傷痕についての釈明
伯爵令嬢と軍団長ともなると、清く正しく『お付き合い』するだけでも、それなりにクリアしなければならない関門がある。
というわけで。
「来たか、ヴィレム軍団長。ざっくり身辺を洗ったが、おかしな過去も出てこんし、おまえの仕事ぶりは私も評価しておるからな、うむ。ユスティナとの交際を認めよう」
伯爵に呼ばれて執務室に出頭したらこの台詞である。ありがたいと喜ぶよりも、いつの間にどこまで、とヴィレムは内心冷や汗をかいた。
「恐れ入ります」
深々と最敬礼しつつ、何か伯爵家にとって望ましくない事柄が後から出てきたりしないだろうか、と急いで人生を振り返ってみる。
親類縁者のいない貧しい孤児だったというのは、普通の貴族なら眉をひそめて「そんな者を我が家門に加えるなんて」と却下する条件だろう。
だが既に軍団長の地位を得ているし、相応に功績も立ててきたから、むしろ政治的なややこしさがないという好条件になる……はずだ。多分。
犯罪歴、と言われると少し痛い。
浮浪児集団で生きてきたから、ヴィレムとて清廉潔白ではない。盗みの手伝いもしたし、敵対グループと殴り合いの喧嘩をしたこともある。
いちいち誰が何をしたかなど、あの町で記録している者はいまいが、何しろヴィレムは抜きんでて体格が良かったから、誰かの記憶には残っているだろう。
今さらながら、やっぱり手紙など書かず、ただ遠くからお嬢様を見守るだけに徹していたほうが良かったのでは……などと怖くなったところへ、伯爵が苦笑まじりに声をかけてくれた。
「そう緊張するな。よそならともかく、うちでは血筋だの育ちだのは問題にせんよ。まっとうに我が領地を守り、切り盛りしていける能力があるかどうか、が重要だ。その点、おまえに文句はない。何よりユスティナを大切にしてくれるのは間違いないしな」
「……それは、もちろん」
ぎこちなく応じてヴィレムは顔を上げる。すると伯爵は、予想外に鋭い目つきでこちらを見ていた。そして、低く唸るように一言。
「ただ、な。ひとつ、わからんことがあった」
ヴィレムはぎくりと身をこわばらせる。伯爵は、追及というより困惑の口調になって、彼の顔をちょいと指さした。
「その額の傷痕だ。いつ、どうしてついた? てっきりこっちに来て軍団に入ってからの負傷だと思っておったが、そんな記録はない」
「…………」
ほっ、とヴィレムは安堵の息をついた。この大きな傷跡のせいで兵士たちにも余計に怖がられているのだが、決してこれは、そういう荒々しい傷ではないのだから。
「子供の頃の傷です」
「何をやらかした。転んだぐらいでつく傷じゃなかろう」
「はい。落ちてきた石が当たりました」
伯爵は変な顔になった。落石が当たった。頭のてっぺんだとか、肩や腕でもなく、額に。ということは、
「つまり……ぽかんとそれを見上げておったのか?」
「はい」
「…………」
※ ※ ※
敬愛するユスティナお嬢様
伯爵の困惑を晴らすために納得のいく説明を、とのご要望、もっともだと存じます。
ベツェレンの防衛を担う軍団長が、落下物をただ眺めていて逃げもせず直撃されるような男だとすれば、伯爵が不安になられるのも無理からぬこと。
ですが、お嬢様が仰せられたように、もちろん理由がございます。
あの日は、我々路上で生きる子供たちにとって幸運な日でした。
いくつかの偶然と、何人かの大人の不運によって、大量の食糧が転がり込んだのです。
荷車がひとつ、積み荷もろとも駄目になったという次第なのですが、容易に手に入る素晴らしい賜りものを、我々はこぞって奪い合いました。
町には一応の縄張りがありましたが、見回りを怠ったり力が弱ったりすれば、別の群れに奪われるのは、野の獣も我々も同じです。
その事故現場は我々の縄張りの範囲内ではありましたが境界に近く、見付けたのも他所の子供のほうが早かったので、駆け付けた我々が先客を追い払う騒ぎになりました。
そうして戦利品を手に入れて、ミハルや他の子供らがせっせと回収している間、私は見張り役をつとめておりました。
逃げた敵が戻って来ないか、どさくさ紛れに掠め取ろうとする者がいないかと、細い路地や建物の陰にも目を凝らし。もちろん頭上からの襲撃にも警戒して、近隣の屋根を仰ぎ見ました。
その時に気付いたのです。
なんと素晴らしい夕焼けだろう、と。
朝焼けも夕焼けも見慣れているはずなのに、その日の空はなぜか特別でした。
傾いた太陽から流れる黄金の大河、飛沫のように白く輝き揺れ動く雲。
耳には届かない天上の祝福が、あの空では絶えざる音楽として響いているのだと確信し、私はいっさいを忘れて見入っていました。
刻々と少しずつ空の景色は変化していくので、瞬きすらも惜しんで、遙かな奇蹟をこの身に刻みつけようとしていたのです。
青と緋と黄金の輝く空に、白いものが弧を描いて飛ぶのさえ、あまりにも自然で美しくて、避ける、という考えなど浮かびませんでした。
それが瓦礫の破片で、当たると危険だという認識さえできず、まともに額で受けてしまったのです。
気が付いたらいつものねぐらで、すっかり夜でした。
ミハルの話では、あまりに見事に直撃したもので、投げたほうも何か異様に感じたようで、大きな混乱は起きなかったとか。私は一度その場に倒れたものの、ミハルが声をかけると自分で立ち上がって歩いて帰ったそうです(記憶にはありませんが)。
そんな理由ですので、同じ失敗をもう一度することはないと信じております。
奇蹟的な自然の美は、幸運にもそれから何度か遭遇し、いくらか慣れました。
軍団長としての重責は常に心に在り、感動によって消え去ることは決してありません。
どうかご安心ください。
思えば、あの日あの空を見たからこそ、私はここにいるのかもしれません。
世界には祝福に満ちた輝かしい清らかさが確かに存在するのだと知り、叶うならばそれに近付きたい、もっとそうした奇蹟を見ていたいと願ったからこそ。
天の助けを得て、私は今、何物にも代えがたく素晴らしい小鳥の美しい姿を近くで見、幸福を運ぶ声を聞くことを許されています。
いつかあなたと共に、あの日と同じ夕空を眺めることができたなら、それにまさる幸せはないでしょう。
あなたの忠実なるしもべ ヴィレム
お付き合いありがとうございました。
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