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終焔伝  作者: 高崎 龍介
2/10

一ノ巻「刻の欠片」

二話連続投稿ですが基本的に三か月に一話更新する感じになると思います。

気長にお付き合いください。

 学園の授業が終わると俺は文化棟へと向かった。そこの一室、生徒会室へとノックと用件を伝えて入室した。

「いらっしゃい、由一君」

「どうも、和泉会長」

 生徒会室にいたのはこの白皇学院の生徒会長・白皇院和泉である。一目見ればモデル、と言った方が分かりやすいだろう。顔立ちも整っており、髪も常に光沢を帯びている。理事長の娘ということもあり周囲から常に注目されている存在だ。

「ごめんなさい、仕事手伝わせちゃって」

「構わねえよ。俺が好きでやってるんだからさ」

 生徒会の業務、だけではなくこの河隅市に関する事案の整理をするのが俺の言うところの手伝いだ。関係者以外は門外不出のはずの仕事をなぜ俺がやっているかと言うと過去に会長が無理をしていた時期の話だ。長くなるので割愛する。

 暫くの間、黙々と作業をこなしていると自分の分の仕事が終わる。会長の分を手伝おうかとも考えたが、予定があることを思い出しやめておくことにした。

「先に上がるぞ」

「ええ、お疲れ様」

 何となく虫の居所が悪くなるが鞄を手に生徒会室から退室する。最後扉の向こうで和泉が笑っていたのは気のせいだろう。


”体極流”

 その名の通り、己の身体を極める流派だ。空手の究極系は己の身体を鋼の如く鍛え上げることであり、この武術もまたそれに倣うようにして作られた。本来の源流はまた別にあるらしいがそれは違う際にまた話すことにする。

 この流派は空手、柔道、合気道、護身術、相撲、忍術、ボクシングなどと同じく肉体のみを使う武術だ。総合格闘術。床の上だけ、ではなく屋外、水中、不安定な足場など様々な場面に対応して作られた対人格闘戦用体術の極めモノである。

 しかしそんな物騒な流派を習おうものならば今のご時世の親が許すわけがない。死ぬこと、その次に傷をつくことを恐れる現代の親の下では子供は傷つくことすらろくに覚えないで育ってしまう。

 だからこそ今の世の中で立ち向かおうとするものを師匠は認めていた。それが誰かを救うために使う道具となろうと。

「はぁぁあああ!!」

「甘い! 声だけで腰が入っとらんぞ!」

「はい!」

 初老の男性。道着に身を包んだその姿は年の功を感じさせる風格を出していた。千手組手。名の通り互いに千に及ぶ攻撃の手を繰り出しながら同じく相手の千の攻撃を受け切る組手である。牽制を入れない。一撃一撃を全力で放つ。ただこれだけを守って行う。が、この組手で千手を交互に繰り出すのは至難の業である。それもたかが十年程度の経験しか積んでいない青年と五十年の経験を積んだ老人とではその差はあまりにも大きい。

「はぁ・・・・はぁ・・・」

「ふむ、千手を繰り出すことに関して言えば及第点だな。だが後半になるにつれて動きに斑ができる。技のつなぎにも溜めが出来てしまっておる。そういう意味では総合の及第点には程遠いな」

 肩で息をしながら師の言葉に耳を傾ける。自分でも何となくはわかっていた。「千手組手」一日の締めくくりとして師から繰り出される技を受け止めるのに千。自身から相手に繰り出す技も千。と交互に攻防を繰り広げているものである。四百を超えるくらいまでは平気なのだが五百を超えだすと途端に両手両足に動きが入らなくなる。自分を鼓舞するために声は出しているがそれも所詮は見掛け倒しでほとんど何にもなっていない。

「まあ、そう悔やむな。幼少の時よりずっと良くなった」

(けど、それって俺はまだまだ常人の域から抜け出せてないってことだろう? それじゃあ意味がないんですよ)

 声こそ出ない状態だが、すんなりと自分の中にあった怒りを流してくれていた。

「師匠、あの御願いはまだ聞いていただけないのでしょうか?」

「今のお前では体を壊すでは済まないぞ。体極流の奥義を甞めるな、戯け者」

 体極流奥義。一つ一つが一撃必殺を秘めている体極流の技。それらは本来独立したものであり、故にそんなものを混成接続すれば間違いなくどんな敵だろうと止めを刺すことができる。

「お前が焦るのを儂は理解しようとは思わん。だがもう少し肩の力を抜け」

「・・・はい」

 ボロボロで倒れ伏した俺にそう残すと師匠は「今日はもう終わりだ」とだけ残して道場から出ていった。

 瞳が熱くなる。今の俺でさえも彼女を助け出せるだけの力がない。そう言われたようで無性に悔しかった。

 道場で声を噛み殺し泣き止むまでに一時間を要した。


 道場からの帰り道。肩を落としながら歩いていると自宅のあるアパートの玄関に女性が立っているのが見られた。

「遅かったわね、由一君」

「霧果さん・・・すみません、帰り遅くなって」

「・・・自覚しているならいいわ」

 管理人である霧果さん。俺も普段から良くしてもらっており料理なんかも分けてもらっている。一人暮らしをしている俺には親代わりのような人でありこうして門限を過ぎようものならば首根っこを掴まれて怒られる。今日も叱りつけられるかと思ったが案外早く手を引いてくれた。。あまりにも拍子抜けする結果ではあったがいつまでもアパートの玄関で立っていては不審者に思われてしまう。自室へと入ると電気もつけずに数歩よろけながら敷いてある布団へと倒れ込んだ。一日の至福。疲れで身体が鉛のように重くなり動けなくなった時に倒れ込む布団ほど嗜好なものはない。少なくとも俺はそう思っている。

 しかしそんな至福の時間もすぐに消し飛んでいく。自分がこうして何をするでもなく日常を送っている中でもあの人は今も苦しみ続け、彼奴は今もどこかでこちらの動きを見ているのだ。そう考えると先ほどまで体を包んでいた疲れもどこかへと消し去っていった。

(かといって今の俺に何かができるってわけじゃないんだよな)

 相手の動きを知るための手段がこちらには不足している。故に事件が起きてから動き出す刑事のようにどうしても後手に回らざるを得ない事態になる。

 もどかしさばかりが先行しかえって身動きを封じ込めていた。

「どうしたらいいんだよ」

 俺の想いとは裏腹に時間は無情に流れていった。


 深夜。体に圧し掛かる倦怠感によって目を覚ます。

「喉乾いたな・・・」

 帰ってきたままの格好で寝てしまったこともあって汗臭さが残っていた。

 水を一口飲みこむと脳が一気に覚醒し全身から抜けていた水分が補充されたように錯覚する。

 少し立ち眩みを起こしながらも浴室へと向かい冷えたシャワーを浴びる。その際鏡には身体中についた傷を映し出していた。

「・・・これでもまだ足りないか」

 他の流派との交流戦などによってついた傷もあるが、まだ完全に治りきっていない生傷も幾つかあった。

(どうしたらいいんだよ)

 風呂場から出て寝間着に着替える。少しずつ体に襲いかかる睡魔に誘われるようにして布団へと倒れ込む。

 そして今度こそ思考する暇もなく暗闇へと落ちていった。


 遠く。山の中にある白い匣を思わせる巨大な建造物。蔦が壁を這い、窓ガラスは散乱している。

 そんな建物へと一人の男が入っていく。飛び散った窓ガラス以外何もない空間。男は数歩歩くとその場で屈み床をゆっくりと押す。すると絡繰りのように隠し階段が姿を現した。

 長く続くその階段を男は降りていく。辿り着いた先はまるで先ほどまで誰かが手を加えていたかのように整然としていた。しかしその白い立方体の空間には似つかわしい不気味かつ恐ろしさを持つ物体が中心に鎮座していた。

「・・・”凶鬼”。久方ぶりだな」

『その声は・・・なぜ貴様がここに居る』

”凶鬼”と呼ばれた黒い球状の生き物はもぞもぞと動きその全貌をあらわにした。七つの複眼。鮫を彷彿とさせる牙。烏の羽根のような黒い体毛で覆われた全身。そしてその巨体を支えるために隆起した筋肉。まさにそこにいるのは怪物の一言に尽きる。

「ほう私がまだ憎いのか? それとも私の中に流れる北宮の血を恨んでいるのか?」

『どちらもとだけ答えておこう。貴様に奪われた我が瞳。一生忘れるわけがなかろう。そして我をこのような場所に押し込めている忌々しい北宮の人間の力もな』

”凶鬼”は唸り声をあげ男を睨み続けている。本来怪物の巨体をもってすれば人間など軽く殺せる。だが目の前にいるのは己の天敵である。全盛期であればいざ知らず、今現在の力では限度がある。まして男は己にとって最も相性の悪いものを持っている。であれば手を出さずに堪えている他にない。

「ふん、生憎と私は貴様が襲ってきたから返り討ちにしたのだが・・・まあいいか」

『戯言を。我の眠りを妨げたのは貴様であろうが。あのまま放っておけばこの先目覚めることもなかったものを貴様がわざわざ手を加えたのであろうが』

 恨みを込めた言葉はしかし男は相手にすることなくその場で怪物の周りを歩き回り出す。

「貴様が俺をどう恨んでいようが勝手だ。が、今回は別の用件があってきた」

『用件だと? ふざけるなよ」

 その巨体を動かし男の眼前へと迫る。息がかかる至近距離でありながら男はまったく動じることなく毅然とした態度のまま怪物を見据え、

「ふざけるな、だと? 立場を弁えろ、貴様は私の式であることを忘れたのか?」

 男の手の甲には赤い紋様が浮かんでいた。その紋様を見せられたことで怪物は苦々しい表情を浮かべ黙り込んでしまう。

「安心しろ、もうすぐお前の仔がこの町で目を覚ます。そうすればいずれ貴様にも出番をくれてやる」

『ふん、何が仔だ。我の身体を割いて創り出した紛い物など分身ですらないわ』

「さてその紛い物にすら勝てるかどうかわからない奴が何を言っているのやら」

 男は手をひらひらと震わせながら怪物に背を向けて歩き出す。怪物はその瞬間を逃さずに飛び掛かる。男の右手を食いちぎらんとするが叶うことはなかった。

「危ないな」

 男の右手から強烈な冷気が放たれたかと思うと怪物の身体は一瞬で氷塊の中へと閉じ込められてしまう。もとより拘束具によってまともに動けずにいたその体はとうとう満足に動くことすら叶わない状態にされてしまったのだ。

「俺の野望が叶えばお前は解放してやる。だから安心してそこにいろ。必要になればまた来るさ」

 男はそのままもと来た道を引き返していく。男によって氷漬けにされた怪物は全身に力を込め氷塊を砕く。室内には氷が床に落ち砕ける音と獣の唸り声だけが反響していた。さながら今の怪物の心のうち、虚しさを表しているかのようだった。

 階段を上りきった男は苦し気に胸を押さえその場に膝をついた。

「く・・・灯のヤツ、とんだ置き土産をしてくれたものだ。これでは本気で戦えんだろうが」

 男の胸に付けられている傷痕。それは差し違える覚悟で放たれた北宮灯の一撃。今なお男の体に重くのしかかるようにして響いていた。

「不本意ではあるが使わせてもらうとするか」

 男が懐から取り出したのは不気味な色彩を放つ五つの物体。

 一つは透き通るようなガラスのようでありながら虹色の光を放つ石。

 一つはまるで生き物のように動き回る牙と口を持った黒い種子。

 一つは黒い模様が描かれ不気味な笑みを浮かべている仮面。

 一つは黒い瘴気をとめどなく溢れさせている難解な文字で綴られた本。

 一つは柄がまるで臓物と血管のように脈打つ斧。

 そしてこれらの物体は河隅市に古くから伝わる悪名高き『五つの凶器』

 名を、『刻の欠片』『奈落の花』『鬼の仮面』『悲劇の本』『快楽の斧』

「北宮灯・・・貴様にしてやられた恨みは貴様の大事なものと引き換えにしてくれる。安心して眠っていろ。彼奴を殺し、貴様もあの世へ突き落してくれる」

 男、北宮京は胸を押さえながら廃墟を後にした。たとえ己の身を襲っているのが身を捩切れそうなほどの激痛であっても不気味な笑みを浮かべ続けて。


 目を覚ますと昨夜の疲れが抜けきっていなかったのであろう。瞼がいやに重く感じられた。鉛のように重い身体を起こし着替えとともに時間を確認する。

 今は6時前。登校までには十分な時間がある。いつものように早々に朝食と着替えを済ませると六時半には部屋を後にした。

 欠伸を噛み殺しながら朝の冷たい空気を感じていた。吐く息がまだ少し白くなる。この土地は東側に連峰が控えており西側からは冷えた空気が常に吹き続けている。故に一年を通して気温が上がり辛い。だがそれも慣れてしまえばなんてことのないことではあるがやはり夏と冬では大違いである。

 十分ほど歩いただろうか。いつも通りの道でいつも通りの石階段を上りきった先には赤い鳥居が視界に映りこむ。その下、黒いセーラー服に身を包んだ一人の女子が箒を手に掃除をしていた。

「おや、先輩じゃないですか。今日もいらっしゃったんですね?」

「お前が用事あるって一昨日言ったからだろう。じゃなきゃ学校と反対側のこんな神社に来ない。というかこんな朝早くに出てきたりもしない」

「そうですね。わざわざご足労ありがとうございます」

 まるで感謝の念を感じられないその言葉に適当な相槌を打ちながら本殿に柏手を打って頭を下げた。正式な礼ではないが今日の目的は参拝ではない。

「それでどうしたんだ?」

「・・・灯さんの動向は未だに不明ですが、あの男に動きがあったみたいなので報告しておこうかと」

 その言葉を聞いた俺は無意識のうちに手を痛いぐらいに握りしめていたらしい。

 目の前の女子、神崎楓は俺が個人的に頼みごとを依頼する相手である。学年は俺の一つ下ではあるが昔からこの地と強い縁を持ち、陰陽師の家系として様々な事件や情報の収集を行っているらしい。両親は既に他界しており、一人で神社の管理をしながら学生までやっている自称苦学生である。

「昨晩、河隅山の中腹で廃棄された研究施設に男・・・北宮京が入って行くのを私の式が捉えていました」

「中に入ってからは?」

「わかりません。何せ式を動かそうとしても中に入りたがらないんです」

 楓の言う”式”とは俗にいう”式神”の通称である。陰陽師によって様々であり、代表的なもので行けば人型を模した紙を使わせることがあるが彼女の”式”は先ほどからずっと俺の背後を睨み付けている三本の尾をもつ狐である。

「別にお前のご主人様に何かする気はないよ」

 ぐるるるぅ~、と低いうなり声と共に牙をのぞかせる巨大な狐、妖狐。しばらく互いに睨めっこを続けていたがこちらが根負けしてしまい視線を楓へと戻した。

「彼奴が入ろうとしないって相当だよな」

「はい。曲がりなりにも妖狐ですからね。まだ大妖に至っていなくてもその端くれですから大抵の妖の気配を感じ取っても身動きが取れなくなるということはほぼありませんね。話を戻しますけど最近の霊脈の流れを確認してみてもあの山の中腹だけ消耗している量が激しいんです。恐らく中に何かがいるのは間違いないと思います」

「・・・北宮京が中に入って行ったのはその”何か”で間違いないだろう。だけど、霊脈が消耗するなんてことあるのか? こういっちゃなんだが今のご時世で霊脈に干渉できるのは妖と陰陽師ぐらいなもんだ。ましてそれだってかなり数が減って今じゃお前の式くらいだろう? それに・・・」

「そうです。その子が霊脈から力を吸い取ったとしてもそれは微々たるものです。私が騒ぐほどのものではありません」

 自尊心の塊のようにも捉えられる発言しかしていないように思えるが目の前の女子の陰陽師としての能力は一級品である。その彼女の口から「霊脈が消耗する」という言葉が出た。本来、霊脈が消耗することなど今のご時世では到底考えにくい。彼女のように陰陽師であり何か大規模な儀式をとり行うのであれば話は別である。だがその様子はない。というよりも相手がどれだけ霊脈に干渉できる術を持つことが出来ても長い年月をかけて受け継がれてきた血統には勝てない。つまりは別の要因が絡んでいることになる。たとえば、

「此奴より強い妖がいる、そう思った方がいいのか?」

「そう思ってくださっていいかもしれません。ですがこの子以上となるとかなり数が絞られます。心当たりがあるだけでも5体程度になります」

「十分釣りが来るよ」

 そしてこの地方に関係しているものを考えればおおよその検討はつく。

「だけど北宮京に動きがない限り先輩は動くことができませんよね?」

「ああ、生憎とそっち方面はからっきしなんでね。だから動きがあれば俺に教えてくれ」

「こういう時に人を扱き使うんですから」

「いいだろうが。気にするなよ」

 そして楓が納屋へと箒をしまい家に鍵をかけたのを確認した俺たちは半ばやる気が失せたような雰囲気を醸し出しながら学校へと向かっていくのであった。


 学校に到着し楓と別れた後、自分の教室へと向かう。古い建物なせいか若干埃っぽくたまに咳き込みそうになるのを抑えながら同じクラスメイト達に挨拶をしていく。すると俺の籍の後ろに座っている席の子・近衛瑠奈と目が合い、

「よ、おはよう。近衛」

「おはよう、橘くん」

 文学少女然とした丸眼鏡。いつも何を考えているのかよく分からない表情。だが此奴との挨拶だけはこの高校に入ってから一度も欠かしたことがない。それほど俺の日常に溶け込んでいるのだ。別に何かを話したり、どこかに出かけたりなんてことはないんだが。

 チャイムと同時に担任が教室に入りHRが終わると授業へと入っていった。しかし俺の頭は常に上の空、とまでは行かなかったがどこかで必ずあの男のことを考えていた。

 だからと言って授業の内容は把握している。当てられても平然を装って答える。友人との日常会話も、昼食も。そして時刻は流れ放課後へ。

 部活の時刻となり荷物を手に教室をあとにする人が大半の中、俺もそれに便乗してとある部室へと向かう。そこには俺の後ろの席に座っていた近衛もついてくる。ついてくると言っても相手も同じ部活なのでそこを目指しているだけなのだが。

(何か話した方がいいのか? まあ、でも黙ってても何も言ってこない相手っていうのは意外と貴重だよな)

 互いに沈黙がキツイ間柄など正直友人としてどうなのかと思う。別に一緒に居るからと言って別々の作業をやっていても良かろうと思うのは俺だけなのだろうか。

 そうして下らないことを考えていると目的の部屋「歴史研究部」と古い紙に書かれ「地質標本室」にぶら下げられた部屋へと辿り着いた。戸を開けると中には数名の部員がいた。

「あ、先輩どうもお疲れ様です」

 まず最初に気分よく話しかけてきたのは俺の一つ下の後輩・本明寺忍。何が目的でこの部活に参加しているのか分からないぐらい運動系の部活から勧誘や助っ人の声を掛けられる子だ。

「忍、相変わらず煩いな。耳が痛くなる」

「先輩酷いじゃないですか。私がこの部活楽しみにしているって知っている癖に」

「知らん」

 此奴の言うことはどこまでが本気でどこまでが冗談なのかイマイチ判断に困ることが多い。大体の場合、冗談であることが多いのだが。

「今日、会長は?」

「来られないそうです。御家の用事があるそうでどうしても都合がつかないそうです」

「珍しいな。ま、彼奴も偉い家の一人娘だしな。仕方ないと言えばそれまでか」

 会長こと白皇院和泉。彼女の母親はこの白皇学院の理事を務めており彼女の家系が代々この学校を統括している。別に家柄故に生徒会長につけたわけではない。一年生の時から周囲からの信頼を集めるために彼女は様々な活躍を見せていた。実際生徒会選挙でも彼女は一切の不公平をせずに僅差で今の副会長に勝ってみせたのだ。英才教育と言えばいいのか。彼女の母親が帝王学を娘に叩き込んだことによってここまで成長しているのを聞くと末恐ろしくさえ思えてくる。そんなわけで彼女は同年代でありながら社交界に顔を出しているというわけである。

 余談ではあるがもちろん中には彼女に対して快くない意見を持っている連中もいるがそいつらも選挙後のあることがきっかけで今も活動をみせていない。あの会長である。こちらが心配するよりもずっとうまくやっている筈である。

「あとは悠ちゃんが遅れてくるそうですよ」

「そうか。彼奴、この間も入院したんだよな?」

「まあ、肺の病気ですしね。寿命が短くなるわけではないですけど、本人も明るく振舞っているのでちょっと心配ですよね」

「当事者の方があきらめが早いからな。周りが変に心配するのは野暮ってもんだろ」

 まだこの部室に来ていない少女のことを話題にしながらいつもの自分の定位置に座ると鞄から文庫本を取り出し目を通す。近衛はいつも通り読書を始めており忍は何を思ってなのかテニスラケットを取り出して素振りの練習を始めていた。そんな混沌とした状況が五分ほど続いた後、

「遅れましたぁ」

 疲弊した様子で一人の女子が入ってきた。先程話題に上がっていた、悠ちゃんこと近衛悠である。名前の通りではあるが近衛瑠奈の妹に当たる。

「悠ちゃん、大丈夫? 顔色悪そうだけど・・・」

「うん、少し立ち眩みしてるだけ。今日はそんなに悪くないし・・・」

「おい、ちょっと動くな」

 遥かの傍まで寄るとその額に手を当てる。悠自身は悪くないと言っていたが熱があった。微熱ではあるが病弱な奴からすればそんなの関係ない。

「微熱だけど熱がある。今日はもう帰った方がいいな」

「そんな大げさですよ・・・」

「体が弱い奴が何を言っているんだよ」

 ここまで来て送り返すのは悪いと思ったが下手にゆっくりできない場所にいるよりかは自宅で少しでも休んでいる方が本人のためにもなる。そう判断した俺は彼女の荷物をその手から取り上げ肩を貸す形で帰ることにした。

「ほらいくぞ」

「え・・・あ、はい」

 おとなしくなった彼女は自分でもなんとか歩いているがやはりつらかったのであろう、こちらへとゆっくりと体重を預けてきた。

「先輩、私重くないですか・・・」

 まるで今にも消え入りそうな声でそう尋ねてきた。女子からすれば確かに気になるのだろうがこちらとしては心外である。毎日鍛練を怠っていない。女子の一人くらい抱えていても全力疾走は出来る。

「綿あめ抱えてるみたいだよ。気にするな」

「そ、そうですか」

 若干俯き加減の表情は読めないがどことなく嬉しさと呆れのような声色だったように思えた。

「ほらしっかり歩け」

 つい強い口調でそう言ってしまったが家につくまで悠は俺の肩から手を離すことはなかった。


 近衛宅につくと悠を母親に任せて帰路に着いた。さすがに学校に戻る気力もなく今日はこのまま帰ろうかと思ったが、

「やべ、やらかしたな。荷物置いてきちまったよ」

 鞄をまるまる部室に置いてきてしまった。幸いキーケースだけは制服の内ポケットに入れていたため校舎に入れれば荷物を取ってくることは出来る。面倒だと思いつつも自分の考えの浅はかさに溜息をつきながら学校へと再度向かっていった。

 するとその途中で悠の姉であり先ほどまで部室で一緒だった近衛瑠奈と遭遇した。

「あら、わざわざ妹を家まで送ってくれてありがとう」

「別に礼を言われるほどじゃないけどな。お前があんまり彼奴のこと心配していないようだからこっちが代わりに心配しているだけだ」

「そう言わなければ少しは貴方のことを見直してあげても良かったのだけれどね」

「うるせえ」

「あら、自宅は逆方向じゃなかったかしら?」

 その問いかけに半分イラつきながら答える。

「鞄学校に忘れたから取りに行くんだよ」

「その鞄というのはこれの事かしら?」

「な・・・」

 近衛が手に持っていたのは俺が忘れてきた鞄だった。投げて寄越されたが落として壊れるようなものは特に入っていない。

「なんでお前が、なんて無粋なこと聞かないで。妹を家まで連れて行ってもらったんだから軽いお礼よ。次から忘れないようにしなさい」

「お、おう」

 それだけ言い残すと近衛は自宅へとスタスタ歩いていった。

 あとに残された俺はあまりの出来事に呆然としていた。彼奴が俺の荷物をわざわざ持ってきてくれるなどということがあっただろうか?いや、幾ら思い出してもない。

「どういう心境の変化だ?」

 思わず考えが口をついて出てしまうほどに驚きの出来事であったのは間違いない。

「私が冷徹な女だと思われるような発言はやめてくれる? 私だってたまには人の忘れ物くらい届けるわよ」

「さいで」

 余所を向きながら口早にまくしたてるように告げると家へと歩き出して行った。その背中に心の中で感謝の念を送りながら俺もまた帰路に着くのであった。

 そんな光景を遠く家の窓から悠が見ているとも知らずに。

 そしてその悠の手には虹色に輝く石が握られていることも知らずに。


 自宅に辿り着いた俺は寝室になっている和室に倒れ込んだ。今日は何故だか無性に眠気が強い気がする。別に何か疲れるようなことをした覚えはない。精々悠を家まで運んだくらいだがそんなもの毎日鍛えている身からすれば大したことではない。

(そういえば、悠下ろしたときに何となく頭がぼーっとしたような)

 思い返せばそんなこともあったな、くらいに考えたあと俺は深い眠りに落ちていった。

 眠りに落ちる瞬間、俺の視界に誰かが映った気がした。


 少女の中で男の存在は他の何物にも代え難い存在であった。身体が生まれつき弱く何をやるにしても周りと足並みをそろえることのできない少女は教室にも家にも居場所を見出せずにいた。ある日、友人たちからカラオケに誘われたが体調が優れないのを理由に断った。もちろん何人かは理解してくれていた。別に不治の病ではないがそれでもいつ高熱を出すかもわからない自分といても楽しくないだろうと思っての提案だった。

 だが帰り際に自分へと向けられた侮蔑の視線が少女の中へと恐怖を植え付けた。今までも何度かむけられてきていた。これまでは耐えてこられた。耐えてきてしまっていた。今まで溜め込んでいたものが少女の中で爆ぜた。生まれて初めて泣きながら走った。周りに映るもの全てが信じられなかった。自分を見下し笑っているように見えていた。そんなとき視界が涙で埋まっていたせいか曲がり角から出てくる一人の男に気付かなかった。最初、ぶつかった瞬間に少女は自分の人生が音を立てて崩れていくような錯覚に陥っていた。

 しかしそんな少女とは裏腹にぶつかった男は手を差し伸べ、

「立てるか?」

 顔面蒼白なうえに泣き顔の少女がぶつかってきたのだ。それは驚いて手を差し伸べるであろう。

 だが少女にとってその少年から差しのべられた手はまるで仏の慈悲の手のようであった。これまでまともな恋愛をしてこなかった少女・近衛悠にとって橘由一が差しのべたただの手が恋心を芽生えさせるきっかけになるのにさほど時間はかからなかった。

 だからだろう。先程まで側に居た先輩の温もりに酔いしれていたせいで真面な思考ができなくなっていた。そんな悠にとって大切な淡く無垢な心を利用してきた者がいた。布団の中で眠る彼女へとそっと手を差し伸べる男。

「お前の望みを叶えてやろう。選べ、恋が成就する道を選ぶか。叶わぬ恋と諦めて想い人が他の女の手に落ちるのを待つか」

 その恋心と呼ぶにはあまりにも曖昧なものが歪んでいくのにそれほど時間はかからなかった。


 翌朝。肌に張りつく不快感で目を覚ました俺は制服のままで寝ていたことに後悔しながら立ち上がる。しかし体に上手く立ち上がれない。体が熱い。風邪なのかと思い薬を飲んでみたが何となく風邪ではないと感覚的に悟っていた。

「どうなっているんだ?」

 汗が止まらない。否、排出量がおかしい。いくら春先で日差しがきついからと言っても今は早朝である。そもそも熱いどころか肌寒いくらいである。だというのに床へとパタパタと汗が垂れていく。それだけではない。全身の骨が軋むように痛み、筋肉が僅かながらも痙攣を起こしていた。

(何がどうなっているんだよ)

 しかしその答えは自ずとやってきた。部屋の鍵を開け、誰かが入ってくる足音が響く。足音が止んだ時俺の顔には一体どういう表情が浮かんでいたのだろうか。

「あれ? まだ生きてたんだ。致死量に至っている筈なんだけどな」

「は・・・る、か・・・」

 昨日家まで送っていった少女、近衛悠が虚ろな瞳を携えこちらを見下ろしていた。その顔色は生気が全くなく肌の白さも相まって不気味さすらも感じられてしまった。

「やっぱりあの人の言った通りだったか。身体を滅茶苦茶にしておけばよかったかな?」

 何かを制服のポケットから取り出す。悠の掌に握られていたのは虹色に輝く小さな石だった。一見するとガラス片のようであるがそれが違うことはすぐに分かった。

「ぉ・・・れ・・・ぁ」

「あぁ、綺麗ですよね? 知らない人がくれたんですよ。お嬢ちゃんの願いを叶えてくれるいいものをあげよう、て」

「!」

 その言葉にすぐさまあの男の顔が脳裏をかすめた。

 人の大切な人だけじゃ飽き足らず、周りの人間までも引っ掻き回し乱して行く。それがあの男だ。

「先輩、私、あなたのことが好きなんです。普段も私のことを気にかけてくれて、それでいて病人扱いはしない。しても倒れたり本当に具合が悪くなった時だけ。それが嬉しかったことに気付かなかったんですか?」

「・・・そ・・・んぁ・・・こ・・ぉ・・・か・・・ぅか」

「ふふ、その苦しそうな顔も愛おしいですよ?」

 このままでは苦しさに脳が焼き切れそうであった。そうなる前に手を打たねばと思考を巡らせる。

 悠が手に持っているものは「願いを叶えるもの」と言っていた。ならばそれは限定的な物とはいえ異能の力の可能性が高い。

 そうであればこちらにも分がある。左手を首元にあてがうと全身を襲っていた高熱が嘘のように晴れた。

「な・・・なんで・・・何で動けるんですか!」

「生憎・・・お前が知らない俺の一面、てやつだ」

 致死量、という言葉を此奴が言っていたのだから恐らく毒か何かであろう。それもあの石によって生み出されたのであれば左手の『終焉の焔』で打ち消せる。

「く・・・ならば!」

 悠が手に持った石を前に突き出すと人の頭ほどもある氷塊が作り出され同時に俺目掛けて飛び込んでくる。

「く!」

 全てを左手で打ち消しているほどの余裕はない。射出された三つのうち一つだけを消し去り、残りは蹴りと拳によって砕く。

 しかし悠は俺が氷塊を砕くと同時に棘の付いたバットを握りしめ襲いかかってきた。

(まずい、この態勢じゃ!)

 かろうじてその場から飛び退く。すると背後にあった衣装ダンスが一撃で粉砕された。今の一撃を生身で受けていた場合、タダでは済まなかったと思うと背筋が凍るようであった。

(容赦がないなんてもんじゃないだろう。人をミンチにする威力とかあの石、どんな能力持っているんだよ)

 おそらくは物体の生成を所有者の思考から読んで創り出しているのだろうと推測してみるが普段から床に伏せがちな彼女がそれほどまでに想像力豊かには思えなかった。だが俺の彼女に対する偏見だけで物事を判断するのは命のやり取りにおいては最も危険な思考である。頭を振り次々と空間に創り出される物体を左手で触れて破壊する、軌道を読み最低限の動きで躱していく。

「! いい加減・・・」

 悠の手の石が一段と輝き、一本の槍を造り上げる。赤黒く、切っ先には複数の棘をつけたその槍は死神さながらに鎌首をもたげて今か今かと止まっていた。

「私に・・・・!」

 悠から発せられた言葉を俺は最後まで聞けなかった。俺目掛けて発射された槍を受け流すために柄部分に掌底をぶつけた瞬間、左手が吹き飛び脳が痛みを認識する寸前に意識が落ちたからだった。

 それに気づくのはこの後目覚めてからのことではあるが。


 どれほど経った頃だろうか目を覚ますと自分が仰向けのまま倒れ込んでいたことに気が付いた。身体を起こそうとするが床にまるで接着剤で固定されたかのように身動きがとり辛かった。何かと思い視線を向けると夥しい量の血液が固まり服にへばりついていた。

(まずい、あれから何時間経った?)

 呆然とする頭のまま腕時計を確認する。すでに二十時間近くはこの場で倒れていたことになる。上半身だけとはいえそれが凝固してくっついているのだ。ましてや倒れたのはフローリングのダイニングではなく寝室としている和室である。だとすれば出血量が如何な物か計り知れたものではない。

 立ち上がる際に自分の左腕を見る。さきほど悠が放った槍によって粉微塵にされたはずの腕は見事に治っていた。否、正確には生身の腕だけが治っていたというべきだろう。衝撃によって吹き飛んだ袖までは治っていなかったのだから。

 マンションの自室全てを見て回ったが人の気配がない。悠がどこかに隠れているかもと隈なく探したがその様子すらない。

(いない、となるとここから出ていったのか? だけど俺を残したままというのは・・・)

 恐らくだがあれほどの出血量で死んだと思われたのかもしれない。そう考えればその場面に直面したことで精神的な負荷がかかりパニックを引き起こして逃げたというのもうなずけるような気がした。吐血経験もあるが一度だけ見た時に耐え切れず倒れ込んでしまった。

(・・・助けに行ってやるか)

 全身血塗れで肌に張りついたままでは不快感で意識が戦闘だけに向けにくくなる。ならば、着替えればよいだけの話である。

 自宅を出て悠の行方を追おうとしたとき後ろから慣れ親しんだ気配が近づいてきたのに気付く。

「こんな夜中にどこ行く気? 部屋も凄い惨状だったけど・・・」

「・・・野暮用です。朝までには帰ります」

 そう言い残して立ち去ろうとするが、腕を掴まれ強制的に止められる。

「霧果さん、手、放してください」

 だが霧果さんは一向に手を離す気配がない。だらだらと時間だけが過ぎてしまえば悠を見つけ出すのは困難になってくる。ただでさえ自宅で倒れていたということが俺を焦らせていた。彼女の言葉を聞くまでは。

「貴方が死んだら、どうあの子に償えばいいのよ」

「・・・死にに行くわけじゃありませんよ」

 先程死にかけておいて何を言うのかというのは脇に置いておく。左腕の力で限りなく死ぬことから遠ざかっているが決して不死なわけではない。半身を吹き飛ばされれば死ぬ。間違いなく、今度こそ命はない。

 だが何も手がないまま挑むほど命知らずでもない。

「あの人を取り返す。そのためにこの二年間、修行してきたんです」

 その信念だけで生きてきた。だからどれだけ引き留められても今更立ち止まることなどできはしない。それが愛する女性の親友であったとしても。

「灯のこと、まだ信じているのね」

「・・・それこそ今更ですよ」

 霧果さんの腕を振り払うと街へと駆ける。今日の夜は長くなりそうだと直感が囁いていた。


 少女、近衛悠にとって目の前で血の海に沈んでいく最愛の人を見てしまったことは言い知れないものがあった。他の誰かにやられたのであれば、まだ救いようもあったのであろう。しかし彼女をより追い立てていたのは一瞬でも彼を裏切り者として見てしまったことだった。自分には決して好意を向けてなどくれないと分かっていながら彼女は一瞬でも自分に振り向いてくれるかもしれないと夢を見て、いざ向けてくれないと悟った瞬間に彼の”死”を望んでしまったのだ。

「私は悪い子だったんですね、先輩」

 ここに来るまでに目の周りが腫れぼったくなるほど泣いてきた。雨に打たれたせいで服も靴も髪も濡れていた。どこか映画のワンシーンのように思えてしまう。そしてここで後ろから抱きしめられたら本物のヒロインだったかもしれないと彼女は思っていた。

 だから後ろから誰かが走ってくる音を聞いたとき一瞬だけ期待してしまった。

「先輩・・・」

「悠・・・探したぞ」

 その言葉はまさに彼女が望んだ映画のワンシーンのようであった。ただその声色が心配というよりも長年追い続けた敵に向けられるものに近いということを除いては。

(あぁ・・・そうか。私、先輩に嫌われちゃったのか)

 故にもう彼女は迷わない。闇に染まったその瞳を躊躇わずに向ける。叶わぬならせめて愛した男は自分の手で葬る。そして己が愛した男へ石に願って作り上げた刃を向ける。

「先輩、大好きでした」

 醜くなってもきっと目の前の男は自分を助け出そうとしてくれるだろう。だが、心までは救い出せない。

 今ここで彼女は人間であることを諦めてしまったのだから。


 悠が次々と石によって生み出しているのは正直言って巨悪極まりないものだった。俺の腕を吹き飛ばした槍だけでなく、巨大な剣、四方を囲むようにして展開される火縄銃、上げだせばキリがない。威力もさることながら次にどんな手を打ってくるのかも予想がつかない。

(武術の世界じゃ相手の手の読み合いを制した奴が勝つ。だけどど素人相手にそんなの期待できない!)

 玄人の域が長くなればなるほど相手が素人である場合、攻撃が読みやすくなると思われがちだがそうでもない。実際の所は読めない場合が多い。特定の攻撃へと繋げるための癖もない。せいぜいが普段から出やすい身体の動きを予想するくらいが関の山だ。相手の動きにリズムがない。出鱈目な発想など玄人にとっての常識が通用しない。

(くそ、ずっと師匠と組手してきたせいで悠の次の手が分からない)

 体極流で鍛えた技と歩法によって回避しているが休む間もなく次々と手が伸びてくる。体力の限界が来るのは思いの外早いかもしれない。おまけに相手の攻撃の感覚が当初よりも少しずつだが早くなっている。遠目から悠の右腕が石と同じような輝きを放っているのを確認し一つの仮説が浮かび上がる。

 目くらましの意味を込めて地面を穿ち、土煙を爆炎のように噴き上げる。悠の咳き込むような声を聞きながら林の中へと身を隠す。

 荒い息を整えながら次の手を考える。

(悠相手に奥義を使えば間違いなく死ぬ。一撃で決めるしかない)

 それも”刻の石”と一体化しつつある右腕だけに攻撃を当てる。神業のようであるが一つだけ砕くことのできる技がある。しかしそれを使えば悠の腕は形を失い、障がい者としての一生を背負わせることになる。脳裏によぎった瞬間、胸の中を罪悪感が渦巻いたが、

(これしか・・・ない!)

 覚悟を決め悠の前へと躍り出る。すると悠はこちらへと気づいたと同時に不敵な笑みを浮かべると身の丈以上の氷の弾丸を打ち出してきた。

 数は五つと少ないが一つ一つの大きさが俺の身の丈以上である。回避するだけでも一苦労であり、その威力も馬鹿には出来ない。掠っただけの大木が次々と倒れていく。

 それは同時に俺も掠れば”死”あるのみということだ。

「先輩!!」

 悠の悲痛とも取れる声が頭の中に響く。彼女との日常は二度と返ってくることはない。だがそれでも、日常を捨てて悠を助け出せるのであれば、

「悠!!」

 悠の懐へと接近し構える。すぐさま悠が盾か何かを創り出そうとするが遅い。

「体極流”砕破”!!」

 右腕から繰り出された拳が悠の浸食されている腕に直撃する。腕全体に衝撃が伝導し亀裂を入れていく。やがてどこからともなく崩れ地面へと落ちていく。

 悠の顔には呆然とした表情が浮かんでいた。ゆっくりとその場に倒れそうになり、肩を掴むと顔を覗き込む。歪な笑みを浮かべて俺の顔を見返す悠。

 思わずその場を飛び退くと壊したはずの右腕がみるみる再生していく。

(くそ、体勢的に右腕で撃ったのはミスだったか。左腕で異能の力を打ち消さなきゃ壊しても意味がないか・・・)

”砕破”による一撃は絶大である。巨大な岩ですら衝撃の伝導で壊すことができる。しかし相手は異能の力を持つ物体。たとえ壊しても元に戻る力ぐらいあってもおかしくはない。

「先輩! はは、はははははははははははははははあっはは!!!!」

「く・・・」

 悠との距離を詰め胴体へと”体極流・月花”をぶつける。一瞬、後退するもすぐにまた立ち上がると右手に半透明な刀を出現させ出鱈目な動きで攻撃してくる。

 足払いを決め、体勢を無理矢理崩させ投げ技に入ろうとした際に足元から何かが飛び出てくると直感し悠を放り投げてその場から転げる。

 案の定、複数の刃が凄まじい勢いで空を裂いた。

(悠の思考速度ではとてもじゃないが間に合わない。石自体にも意識があるんだろうな。悠の人格を少しずつ歪めていって凶悪な性格に変えてやがる)

 それに加えてこちらは悠の肉体に与えられるダメージを少しでも軽減するように加減までしている。先程の”月花”も本来の威力で放てば肋骨どころか内臓が破裂している威力を秘めている。それを悠が耐えられるだけの威力に下げているのだ。十分の一どころかその半分も出ていないだろう。

「体極流”鎌狩り”」

 立ち上がったところへ距離を一気に縮め弧を描くようにして放たれた蹴りを入れる。加減を入れた状態でもなんとかダメージを入れることは出来る。

 だが相手もやはり簡単には倒れてくれない。砕破、月花、鎌狩りと連続で技を放ったせいで俺自身の体に疲労が蓄積されている。肩で息をしながら常に神経を張り巡らせる。再度、足元からの攻撃を躱すと同時に正面から射出された槍も避ける。一瞬でも判断を誤れば命を失いかねない極限の状態が続く。

 戦況は少しずつこちらが劣勢になっていくばかりである。近くの林へと駆け込むとその中で短い休息をとる。

 悠の足では到底、追いかけてこられない。そう踏んでの判断だったが突如自分の首が撥ね飛ばされた感覚に陥りその場に倒れ込む。先ほどまで首があった位置に何かが軌跡を描いて通り過ぎた。空気自体が波を打つかのようなその現象はやがて周辺の木すべてが倒されることで明らかになった。

「ダメじゃないですか。先輩。にげたり・・・し、ちゃ」

「悠・・・」

 遥かの目の虚ろさが増していく。恐らく俺のことも認識できていないのだろう。

 自分の右腕がどれほど禍々しく、悍ましいものへと変貌しているのかもわかっていないのだろう。

 覚悟を決めて彼女の前にその姿を現す。

(もう、迷わない)

 左手を引き、右手を前に突き出す構えを取る。

「先輩!!」

 悠がこちらへと飛び掛かってきた瞬間、溜めていた力を解き開いていた距離を一気に縮め右手へと俺の左手をぶつけた。

 左手が激しく燃え上がると悠の右腕を呑み込み、

「あ・・・あぁ・・・!!」

「体極流”砕破”」

 完全に粉砕してみせた。砕け散る石はまるで雪のように地面に落ちると同時に融解する。

 全て終わった。だというのに俺は悠の前から動くことができないでいた。

 予想はしていた。だが当たってほしくなどなかった。異能の力を壊す。それも同化している腕ごと破壊する。それが意味することは、言わずとも分かるだろう。

 悠は”刻の欠片”に人格を呑み込まれることはなかったが代わりに右腕一本を失くすという代償を払わされたのだ。

 否、俺が奪ったのだ。彼女から、右腕を塵すら残さず消し飛ばした。

「うそ・・う、でが・・・」

 痛みはないのだろう。無くなった先は綺麗に塞がっていた。が、逆にそれが彼女には最初から腕がなかったかのように思わせた。

 なんと声を掛ければいいのかわからない。優しく宥めるように? それとも辛かったと抱きしめる?

 どれも違うような気がする。

 人の気持ちなんて俺にはこれっぽちも理解できない。人間相手の考えを理解しきれるほどの能力など持っていない。

 だからこそ掛けるべき言葉は別にある。

「悠、お前は何を願った?」

「え・・・」

「あの石に何を願ったんだ?」

 だからこそ最初から分からずにいたことを尋ねる。意地の悪い質問だと自分でも分かっている。心のどこかではもしかしたら、などという淡い期待を持っている自分がいるのも確かだ。

 顔を俯きやがて面を上げた悠は覚悟を決めたかのように告げた

「先輩に”好き”だって言いたかったんです」

 短い言葉。その一言を伝えたい。それはどこまでも純粋で真っ直ぐな彼女の願いだったのだろう。そう告げる彼女の顔は涙でくしゃくしゃになっていた。

 人に嫌われるのは慄然とするものだ。そしていま彼女は覚悟をもって思いのたけを述べてきた。

 であればこちらも答えなければならない。

「・・悪い、俺はお前の隣に立ってやれない」

「・・・ぁ・・・」

 その言葉がどれだけ残酷な意味を持つか分かっている。殺してでも手に入れたかった相手にそう告げられることの苦しみ。焦燥。

 彼女に手を差し伸べるという優しさは、向けない。

「悠、こんな奴を好きになってくれてありがとうな。だけど、迷惑なんだ」

「・・・」

 彼女に罪などない。罪悪感はあるだろうが、罪悪感と罪は別だ。右腕を見るたびに思い出すことの辛さは俺には推し量れない。

 だが人間間違えなければ前に進めやしない。何回、何十回、何百回、何千回。今自分たちがいるのもその積み重ねでしかない。

 だからこそ彼女が間違えたことをしたなら正し、そして立ち上がるのを見守る。自分の足がまだ彼女にはある。だったら立ち上がるまで待っていればいい。

「そっか、迷惑・・・か」

 そう言いながらも悠は満面の笑みを浮かべていた。涙も流していたがそれは彼女がみせた本当の笑顔だった。

「フラれちゃいましたね」

「・・・あぁ」

 自分が発した言葉以外何も浮かばないくらいに彼女の笑顔に安堵する自分がいた。


 悠を俺のかかりつけの病院まで連れて行くことになった。流石に片腕を失っているのにご両親とあの姉の下に返すのはあまりにも無策すぎる。

 俺の担当医が常駐してくれているので部屋まで直接赴き事情を掻い摘んで説明したことで事なきを得たが、俺も検査入院という運びになった。

「片腕を吹き飛ばされて致死量の出血をしていたというのに調べもしないで帰すわけがなかろうが」

 そう怒ってくれるのは有り難いのだがせめて診察の時に殴る癖を直してほしい所である。

 殴られた頭を擦りながら空に浮かぶ月を見つめる。

 脳裏にあの日の出来事がフラッシュバックしてくる。断片的な映像だけが流れては消えを繰り返す。

(彼奴、やっぱり抜け出したのか)

 あの日、俺から大事な人を奪った男。北宮家最大の罪人。

 今まで影も形もなかった奴が突如として動き出した。今更逃げ果せられるわけにはいかない。

(待ってろ、北宮京)

 そして数分後俺は夢の中へと沈んでいった。

お読みいただきありがとうございました。

感想、疑問点があれば送ってください。

拙い文でしたが今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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