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7.恋をすると変になるとか


 あまり昔話ばかり続くと、いろいろ化けの皮を剥がされてしまう。ミハルは一区切りついたのを幸い、現在に話を戻した。


「それよりお嬢様、俺からあれこれ聞いたってことで、あいつに手紙を書かれるんでしょう。お手伝いはご入り用ですかね?」


 ユスティナは詩人の誘導に気付いたが、逆らわずに受け入れ、そうね、と少し考えた。


「文面に手助けは必要ありませんが……何を書けば、その、喜ばれるかしら」


 質問を声に出すと恥ずかしくなり、口ごもってしまう。私的な手紙を送ったことがある相手は妹だけだし、それでさえ、自分の正直な感情を吐露するものではなかった。

 常に、“自分自身”ではなく“自分の立場”からしか言葉を綴ってこなかったのだ。


「ヴィマザル家の長女として遠征先の軍団長へ宛てた手紙を送るのであれは、文面は思い浮かぶのですけれど。そうではなく……」

「ユスティナ様からヴィレムへの手紙、となると難しいですか」


 言い淀んだお嬢様の代わりに、ミハルが面白そうに続きを引き取る。ユスティナの頬に薄く朱が差した。怒ったように睨みつけて、こほんと咳払いひとつ。

 ミハルは首を竦めてから、おもむろに答えた。


「そうですねぇ。今はとりあえず、お嬢様があいつの手紙を嬉しく思われたってことを伝えてやるだけで充分だと思いますよ。万が一にもお嬢様のほうから愛の告白なんか届いちまった日には、あいつ昇天しかねませんから。さすがにそれはマズいでしょ」

「――っ!?」


 途端にユスティナは真っ赤になった。恋愛経験皆無のご令嬢に、こんな仮定は刺激が強すぎたのだ。先日ヴィレムから渡された手紙だけで、既に一生分のときめきを経験したような気分だというのに、よりによって自分から、『愛』を告げるなんて!


 ユスティナは両手で顔を覆いたくなったが、向かいで笑いをこらえているミハルに気付くと、深呼吸して耐えた。強引に動揺を静め、ぎゅっと眉根を寄せる。


「いくら当家がざっくばらんな気風と言っても、あまり度を越すと相応の罰を与えますよ、ミハル」

「これは恐縮、何卒この哀れな愚か者にご慈悲を賜りませ」


 ミハルはさっと立ち上がって大仰な謝罪を述べ、恭しくひざまずいて見せた。ユスティナは失笑し、怒り顔を保てなくなってしまう。


「もう結構よ。茶化さないで、まじめに答えてちょうだい。……手紙が嬉しかった、というそれだけで、本当に充分かしら」

「あのですね、お嬢様。あいつ、十年ただただお嬢様を見守るだけで満足してたんですよ? たまに挨拶できたら一日中幸せ、ぐらいのざまで、十・年・間! たとえるなら、ずっとパンと水だけで生きてきて、たまにリンゴ一個おまけがつけば万歳、って暮らしだったわけです。そこへいきなり蜂蜜がけのカスタードパイなんか食わせたらどうなります? あまりの衝撃に味もわからず喉に詰まらせるか、美味すぎて理性が吹っ飛ぶか、とにかく碌な結果になりゃしません」

「よくわかるたとえだけれど、なんだか随分不憫ね……」


 ユスティナは思わず涙ぐんでしまった。本人が満足してきた人生を憐れむのは筋違いだとは思うが、それにしてもだ。


「お優しいですねぇ。まぁ何にしても、お嬢様だってまだカスタードパイを出してやるほど心が固まってるわけじゃないでしょう? だったらとりあえずお茶でも飲んで、いったん落ち着いたらいいんじゃないですかね」


 ミハルが軽い言い方をしたので、ユスティナも気が楽になって微笑んだ。


「ありがとう。そうね、そのぐらいの気持ちで手紙を書きましょう。そうだわ、書けたらあなたが届けてちょうだい」

「えっ? 待ってくださいよ、俺はお嬢様をお守りするという役目がですね」

「わたくしが出歩かなければ危険はないでしょう。それより採掘場に向かった皆のほうこそ一人でも多くの目が必要ですし、あなたにはオルガの助けになって欲しいのです」

「はぁ!?」


 詩人が滅多にない大声を上げたので、ユスティナも、控えている侍女も驚いてしまった。二人に凝視されたミハルは、失敗したとでもいうように慌て、視線を泳がせている。ごまかしも言い繕いも大得意のはずなのに、急に声を失ったように口をぱくぱくさせるばかり。

 はて、とユスティナは訝りながら続けた。


「突拍子もなくて驚かせてしまったわね、ごめんなさい。でもあなたが適任だと思うのです。軍団の皆は頼もしいのですが、繊細さに欠けると言いますか、女性の扱いに不慣れなところがありますから。護衛対象としてならともかく、共に行動するとなるといろいろ気配りも必要でしょう」

「ちょ、ちょっと待ってくださいって。お嬢様、俺があんまり気安いもんだから女友達だと勘違いしてらっしゃいませんかね!?」

「まさか、とんでもない。女性だったら危険な場所へ派遣するものですか。細やかな心遣いができる男性だから、適任だと言っているのです」


 ユスティナは説明しながら、少しだけ後ろめたくなった。本当は、手紙を届ける相手を思い浮かべた時、今はかたわらにあの魅力的な女性がいるのだと思い出してしまったからなのだ。

 むろん、あれほどの手紙をくれた直後にヴィレムが心変わりするなどと心配してはいない。だがオルガのほうがヴィレムに惹かれる可能性は充分あるではないか。


(打ち合わせの様子からしてとても優秀な人だもの、浮ついた気持ちで仕事に支障をきたすようなことはないでしょう。でも、あんなに気が合っていたのだから、普通よりも強い好意を持ったとしてもおかしくないわ)


 あの素敵な女性に、失望を味わわせたくない。恋敵と憎まれたくない。

 そのあたりの機微を、いつもの詩人なら察してくれるはずだった。が、今日はあたふたするばかりで一向に冴えた反応を返してくれない。

 ユスティナは自身も少々困惑しながら、つぶやきをこぼした。


「あなたなら、あちらの人間関係がややこしいことになるのを、うまく防いでくれるかと」


 それでやっとミハルはお嬢様の意図を理解したのか、顔をこわばらせ、かすれ声で尋ねてきた。


「やっぱり、ご婦人方からしたら、年上で腕っ節の強い男が良いもんですかね」

「……っ! そう思いますか。ええ、見た目が怖くないのであれば、あとは良いところしかありませんもの」

「あれで見かけ倒しならともかく、実際強いしムカつくほど有能だし」

「とても気が合っている様子でしたものね……」


 お互い微妙に噛み合っていないし妄想が暴走気味なのだが、共に自覚がない。恋と理性は相入れないものである。

 二人はそれぞれ不穏な考えに沈み、ややあって決意の表情になると、明日にも手紙を届けに行くことを確認して別れたのだった。




 というわけで翌日。

 お嬢様から大事な手紙を預かった詩人が厩へ急いでいると、ローブ姿の魔術師と鉢合わせした。


「おっと、ちょうど良かった。手間が省けたな」


 言って詩人の前に立ちふさがったのは、叡智を宿した青い瞳の気難しそうな年配の女、ゾラだった。


「これは大魔女様、おはようございます」

「本当に一度蛙になってみるか?」


 愛想良く挨拶したミハルに、ゾラは手厳しい一言を返す。

 魔術師の登録制度が普及する以前、『魔女』は差別迫害の対象であったから、今もその言葉は侮蔑を含んでいる。男女の別なく『魔術師』と呼ぶのが正式だ。

 むろんこの二人の間では、承知の上のお約束的やりとりなのだが。


「そうなったらお部屋の窓辺でゲコゲコクワクワ可愛い鳴き声を披露しますよ。俺をお捜しでしたか? 生憎これからすぐ外に出なきゃならないんですが」

「知っとる。採掘場に行くのだろう、ついでに軍団長に渡してくれ」

「まさか恋文」

「その赤い髪を本物の炎にしてやろうか。そら、これだ。あ奴に頼まれたが出立に間に合わなくてな。一回しか効かんぞ、と念を押しておいてくれ。ではな」


 ゾラが押しつけたのは小さな守り袋のようなものだった。自分の用事が済むと、さっさと踵を返して帰ってしまう。いつものことだが、置いてけぼりをくったミハルは一人で難しい顔をするはめになった。


「何を頼んだんだ、あいつ……?」


 物が魔術具だけに、迂闊に開けてみるわけにもいかない。せめて取り扱い上の注意ぐらい教えてくれたら良いものを。

 しばし胡散臭げに眺めたものの、何がわかるわけでもないので、彼は諦めて小袋を手荷物に押し込んだ。

 今はお嬢様からの手紙を届けるほうが大事だ。


 ミハルは馬丁から手綱を受け取り、装具や鞍袋の具合を確かめると、補助を借りてえいやと鞍に跳び乗った。馬の背中は存外高いのだ。素人が踏み台も補助もなしで乗ろうと思ったら、男でもいささか練習が要る。

 詩人の仕事に騎乗して走り回ることは含まれていないが、とはいえ、幼なじみが軽々とこなしていた様子を思い出すと、屈辱を感じないわけにいかなかった。ぽくぽくとゆっくり門のほうへ向かいながら、決意する。


(もっと鍛えよう。あいつ並の筋肉はつけられなくても、鞍にひょいっと乗れるぐらいにならないと)


 あるいは少なくとも当面、人前でぶざまを晒さなくていいように徒歩で行くかだ。鐙に片足をひっかけたまま宙ぶらりんになった姿など、絶対に見られたくない。


(賞金稼ぎなら、乗馬ぐらい簡単なんだろうなぁ。格好いいだろうなぁ)


 颯爽と馬で野を駆けるオルガの勇姿が脳裏に浮かび、うっとりしかけた直後、自分が並んで走れない現実を思い出して落ち込む。

 くそっ、と舌打ちすると同時に、いつの間にやら門を通過した馬が足を止め、ブルルッと鼻を鳴らした。どこに行くんだ、指示がないなら帰るぞ、と言うように足踏みする。

 我に返ったミハルは苦笑し、馬の首を軽く叩いて機嫌を取った。


「あぁ、悪い悪い。さ、ちょいとひとっ走り行くか!」


 踵で腹を蹴り、前へ進ませる。思えば最初はそれさえできなかったのだから、今だって充分ましではないか。

 気を取り直し、詩人は鼻歌まじりに旅立っていった。


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