第五話 ラーメンだ
沈みゆく意識の中で、誰かが俺に話しかけてきた。
"お前はまだ思い出さないのか?"
一体なんのことだ?
俺は何かを忘れているのか?
"このままではお前はやつらに殺されるぞ?"
だから一体なんのことなんだ!
俺が世界中から命を狙われていることは知っている。
その『忘れている何か』を思い出すことができれば俺は助かるのか?
"その通りだ。思い出せばお前は助かる。転生者などに負けはしない"
その答えに俺は驚いた。
答えの内容にも驚いたが、まさか俺の心の声にちゃんと返事をしてくれるとは思わなかったのだ。
「待ってくれ! 俺は一体何を忘れているんだ!? 何を思い出したら助かるんだ!?」
思わずその謎の声の主に問いかける。
すると今度も返事が返ってきた。
"お前は×××××××"
しかしその声はよく聞き取れなかった。
「おい兄ちゃん、大丈夫か?」
俺は誰かに肩を揺さぶられていた。
どこかで聞き覚えのある声だ。
「う、うぁ……」
なんとか返事をしようとするが、それはただのうめき声にしかならなかった。
「ひどい怪我だな。ほら、これを」
声の主が俺の口に何かを注ぎ込んだ。
熱っ!
なにこれめっちゃ熱い!
その液体はとても熱かった。
なんだこれは、新手の嫌がらせか?
口の中を火傷しそうになったじゃないか。
「その調子だ。なんとか飲み込め」
それでも声の主は、その液体を俺の口に注ぎ込むのをやめない。
されるがままにしていると、その液体の中には何やら固形物が混じっているのがわかった。
もちもちした歯応えのある中太ちぢれ麺だ。
よく味わうとしっかり小麦の味がする。
その麺に絡み付く液体は濃厚な豚骨スープだ。
しかしその濃厚さの秘密は豚骨だけではなく、たっぷり使われている魚介系の出汁だ。
ガツンとパンチの効いた中にもあっさりとした風味が感じられ、絶妙なハーモニーを醸し出している。
実に俺好みの、そしてとても美味しい……、ラーメンだ。
待ってくれ。
なんで俺はラーメン食わされてんだ?
ラーメンなんて瀕死の怪我人が食うもんじゃないだろう?
しかしそんな疑問が浮かんだのも束の間、今まで朦朧としていた意識がはっきりしてきた。
全身に活力がみなぎってくる。
力の入らなかった四肢にも力が込められるようになった。
俺はなんとか自力で身を起こし、ゆっくりと目を開ける。
視界はまだ少しぼやけていたが、だんだんと焦点があってきた。
「おぉ、気がついたな」
そんな俺をみて安堵の表情を浮かべているその人物は、行きつけのラーメン屋の店主さんだった。
「でももう少し食っとけ。あんたは血を流しすぎだ」
そう言って店主さんはラーメンのどんぶりを差し出してきた。
どうやら本当に俺はラーメンを食わされていたようだ。
いまいち状況が飲み込めない。
困惑する俺に店主さんは、
「このラーメンは俺の作った『回復ラーメン』だ。食えばどんな怪我や病気でもたちどころに回復さ」
と説明してくれた。
いや、このラーメンが何かはわかったが、そこに至るまでの前提条件が謎過ぎる。
回復ラーメンってなんだよ。
意味わかんねーよ。
よけいに混乱してきた俺だったけど、そのラーメンはとても美味しかったのでありがたくいただくことにした。
「お兄さんが無事で良かったよぉー」
泣きじゃくりながらそう言うのは、さっき二人の男の子に追いかけられていた女の子だ。
俺が意識を取り戻した直後はその存在に気づかなかったが、回復ラーメンを食べる俺を、べそをかきながらずっと見守っていたのだ。
一方の俺は完全に回復していた。
回復ラーメンすげぇ。
「爆発音がしたからなにかと思って駆けつけてみたら、常連の兄ちゃんが血まみれで倒れてるんだもんなぁ。驚いたよ。一体何があったんだ?」
どうやら俺の顔を覚えてくれていたらしい店主さんにそう聞かれ、俺は事情を説明した。
「なるほどなぁ。兄ちゃんも良いことするじゃないか。感心したよ。俺は面来豊って言うんだ。今度店に来たらサービスしてやるよ」
そう言って俺の背中をバシバシ叩く面来さんは、四十過ぎくらいに見える少し禿げかけたおっさんだ。
前に店に行ったときに客と話していた、『ラーメンを作るスキル』によって回復ラーメンを作り、俺に食わせてくれたらしい。
お陰でなんとか一命をとりとめたのだ。
「でもなぁ。子供相手に反撃しなかったのは立派だが、防御くらいはしても良かったんじゃないのか?」
俺の到着が遅れてたら死んでたぞ? と面来さんに言われた。
そんなこと言われても、反撃も防御もできないんだから仕方ない。
俺は肩をすくめた。
そしてそのまま、いつの間にか泣き止んでいた女の子に問いかける。
その女の子は少しウェーブのかかった桜色の髪と、くりくりしたオレンジの瞳を持つかわいらしい少女だった。
「君は……、いつもああやっていじめられてるの?」
女の子の表情が険しくなる。
ちょっと聞き方がまずかったか。
俺は少し反省する。
「ごめん、言いたくなかったらいいんだけどさ」
しかし、女の子はふるふると首を横に振った。
「今まではそんなことなかったの。でも、魔王を倒せって手紙がみんなに届いてから、みんなして私のことを魔王だ魔王だ、って」
女の子はうつむきながら答える。
「何か理由に心当たりはあるの?」
「私の名前が、獅子王舞桜って言うから……」
その女の子、舞桜ちゃんの表情が暗くなる。
「そんな、名前が魔王に聞こえるってだけで……」
その理由を聞いてあきれた俺だか、舞桜ちゃんは再び首を振る。
「それと私の持ってるスキルが『覇王』って名前だから……」
なにそれ魔王っぽい。
魔王っぽい強そうな名前に、魔王っぽい強そうなスキルをもってこの世界に転生しちゃったわけか。
なんとなくさっきの男の子二人の気持ちがわかった気がした。
だからっていじめを許すつもりはないけどな。
二人の男の子といえば、
「そういえばあの二人は?」
俺は二人に疑問をぶつけた。
もしかしたらあの二人に通報されるかもしれない。
今回はなんとか助かったが、そうなったら一貫の終わりだ。
面来さんが微妙な顔で俺をみる。
「『あんな弱いやつが魔王なわけない』とか言ってどっか行っちまったよ。追いかけようとも思ったんだが、兄ちゃんを放っとくわけにもいかなかったしな。それにしたって舞桜ちゃんを庇うためとはいえ、もうちょっとましな嘘をつけよ」
いや、本当のことだったんだけどな……。
でもどうやら誰も俺が本当に魔王だとは思わなかったらしい。
そう思いながら頭をかく俺に、舞桜ちゃんが声をかけてきた。
「でも、本当にありがとうございます。私すごく嬉しかった……」
恥ずかしそうにお礼を言うその姿をみて俺は微笑む。
「舞桜ちゃんに怪我がなくて良かったよ。ところで舞桜ちゃんって今何歳なの? 見たところ中学生にはなってなさそうだけど……」
そう聞いたとたん舞桜ちゃんはさっと俺から目を反らした。
またまずいことを聞いてしまったか?
淑女に年齢を尋ねてはいけないというのは常識だ。
相手は小学生とはいえ立派な淑女だ。
これは俺の失態だ。
「あ、ごめん、その、えっと……」
俺はあわてて取り繕おうとする。
そんな俺を尻目に、
「…………十四歳」
舞桜ちゃんはぼそりと答えた。
え?
十四歳?
ということは中学生だったのか?
俺はさっきなんと言った?
『見たところ中学生にはなってなさそうだけど……』
まずいのはそっちだったか……!
俺は頭を抱えた。
「三百三十四歳……」
再び舞桜ちゃんの声が聞こえた。
少し不機嫌そうだ。
「え?」
今度は口に出して聞き返してしまった。
何かの聞き間違いか?
しかし舞桜ちゃんは一層不機嫌そうな顔で繰り返す。
「だから私の歳は、三百三十四歳」
……なんでや。