11.めでたし、めでたし。
「……そうして二人は、末永く幸せに暮らしましたとさ。おしまい」
ミハルが物語を締めくくると、オルガは満足の吐息をつき、ぱちぱちと拍手してくれた。肩でヤゼロも歓声のつもりか、キュ、キュ、と小さな声を上げる。
打ち上げ宴会の翌日、場所はオルガにあてがわれた客室だ。扉は開いているが、お嬢様と違って侍女が控えていることもなく、二人きり。
もちろん彼女のほうはそれを気にする様子などまったくない。ゆったり目を瞑って余韻に浸ってから、改めて詩人に礼を言った。
「ありがとうございます、素晴らしい語りでした。やっぱりお話は『それからみんな幸せに暮らしました』って終わり方がいいですね」
しみじみと満足を噛みしめていた表情が、言葉尻でふっと曇った。何か至らない所があったか、とミハルが緊張すると、彼女は気付いて小さく首を振った。
「現実には、なかなか……ずっと幸せに、なんてことはありませんからね。ちょっとしたきっかけで、皆ばらばらになってしまう」
「そういえば、よその領地にまで行くような『狼』は、チームで『狩り』をするって……」
ミハルは曖昧に語尾を濁し、気遣いのまなざしを向けた。オルガは心配無用とばかりに笑って見せる。
「ええ、普通はそうです。使い魔がいるので、単独でもそれなりに仕事はこなせますが、危険な賞金首を追う時は仲間と役割分担して狩ります。今回は白獅子軍団の皆さんが協力して下さったおかげで、バジルを狙い通りの場所に誘導できたわけですが。アタシも昔はチームを組んでたんですけど、仲間内で揉めたり、一般人と結婚して引退したりで。気が付いたら独りになってました」
まぁなんてことない話ですが、といった態度を装っているが、詩人の鋭い目は、声音や表情に潜む寂しさを見逃さなかった。
(ここは! いいこと言うところだろ俺!! 何かないのか何か! 『我が腕は汝の止まり木』……いやそれじゃ『自由に羽ばたいてゆけ』になっちまう没!)
相変わらず脳みそが役に立たない。ままならない自分に悶えるミハルの態度を、オルガは気遣いゆえだと理解した。苦笑しながら、はっきり言葉に出して否定する。
「困らせてしまってすみません。そんなに気にしないでください、叙事詩の悲劇みたいな事情じゃありませんよ。それに、根なし草にはそれなりのいいところもあります。いつどこに行って誰と組もうと自由ですからね」
「アッハイ。いやあの、気を遣ったっていうか俺は……」
ミハルはもごもご言い訳しかけて、はたと気付いて瞬きした。
「ん? ってことは、賞金首の引き渡しも済んだからじきに本拠地に帰る、ってわけじゃないんですね?」
「ええ。一応、所属する支部ってのはありますけど、そこにずっといなけりゃいけない、って規則もありませんしね。せっかく旅して来たのに、用が済んだらすぐサヨナラ、なんてもったいないでしょう」
屈託のない答えを受けて、ミハルの頭上に祝福の鐘がリンゴーンと鳴り響く。ぱあっと明るい顔になった彼に、オルガも笑みを返した。
「ベツェレン支部でぼちぼち仕事をしながら、しばらく町や近辺を観光するつもりです。ですからまた機会があれば、詩人さんお得意の物語を聴かせてください」
「もちろん、いつでも!」
思わず全力で了承してしまい、ミハルはさすがに少々赤くなる。オルガは無邪気に喜んだ。
「ありがとうございます。宴会のついでに呼んで頂けたら、こそっと会場に潜り込んで隅っこで聴かせてもらいますよ」
「いやいやいや、そんなケチくさいこと言わずに!」
「け、ケチですか? でも伯爵家お抱えの詩人さんを独り占めなんて、そうそうお願いするわけには」
「美女に独り占めされるなら大歓迎ですって!」
うっかり露骨な言い方をしてしまい、あっ、とミハルは口を覆った。見る見る頬に血が昇り、耳が熱くなる。
オルガは一瞬あっけに取られ、次いで照れ笑いになって、朗らかな口調で場の雰囲気を取り繕った。
「あはは、さすがにお上手ですね! 詩人さんみたいな格好いい人にそう言われると、まぁ、悪い気はしません。ありがとうございます」
「……っ!」
声にならない悲鳴を上げて、ミハルは両手に顔を埋めてしまう。
(違う、違うそうじゃない、お世辞じゃないしそもそもお世辞だったらもっとうまいこときれいな言葉で飾って言うよ! アレが俺の詩人力だとかヤメテほんと泣くから!! あぁぁもう、なんで肝心な時にまともな言葉が出てこないんだよ! ってか今さらっと「格好いい」とか褒められた? お世辞返しだとしても褒められたの俺? ちょっと自惚れていい?)
情けなくてもどかしくて嬉しくて、混乱からなかなか復帰できない。
沈没したきりのミハルを思いやってか、オルガは穏やかに言葉を続けた。
「詩人さんなら、そうやっていろんな人に『末永く幸せに暮らしました』って結末を届けられるんでょうね。軍団長さんから聞きましたよ。ここのお屋敷の人たち、大勢が詩人さんの恋文で仲を取り持ってもらったとか。アタシも詩人さんみたいな才能があったら、もしかしたら……」
そこで彼女は、おっと、と口を閉ざした。独りでもなんてことない、と言い繕っていたところなのに、もしかしたら昔の仲間と離れ離れにならずに済んだのでは、などと夢想したのでは台無しだ。曖昧に濁し、軽くおどけた仕草で肩を竦める。
もちろん、ミハルはごまかされなかった。
「……ああっ、もう!」
とうとう彼はやぶれかぶれになり、椅子を蹴って立ち上がった。当たって砕けろ、の勢いでオルガのほうへ行くと、床に片膝をついて彼女の手を取る。そして、
「えっ? え、あの、詩人さん?」
「すみません」
一言謝罪すると、問答無用で甲に唇を当てた。
「うわあぁぁ!?」
途端にオルガが素っ頓狂な声を上げ、反射的に竦んで手を引っ込めようとする。ミハルはそれをぎゅっと握って止めた。うつむいて、祈るように両手でオルガの手を包み込んで、声を絞り出す。
「すみません。俺、詩人のくせに上手くしゃべれなくて。けど、……ここじゃ、だめですか。ここで、『ずっと幸せに暮らしましたとさ』っていうのは」
「…………」
返事はなかったが、握られたままの手から力が抜けた。ミハルもそれ以上は言葉を重ねられず、頭を垂れてひたすらじっと待ち続ける。
ややあって、ふっと温かい苦笑が降ってきた。恐る恐る顔を上げたミハルの目に、ものすごく照れくさそうな、けれど明らかに喜びを湛えた笑みが映る。
「とりあえず、手を離して立ってください。つまりその、まったく予想外で」
「ですよね! スミマセン!!」
今さら猛烈に恥ずかしくなって、ミハルは火傷したように手を離し、飛び上がるほどの勢いで立ち上がった。しかしそのまま元の席に座るわけにもいかず、一歩下がって棒立ちになる。
奇妙な間があってから、オルガがぷっとふきだした。笑われたミハルは身の置き所がなくてもじもじするしかない。
「失礼、あんまり意外で。だって、詩人さんなのに」
「……こんなに言葉が不自由になるとか、俺が一番信じられないッスよ」
「それも意外ですけど、ほら、詩人さんって言ったらお洒落で粋で頭のいい人達だと思ってましたから。アタシみたいにガサツな女は苦手だろうな、って」
ぶんぶん、とミハルは無言で首を振る。オルガは面白そうな目をしつつも、本当ですか、と眉を上げた。
「さっきだって、きゃあ、とか叫べば可愛いものを、変な声を出しましたしね」
「いや可愛いです」
「え?」
ミハルは思わず小声で突っ込みを入れ、聞き返されて赤面した。迂闊な自分の口を覆い、今の無し、と手を振る。
うわぁも可愛かったしそんなことを気にする辺りも可愛いです、だとか、「可愛い」以外の語彙が崩壊した思考を垂れ流して詩人の肩書きをこれ以上怪しくするのはさすがに避けたい。
詩人の挙動不審にオルガは怪訝な顔をしたものの、深くは追及しなかった。肩の使い魔と目を合わせてから、こほんと咳払いして話を続ける。
「……正直なところ、どうお返事したものか。仮に今アタシが詩人さんのご好意に甘えるとしたって、それで物語みたいに大団円で終わるわけじゃないですし」
「それは……でも」
「ええ、もちろん、だからって誰とも仲良くしないでいつ別れてもいいように、ってのも人生がもったいない。なので……そうですね、うん。ここから。今から、お話の始まりにしましょう」
気恥ずかしそうに言ってオルガは立ち上がり、ミハルに向かい合うと、改めて手を差し出す。口づけではなく、握手を求める形に。
「いつか『めでたし、めでたし』に辿り着けるように。改めて、今後とも宜しくお願いします」
「……っ」
はい、の一言さえ出て来ず、ミハルはこくこくとうなずいて、緊張しながら手を握る。
それは互いの心がしっかりと結び合わさった、強く確かな握手だった。
「――というわけで第一歩として、少しずつ敬語やめません? 軍団長さんと交わしてるみたいな会話、ちょっと羨ましいんですけど」
「なんでいきなり男友達目指してんですか!!??」
※ ※ ※
たとえばここが庭園で、一本の薔薇が見事に花盛りだとしよう。
白獅子軍団長ヴィレムなら、無言無表情でじっと立ち尽くしているだろう。しかしその頭の中では、薔薇にも劣らぬ美麗な言葉が次々と花開いている。
詩人ミハルはあらゆる角度から花を観賞しつつ詩を紡ぐだろう。だがもし、その薔薇が真に心を打ったなら、彼は言葉を失いただ見惚れるばかり。
伯爵令嬢ユスティナは、皆の目を楽しませるために薔薇を手折って飾るだろう。皆が喜ぶのを見て微笑みながら、けれど心では誰かが自分のために花束を贈ってくれるのを待っている。
賞金稼ぎのオルガなら、仲間を集めて花見の宴を開くだろう。そうして楽しく笑いながら、同時にこの仲間がいつまで共にいられるかと寂しさを抱くのだ。
――これは、そんな四人の物語。
結びにはまだ遠い、けれどいつか約束された『めでたし、めでたし』に辿り着くお話。
(おしまい)




