6.出遅れ詩人の昔語り
白獅子軍団長に率いられた一隊が賞金稼ぎと共に採掘場へ出発すると、館は少し閑散とする……かに思われたが、実際には妙に浮ついた雰囲気になっていた。
原因は言うまでもなく、お嬢様と軍団長の噂である。
まだ伯爵がはっきり認めたわけではないので、おおっぴらには話せない。おめでとうございます、だとか言える段階でもない。
しかし、あの――悪魔も逃げ出す強面で、入隊以来十年まったく浮いた話がない、どころか人間らしい喜怒哀楽さえないのではと思われていた、あの、軍団長が。
お嬢様に恋文を渡し、それが受け取られ、伯爵も黙認している、となったのだ。
「そりゃーどいつこいつもソワソワするってもんですよねー」
……というわけで。
お嬢様の部屋に呼ばれた詩人は目下、テーブルに行儀悪く頬杖をついて、ふてくされた顔をしているのだった。
「まったく、だからさっさと手紙書けって言ったんスよ、読んでもらえさえすりゃ絶対うまくいくってわかってたんだから」
ぶつくさぼやくミハルに、ユスティナは面白そうな微笑をこぼした。
「あの人があんなに繊細な言葉を使うなんて、本当に驚いたわ。これだけの文才があるなら、皆に怖がられるままにしておかなくても、何かしら心を伝える方法があるでしょうに、と言ったのですけれど」
「はぁ、なるほど。それで俺にお呼びがかかったわけですね。あの野郎、『世のことわりを知りたくば詩人に訊くが良い、あらゆる美辞麗句に皮肉雑言、鍋いっぱいの言葉をよこすだろう』って丸投げしやがりましたか」
「その引用だと『そうして結局なにひとつ得られないのだ、それこそが真理』となってしまうわよ」
ユスティナはすらすらと続きを暗誦し、紅茶を一口ゆっくり飲んだ。
胸にじんわり沁みる熱と共に、ヴィレムの言葉がよみがえる。
――怖かったのです。
彼はそう言った。なぜずっとこの才能を隠していたのか、という質問に対し、たった一言。
さすがにもう少し説明を加えようと努力したようだが、彼はじきに諦め、やや恥ずかしそうに頭を下げた。
――また手紙を書きます。あるいは……
「ミハルなら上手く説明してくれるでしょう、と言ったの。あなたを信頼しているのですね。幼なじみとは知っていましたが」
「あー……まぁ、昔からつるんでましたからねぇ」
ミハルは応じ、ちょっと宙を見上げて遠い目をする。
ややあって、彼はぽつぽつと、詩歌の語りとは異なる飾り気のない口調で、思い出を紡ぎ始めた。
じゃ、ちょっと長くなりますよ。
俺とヴィレムはおんなじ町に生まれ育って、お互い早々と親をなくしました。いや、孤児なんてそこらじゅうにいましたからね? 俺ら平民はそんなもんですよ。
そんなだから浮浪児集団がいくつもありまして、俺とヴィレムもそのひとつに属して生き延びたわけです。まぁ、あれですよ。拾うか失敬してきたものを売ったり、強引に道案内してやって駄賃をせびったり、いろいろ。
俺とヴィレムはいい組み合わせでしてね。
あいつはでかいガタイと腕力で厄介事を遠ざけられたし、俺はよく回る舌で面倒を切り抜けられた。お互いの苦手なところを補い合ってたわけです。
で、基本そんな暮らしだと読み書きを覚える機会はないんですけど、ちょっと変わり者の代書屋がいましてね。浮浪児でも、意欲があってまじめに学ぶなら、ただで文字を教えてやる、って。
偶然その話を知って、半信半疑でどんなもんかと行ってみた後、ヴィレムは目の色を変えて勉強しましたよ。
声に出して話すのが苦手なあいつにとって、考えや気持ちを文字の形にして伝えられるってのは、福音だったんでしょう。
俺? もちろん、あっと言う間に覚えましたよ。あんまり簡単だったし、俺のほうはわざわざ文字に記す必要性なんて感じなかったぐらいでしたね。
でも、あいつは違った。
好きな子がいたんですよ、その頃。ああいや、そうは言っても十二歳の子供ですし、お嬢様への態度を見ててもわかるでしょ。なんにもなかったッスよ。
その子も俺らと同じ境遇だったんですけどね。あいつ、いつもまともに口もきけなくて。腕力だけ当てにされて、いいように使われてる感じで、それでも役に立てるのを喜んでるってざまだったんです。
あいつは一大決心で、生まれて初めて手紙を書いて、初恋の君に渡した。……相手が読めるかどうか、確かめることも忘れてね。
彼女はいたくご立腹になりましてね。アタシが字が読めないの知ってて嫌がらせか、言いたいことがあるなら口で言え、って突っ返されました。
当然、ヴィレムの奴は固まっちまって声も出せやしません。
そこで俺の出番、ってわけですよ。
どこへ行くにも、どんな場面も一緒でしたからね。ちょっと離れて見守ってたんですが、ヴィレムが動けないもんで、俺が呼びつけられまして。
読み上げさせられました。
ははっ、どんだけ拷問だったか、今ならおわかりいただけるでしょ? だから俺はあいつの文才を知ってるんですよ。
でもね、お嬢様。きれいな言葉ってのは、誰の心にも等しくきれいに響くもんじゃないんです。
黙って聞いてた彼女の顔が、だんだん歪んでいきましてね。最後まで進む前に止められました。で、彼女はヴィレムに言ったわけです。
「アンタ、そんな顔の裏でこんなこと考えてんの? 気持ち悪い」
いやぁ、お子様って残酷ですね!
ええ、もちろん笑い事じゃない。それからしばらく、あいつは声も出せない字も書けない、表情すらほとんど動かせなくなって。そうですよ、今の俺があいつの言いたいことを大概間違いなく察せられるのも、その時の成果ってわけです。
「……そんなわけですんでね、お嬢様。俺はあなたに感謝してるんですよ。あなたに一目で心を奪われたおかげで、あいつは初恋を過去のことにできた。生きる意義、目標を、至極まっとうなものに定められた。ありがとうございます」
「わたくしは、感謝されるようなことをまだ何もしていないわ」
「能動的にはね。でも、あなたがあなたであってくれて良かった、と思いますよ」
珍しく率直な言葉を口にした詩人に、ユスティナは数回瞬きしてからおどけた目つきをした。
「あなたはそうしようと思わない時に限って、随分な殺し文句を言うのね」
「えっ。ありゃ……これは失敬」
今さら気付いて照れたように、ミハルは鼻の頭を掻く。ユスティナはちょっと笑ってから、そうでしたか、と小さくつぶやいた。
むしろ自分のほうこそ彼に恐れられているのでは、などと考えたりもしたが、あながち外れていなかったのだ。かつて破れた恋と同じく、ユスティナにまで拒絶されるのではないかと恐れ、だから何も書けなかった。今度否定されたら、もう立ち直れないから。
(あんなに強そうなのに、心は繊細なのね。ミハルという友人がいなかったら……)
そこまで考え、あら、と気付く。そういえば詩人が館の住人になったのは、ヴィレムが軍団長になった後だ。だからこそ、皆に恐れられるがままになっていたわけで。
目の前の青年をしげしげ眺め、ユスティナはひとつの仮説を思いついた。
「もしかして、あなたが詩人を目指したのは、その時のことがきっかけなのかしら。わざわざ文字に記す必要性も感じなかった、と言ったけれど」
「あー……ええまぁ、ご賢察の通り。よりによってヴィレムが、とんでもなく繊細できれいな言葉を紡げると知ったのはかなりショックでしたからねぇ。弁論担当の面目丸潰れっていうか。悔しくて」
ミハルはとぼけて言い、明後日のほうに視線を逃がした。ユスティナは笑みをこらえ、真面目を装って退路を塞ぐ。
「しかもそれを、気持ち悪い、だとか貶されたんですものね。友人のために、あるいは美しい言葉そのもののためにも、見返してやりたくなったでしょう」
「いやいやいや、そんな恰好いい理由じゃないですよ。単にヴィレムがベツェレンに行っちまって俺の防壁がなくなったんで仲間内での立場が悪くなりましてね? 逃げ出すために、代書屋に押しかけて弟子入りしたってだけです」
それでも、そのまま代書屋で食べていく道のほうがずっと楽だったろうに、わざわざ詩人として身を立てるほうを選んだのは、強い決意があればこそだろう。友人と同じ場所に行くのだ、そして言葉の力を広く証するのだ、という決意が。
「苦労したのですね」
ユスティナが温かな思いやりをこめてねぎらうと、詩人はにやりと悪党ぶった笑みを見せた。
「そりゃあ、ご褒美欲しさに頑張りましたとも。『暗き地の底を這い炎の海を渡り、氷の絶壁をよじ登ってでも』愛する姫君のもとへ行く騎士様がいるんだから、まともな寝床と美味い食事と素敵な衣装のためなら、凡人だって空を飛ぶってもんですよ」