8.詩人さんは愛の使者
一方、噂の軍団長と賞金稼ぎはいたってまじめに問題なく仕事を進めていた。
「オルガ殿! 作業員の確認、全員終わりました。手配書の男は紛れ込んでいません」
「軍団長、周辺街道に検問設置しました。宿場の巡回もこれまでのところ不審人物の情報ありません」
次々に入る報告を聞きながら、二人は机上に広げた地図に小石を載せてひとつひとつ確認していく。作戦本部は採掘場の監督小屋だ。
火焔石は便利だが取り扱いに注意を要する鉱石なので、作業員がくすねて持ち出さないように教育監督を徹底しているし、宿場でこっそり売買されないよう普段から自警団が目を光らせている。下手をすると一帯が大火災に見舞われるから、住民もその点は協力的だ。
もっとも、どんな場所にも考えの浅い者や、心の弱い者はいる。
日頃は法を守っていても、ちょっと博打の負けが込んだり、何かで金が入用になったりすれば、目先の利益に釣られるのが人間だ。
「どうやら、バジルはまだ潜入していないようですね」
「ああ。うまく罠にかかってくれるといいが」
地図上の主な地点に配置された白い小石。その包囲網が薄い一部分に、二人の視線が行った。採掘場と宿場町の南西外れ、涸れた川の跡だ。そこを辿れば人目につかず採掘場に近付ける。
あまりに見え透いていてはまずいので、昼間はちゃんとそちらも警戒し、夜の見回りにわざと手を抜くことになっている。
ふむ、とヴィレムが考え込んだところへ、戸口のほうからわざとらしい咳払いが飛んできた。驚いて振り向くと、いるはずのない詩人が立っているではないか。
「――!?」
「お仕事ごくろーさん。今日の俺は愛を届ける天の使者なので、存分に崇め奉るように」
ミハルはもったいぶって封書を取り出し、これ見よがしに掲げる。ヴィレムが弾かれたようにそちらへ行こうとして、椅子を蹴飛ばした。
あたふたする軍団長の様子に、オルガは少しばかり驚いた顔をしたが、余計なことは言わなかった。ミハルは彼女の視線を意識しながらも、素知らぬふりでヴィレムをからかう。
「遠路はるばる駆けつけた友情あふれる幼なじみに、何か言うことは?」
「後で一杯奢る」
「そうこなくっちゃ。ほい、……っと待った」
にんまりしつつ手紙を渡しかけ、おっと、とミハルは真顔になって引っ込めた。ヴィレムが乏しい表情なりに悲愴の二文字をあらわしたが、ほだされる詩人ではない。
「おまえの頭がお花畑になる前に、もう一個の預かり物を渡しとくよ。ゾラ様から」
「……ああ」
冷水を浴びたようにヴィレムも平静を取り戻し、守り袋を受け取った。頼んだ当人のくせに現物を見るのは初めてなのか、裏に表に引っくり返して眺めている。
「おまえに頼まれた、つってたぞ。一回しか効かないからな、とさ。何を頼んだんだ?」
「…………」
「いや待ておい、勝手に納得すんな覚悟決めんなこの馬鹿、大体いつもおまえはそうやって」
「…………」
「ああそりゃ順当にいけば使わずに済むだろうさ、あくまで念の為の用心だ、ってんだろ? だけどおまえ一人がそうやってだな」
「あの、詩人さん」
いきなりオルガが割り込んだので、ミハルは文字通り飛び上がりそうになった。友人の胸に指を突きつけて怒っていた体勢から、一瞬で跳び退る。ひらり、と落ちた封書を、ヴィレムが素早く両手で受け止めたのも眼中にない。
「ひゃいっ、何でしょうかっ」
「あ……いきなり失礼。ただその、軍団長さんは何も言ってないのに、なんでわかるのかなと不思議で」
「いや、まぁ、そのっ、長い付き合いですんでね?」
ミハルはしどろもどろに答え、ごまかすように友人を振り向く。こちらはこちらで、もう封書に釘付けだ。オルガもつられて軍団長に目を向け、ふっと口元をほころばせた。
「大事な方からの手紙みたいですね。それじゃ、お邪魔でしょうから退散しますよ」
言うともう、ヴィレムに会釈して戸口のほうへ向かう。慌ててミハルも後に続いた。
「まっ……、俺、もっ!」
「え?」
「いやその、俺も、いたたまれないんでっ」
「……あぁ」
詩人はさりげなく失敬なことを言いつつ、視線で軍団長を指す。オルガは失笑をこらえて、理解のしるしにうなずいた。
両手で大事に封書を持って、無表情にじーっとそれを見つめていたヴィレムは、二人の凝視に気付いて顔を上げた。さすがに少々ばつが悪い様子で、そっと背後の執務机に置く。
「オルガ。すまないが、ミハルに状況説明を頼む」
「了解。ぐるっと一回りしたらいいですね」
「ああ」
簡潔なやりとりでお互い意図を察し、オルガは「外に出ましょう」とミハルを促した。
改めて見渡すと、採掘場は独特の景色をつくっている。青空と、剥き出しになった赤茶色の土との鮮やかなコントラスト。
埃っぽい風が吹き付け、ミハルは顔をしかめた。大事な喉を痛めたら大変だ。薄布のマスクでも用意してくれば良かった。
「詩人さんはこの後、すぐ帰られるんですか?」
オルガに何気ない口調で尋ねられ、ミハルは即答できず動揺してしまった。普段なら相手の意図を簡単に察せられるのに、余計な考えが一度に渦を巻いて混乱する。
時間があるならゆっくり二人で過ごしませんかってお誘いかな、いやそんな甘くないだろ仕事の邪魔だから早く帰れって意味かも、いやいや顔見りゃわかるだろ悪意はないってじゃあどんな意味だよ!
わずか数秒の間にぐるぐる思考が高速回転し、彼は自分を持て余していったん明後日のほうを向いた。ゆっくり視線を巡らせて、ぽつぽつ見える作業員や兵士の姿を確認し、心を落ち着かせる。
やっとわかった。
すぐに帰る、つまり帰って様子を報告しなければならないのか。それとも、ここに滞在して賞金首の確保に協力するために派遣されたのか。
それを確かめる質問だ。
(ですよねー! お時間あるならお茶でも、って場所じゃねーだろここは。阿呆か俺は)
内心ツッコミを入れつつ、両手で顔をこすって気持ちを切り替える。思わず深いため息をついた。
当然それは相手に誤解された。
オルガはちょっと困った顔になり、すみません、と謝罪する。へ、とミハルが怪訝な顔を向けると、彼女はごまかすように肩の使い魔を撫でて続けた。
「職業柄、どうしても荒っぽい態度になってしまって。詩人さんにはご不快でしょうが……」
「は!? いやいやいや待って待った、なんでそうなるんスか!」
ミハルが大慌てし、オルガは面食らって瞬きする。
お互いの間にどうやら大きな誤解が居座っていると気付いたものの、その正体とどかし方がわからず、向かい合ったままぽかんとすることしばし。
あは、とオルガが笑いをこぼした。
「よくわかんないけど、嫌われてるんじゃないなら良かったです。お上品なのはどうも苦手で」
「俺ちっともお上品じゃないですよ!?」
「あ、いえ、上品な人が嫌いって意味じゃありません。アタシ……失礼、私がそう振る舞うのが下手だって意味で」
ほらね、とばかり苦笑いで肩を竦めたオルガに、ミハルはめまいを感じてよろめいた。
(なんだよもう可愛いな! いいじゃんアタシで全然可愛いじゃん!!)
うっかりすると心の叫びをそのまま声に出しそうで、無言のまま両手に顔を埋める。
詩人の挙動不審にオルガは首を傾げたものの、どうしましたかと問いただしはしなかった。大人なので。
「ええと……それで、さっきの質問ですが」
「……なんでしたっけ」
「すぐに帰られるのかどうか、と」
改めての質問に、ミハルはようやく顔から手を離した。浮かれてないで、しゃっきりしなければ。このままではただの変な人だと思われてしまう。仕事のできる軍団長との対比で評価だだ下がり間違いなしだ。
「いや、俺もこっちに加勢するように言われて来ましたんで。まぁ戦力にはなりませんけど、一人でも多くの目が要るだろうと……記憶力には自信がありますんでね」
「ああ、それは心強い!」
ぱっ、とオルガが明るい笑顔になった。まぶしい。ミハルはまたよろけそうになって自制心を総動員する。
オルガと並んで歩きながら人員配置や作戦について説明を受け、それを頭に叩き込みつつ、同時に改めて幼なじみに感服したのだった。
(あいつやっぱりとんでもねーわ。十年毎日こんな気持ち抱えて、見かけまったく平静に仕事に励んで軍団長にまでなったとか、どんな鋼の精神力してんだよ)
あと一回笑いかけられたら、俺の小鳥の心臓はもう破裂しそうです。神様助けて。