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3.お嬢様の憂鬱


「街から採掘場までの距離は……」

「現状、割ける人数は二十人ほどで」

「採掘場に潜入する方法として考えられるのは」


 あれこれ相談する二人のそばで、一応責任者である伯爵も、ふむふむと聞いている。いずれ領地をあずかる身となるユスティナも、状況を把握するべきだとわかってはいたが、どうにも集中できなかった。


(普通に会話している……)


 あの無口な軍団長が。おはようございます、の一言すらめったに返してくれないヴィレムが。

 声や言葉を出しにくい、という様子もなく、長い会話を淡々と自然にこなしている。


(必要なことなら話すけれど、必要なければ話したくない、ということかしら。それならわたくしも、将来この家を継いだ後でなら、様々な用件で普通に話ができるのかしら。……いいえ、違うわね。用件や討議でいくら言葉を交わしても、心の通った会話にはならないもの)


 ふっと吐息をこぼし、いけない、と眼前の問題に意識を戻そうとする。だがそもそも彼女の出る幕はないので、ただ聞いているだけだ。


 低く深く、ほとんど感情のこもらない平坦な声。ユスティナはいつしか、初めてその声を聞いた日のことを思い出していた。



 ――伯爵家が擁する軍団はふたつ。国境防衛にあたる赤竜軍団と、領主館の警備および都ベツェレンの防衛を担う白獅子軍団である。


 三年前、次の白獅子軍団長候補を紹介すると聞いて父親と一緒に待っていたら、ちょっと遠近感が狂いそうな人間が現れた。

 思わず後ずさり、視界を調整しなければならなかったほどだ。


「まだ二十歳ですが、既に充分な功績を立てております。本人の武芸は言うまでもなく、何より状況の把握分析、判断力に優れております。伯爵のお許しさえいただけたら、私も安心して隠居できますよ。もちろん、私が抜けても古参の士官が補佐しますのでな」


 ははは、と笑って初老の軍団長が若者の背中をばしばし叩く。ユスティナは驚き、改めてヴィレムを見上げた。顔が遠くて、年齢や特徴をいまいち認識していなかったのだ。

 背の高い人間にはわかるまいが、小柄だとそういう不便もある。人と話す時はいつも少し仰向いていなければならなくて、首も地味に疲れるし。


 こちらの動きに気付いてか、青年がゆっくり振り向く。彼が頭を下げるまでの一呼吸の間だけ、目が合った。

 明け方の空の色だった。

 輝く朝の訪れを告げながらも、まだそっと静かに世界を包んでいてくれる、深い藍色。


「よろしくお願いします」


 端的に一言だけ告げる声を耳にした時、ユスティナはなぜか、誠実で優しい人だ、と直感したのだった。


(あの直感は多分、間違っていない)


 ヴィレムと接点ができてわずか三年、言葉を交わしたことは数えるほどしかなく、それもごく短いやりとりだったが、軍団長としての働きぶりを見ていれば人柄はおのずと知れる。


 大柄で強面で威圧感がとんでもないが、それゆえに怒声を張り上げることがない。下位の兵に無理な要求をしている様子もないし、街の住民からの苦情もない。

 ヴィレムが軍団長になってから一年も経つ頃には、館の雰囲気は確実に良くなり、伯爵一家の彼に対する信頼は確かなものになった。


 何よりユスティナ個人にとって重要なのは、ヴィレムの彼女に対する姿勢がとても丁寧であることだ。むろん伯爵一家に対する臣下としての丁重さはある。だがそれ以上に、彼はほんの十六歳の少女に特別な恭しさを示してくれた。


(彼が軍団長になったばかりの頃はまだ弟も妹もいたけれど、思い違いでなければ、あの二人よりもわたくしを優先し尊重してくれた。だから嬉しくて……怖くなんてなかった。きっともっと親しくなれる、とさえ思ったのに)


 現実には三年経ってもこのざまだ。雑談ひとつろくに交わせない。時々、いっそ彼のほうこそがこちらを恐れているのではないかと疑わしくなる。


 協議の結果、軍団長率いる一隊がオルガと共に採掘場へ向かうことが決まると、彼は「すぐ準備にかかります」と退出してしまった。ミハルが若干あたふたした様子で、それを追いかける。伯爵も壁の時計を見て目を丸くした。


「おお、もうこんな時間か。すまんがユスティナ、後は頼む。必要な手配をしてやってくれ。わしは会議に行かねばならん」

「そういえば、そうでしたね。わかりました、お気を付けて」


 父親の予定を思い出し、ユスティナは一礼する。慌ただしく書類をひっかき回して用意を始めた伯爵をそのままに、オルガを促して部屋を出た。


「お嬢様を煩わせて、すみませんね」


 オルガは恐縮そうな口調で謝った。だが実のところ、身分などにはまったく気後れしていないだろう。堂々とした態度、ここにいるのが当然のような佇まいに、培ってきた実力と自信が窺える。


 格好いいわね、とユスティナは内心うらやましく思った。きっとこういう女性のほうが、ヴィレムにとっては話しやすい相手なのだろう。

 そんな複雑な感情は毛ほども顔に出さず、ユスティナは上品に微笑んだ。


「気にしないで。貴族と言っても、何事につけざっくばらんな家系なの。自分でできることは自分で、立っている者は親でも上司でも使え、ってね」

「国境を守る伯爵家としては頼もしい限りですね」

「ええ。だから遠慮なく答えてほしいのだけど、ベツェレン滞在中はどこに部屋を取る予定? 街の組合事務所に宿泊施設があるのかしら。館の客室を使ってもかまいませんよ。きっとまた……何か打ち合わせする必要もあるでしょうし」


 どうかしら、とユスティナが提案すると、オルガはちょっと考えてからうなずいた。


「そうですね。お言葉に甘えて、こちらに泊まらせていただけますか。事務所には先に寄って動き方を知らせておきましたし、急な連絡があれば使い魔を遣りますから」

「では用意させる間、わたくしの部屋で待っていてくださるかしら。色々お話を聞かせていただけると嬉しいわ」


 使い古された社交辞令も、今は本心だ。ユスティナは客室を調えるよう召使に指示してから、オルガを連れて自室に戻った。

 紅茶と薄焼き菓子が用意され、テーブルを挟んで座ると、オルガは室内をぐるりと見回して嫌味なく感心した。


「可愛らしいお部屋ですね」

「ありがとう。妹にはよく、華がない、潤いが足りない、と言われたのだけど」

「アタシはそういうの、よくわかりませんが」


 思わずのように素の口調になり、オルガは首を竦める。こういう話題になると、凛々しい賞金稼ぎから普通の女性らしい感覚になるようだ。ユスティナが仕草で構わないと示すと、彼女は安心したように続けた。


「全体的に趣味がいいと思いますよ。このテーブルも小さくて一見素朴なのに、この辺の丸みとか、細かいところでちゃんと可愛いし。あそこに活けてある花も、普通に見過ごしそうですが、あれがなかったら随分と雰囲気が違うでしょうね」

「気付いてもらえて嬉しいわ。……それはそうと、ひとつ確認させて欲しいのだけれど。あなたが追っているはぐれ魔術師は、そんなに危険な人物なのかしら。いったい何をして賞金をかけられたのですか」


 ユスティナが問うと、オルガはさっと仕事の顔つきに戻ったものの、答えにくそうに目をそらした。貴族のお嬢様に聞かせるには差し障りのある事柄らしい。

 察したユスティナはこほんと咳払いした。


「それなりにわたくしも耐性はあるつもりですが……まあ、無理には聞きません。火焔石ではない別のものを狙う可能性がないか、気になっただけですから」

「ああ、そうですね。それはアタシも考えました。バジルが姿を現しそうなのは一番に採掘場ですが、ひょっとしたらこっちに来るかもしれません。お屋敷にはいろいろ、美術品やアクセサリーがあるでしょう」

「ええ、それなりには。金品を盗んだりもするのですか?」


 意外に思ってユスティナは問うた。普通の泥棒ならともかく、魔術師という特異な人種とは結びつかない。オルガは伯爵令嬢の胸元できらめくブローチや、室内にさりげなく飾られた置物に視線を巡らせてから答えた。


「ああいえ、奴の狙いは魔術素材になる鉱石です。ついでに金銭や食べ物を盗むこともありますが。これまでに奴が奪ったのはすべて、宝石としてよりも素材として価値がある石でした」

「そういうことですか。とは言っても……何が魔術の素材として価値があるのか、わたくしには判断できませんね。館の魔術師も、石の類はあまり使わないようですし」

「魔術師によって素材との相性も使い方もばらばらですからね。ただ、組合のほうに確認を取った限りでは、このお屋敷に魔術的なお宝がある、といった類の噂は過去にもまったくありませんし、何より警備が厳重ですから、襲撃される心配はないでしょう。ただし外ではどうかわかりませんから、お嬢様もしばらく行動は慎重にお願いしますよ」

「わかりました。宝石で着飾って街へ遊びに行くのは我慢しましょう」


 ユスティナが悪戯めかして言い、オルガの笑いを誘う。

 そうしてしばらく、お互いの好きなアクセサリーのことや街の店について雑談をしていると、召使がやって来て部屋の用意ができたと告げた。


「それじゃ、失礼します。ごちそう様でした」

「ゆっくり休んで旅の疲れを落としてね」


 はい、と爽やかな笑顔と共に、そもそも疲れてなどいないような足音が廊下へ消える。

 オルガの残した快活な気配が薄れてから、ユスティナはつい、物憂いため息をこぼしたのだった。


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