを正確に判断するだけの余裕はない。
「・・・・はぁ・・・・ぐ・・・」
「なっとらんな。歩法、流れ、全てにおいてまるで張りぼてで出来た人形のようにお粗末なものだ。これならば普通の技の方がまだ見ていられる」
「くそぉ・・・」
体極流道場。先日、師匠に頭を下げ必死の思いで頼み込んだ。
体極流の奥義継承。体極流には九つの表武術、七つの裏武術、そして奥義が存在する。
表武術は俺がこれまで何度も使ってきた技だ。汎用性が高く、戦闘に最も活かしやすい。
裏武術は汎用性こそ表武術には劣るが必殺に近い威力を秘めている。その分隙も大きく、身体への負荷も大きい。
しかしこの道場に長年通っているおかげで十六の技を体得できている。だが、奥義だけは習得できずにいた。何故か。理由は単純だ。
「お前はまだ肉体が完全には出来上がっておらん。それだというのに師匠の忠告も聞かずに無理をした罰だ」
本来、十八になってようやく人間の体は完成される。体極流はその十八までに肉体を完全に作り上げるというものだ。俺は十六の技こそ体得してはいるがその全てを何の負荷もなく使いこなせるわけではない。現に”鬼の仮面”との戦闘の際に使用した”鎧刀粉砕”は一日に五回打てればいい。これ以外にも裏武術の技の内二つは一日に放てる回数が限られている。
体極流の奥義はその全ての技に対する負荷が完全に無くなった時初めて授けられるのだ。それを無理を通して今教授してもらっているがその結果がこの有様だった。
「実戦を通し、技にも磨きがかかっている。特に”鎧刀粉砕”に関しては以前よりも肉体に掛っていた負荷が少ないはずだ。が、足りないものがあるな。それを少し考えろ」
「・・・・はい」
師匠はそう言うと奥の部屋へと引っ込んでいった。畳の上で天上を見上げながら荒い息を整える。師匠の動きを模倣しようとしても、この技の神髄までも模倣は出来ない。長い年月、鍛錬に鍛練を重ねた者だけが手にすることのできる技の極意。
「・・・体極流の”極み”の神髄、か」
この技は速いわけでも、重い訳でもない。ただ流れるような動きで敵に攻撃が入る。
初めて師匠の技を食らった時、体が反応すらできなかった。受け身を取ることもできず気が付けば倒れていた。
「この技はわずか六撃のみ。その六撃をいかにして相手に入れるか。この技が発動した瞬間、相手は動くことはおろか息をすることすら忘れる。これが体極流の”極み”さの神髄だ」
師匠は淡々と述べているが、この技の体得には普通に考えても年単位の月日がかかる。技を見て覚える連中が見たとしてもおそらくは一朝一夕で物にはできない。仮にできたとしても恐ろしく歪な代物に仕上がること間違いない。
その後も師匠が戻ってくることはなく一人で型を身体に馴染ませ続けていった。
翌日早朝。今日は土曜日ということもあって学校は休みだ。と言っても連日の騒ぎのせいでしばらくは長期休暇になるとお達しが来ていた。神社に向かうとすでに掃除を終えたのか呆けた様子で境内の階段に腰かけていた。
「阿保面晒して何やってんだよ」
「む、酷すぎます。先輩こそ階段下から後輩の下着覗こうとか考えているの顔に出ていますよ。なんですか、厭らしい」
「誰もお前の下着になんぞ興味ねえよ」
そんなやり取りをしながら隣に腰かける。あいさつ程度のやり取りはこの辺りにしておいて楓から伝えられた内容を今一度確認する。
「この間は会長を助けるためにかなり急いでしまいましたし先輩もすぐに修行に移ってしまいましたからどのような収穫があったのか確認できなかったので」
「ああ、まずはそっちからだな」
そうして俺は自分が北宮邸で見つけ出したもの全てを楓に伝えていく。
自分的にはかなりの収穫であったが楓の顔は険しくなっていった。
「・・・先輩、私としては今回北宮邸で得たものはあまりいいとは言い難いですね」
「な・・・」
「驚きたいのも、反論したいのも分かりますが。理由はちゃんとあります。今回私が河隅市の伝承を再度洗い出した際に出てきたものと照らしていけばわかります」
そう言うと近くにいた式神の狐を呼び寄せる。普段よりも二回りも小さくなっているせいで最初は全然気づかなかったが、こいつ体格を自由に変えられるのか。
「前までの三つは先輩が自力で対処したのでおいておきますが、残り二つ”悲劇の本”と”快楽の斧”に関してだけはこれまで通りの戦法で勝てるとはとても思えません」
「その志は?」
「単純に強いからですよ。そして単純な力勝負になればなるほど不利になるのは先輩の方です。理由は言わずとも分かるはずですよね?」
言われてみれば確かにそうだ。
通常時の封印状態である”終焉の焔”は『異能の力を燃やし消滅させる』という能力だ。特に肉体を強化したりすることはなくこの状態の左手の耐久力は普段の俺の耐久力と同等である。
そして三つある封印の内一つを解除した形態が”煉獄の焔”である。『片腕全体の膂力と皮膚を強化し、あらゆる物体の力を零にする』といった能力だ。そして”煉獄の焔”を両腕に伸ばしたのが”煉獄の焔舞”である。この状態では『あらゆる物体の力を零にする』という能力は消えてしまう。そして会長戦で使った”煉獄の焔舞・改メ”は能力が消えることこそないが単純に使用時間が短くなる。
まだ残り二つの封印を解除した力が残っているが、会長との戦いの際には敵側に情報が漏れるのを懸念し”煉獄の焔舞・改メ”までしか使わなかった。これが逆に命取りとなり敗北寸前まで行きかけたが結果良ければすべてよしだろう。
「先輩がどれほどの力を身に付けたとしても相手の力が上では勝ち目がありません。それに最悪ですが”悲劇の本”には防衛機構という機能が備え付けられていてこれが先輩との相性を最悪にしているんです」
「どういうことだ?」
俺との相性を最悪にしている、という言葉に思わず疑問をぶつける。
だが俺はこの質問があまりにも愚かなものであったということを今この瞬間に思い至る。
「防衛機構の名は”素戔嗚”、つまり先輩と同系統の炎を操るんです」
あまりにも愚問だったことに思わず歯噛みしてしまう。
”終焉の焔”の弱点は異能の力ではない物理的な物の攻撃を防ぐことができないことと同系統、すなわち炎の異能に対してだけは消滅に時間を要する。
目下最大の相手である”悲劇の本”であるが実際に対峙するまではわからないだろう。
道場に行こうかとも考えたが気持ちがどうにも足取りを重くさせてしまい、気づけば自宅近くの稽古場に来ていた。
ひたすら”水華六式”の流れをゆっくりとした動きではあるが反復し続けていた。
決して難しいものではないが、一つ一つの動きを”流れる”ようにというのが最大の問題なのだ。頭で考えなくても動けはする。
だがどんなに速くしようがそこには”流麗さ”というものは存在しない。
(考えても何も出てこないな)
昼間、楓から伝えられた話も頭から離れることがなく今なお俺の中で不安要素として余計な思考を生ませていた。
強さというものは単純な力というものもあるが、思考力、経験値などそれこそ様々なものがある。たとえ体格が小さなものが自分の何倍も大きなものと対峙したとしても武闘家としての経験があればそれだけで勝てる要素が増える。だからこそ俺が勝つためには一つでも要素を増やさなければいけない。
目の前の木に額を押し当てる。焦りから何も動けずにいる。ひたすら瞑想し続けている。自分から技の体得を望んでおいて今なお何もできずにいるのだ。滑稽を通り越して呆れてくる。
「!」
突然、背中に悪寒が走る。背後の茂みから何かが現れる。
「・・・近衛・・・」
そこにはいつもとは違う同級生、近衛瑠奈の姿があった。
「なんでこんな・・・」
「・・・・」
近衛は何も告げずに右手を上に向けると、するとそこに新書ほどの大きさの本が現れる。気配で察知する。それが”悲劇の本”だと。
急いで構えを取ろうとするが、
「が・・・ぁ」
矢が何本も突き刺さる。痛みを堪え近衛を見据えると、
「へえ、これで耐えるんだ」
「・・・何がしたいんだよ」
殺すのではなく単なる小手調べなのかよく分からないが相手の出方が分からない以上下手な刺激は咥えられない。
「・・・まったくもって残念としか言えないわ。まさかこの程度なんて」
その言葉とともに近衛の後ろ高身長の男が姿を現せる。だがそこに生気はまるで感じられない。だがその瞳は静かに俺を見据えている。
そして俺は考えるよりも早く左腕を真正面に突き出した。ほぼ同時に炎がぶつかる。
「ぐ・・・熱っ!」
”終焉の焔”によって消滅させ続けているが、その消滅させる許容量を超えつつある。炎を掻い潜り近衛目掛けて迫るが今度は地面が隆起すると槍状になって腹を穿った。
「ぁ・・・・か」
胎を貫いてこそいないが逆につらくもあった。胎の中からせり上がるものをこらえきれずその場でまき散らす。
その場で近衛を見上げるとその傍らには炎で出来た体を持つ男が立っていた。
「・・・”素戔嗚”殺さないようにしなさい」
『限度がある。この男が抵抗しなければすぐにでも楽にしてやれるんだがな』
立ち上がろうにも先ほどの一撃の重さに身体が言うことを聞いてくれない。
「・・・ねえ、橘君。貴方に一言だけあるんだけど」
「なんだ・・・」
「弱過ぎよ」
その言葉に俺の思考が停止したと同時に”素戔嗚”と呼ばれた男が地面へと手をかざすと、
『吹っ飛べ!!』
「!!」
地面を深く穿つほどの大爆発を起こした。吹き飛ばされた勢いで木へと打ち付け意識が朦朧となる。霞んだ景色の中で男と近衛が歩いていくのを見ていることしかできなかった。
遠くで響いた爆発音と霊脈の乱れを感じ取った楓は発信源へと向かっていた。普段は神社の巫女を除けば普通の女子高生としての生活しか送っていないがそれでも常人ではできないような特殊な呼吸法や筋肉の動き、果ては霊力の制御を会得していることから僅か十分に満たない時間で現場へと到着してみせた。
「な・・・は! 先輩!!」
凄まじい惨状の現場に一瞬言葉を失うが、すぐ近くに由一が倒れているのを見つけると状態を確認する。致命傷がないのが幸いだが、腹部と背部に打撲の跡が浮かんでいた。
(ここじゃ、手当は出来ない。神社まで戻らないと・・・)
由一の肩を担ぐが鍛えている男子の身体ほど重いものはないうえに身長差があるせいで一歩を踏み出すだけでも一苦労だった。
そんな楓が額に汗を浮かべ始めたあたりでその現場へと人が入ってきた。
「・・・あなたは・・・由一君の友達か何か?」
「・・・」
楓の内心は目まぐるしい選択を行っていた。目の前には由一の知人と呼ばれる女性がいる。助けを求めるのは容易いが、今ここの惨状を見て彼女がどのように自分を捉えるかわからないからだ。非日常を経験したことのない人間は頭の中が混乱し言葉も上手く発することすらできなくなる。そうなれば最悪警察が来て現場を調査されれば自分が犯人に仕立て上げられることになる。
だが楓の考えとは裏腹に現れた女性・霧果は冷静にもう一方の由一の肩を担ぐと、
「私の部屋がすぐよ。とりあえずそこで由一君の応急処置をしましょう」
「・・・あ、ありがとうございます」
口をついたのは短いお礼の言葉だけだった。それでも彼女が何も言わずに由一の治療を宣言してくれたのは今の楓にとっては僥倖だった。
何とか女子二人で由一を霧果の部屋まで運び終えると、布団へと横たえる。
「・・・必要なものは何かある?」
「お湯と、清潔なタオルを一つ。あとは包帯と湿布をあるだけお願いします」
「わかったわ」
霧果が必要なものを探している間、楓は由一の服を脱がしにかかる。
(ひどい・・・幾つも傷ができている訳じゃないけど、これは・・・)
傷の大小は様々だが現場の惨状から察するに由一が直接倒れた原因は腹部の一撃だけだ。背後の傷は倒れていた近くにあった木に何かの拍子で打ち付けたのだろうというのが楓の見立てだった。腕や顔に細かい傷があるが爆発の際にとんだ破片が顔を掠ったことが原因で出来たと推測できる。
(先輩が一撃で倒れるなんて・・・”鬼の仮面”より後の相手は強くなると話はしていましたが格が違い過ぎる)
なるべく患部に負担がないように体の位置を調整する楓。だが背筋に一瞬だけ悪寒が走る。その悪寒に従い動きを止める。
「あら、よく動かなかったわね」
「・・・何のつもりですか・・・」
「それは質問で言っているのかしら? それともただの反射?」
「両方、とだけ言っておきます」
喉元にあてがわれたのはおよそ女性が持つには大きく、醜悪な見た目をした”斧”だった。
「なるほど、貴女も魅入られた人でしたか」
「今ここで私と遣り合う気はあるようだけど、やめた方がいいわ。十割で貴女の負けよ」
楓が右手で握りこんでいたモノは見透かされていた。
「こんなものを手にして何がしたいんですか?」
「貴女にはわからないかしら? ほしいものをどうにかしてでも自分の手元に置いておきたいという感情が」
「ありますけど、こんな狂気じみた手段には出ませんよ」
そっと彼女の喉元から刃が退かれる。安堵の気持ちを抑えつつ、その場から動かずに質問を続ける。
「先輩に対して固執するのは勝手ですが、どうしても気になります。なぜそこまでこの人に惹かれるんですか?」
「貴女もしかして分かっていないの? 私も含めて今までの子たちは皆、彼に対して少なからず助けられているのよ? まあ、一人例外はいるけどね」
「・・・近衛先輩、ですか」
「あらよく分かったわね。そうよ、彼女だけは由一君には好意を向けていないわ。それどころか真逆、敵意すら持っている」
彼がそこまで嫌われることをしたとは楓には考えられなかった。
だが彼との会話を楓は思い出していた。
「先輩が・・・・彼女を庇って悪役を一人で引き受けたことですか」
「・・・ええ、彼女を庇いたてたことが最大の原因。彼女が本来は背負うべきものを由一君が横取りしてしまったのよ。ああいう性格がねじ曲がっている子に変なことをすると大変だって知っているくせにね」
彼が度を越してのお人好しだということは知っている。そうでなければ悠も、忍も、和泉も助けたりしない。力があることと助けることは必ずしも同等というわけではない。それでも彼は人を助ける道を選んだ。即ち助けを喜ぶ者ばかりではないということだ。
「私は出かけてくるわ。その間、どうするかはあなたが自分で決めなさい」
その言葉を最後に霧果は玄関から出ていった。
数分間恐怖から身動きが取れなくなっていた楓は詰まっていた息を一気に吸い込んだことでむせ返ってしまった。
「・・・なんだったの、本当に」
頭で考えるよりも早く脊髄反射で応えていた。
(それよりも先輩を急いでここから運び出さないと。でもどうやったら・・・)
部屋を見渡しても男一人を乗せられるような代物などあるはずがなく、数秒考えたのち背負って運ぶこととした。
何度も休憩を挿みながらも神社へと無事に辿り着くことのできた楓。客間の布団へ由一を横たえると治療の道具を再度準備し始めた。
それから一時間ほどすると先ほど霧果の部屋で行った治療よりも本格的に行うことが出来た。
「・・・先輩はどこまで知っているんですか・・・」
先程の部屋でのやり取り。霧果は長い年月、由一へ恋慕の情を抱いていた。間違いなくその矛先は由一へと向いている。だというのに由一は彼女が自分を手に入れるために周囲を真の意味で斬り捨てることのできる人間だと果たして気付いているのか。
「・・・私には・・・わかりません」
彼の行動を見ていても、彼の日常を覗き見ても決して彼という人間を理解することが出来なかった。
自分をどこまでも追い込む執念。それはたった一人の女性を助けたいという願いから来るものだ。彼がなぜその女性にこだわり続けるのかは分からない。だがそこには彼にしかない何かがあるのだと、楓は自分に言い聞かせていた。そうでもしなければ彼が傷つきながら戦うことを止めようとする自分が現れそうだったからだ。
気持ちが徐々に沈んでいくなか外の空気を吸いたいと思った楓は少しだけ席を立つことにした。
そして僅か数分ほどして客間へと戻ると、そこにはもぬけの殻となった布団だけが残されていた。
「・・・・・ふざけんな、バカ」
その言葉は誰に聞き入られること無く虚空へと消えていくのだった。
ふらつきそうになる足取りを堪えながら山道を登っていく。
目覚めたのは楓によって包帯を変えられている時にほんの少しだが意識が覚醒した。そして彼女が席を外した瞬間に完全に覚醒した。本来であれば楓に対して礼の一つも言わなければいけない状況だったが、見つかれば彼女に引き留められるのは自明の理だ。
だが彼女は俺が勝手にいなくなった場合は決して追いかけてこようとはしないだろう。何より逃げたにもかかわらずこうして追いかけてきていないことが何よりの証拠だった。
「楓・・・悪い・・・」
そうして山頂まで上りきる。この河隅市は周囲を小高い山や湖に囲まれた盆地になっている。つまりそれなりに高い場所まで来られれば何があるかある程度見渡すことができる。別に景色を見に来たわけではない。暴れていれば即座に見つけられる視界を確保しておきたいのと考えをまとめたいことの二つがあったからだ。
近衛が従えていたのは”悲劇の本”に刻まれている防衛術式。名を”素戔嗚”。確かにその力、火力共にその名の通りと感じたが、
(それにしてはどうもおかしい。”素戔嗚”が持つ力が本当ならば俺の”終焉の焔”ではかき消し続けるより先に飲み込まれているはずだ。なのに消し続けることが出来た。なんでだ?)
決して馬鹿にできるような火力ではない。それでも俺の”終焉の焔”でかき消すことが出来た。この点がかなり引っ掛かってくる。
俺は正当な北宮の人間ではない。それ故に”終焉の焔”の力を引き出しきれずにいる。勿論無理をすれば可能だろうが、それも所詮は付け焼刃だ。
その俺の力でさえかき消せるということは、
(近衛が手加減をしていた? いや、どう考えても殺気は本物だ。表情や言動にも迷いがあったようには見えない。だとすれば本自体が威力を下げた? でも俺が再起不能になるまで痛めつけるなら分かるがこんな中途半端な状態になんかしないはずだ。だとしたら・・・)
だがいくら考えても頭の中では無数の可能性が浮かび上がるばかりである。
そんなとき遠くの方で黒い煙が幾つも上がり始める。只の火事かとも思ったが挙がっている場所を見ればあまりにも距離があり過ぎる。何より同時に起きるにしては数が多すぎる。
「・・・あいつ・・・」
気が付けば勝手に体が動き出していた。
あちこちで爆発音が上がるのを聞きながら俺が向かったのは燃え上がり方が一番大きい駅前だった。
駅前に並ぶ店や家々は倒壊し、人が生き埋めになっている。呻き声すら聞こえない。そんな人たちのことが脳裏を過るとやるせない気持ちがこみ上げるが、それ以上に目の前に立つ女と雄々しい男二人組を睨み付ける。
「へえ、骨と内臓をいくつかやったはずなのにもう動けるなんてね。”素戔嗚”貴方、手加減なんてしてないわよね?」
『私は主の思考に従ったまでだ。彼奴が動ける程の傷だったとすればそれは主が奴へと手を抜いたということと同義だが?」
疑問を疑問で返している。そんな二人のやり取りにますます怒りを覚える。
「近衛・・・お前、なんでこんな・・・・」
これだけのことをしでかしている奴に動機など聞いたところで仕方がないことだと分かってはいたが、それでも聞かずにはいられなかった。
「・・聞く必要あるの?」
「ああ、俺は少なくともそう思ってる。じゃなきゃ、お前を思いっきり殴れないだろうが・・・」
言葉を発しながら目に涙が浮かんでくる。これほど怒りを覚えておきながら同時にどうしようもなく哀れさを感じずにいられない。
「そう・・・でもそれならなおさら教えてあげる」
その言葉の次の瞬間には”素戔嗚”が俺の眼前に迫り炎に包まれた拳を振りかざしていた。
咄嗟に第一封印を解除し防御態勢を取るが、その膂力はすさまじく一撃で後方の壁まで吹き飛ばされる。
「私を受け入れなかった人達がまだ憎いからよ!!」
その言葉と同時に”素戔嗚”が両手に炎を纏って迫ってくる。俺も両手に”煉獄の焔”を纏い互いに拳をぶつけ合わせる。膂力では圧倒的に敗北するが手数の多さではこちらの方が上である。拳を掻い潜りダメージを与えていく。だが相手の攻撃を受け続けている拳が悲鳴を上げ始める。
「ぐ・・・くぅ・・・・」
”素戔嗚”との拳のぶつかり合いで俺の右拳が砕かれ皮膚も破け、鮮血が宙を舞う。だが痛みに拳を緩めず、
「体極流”砕破”!!」
砕けた拳で相手の胴を穿つ。血が飛び散りながらも相手へとダメージを与えることが出来た。この機会を逃すわけもなく、両足へも”煉獄の焔”を引き延ばすと、
「体極流”胴絶”」
横薙ぎの蹴りで”素戔嗚”を蹴り飛ばす。
横へと大きく倒れ込む、こともなくこちら目掛けて強烈な一撃を見舞ってきた。
「が・・・ぁ・・・・」
地面へと崩れ落ち、思考が全く働かなくなる。
「どうした小僧、そんなものじゃないだろう・・」
その言葉とともに拳が俺へと振り下ろされる。直前で横に身を投げるが、それを予期していたのだろう。鋭い蹴りが鳩尾へと入り瓦礫の山へと突っ込む。
咳き込むと同時に地面へと幾つもの血の斑点が飛び散る。
「くそ・・・・」
強い。単純な力勝負ですでに土俵に上がれていない。なにより酷いのは”煉獄の焔”の肉体強化術である”煉獄の焔舞”は両手両足を重点的に強化している。頭から胴体にかけては多少しか影響が出ていない。先程の”素戔嗚”の拳も生身で受けているに等しい。
「負けてられるか!!」
それでも痛む頭部を歯を食いしばって堪え立ち上がる。再度”素戔嗚”へと拳と蹴りを見舞うが僅か数激で反撃されてしまう。
そうして僅か五分の間に俺は地面に十回以上転がり砂と埃に塗れていた。
「はぁ・・・・ああ・・・く」
『諦めが悪いのは良いがこちらが手を抜いている間におとなしく倒れろ。そうすれば楽にしてやる』
「ふざ・・けんなぁああああああ!!」
”素戔嗚”目掛けて”砕破”を放つ。相手も同じように拳を突き出しぶつかり合う。が、すぐにその限界は訪れた。俺の右腕の血管が割け血しぶきを上げたのだ。表面の皮膚が割け拳の骨が砕けていただけなのが今度は筋線維と血管すら壊される。
「うぐ・・・・があぁぁあああああああああああああああああ!!!」
激痛が右腕から脳にかけて走る。幾ら歯を食いしばっても耐えきれるものではない。その場を転げまわりたい衝動を抑えてどうにか”素戔嗚”を睨み付ける。
『大人しくしていろと言ったのにそれを無視してそんなことまですれば当たり前だ』
止めと言わんばかりに頭上高くに手刀が構えられ、一思いに振り下ろされる。辺りに血が飛び散る。が、手刀が俺の脳天を捉えることはなく代わりに激痛が走る右腕で相手の手首をつかんでいた。
『なに!?」
「はぁ・・・はぁ・・・悪いが、この程度で根を上げるわけにはいかねえんだよ!!」
そして相手の懐へと渾身の拳をぶつける。そして距離を取ると空を仰ぐ。今日の空模様はどこまでも晴れ渡る空だった。これが意味するところは詰まる所一つだ。
「こんだけ晴れてればやれるな」
そして構えることなくただ相手を見据える。両手足の焔が爆ぜると同時に辺り一面に雷が乱雑に降り始める。
『ふん、小賢しい技を使う。そのような小細工で私を倒せるとでも?』
「こんなので倒せるなら最初からそうしてる。だから、これは、こう使うんだ!!!」
その言葉と同時にオレの身体へと落雷が直撃する。撃たれた直後に来る衝撃に意識を失いかけながらも持ちこたえる。
「”終焉の焔”第二封印解除”辺獄の焔”」
”終焉の焔”に施された三つの封印。その二つ目の封印解除はこの”辺獄の焔”である。第一封印解除の”煉獄の焔”によって使えるようになる”晴天轟雷”を己の肉体に浴びせることによって人間の限界を無理矢理踏破する。あまりにも滑稽でそして今この瞬間において最適な代物だ。
体中で電気が帯電し時折、火花が散るかのように爆ぜる。変化はそれだけでなく、髪の毛が肉体の帯電により逆立ち、先ほどの”素戔嗚”との戦いによりできた損傷は瞬く間というほどではないが、それでも僅か数秒で傷が癒えていく。右腕の痛みも引いていき、筋線維どころか砕けた骨すらも治っていく。
『どういうことだ・・・』
「今に分かるさ・・・」
相手へと肉薄するが”素戔嗚”は未だこちらを振り向かない。否、振り向けない。先程まで俺がいた場所を驚きの表情のまま見ているだけだ。そんな状態を見過ごすほど俺の心も甘くはない。後頭部目掛けて蹴りを放つ。すると完全な死角だったこともあってか”素戔嗚”は呆気なく吹き飛ばされる。
『くっ・・・・まったく、見えなかっただと・・・・』
「呆気にとられるなら身構えてろ」
これこそが”終焉の焔”第二封印解除形態”辺獄の焔”。所有者の肉体を”晴天轟雷”によって強制的に活性化。生体電流を通常時の何十倍にすることで膂力、速力、回復力などを跳ね上げる。
(単純故に能力に穴がない。技を見切っていても速力が先程よりも早いのでは感覚が違ってくる。それに先ほどの一撃はまるで小手調べのようだ。詰まる所まだ上があるということか?)
”素戔嗚”の考えは非常に合理的かつ冷静なものだった。由一もそれを見込んだうえでそう発言したのだ。確かに速力に関しては現状よりも上はあるが戦闘において活かせるかどうかはまた別物だ。どれだけ早かろうが変則的な動きを取り入れようとすればそれによって動きを阻害されかねない。
由一もそれを分かったうえで発言しているのだ。
「行くぞ・・・」
由一のその一言共に鳩尾へと”砕破”が打ち込まれる。そして次の嵐が”素戔嗚”の体を襲う。
「体極流”月花・刹那”!!」
辺りに二発の肉を穿つ音が響き渡る。だが近衛と”素戔嗚”の目に映ったのは放たれた後の掌底のみだった。時間にしてわずか1秒に満たない時間。それほどの間に二撃、それも人間を外れた膂力によって打ち込まれたのである。存在が規格外と言えども同じ土俵に上がり込んだ相手の一撃を受けてまともに立っていられるはずがない。
(く、主の処理速度が追いついていない。技や動きを認識できていない。この男どれだけの速さで動いているんだ・・・)
傍から見れば瞬間移動と言って差し支えないだろうが、曲線を描くのではなく鋭角に相手の背後に入り込むことでさながら消えたように動いているに過ぎない。
「”胴絶・雷脚”!! ”鎧刀粉砕・爆雷”!!」
体極流の技でありながら全く違う域の技へと変貌している。閃光の如き高速で相手を横薙ぎにする蹴り、一撃一撃が腹に響くような威力を持つ連打。それらの全てを受けた”素戔嗚”は片膝をつきこちらを見据えてくる。
「これほどの速さを発揮しながら高い回復力によって肉体に損傷を負わせないか。だがそれほどの力なんの代償もなく使えるわけがない・・・」
その言葉とほぼ同時に右肩へと痛みが走る。神経を焼くような痛みが肩甲骨全体に広がる。
「うぐ・・・」
生体電流を流す神経が過負荷を起こし、肉体の損傷を治すよりも過剰に治す。それがこの第二封印解除形態の欠点である。つまりこの解除形態は常に動き続けていなければいけない。それこそこちらの酸素の供給量が追いつかなくなるほどにまで動き続けなければいけないほどにだ。
「このままでは一方的に殺される。だから・・・」
「! お前・・・・」
”素戔嗚”を捕らえようと動き出すが一歩遅く一瞬の間に近衛の背後まで移動していた。
「主よ、許せ・・・」
「え・・・」
近衛の間の抜けた声。それはつまり”素戔嗚”の独断によって行われようとしている。決してやらせてはいけない。それだけが、直感でわかった。
「体極流”真突一閃・雷光”!!!」
放った直後に肉が割けるほどの傷を負いながら放った刺突は電撃の刃となって”素戔嗚”たちに牙を剥く。
「もう遅い!!」
その言葉と俺の技がぶつかるのはほぼ同時だった。砂埃が立ち込め相手の姿が見えなくなる。やがて晴れた場所から姿を現したのは先ほどとは打って変わり禍々しい姿へと変貌した”素戔嗚”だった。
「お前・・・・」
「ふん、これにてようやくお前と対等だ」
お互いを睨み付けたまま数秒が経過する。そしてどちらからともなく相手へと肉薄すると互いの顔面に拳がぶつかる。そこからは互いに一歩も引かない拳の押収となった。
だが不利になったのは追い込まれ隠し玉を発揮してきた”素戔嗚”ではなく俺の方だった。
(炎の性質のせいで”晴天轟雷”が吸収される!!)
一度相手から距離を取り再度電撃を取り込む。が、第一封印解除形態でなければ”晴天轟雷”を発動させることは出来ない。今の数秒で空気中に分散していた静電気をいくらか吸収するのが関の山だった。
「先ほどよりも攻撃速度が落ちてきているぞ?」
「うるせえ!!」
”素戔嗚”の言葉通り攻撃速度も落ちてきていたが、何よりも回復力が著しく低下し始めていた。先程までの常軌を逸した速度が発揮できなくなった分、こちらも相手の攻撃にさらされることが増えた。そのせいか相手の拳を止めた右腕が嫌な音を立てて折れた。
「ぐ・・・」
「やはり、回復力も低下していたか」
そして回し蹴りが俺の胸へと直撃する。胸骨にひびが入り粉々になると筋肉が割け口から大量の血を噴き出す。
無様に地面を転げまわりながら激しく咳き込む。今の一撃で肺に血液が入り泡立つような音が上がる。
「どうした。先程までの威勢はどこへ行った」
「・・・ぐ・・・ごのやろぉ・・・・」
口から血の混じった泡が地面に落ちていく。
痛みの感覚すら麻痺し始めた体を無理矢理起こすが体幹が震え構えすらおぼつかなくなる。
「・・・一撃であの世に送ってくれる」
その言葉通り”素戔嗚”の拳を腕で防御するがまともに堪えることもできず民家へと突っ込む。意識すら飛びかけ、息は途切れ途切れの中でゆっくりと死が近づいている気がした。
(あぁ、死ぬときって・・・こんなに寒いんだ・・)
意識を手放しかけたときほんの一瞬だけ遠い昔のことを思い出した。
”お父様!! この子を・・・・由一君を・・・・助けてください!!”
”あかり・・・さん”
危ないと言われた手術を灯さんが周りを説得してくれた。俺の命を助けるために自分の命を投げ出すような真似をしてまで。
(・・・そうだ、まだ死ねないよな)
第二封印が再封印され第一封印に戻っている。それならばできることはある。
「・・・く・・・第二封印解除・・・・」
左腕を空へと伸ばす。願うのは先ほどよりも強く、速く、強靭な力。
「”辺獄の焔・雷神”!!!」
先ほどよりも大量の雷が俺の体へと直撃する。身体中の神経が焼き切れるのではないかという衝撃を受けながら必死で耐える。やがて激しい落雷が止むと俺は民家から姿を現せる。”素戔嗚”は最初から分かっていたのか驚くでもなく、
「・・・ほう、先ほどよりも別格なものになったのか」
「ああ」
体内から溢れる電撃が激しい火花を散らしながら周囲を帯電していた。
(先ほど与えた傷は完璧に無くなっている。先ほどよりもさらに奥の手といったところか)
”素戔嗚”も神経を張り巡らせている。致命傷とまではいかなかったがそれでも再起不能な深手ではあった。それをものの数十秒で治してみせたのだ。さきほどなどよりもずっと上の芸当である。そうなれば自然と警戒する。どこから俺が来るかを予想しているだろう。ならばその数多ある考えに乗って攻撃を仕掛ける。
「・・!!」
「体極流”月花・刹那”」
二段掌底。一発目で敵の鳩尾を穿ち、二撃目で敵の顎を撃ち抜く。この動作わず1秒に満たない時間で敵を怯ませる。そしてそこからは俺の独壇場である。
「体極流”砕破・迅雷”!!」
拳の直撃とともに電撃が槍状となって”素戔嗚”を貫く。攻撃を防ぎ反撃をし防がれまた繰り出す。激しい打ち合いになりながら二分が経過しようとしたとき俺の肩が爆ぜた。
「ぐ・・・・・ぅ!!」
それでも尚腕を振り抜く。俺の状態に驚愕を隠しきれないのか”素戔嗚”は呆然と見ていた。
「お前・・・なるほど先ほどよりも大きなハンデを背負っていたか・・・」
「だったら、どうなんだよ・・・」
「少しは手心を加えてやったかもしれんものを」
「いらねえよ!」
爆ぜた肩の傷はやはり治らない。筋肉が蓄積した疲労や損傷、神経を高速で流れている電撃による過剰回復のせいだ。
(この状態じゃ”鎧刀粉砕”は使えない。”真突一閃”も左腕なら打てるけど二、三回打てればいい方か)
右肩がほぼ使い物にならない。これがどれほどの危機的状況か分かってはいるが焦燥感はわかなかった。それどころか戦闘への集中力が少しずつ増していた。
(この小僧、先ほどよりも眼光が鋭くなっている。潜り始めたか)
”素戔嗚”もこちらを睨み付けながら全身に炎を滾らせ始める。熱波が頬を撫でる。肌が焼かれ、目と唇が渇くがそんなことなど今は些末なものである。
「うぉぉおぉおおおおおおおおおおおお!!!」
”素戔嗚”が雄叫びを上げながら拳を放つ。
その拳へと流れるようにして手を這わせ流す。そして相手の懐へと潜り込み肘による打ち出し、掌底の二撃、膝での溝蹴り、踵での脳天砕き、拳による六連撃を叩き込む。
「体極流”水華六式”」
この瞬間に”水華六式”が完成した。
僅かな間を置き”素戔嗚”が地面へと倒れ伏す。だがそれはこちらも同じだった。先ほど爆ぜた右肩から激痛と共に出血が加速する。
「どうやら・・・・お互い、それほど・・・・時間は残されていないか・・・」
「そう・・・だ・・な」
痛みに歯を食いしばりながら立ち上がる。身体中から右肩と同じようにひび割れが起こり出血が始まっていた。
”素戔嗚”の方も先ほどの一撃を食らったことにより体から光の粒子が漏れ始めていた。
「いくぞ、最後の勝負だ」
「来い、橘由一!!」
互いに同時に駆け出す。”素戔嗚”は爆炎に包まれた右腕による一撃。直撃する直前、しゃがみ込み、
「体極流”甲牙一閃・雷刃”!!」
左腕の手刀による斬り上げで”素戔嗚”を斬り捨て、間を置かずに相手の胸へと右腕を突き刺す。
「ぐぉ・・・」
「う・・・・ぉぉぉおおおおおおおお!!」
痛む右肩を堪えながら腕を進める。まるで水の中を進んでいるかのような感覚の中で指先が触れたものを逃さず一気に引く。
「貴様・・・最初から・・・・」
「近衛は、返してもらうぞ!!」
そして”素戔嗚”の体内から近衛が姿を現す。
気を失っている近衛を庇うような形で地面に転がるが右肩や身体中にできた損傷が一気に悲鳴を上げる。
「!! あああああああ!!」
解除形態から戻すが体中の悲鳴はより一層ひどくなるばかりだ。血液が止まらず全身の損傷個所から次々と溢れていく。
「ふ、人の身には・・・余る力は・・・酷い結果しか・・・ない」
”素戔嗚”が俺の首を掴む。息ができず苦しむことしかできない。脳に血液も酸素も行き渡らなくなり意識が遠のく。
(俺は、死ぬんだ・・・・)
そう思った瞬間にどうしようもなく涙が溢れる。このまま首を絞め落されて死ぬ。何とも情けない結末だ。
だがそうならなかった。
「お前は・・・ここで死ぬには惜しい男だ・・・故に、選別をくれてやる」
その言葉の直後、”素戔嗚”の手を介して何かが左腕だけを避けて体へと流れ込んできた。体中の傷や損傷が次々と消えていく。
「必ず、お前の助けになるはずだ」
「な・・・で・・・」
「理由なんぞない。ただの・・・・気紛れだ」
その言葉を最後に”素戔嗚”は消え去る。地面に転がりながら助け出した近衛を見やると静かな寝息を立てていた。
友人を助け出すことは出来た。が、結果的には敵に恩情をかけられる形で勝ったに過ぎない。それが、それだけが、
「悔しいな・・・」
駅前で起きた突然の暴動。そこに巻き込まれた学生という形で俺と近衛は病院に搬送された。近衛の方は一向に目を覚ます気配がないままだった。俺の方も服が血塗れだったにもかかわらず体の傷はほとんど無いに等しいというおかしな状況であったが、担当医がいてくれたことでその辺りはうまく誤魔化してくれた。
左腕以外は綺麗に傷が消え去っている。左腕だけは動かすことが叶わず包帯を巻かれたままとなっている。
「駅前の惨状、見てきましたけど復興には何年もかかりそうな感じでしたよ」
「そっか」
「・・・一応、見させてもらっていましたし、何も言うつもりはありません。ですがあんな無茶、もうしないでください」
「・・・・善処はするよ」
無茶をしないという約束はこの先きっとできない。この力を引き継いだ時から俺は自分から本来いるべき場所を捨てて死地に身を投じたのだ。それが恋人から頼み事という衣をまとった言葉だったとしても俺は、俺自身が信じた道へと進んだのだ。
「右腕に現れた痣について少し調べましたけど、類似するものはありませんでした。”素戔嗚”の関係も調べましたが、それらしいものが何も見当たりませんでした」
「左腕だけ残して体の傷を治したってことは異能の力だってことは少なくともいえるな」
「本来、先輩の体には治癒の力をかけたとしても”終焉の焔”に消されます。それを避けることなんてできるんですか?」
「さあな。俺にもよく分からん」
「先輩・・・」
睨み付けられるが俺にもよく分からないのだ。確かに現実問題、俺の左腕だけ力を避けるようにしてかければ体の傷を治癒することは出来るかもしれない。だがそんなことできないというのは目の前の少女は言っている。確かに屁理屈のような代物だ。右を見ながら反対側の背景も見ろと言っているようなものだ。
「・・・とりあえずその力については今はどう追及しても分からないからいいですが、もう一つの質問には答えてください」
「はぁ・・・・なんで近衛が俺に憎悪していたかだろ」
「分かっているなら素直に答えてください」
あれだけ看病してもらっておいて置いていったことに対してわずかながらも申し訳ないとは思っている。だからだろうか。柄にもなく自分のことを話し始めたのは。
「あいつ、俺の学年で女子たちから陰湿ないじめ受けてたんだよ」
「話せとは言いましたがいきなり爆弾を放り込んできましたね」
「良いから聞け。あいつと俺が接点を持ったのは中学の終わりの時だ」
中学、高校なんてどんな場所でもそうだが外部から隔離された環境だ。誰かをサンドバックにして己の感情を満たそうとする。こんな狭い地域ならなおのことだ。大人しくしている奴ならと近衛を標的にする輩がいた。最初は女子の一人が因縁をつけたことが始まりだった。詳しい理由なんて忘れたが、好きになった一つ上の先輩が近衛のような女子が好みだとか言ったことが原因だったと思う。そしてその女子は何かにつけて近衛に対して陰険なことをし始めた。そうして数日、数週間、数か月が過ぎていくと日に日に同じような輩が増えていった。最初こそ隠れて行っていたことが徐々に表ざたになるようになり先生の目にも止まるようになるが、所詮止めたところでこのご時世である。手を上げることができない以上、子どもに毛の生えたような輩が止まるはずも無い。
正直見ていていい気もしなかった俺は全員が見ている前でその女子を叩いた。それも思いきりだ。
最初こそその女子も何が起きたかわかっていなかったが、俺のことを睨みつけると男子共に命令を下して俺に仕返しを要求してきた。待っていたとばかりに乗りかかる輩が数名いたが当時から体極流の師範代を毎日相手にしている奴に勝てるわけもなく、全員を数分とかからないで撃沈させた。当然そんなことをすれば教師から説教なんてものではない。親も呼び出されたが正直親子そろってどこ吹く風である。虐めは発覚し相手の親は自分たちが惨めな思いをするくらいならと娘に対してすさまじいまでの怒りをぶつけたとか。そんなことがあり主犯格の女子は登校拒否を起こし、来なくなった。そして俺はクラスの中でも浮き始めてしまう。当然であろう。あれだけのことをしでかしたのに停学処分になることもなく何食わぬ顔で学校にいるのだから。別段一人でも困りはしなかったが、ある日下校中に門の近くで近衛が俺のことを待っており一緒に帰ると言い出したのだ。特に話すこともなくもう間もなくオレの自宅につくというところで近衛は口を開いた。
「あなたのしたこと許さないから」
「は?」
「助けて英雄気取りになんてならないでよ」
「・・・どう見たらそうなんだよ。クラスの連中からすっかり鬼呼ばわりなんだぞ」
「孤立していい気味よ。折角色々用意してたのにあなたのせいで片付けの手間が増えたわ」
「・・・おい、それどういう・・・・」
「それじゃあ・・・一応お礼だけはしておくわ。ありがとね」
そう言ってその日彼奴は帰って行った。そして後になってから彼奴が学校中にその女子を陥れるための罠を用意していたことが分かったんだよ。本当なら彼奴はわからないように捨てるかもしれないが俺が手を出したことでわかりやすいように見せつけてきたんだ。いろんな機材の残骸なんかがごみ箱に捨てられてた。それを知っているのは俺だけだ。そして今日まで彼奴とは何年も同じクラスメイトをやってきた。
「・・・・というのが俺と彼奴の関わり合いかな」
「はあ・・・なんというか下らない理由なんですね」
「くだらないさ。考えなしで行動した俺と巧妙に罠を巡らせて決行しようとしていた彼奴の行き違いが起こした単純で、それでもこじれ続けた結果なんだからさ」
そうだ。青春なんて下らないことの連発だ。意味を見出そうとしてもなんでそんなことをしたのか分からないなんてことの方が多い。単純なことが積み重なっていつしか膨張していくものだ。それはイジメでも人間関係でも何でもそうだ。そうやって俺たちは今を生きている。
「・・先輩、近衛先輩にはこれからも・・・」
「俺と彼奴の仲はこれからもきっと変わらないよ。それもきっと死ぬまで」
どこかで合えば適当に雑談して、嫌なことがあれば隠すこともせずに面と向かって言う。これからもきっと変わらない。
面会時間が終わったことを告げに来た看護師に誘導されるようにして私は先輩の病室を後にした。やはり少し無理をしていたのだろう。私が病室から出た瞬間に意識を手放しかけていた。傷は治っても精神的な疲れまで癒すことなどできはしない。
帰り道。今日の夕食を考えながら買い物籠へと食材を放り込んでいく。だが頭の中に浮かぶのは残り一つとなったあの”凶器”のことだった。前回の戦いで先輩はかつてない程の激戦を繰り広げて見せた。戦いの中で成長するその力こそすごいものの相手の力は必ずそれ以上で覆ってきている。そして何より私が心配だったのは今度相手にするのは間違いなくあの人だ。残る一つ、”快楽の斧”と”木羽霧果”。恐らくだが先輩が相手にしてきた中でこれ以上に強い組み合わせはないだろう。
外のどこまでも晴れ渡る秋晴れの空とは裏腹に私の心中はどこまでも暗く、重く、沈んでいた。