泣いた母親
生まれたばかりの貴方を抱いた時、胸に湧き出た感情を、今でもよく憶えています。
小さくてくしゃくしゃの顔。まだ生えたての髪の毛が頭にはりついた女の子。
用意していた産着は貴方には少し大きくて。
でもお父さんは思いっきり相好を崩して貴方を抱きました。
この子はきっと美人になるぞ。
そう言ったお父さんは、三日後、戦地に送られました。
余りにも呆気なくて、千人針を用意する暇さえありませんでした。
あの子を頼んだぞと言って、お父さんは万歳三唱に送られ旅立ちました。
お父さんは理工学部の助教授で、戦争に勝つには必要な人でした。
けれどそんなお父さんでさえ兵隊とされるほど、戦況は切迫していました。
私はお父さんのこれまでのお給金と蓄えで、貴方との暮らしをしのぎました。
宝子よ。
お父さんがいない今、私が貴方をきっと守るから。
ようやくできた一粒種の子を亡くし、気が触れたお隣の小町さんのようにはなりません。
けれどどんどん、暮らしは酷くなるばかり。
食べ物も段々、底をついて。
貴方に飲ませるお乳も満足に出なくなったのです。
私は知り合いの農家に、頼み込んで牛のお乳を分けてもらいました。
あの空襲の日、貴方をおぶって逃げ惑いました。
家は焼け。
トタンの小屋らしきもので暮らし始めました。
このままでは飢えて死にます。
赤ん坊の腕とは本来、ふっくらしているものです。
けれどああ、貴方の腕ときたら。
冬の枯れ木の枝のよう。
貴方のどんどん弱くなってゆく泣き声を、私はどうすることも出来ませんでした。
私の宝子が。
衰弱してなおも私に伸ばされる手。
もみじのような手が必死に。
抱きすくめて包んで。
もう牛のお乳さえ飲めないほどに弱った貴方。
無理に飲ませようとするとげえと吐き出して。
せめてお父さんが帰ってきてくれたなら。
そんな私の元に無情な報せが届きました。
お父さんが戦地で亡くなったのです。
家が焼けた為に伝える先を探し歩いたと言われました。
私は底なしの暗闇に浸かった気持ちで、ひいひいと弱々しく泣く貴方をあやしました。
その内、貴方は泣き声さえ出さなくなった。
蠅が。
蠅が貴方にたかるのを、私は手で払います。
去りなさい。
私の宝子は、無事に生き延びて、綺麗な花嫁衣裳を着るのですから。
父親がいなくても私が立派に育て上げてみせるから。
貴方の成長だけが今の私の生きるよすが。
だからもう一度、目を開けて。
だあ、と言って手を振って。
排泄でも何でも良い、生きてる兆しを見せて。
嘘でしょう神様。
あんまりでしょう。
お父さんだけでなく、私に全てを喪えと仰るのですか。
嘘でしょう。
もう貴方は微動だにしません。冷たく青ざめた塊となりました。
私はさながら獣のように慟哭しました。涙が溢れ流れて胸元まで落ちてゆく。
誰に対してか解らない、貴方を喪わせた者全てを憎みました。
私の宝子。
私の宝子。
ああ…………。
私はトタン屋根から貴方を抱いて出て、赤い空を見上げました。
黒い飛行機の影が見えます。サイレンの響きが遠い。
バラバラバラ、という銃弾の音。黒くて禍々しい不吉の象徴。
私の背中が異様に熱くなり、私はその場にどう、と倒れました。
貴方を腕にくるんだまま、私の頬は砂利の粒を食んでいました。
動かない貴方。
もうすぐ動かなくなるのであろう私。
どうして。
最後の涙の一滴が、私の頬を滑り、私は目を閉じました。
目を閉じました。
平成最後の夏も終わろうとしています。
母の涙は辛いものです。
もう二度とないことを願います。
本来であれば政治的主義主張は作品で唱えないのですが、こればかりはと思い、書かせて頂きました。
写真提供:空乃千尋さん