2.親友に言わせると
真面目な騎士団長が食事を終えて仕事に行ってしまうと、残った詩人はテーブルに肘をついてぼんやり物思いにふけった。
「どうにかならんかねぇ……」
独り言がこぼれる。見た目の怖さで昔から損ばかりしている幼なじみが、延々十年、片思いとも呼べないほどの清い憧れを抱き続けているのだ。何とかしてやりたいとは思うが、本人があの調子ではどうにもならない。
だいたいヴィレムは、昔からバカ正直と言うか、あまりにもまっすぐで欲がない。おまけに無口で、説明とか言い訳とか、自分を良く見せるとか、そういうことが全然できない。
(だから誤解されるし、さもなきゃいいように使われるんだよ。まったく、年上のくせに世話の焼ける)
やれやれ、と頭を振って席を立つ。こちらも詩人なりの仕事があるので、友人のことにばかりかまけてもいられない。
いったん部屋に戻って、覚え書き用の屑紙束と鉛筆を取り、楽器を抱えて外に出る。
手入れの行き届いた庭園をてくてく歩き、お気に入りの木陰に腰を下ろすと、さて、と彼は梢を仰いだ。
小声でぶつぶつと暗誦しつつ、時折ふむと思案してひとまず木の枝で地面に走り書きし、ひとつふたつ旋律をつけてみる。
あれこれ試して、いくらか良さそうだと思えたら、そこで初めて紙に書き留める。昔より安価になったとは言っても、紙の無駄遣いはできないからだ。
ちなみに彼が記しているのは、自作の詩ではない。
当世、詩人の仕事は宴や催事において、『皆に広く知られている物語』をアレンジして語り聞かせることである。ただ一人のため時間を割いて語ることもあるが、本命の舞台は大勢の貴族が集まる場だ。
そういう場で求められるのは、聞いたこともない新奇な詩歌ではない。皆に好まれている英雄物語やロマンスを、いかに魅力的に面白く語るか、その中でいかに巧みに自分の雇い主を誉め称え持ち上げ、政敵を当てこすり貶めるか、が詩人の腕の見せ所なのである。
ぶっちゃけ世知辛い。
「はー……また代筆の依頼が欲しいねぇ」
恋文の代筆なら好きなように書けるから、気晴らしになる。読み書きできない者もまだ多いから、配達まで請け負って相手を目の前にして読み上げ、即興で表現を付け加えたりする楽しみもある。
自分が口説くとなったらその後が面倒だが、他人の恋の橋渡しなら、ただ純粋に自分の言葉がどんな反応を引き起こすか、にまにま笑いながら見物していられるし。
「くっつきそうな奴ら、大方くっつけちまったからなー。……誰か別れねえかな」
わりと無責任な詩人なのであった。
そんな非道な独り言を聞きつけたかのように、静かな足音が近付いてきた。
「ここにいたのね、ミハル」
そよ風のようにさりげなく、それでいて鳥のさえずりのように明瞭に聞こえる声の主は、伯爵令嬢ユスティナだ。
「これはこれは、お嬢様。今日も白薔薇のごとく清らかにお美しくていらっしゃる。まことに至福、この目の喜び」
「ありがとう。でもお世辞の練習をするなら、もう少し心を込めているふりをしなさいね。せめて一度ちゃんと立って、お辞儀するなりひざまずくなりしないと、酔っぱらっているみたいに見えるわよ」
ユスティナは微笑み、やんちゃな弟を優しくたしなめるような口調で言った。実際には詩人のほうが年上なのだが、そこは身分の差というもの。
ミハルは首を竦めて「恐れ入ります」と詫びたものの、言われたようにはしなかった。
「ごもっともですが、お嬢様は俺がどんなに褒めてもあんまり喜んで下さらないから、甲斐がないんですよ……最初の頃はそりゃ一生懸命やりましたけどねぇ。白薔薇なんて安易なたとえじゃなくて、朝露に宿る虹だとか、いろいろ。いやしかし、酔っぱらいというのもあながち的外れではございませんよ。お嬢様の美しさに酔いしれておりますからね」
「あなたのは自分に酔っているのだと思うけれど。素面なら、一緒に館に戻ってくれるかしら」
「仰せとあらば。いかがなさいましたかね、伯爵様が昼寝の子守歌でもご所望ですか」
軽口を叩きながらも、ミハルは手早く筆記具を片付けてウードを抱え、ひょいと立ち上がる。ユスティナが先に立って歩きながら話を続けた。
「あなたはとても物覚えが良いのですってね」
「そりゃまあ、でなきゃ詩人は務まりませんから」
「詩歌のような言葉だけでなく、人の顔を覚えるのも得意だとか。館の者はもちろん、出入りする街の商人なども一度見ただけで、どこの誰とは知らなくとも記憶していると、厨房の皆が感心していましたよ」
「たまたまですよ」
何かつまみ食いしようと厨房にお邪魔した時、使用人たちの会話に助け船を出しただけだ。ミハルは首を竦めて謙遜し、用心深い顔つきになった。彼の警戒を見て取り、ユスティナも真顔になってうなずく。
「その記憶力を役立てて欲しいことがあるのです」
「何か怪しい奴でも出入りしてましたか? いくら俺でも、自分が見てないことまで覚えちゃいませんよ」
「心配しないで、まだ何も起きていないわ。これから起きるかもしれないことを防ぐの」
「どっちにしても責任重大ですねぇ。警備の話なら、ヴィレムの奴も呼びますか」
さりげなく友人の名前を出して、反応を窺う。ユスティナは表情を変えず、前を見たままうなずいた。
「ええ、もう呼びにやりました」
何でもない態度、事務的な声音。あまりにも自然で、だからこそ不自然な平静さの陰に、微かな緊張が垣間見える。
(見た感じ、これは怯えてるってんじゃない……よなぁ? お嬢様のほうでも、あいつを意識してると思うんだけどな)
大勢の想い人をくっつけてきた詩人の目に狂いはない。とは思うのだが、ユスティナはさすがに使用人たちと違って、そう素直に感情をあらわさない。元がおとなしい性格らしいのに加えて、長女の責任感もあるのだろう。
(跡取りになるはずだった末の弟はあっさり早死にして、無邪気で自由奔放な妹はよその貴族と恋愛結婚。まぁ珍しくもない話だ。この手の姉姫さんが遍歴騎士と恋仲に、ってのは王道だけどなー。ヴィレムじゃ駄目ッスかねお嬢様。俺みたいな口の上手い男におだてられても動じないってことは、ああいう堅い奴が好みでしょ? 家や血筋のしがらみもないし、浮気の心配もないし、お買い得ですよー)
さすがに声に出すわけにはいかないので、伝われー、と心の中だけで売り込む。友人が伯爵家の婿養子になれば、お抱え詩人の自分も安泰だという打算も、もちろん込みである。
あれこれ考えながら館に戻り、ユスティナと共に執務室に入ると、既にヴィレムが待機していた。伯爵はただでさえ小柄で太り気味なので、ヴィレムと並ぶと滑稽なほど落差が際立って見える。
笑いをこらえて顔を背けたミハルは、室内に控えるもう一人に気付いて目をみはった。
初めて見る女だった。
こんなに髪を短くしている女は今まで見たことがなかったから、一瞬、性別の判断に迷ったのだが、女とわかってドキリとした。
すらりと背筋の伸びた立ち姿、袖も裾も短めで動きやすく作られた服。肩には水色のトカゲが乗っている――使い魔だ。
その女が振り向いた瞬間、ミハルの頭を占めていた他人のことが全部、きれいさっぱり消し飛んだ。
うわ、と無意識に吐息がこぼれる。二十一年生きてきて、初めての経験だった。
言葉が出てこない。
容姿を称える言葉も、今の自分の心情をあらわす言葉も、何ひとつ。
本当にたった一目でこんな衝撃を受けることがあろうとは、数々の詩を歌ってきた彼にもまったく予想外だった。
詩人が呆然と立ち尽くしている間に、伯爵が二人を手招きして話を始めた。
「おおユスティナ、戻ったか。使い走りをさせてすまんな。さて、これで揃った。改めて紹介しよう。彼女は『風の狼』の一員、オルガだ。オルガ、そこの大男が白獅子軍団長ヴィレム、娘が連れてきたのが詩人のミハルだ」
はじめまして、とオルガは歯切れ良く挨拶し、笑みを見せた。ヴィレムが目礼を返し、ミハルも声を失ったまま曖昧にぺこりと会釈する。
いつも調子良くぺらぺらしゃべる詩人の挙動不審に、館の三人は不審げな目をしたものの、問いただしはしなかった。
「それでは今一度、私が伺った事情をご説明します。と言いましても話は単純、賞金首が一人こちらの領内に入り込んだので、狩りが終わるまで警戒していただきたいのです」
オルガは活動的な外見通りのきびきびした口調で、来訪の目的について説明した。
『風の狼』というのはこの国独特の組織である。平たく言えば賞金稼ぎなのだが、無法無頼の集団ではない。本来、治安維持は各地の領主の仕事だが、温情をかけてやりたい身内の揉め事だとか、別の領地に逃げられたら手が出せないとかいった、お役所仕事では融通のきかない部分をカバーしている。
厳しい資格試験に合格した者だけが『狼』として認められ、賞金首を捕縛するための使い魔を与えられるのだ。
「賞金首というのがこの男です。はぐれ魔術師、名前はバジル。本名かどうかはわかりませんが」
言ってオルガは一枚の人相書きを広げて見せた。ちなみに魔術師もこの国では登録制なので、はぐれ、というのは正式な師につかず独学で魔術を身につけ、胡散臭い方法で用いる日陰者ということだ。
ようやくミハルも自分が呼ばれた理由を思い出し、ぎくしゃく動いて、他の面々と一緒にそれを覗き込む。
「……とりあえず、俺は見覚えがありませんね」
彼が言うと、ヴィレムも同じくとうなずいた。伯爵は「ふむ」と唸ってしげしげ人相書きを眺める。
「そなたら二人がそう言うなら、こやつが館に近付いたことはないのだろうな」
「恐らく今後も、このお屋敷に忍び込むといった心配はないでしょう。この男が求めているのは魔術の素材です。恐らく狙いは火焔石採掘場かと」
「なるほど。火焔石などありふれておる……というのは我々の感覚であったな。ヴィレム、オルガに協力して警戒に当たれ」
伯爵は言って、軍団長に視線を転じた。
厳つい大男が凛々しい女賞金稼ぎと並び、地図を広げて打ち合わせを始める。その様子を、ミハルはただ惚けて見ていることしかできなかった。