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10.小鳥の翼も高く飛ぶ



『親愛なるヴィレム軍団長


 真心のこもった美しいお手紙、ありがとうございました。

 あなたのお気持ちは大変嬉しく思います。


 いいえ、こんな取り繕った文面はよしましょう。

 昔の話をミハルから聞きました。

 あなたからすっかり言葉を奪ってしまうほどの出来事があったのに、

 こうして想いを綴ってくださったなんて奇跡にも等しい思いです。


 わたくしはずっと、好かれているのは妹だけで、

 わたくしはただ行儀よく賢いふるまいを求められているだけだと信じていました。

 わたくしがわたくしであること自体に、価値などないのだと。

 ですが、あなたはそれを覆してくれました。

 どれほどの驚き、どれほどの福音であったか、

 とても言葉に表せそうにありません。


 ですから、お戻りになったらゆっくり話をしましょう。

 あなたはおしゃべりは苦手だと聞きましたが、

 わたくしの話を聞いてくださるだけでも良いのです。

 すぐにミハルのようにはなれなくとも、

 少しずつでも、あなたを理解したいと思っています。


 どうかお気をつけて。無事のお帰りをお待ちしています。


   あなたの小鳥 ユスティナ』



 緊張と力みで筆跡の乱れた最後の署名を目にして、うっかり昇天しかけていたヴィレムは、外の騒ぎに気付くのが遅れた。

 が、知らせを受けた後はさすがに迅速だった。

 装備を奪われた兵士を捜索し、瀕死のところを救出。

 宿場で魔術師が潜伏していた場所を突き止め、食料などを買うために彼が換金した怪しげな指輪を含めて所持品を押収した。


 ほかに被害者も協力者もいないことを確かめて、それから白獅子軍団は採掘場からベツェレンへ帰還したのだった。




「ご苦労だったな、ヴィレム。全員無事で何よりだ。オルガも、我が領内の治安維持に対する貢献、感謝するぞ」


 出迎えた伯爵のねぎらいに、ヴィレムは無言で畏まって敬礼し、オルガも頭を下げた。


「こちらこそ、頼もしいお力添え、ありがとうございました」

「この後、その魔術師を組合に引き渡すのだな。支部長によろしく伝えてくれ」


 恩を売っておいてくれ、との含みを隠しもせず、伯爵は茶目っ気たっぷりに笑って言う。そうして、改めて遠征帰りの面々によくやったと声をかけてから、解散を命じた。


 兵士たちがそれぞれ、荷物を片付け馬の世話をし、と忙しく動き始めた中で、鎧を着込んだままの軍団長のところへ、侍女を連れたお嬢様が歩み寄る。

 おっ、やっぱりか、何か進展するのか。そんな興味の視線がちらちらと向けられるが、当人たちはつとめて平静を装っていた。


 ヴィレムの近くにはオルガとミハルもいて、三人に囲まれるような位置に賞金首が突っ立っている。さすがにずっと捕縛魔術でカチコチにしていては連れ帰るのが大変なので、今は普通に両手を枷で拘束しているだけだ。もちろん解凍する前に身体検査と武装解除は済ませてある。

 

「皆さん、お疲れさまでした」


 ひとまずユスティナは全員に向けて言い、伯爵令嬢としての義務を果たす。

 ミハルは役に立ちましたか、そうですか良かったです、ええこちらも留守中異状なく……

 一通りやりとりした後、彼女はオルガに問いかけた。


「街の支部まで、護送の手は必要ありませんか?」

「お気遣いありがとうございます。念のため、軍団長さんが引き渡しまで同行して下さるということなので、安心ですよ」

「そうですか。その後は……」

「支部であれこれ手続きを済ませたら、またこちらに戻ります。たぶん支部長から伯爵に何かお礼があるでしょうし」


 そこまで言って、オルガはちらりと詩人に視線を向けた。共謀者めいた目配せを交わし、照れ笑いで続ける。


「詩人さんにひとつふたつ、面白い話を聞かせてもらう約束をしていますので」

「まあ。そう、良かったわ。支部に行ってしまってそれきりかしらと懸念していたのですが、それなら慰労の席にも加わってもらえますね」

「おや、『狩り』の打ち上げを伯爵が催して下さるんですか?」

「ささやかなものですけど。是非ご一緒に」

「それじゃ、ぱぱっと引き渡しを済ませて、急いで戻らなきゃいけませんね」


 和やかに予定を確認し、オルガが早速とバジルに向き直ろうとした、その時だった。


「キュゥ!」


 突然、使い魔が鋭い警告を発した。驚いた全員の視線が集まった隙に、魔術師がどこに隠し持っていたのか、小さな何かを地面に落とした。


 カチン、と硬い澄んだ音が響く。この魔術師のやり方を見知っているミハルとオルガは、息を飲んで竦んだ。

 光をキラッと反射する宝石のような物が、ユスティナと侍女のほうへ転がっていく。ユスティナは、何かしら、と目で追っただけだったが、主人の世話をするのが仕事の侍女が、すぐに屈んで拾おうとした。


「ヤゼロ!」

 オルガが使い魔に命じ、


「駄目だ逃げろ!」

 ミハルが叫び、


「――!」

 ヴィレムが侍女を押し退けて、小さな物体の上に巨体を伏せた。


 身体の隙間から閃光が走り、ズン、と鈍く低い轟音が腹に響く。

 とっさに手で顔を庇ったユスティナは、瞼の裏まで突き通る光が消えるとすぐさま目を開けて状況を確かめた。


 自分は無事だ。どこも焼け焦げたり何かが刺さったり消えてなくなったりしていない。侍女も、ミハルもオルガもちゃんと立っている。バジルは逃走を試みたようだが、三歩ほど先で水色の紐にぐるぐる巻きつかれて芋虫のように転がっていた。

 ――そして、伏せたまま動かないヴィレム。


 悲鳴が喉で凍り付く。

 ユスティナは両手で口を押さえ、息を止めて瞬きもせず、ただ広い背中を凝視することしかできなかった。


 幸い、じきにヴィレムが呻いて身じろぎした。ユスティナはほーっと深い息をつき、くずおれそうな膝を叱咤して一歩、二歩と進む。

 より早くミハルが駆け寄り、ヴィレムがゆっくり身を起こすのを助けながら、わざとらしいほど大げさに呆れた声を上げた。


「ゾラ様から貰ってたのはこれかよ! 無茶しやがっておまえは本当に昔っからそーゆー奴だよせめて一言断っておけってんだ危うく葬式出すところだぞ!? ほら、立てるか?」

「どういう……こと、ですか? ミハル」

「あー、お嬢様には知らせそこなったままだったみたいですが、こいつ事前に準備してたんですよ。相手が魔術師ならこっちも魔術師、ってね。……よし、立てるな。ちゃんと声、聞こえてるか? めまいとか耳鳴りとかないか? あーあー、煤けちまってせっかくの鎧が」


 ヴィレムはいつもの三倍増し険しくなった顔をしかめ、小さく頭を振ったり眉間を押さえたりしている。それをミハルが甲斐甲斐しく世話を焼く。

 その時になってやっと、呆然としていたオルガが、あっ、という顔になった。


「もしかして、『対魔盾』!? すごい、あれを作れる魔術師は国中探しても十人もいないのに。というか、こういう使い方をする人がいるなんて!」

「普通はどういう使い方をするのか知りませんが」ミハルが苦い顔で唸る。「感心しないで、むしろ罵倒してやっていいですよ。こいつが考えたのはどうせ、図体のでかい自分ならほかの奴より大きな盾になれる、ぐらいのことですからね」


 忌々しげに言って、ミハルはじろりと幼なじみを睨む。ヴィレムは微妙に不本意げな顔をしたが、そんな反応も悪友は予測していた。


「うるせー! 無事だっただろうとかそんなもんは結果論だ! 第一おまえが無傷でも守られたほうはショックなんだっての! 謝れ、この馬鹿!」


 怒鳴りつけられ、ヴィレムがはっとなった。見開いた目を振り向けた先は、もちろんお嬢様だ。

 その時にはもう、ユスティナの顔にも血の気が戻り、凍り付いた声も解けていた。少しこわばってはいたが微笑さえ浮かべ、彼女はしっかりとした口調で言った。


「方法の是非はさておき、わたくしたち全員を守ったことは賞賛に値します。感謝しますよ、軍団長」

「もったいないお言葉です」

「とはいえ、さすがに見た目が無事だから良い、とはいきません。魔術の影響を受けていないか、ゾラにきちんと看てもらいましょう」


 拒否を認めない声音だ。ヴィレムが複雑な表情になったが、ユスティナは目に入らないふりでミハルとオルガに向き直った。


「バジルの護送は、ミハル、あなたが代わりなさい。手の空いている兵がいればそちらに任せてもかまいません」

「承知しました。まぁ、このままの状態なら転がしてっても問題ないんで、頼まなくても大丈夫でしょう」


 ご心配なく、とミハルは笑って請け合うと、はいはい行きましょう行きましょう、とオルガを促して退散する。ちょっとばかり白々しい。


 ユスティナはヴィレムを手招きし、先に立って歩きだした。お嬢様に背を向けられてしまったので、ヴィレムは途方に暮れてついて行く。お褒めの言葉を頂戴したものの、実際はどうやらお怒りらしい、というぐらいは朴念仁でもさすがに察しがつくのだ。


 耳と尻尾を垂れた大型犬よろしく、とぼとぼ後からついて行く。

 兵士たちのざわつく庭を後にして館へ入ると、急に静かになった。ユスティナが黙っているので、静寂が重い。やはり謝罪すべきだろうか、とヴィレムがためらいがちに口を開きかけた時、ユスティナがぴたりと立ち止まった。


 一瞬の緊張。

 そして不意にユスティナが身震いし、両手で顔を覆った。ヴィレムは反射的に駆け寄り、正面にまわって膝をつく。


「お嬢様」


 言葉をかけようとして、そのまま彼は絶句した。

 泣いている。大事な大事なお嬢様が、華奢な手を震わせて口を覆って嗚咽を堪え、大粒の涙をぽろぽろこぼしている。


 ――謝れ、この馬鹿!


 友人の叱声が脳裏にこだました。だがこんな時でさえ、言葉が喉でつかえて上手く出てこない。罪悪感が増すほどに、心を乗せた言葉は重くなって胸に沈み込んでしまう。

 だが、だからと言って抱きしめたり肩をさすったりできる間柄ではない。あくまでも今の二人は主従なのだ。公に認められた婚約者でも、はっきりと想いを通じ合った恋人同士でもない。


 ヴィレムが石になってしまっている間に、ユスティナはかろうじて涙をおしとどめた。指で目元を拭い、自分の前にひざまずく軍団長を見つめる。きゅっと唇を引き結んで厳しい表情をつくってから、彼女は震える声で言った。


「もう、あんな無茶をしないでください」

「……」

「わたくしを……いいえ、皆を、守ることが軍団長の使命。承知しています、ええ。でも……でも、わたくしは、あなたを失いたくありません」

「…………」

「ミハルが言う通り、あなたはきちんと備えていて、だから無傷だったのでしょう。だからと言って、万一がないとは限らないのですから。どうか、……お願いです、わたくしのそばから、いなくならないで」


 最後の一言を絞り出した途端、また双眸が潤み、涙が頬を伝い落ちる。

 ヴィレムは「はい」と応じて頭を垂れ、右手を胸に当てて神妙に繰り返した。


「決してあなたのおそばを離れません。誓います」


 婚姻の誓約かのように生真面目に、厳かに。

 それでようやくユスティナも、ほっと肩の力を抜いた。安堵すると急に恥ずかしくなり、頬を染めて早口に付け足す。


「あっ、わたくしが泣いたことも秘密ですよ? 伯爵家の跡取りが軟弱ではいけませんもの。誰にも、ミハルにも、言ってはいけませんよ」

「はい」


 答えた声は温かく笑みを含んでいた。相変わらず表情は笑顔とはほど遠いが、それでも目元がすこしだけ優しい。それに気付いたユスティナは、ふっと柔らかな笑みを広げた。


「これからは、泣くのはあなたの前だけにしますね」

「…………」


 できれば泣かれたくないのだが。

 そんな心情をありありと顔にあらわしたヴィレムだったが、お嬢様が愉快そうに笑ったので、まあいいか、と思い直してうなずいたのだった。


 ――涙も笑顔も、そばにいて受け止めて差し上げたら良いのだから。


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