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4.流れ流れて北の果て


 同じ頃、軍団兵詰所の一画、軍団長執務室では、黙々とヴィレムが書類仕事を進めるかたわら、詩人が机に突っ伏していた。


「うっそだろ……なんだこれもう『我が魂は煉獄の門に噛み砕かれ、煮えたぎる胃の腑に落とされり』ってな」


 独り言にしては大きすぎる声でぶつぶつ言っては、頭を抱えて唸る。

 ちなみに、既にヴィレムは部下達に遠征の計画を伝え、必要な準備を確認・指示し終えている。さすがにその間は詩人も部屋の隅で静かにおとなしくしていたのだが、誰もいなくなると友人相手にぐだぐだし始めたのだ。


 不意にがばっと身を起こして両手を振り上げ、


「こんな引用はどーでもいいんだ! そーじゃなくって、だから……!」


 叫んだかと思えば一時停止し、またへなへなと背骨が溶けたようにくずおれて突っ伏す。


「うう……駄目だマジかよ本当になんにも出てこない……どーなってんの俺。もう詩人廃業」

「……大丈夫か?」


 腕に顔を埋めたまま動かなくなった友人に、とうとうヴィレムが声をかけた。いつもならミハルのほうが表情や仕草からこちらの懸念を読み取ってくれるが、突っ伏しているのではそれも期待できない。


「ダイジョブくない……」


 ほとんど聞き取れないほどの声が答え、それっきり。ヴィレムは赤金のつむじを見下ろして、これは重症だな、と思案した。したところで、打つ手は思い浮かばないので放置だが。


 無言で資材リストや編成名簿を見直し、さてこれで問題ないか、不足や変更は、と熟考することしばし。


「なぁヴィレム、やっぱりおまえ、お嬢様に手紙を書けよ」


 唐突な命令が飛んできて、ヴィレムは眉を寄せた。見ると幼なじみは机に両腕を投げ出したまま、なぜか不機嫌そうに、赤い顔でこちらを睨んでいる。


「……」

「しばらく会えなくなるんだろ。その間に何があるか、わかったもんじゃねーぞ」

「…………」

「そりゃ何もないのが一番だけどさ、何もないように俺もせいぜいお守りすっけどさ! そういう心配は置いといてだなぁ、……あのな、本当におまえ、すごいんだよ」

「……?」


 話の脈絡がわからず、ヴィレムは困惑顔になった。ミハルは頭を掻き、言いにくそうに続ける。


「嫌な思い出だろうけどさ。なんてーか、本気の想いってのを言葉にできるのは、やっぱ才能だよ。使わなきゃもったいない。ていうか口で言えないんなら書かなきゃ伝わらないだろ」

「書いても……」


 ヴィレムが苦渋を滲ませて唸り、首を振る。ミハルはもそりと身を起こして椅子に座り直し、深々とため息をついた。


「いいから書けって。何もしないで結果の心配ばっかりしたってしょうがないだろ。少なくともお嬢様は、優秀な軍団長を失うような対応をするほど馬鹿じゃない」

「……」

「つーかおまえ、マジなんなの? なんであんな風に書けるの? こんな、この……ああくそ、言葉が! 言葉が無力!! こーゆーのをさぁ!」


 途中から八つ当たりになり、廃業の危機に瀕した詩人は頭を抱えて足を踏み鳴らし、じたばた暴れる。ヴィレムが若干呆れ顔になったところで、


「お取り込み中のところ失礼」


 開け放しのドアを軽くノックして、当のオルガがひょっこり姿を現した。

 途端にミハルは椅子から転げ落ちそうになり、大慌てで立ち上がって壁際に退避する。

 極端な反応にオルガは目をぱちくりさせたものの、そこは大人なので突っ込まない。何事もなかったかのように、軍団長に向かって話しかけた。


「先ほどの打ち合わせで話し忘れたことがありまして。はぐれ魔術師のバジルですが、これまでに彼が強奪してきたのはほとんどが鉱石です。魔術師によって好みや得手不得手がありますが、お屋敷の魔術師にも確認して、こちらに狙われそうなものが保管されていないか、あるなら我々の留守中は外に出さないように指示しておいてください」

「承知した。美術品に限らず宝飾品も、ということだな」

「ええ。バジルを捕らえるまで伯爵様ご一家には外出を控えていただくのが安全ですが、そうもいかないでしょう。ですから身につけるものにご留意いただきたく。お嬢様には既にお伝えしましたが、居残り組の警備責任者に伝達お願いします。……ああ、詩人さんにもご協力を」


 きびきびと用件を述べ、最後に少し、いいのかな、と様子を窺うような声音になってちらりと視線を向ける。

 慌ててミハルも態度を取り繕い、真顔でカクカクとうなずいた。オルガの目つきが不審げになったもので、友人の表情を読むいつもの癖で、反射的に答える。


「だ、大丈夫! 聞いてた! 了解ッス!」


 声が裏返り、余計に怪しまれてしまった。作り笑いでごまかし、とにかく相手の注意をそらせようと強引に話題を方向転換する。


「いやぁ、はるばるこんな辺境まで来る賞金稼ぎさんだけあって、流石だよね! うちの強面軍団長と初対面で普通に話ができる人、めったにいませんよ!」

「そうなんですか?」


 おや、というようにオルガはヴィレムを見る。当の軍団長が肩を竦めると、彼女はおかしそうにふっと笑った。


「苦労なさってるみたいですね。『狼』やってると、えげつない悪党にむごいものを見せられることも珍しくないですからね。顔が厳ついぐらいじゃ動じなくなりますよ」

「……熟練者ベテランだな」

「まさか、まだまだです。でもまぁ、新人って言える時期は終わったかな。十八で試験に合格して、もう四年やってますから、それなりに場数は踏んでますよ。そもそも軍団長さん、そんなに怖くないじゃないですか」


 あはは、と屈託なく言ってから、場の微妙な空気に気付いて緑の目をしばたたく。何かまずかったかな、とオルガは頬を掻き、物問いたげな視線を詩人に投げかけた。

 またしてもミハルは挙動不審に陥り、不自然な笑顔ともつれそうな早口を返す。


「はは、あはは、そりゃ良かった! こいつ怖がられてばっかりで友達少ないんで、仲良くしてやってください」


 会話の流れとしては何も変なところはないのだが、どう考えても詩人の態度は奇妙である。

 オルガは曖昧な微笑で、こちらこそ、と応じたものの、居心地の悪さに「それじゃこれで。お邪魔しました」とそそくさ出ていってしまった。


 残された男二人の間に、焦げ臭くて苦い沈黙が降りる。

 ヴィレムが眉を上げ、呆れと憐憫と苛立ちが絶妙に調和した表情を披露し、ミハルは無言の相手に「うるせー!」と怒鳴るはめになった。


「わかってんだよ俺だって何やってんだと呆れるよ! 事務用件以外の雑談でおまえが反応するとか、しかもそれでさりげなく経歴聞き出そうとしてくれたとか、奇跡だよな本当ありがとうよ! せっかくのチャンスを生かせなくてすみませんでしたー!!」

「…………」

「ため息つきたいのはこっちだよ! はぁー、年上かぁ~いっこだけだけど年上かぁ~。くそぅ不利だ……やっぱり女からすれば年下の軽薄な男より年上の頼れそうなごっつい野郎のほうがいいよなぁっておまえじゃねーかちくしょう余計なこと言うんじゃなかったー!!」


 のたうつミハルの頭に、とうとうヴィレムが一撃くらわした。

 ガゴン、と鈍い音を立てて詩人は顔から机に墜落し、ようやく室内は静穏を取り戻したのだった。




 自分が去った後の部屋でそんな暴力行為がなされているとはつゆ知らず、オルガは館へ戻る途中の庭園で、空を仰いで物思いにふけっていた。


(もう四年か……そうか、早いなぁ)


 生まれ育ったのはここからずっと南の町。漠然とどこか外に行きたいとは夢見ていたけれど、土地に縛られる農民ではなくても、気楽に旅などできないご時世だ。

 『風の狼』の一員として認められた時も、まさかこんなに遠くへ来ることになるとは、想像もしていなかった。


(せいぜい近所の村をうろうろするぐらいで、町の組合がアタシの居場所になると、期待してたんだけど。つくづく巡り合わせが悪いんだねぇ)


 家族と死に別れ、組合の仲間は気付けば離散。つらい出来事も喜ばしい出来事も、結果的にオルガを根無し草にした。それを恨みはしないけれど、いつまで続くのだろうと考えると少し怖くなる。


 やめよう、と首を振って憂鬱を払う。肩にいる使い魔が心配そうに、ひんやりする鼻先で頬に触れた。


「ありがと、ヤゼロ」


 オルガはふふっと笑って、相棒の顎を人差し指でこすってやる。水色のトカゲは気持ち良さそうに目を細めた。


「ま、アンタのおかげで、どこまで行くことになっても迷子にならないのは助かるよ」

「キュゥ」


 任せろ、とばかりにトカゲは胸を張り、しなやかな尾をくるんと振った。

 この使い魔は、賞金首を捕縛する能力のほかに、追跡探索する能力も備わっている。一度接触した人物を標的に指定しておけば魔力で追跡してくれるし、そうでなくともごく短時間のうちなら、どこへ行ったか大体の位置を嗅ぎつけてくれるのだ。今まさにオルガが、召使の案内なしでヴィレムとミハルを訪ねたように。


 すべすべしたトカゲを撫でながら、オルガは最前のやりとりを思い返してちょっと眉を下げた。


「ねぇヤゼロ。やっぱりアタシみたいにガサツな女は、詩人さんには受けが悪いみたいだねぇ」


 軍団長に伝達、という目的のほかに、本当は、時間があれば何か物語を聞かせてほしい、と詩人に頼みたかったのだ。なのに、とても言い出せる雰囲気ではなかった。


「対応を軍団長に任せようとしてるの、あからさまだったし。嫌われちまったかねぇ」


 はぁ、とため息。乱暴なふるまいはしないように、なるべく失礼のないように、と心がけてはいるのだが、性格と育ちのせいで、どうしてもざっくばらんが少々行き過ぎてしまう。


「お嬢様みたいにお淑やかなら、いいんだろうけど。せめて髪を伸ばすかなぁ。ヤゼロ、どう思う?」

「キュ?」


 涼しい襟足に手をやり、だがすぐに、まあいいか、と気を取り直す。


「長いとアンタの邪魔になっちまうもんね。毎日結うのも面倒くさいし。さってと、せっかく豪華な客室が使えるんだし、一休みしよう!」

「キュイ!」


 元気良く言って、オルガは軽い駆け足で館へ戻っていった。



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