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9.鬼ごっこなら任せろ



「それより詩人さん、ひとつお尋ねしても?」


 警戒地域を一巡りした後、オルガが身を寄せるようにしてささやいた。距離の近さにミハルは心臓発作を起こしかけたが、ぎりぎり堪えて現世に踏みとどまる。


「な、何でしょう」

「あなたが届けた、あの小さな袋。不穏なやりとりをしてらしたようですが、正体を教えてくれませんか」


 真剣なまなざしで見つめられ、さすがにミハルも冷静になった。あー、と低く唸り、苦い顔になって背後を見やる。立ち聞きされそうなところに人影がないのを確かめると、彼は空を仰いで嘆息した。


「いや、俺も正確なところは知りません。あいつもゾラ様も自己完結しちまうクチってんですかね、他人に説明するの面倒くさがる困った人達なんで……ただ、あれがいざって時の切り札だってことはわかります。それも多分、できれば使わずに済ませたいようなやつでしょう」

「と言うと、まさか命と引き替えに敵を倒すとか、そういう?」


 オルガがぎょっとして言ったので、ミハルは反射的におどけた詩人の表情を取り繕った。


「おや懐かしい。竜殺しラディスラフですね。己が命を天に捧げることで、邪悪な竜を打ち倒した救国の英雄」


 古くから伝わる、子供に人気の定番おとぎ話だ。言い当てられたオルガがぱっと頬を染め、幼稚な物語をたとえに出してしまった、と恥じるように頬を掻く。凛々しい外見に反して愛嬌のある仕草だ。

 ミハルは叫び出したいのを必死でこらえ、ごほんと咳払いした。


「さすがにそこまで深刻な話なら、あいつも一言ぐらい説明すると思いますよ。だから、……オルガさん、は、気にせず賞金首に専念してください」


 名前を呼ぶ時に気恥ずかしくなり、つっかえてしまった。何も『輝きを帯びて天駆ける曙の乙女』だとか呼びかけるわけでもあるまいに、詩人の舌はどこへ行ったのやら。

 奇妙な間をごまかそうと、彼は急いで言葉をつないだ。


「英雄物語、お好きですか」

「ええ、はい。自分でも子供っぽいなとは、思うんですが。その、昔から、いろんなおとぎ話を聞くのが好きで」


 途端、ここぞとばかりオルガが食いついた。少し恥ずかしそうに、しかし前のめりに勢い込む。


「お時間いただけるのなら、ぜひ詩人さんがご存じのお話を聞かせてもらえませんか!」

「アッハイ。喜んで」


 予想外にも相手からアプローチされて、ミハルは驚きながらも反射的に快諾した。直後に怖じ気付いて頭を抱えたくなる。


(うわあぁぁマジかよどーすんだ、お話しましょうって出来るのか俺まともに歌い語り出来るのか!?)


 詩人の笑顔が若干ひきつっているのには気付かず、オルガは嬉しそうに「ありがとうございます」と礼を言う。詩人としては、状況がどうあれ『お話』を期待されると喜ばずにはおれない。ミハルは気を緩ませ、ついでに口を滑らせた。


「可愛いなぁ」

「えっ?」

「――っ、失礼!! いやあの、決して悪気は!」


 慌てて大声を上げ、あたふたと無意味に手をばたつかせる。その動転ぶりにオルガもつられて赤くなった。


「違います、不快なわけじゃありません。驚いただけですから」

「そ、そうですか、それなら良かったです」

「はい、ええと……そういうことを言われたのは、初めてなもので。いやぁ照れますね」


 ごまかし笑いで頭を掻くオルガの仕草がまた愛らしくて、ミハルは動悸を鎮めるべく明後日のほうを向いた。その視線の先に、たまたま一人の軍団兵がいた。例の涸れ川を巡回して戻ってきたところらしい。


(うわっ、やばい!)


 男女二人が何やら訳ありげなやりとりをしていると見られてしまったのではないか。詩人の自分は浮いた噂も飯の種だが、賞金稼ぎのオルガにとってはマイナスでしかあるまい。

 ミハルは軍団兵の反応を注視したが、幸い相手はこちらを見ていなかったようだ。ちらりと一瞥することさえなく、そのまま歩いていく。


(はー……良かった)


 ほっと息をついて、オルガに向き直り――かけて、妙な引っかかりを感じる。ミハルは眉を寄せてもう一度、涸れ川のほうを振り向いた。


(何だ?)


 目敏さと油断なさで生き延びてきた経験から、自分の感覚に対する信頼がある。何かが引っかかったのなら、無視するべきではない。


(ここからじゃ顔はよく見えないな)


 顔をしかめて目を凝らす。さっき周辺を一巡りした時に会ったのと同じ人物かどうかまではわからない。だが格好は確かに、青と白を基調にした白獅子軍団の制服だ。

 異状があったという様子もなく、川床から出て坑道のほうへと歩を進める。


(そうか!)


 はっと気付いたミハルは、いきなり大声を上げた。


「おーい! 巡回ご苦労様です!」


 よく通る詩人の声が響きわたる。オルガが驚いて目を丸くし、遠くの兵士もぎょっとして竦んだ。どこから呼ばれたのかときょろきょろする兵に向かって、ミハルは無邪気を装って大きく両手をぶんぶん振って見せた。

 兵士は当惑もあらわに、曖昧に手を挙げて返す。途端にミハルは振り回していた両手を突き出し、びしっと相手を指さして、


「よーし、そこ動くなよバジル!!」


 言うなり一瞬屈んで矢のように飛び出した。反射的に兵士が逃げ、オルガも一緒に走り出す。

 並んで不審者を追いかけながら、オルガは短く問いかけた。


「どうして奴だと!?」

「歩き方が違うんですよ! うちの訓練受けた兵士はあんな『普通』の足取りじゃないし、いきなり手を振られてあんな半端な反応もしない!」


 鋭い説明にオルガはひとまずうなずいた。事実ああして逃げ出したのだから、間違いあるまい。だがどうして、という疑問を込めて肩の使い魔にちらっと目をやる。

 ミハルは視界の端で彼女の反応を捉え、賞金首を睨んだまま早口に付け足した。


「そいつは賞金首に反応するはずだとか? だからあえて魔術で目くらましとかせずに変装したんでしょう」

「あり得る」


 オルガは狩人の声音でつぶやき、眉を寄せた。

 使い魔は魔法生物なので、あらゆる活動は魔力によって媒介される。ならば一切魔力の干渉を遮断するような術を自分にかければ、ほかの魔術は使えなくなる代わりに、使い魔の探知追跡をかわすことが可能だ。


「キュイ!」


 推測が正しかった証拠に、水色のトカゲが急に肩で飛び跳ねて鳴いた。

 騒ぎに気付いた近くの兵士まで集まってきたので、分が悪いと見て魔術を解禁したのだろう。急がないと、厄介な攻撃を繰り出されてしまう。

 オルガは詩人から離れ、速度を上げて標的の向かう先へ回り込んでいった。察したミハルは彼女の後を追わず、獲物の退路を塞ぐ方向に動く。即席の相棒にしては良い連携だ。


 挟まれたと気付いた魔術師はたたらを踏み、前後の男女を見比べた。どちらが優先して片付けるべき障害か――その迷いが生んだ隙に、オルガは指を突きつけて一言命じた。


「ヤゼロ、捕縛!」


 同時に肩から水色のトカゲが一条の光となって飛んだ。しかし魔術師もまた同時に手を振り下ろし、何かを地面に叩きつける。パキンと砕ける音がした瞬間、垂直の赤光が生じて使い魔を阻む。


「キュアァァ!!」


 障壁に激突して火花に包まれ、ヤゼロが悲鳴を上げた。魔術師はさらにもう一度、手を振り上げる。


「させるか!」


 今度はミハルが早かった。走り出す直前に屈んで拾っておいた石を、渾身の力で投げつける。狙い通り、肩を直撃。

 魔術師が呻いてよろめいたところへ、素早く走り込んだオルガの鮮やかな足払いが決まった。一瞬宙に浮いた男の身体に、追い討ちの投げ技。

 オルガは男を大地に叩きつけると、伏せた背に腕をねじ上げた。水色のトカゲが全身痺れたような動きでよちよちと男の足に這い上がり、しゅるりと細長い紐状になって、ぐるぐる身体を簀巻きにしていく。

 水色の紐が全身を一巡すると、オルガはほっと息をついて手を離した。これで捕縛完了だ。使い魔がトカゲの姿に戻っても、魔術師はぴくりとも動かない。


「お疲れ様、ヤゼロ」

「キュゥ……」


 痛かったよぅ、と訴えるようにトカゲは主人の差し出した手を駆け上がり、定位置に戻ってぺたんと伏せた。

 そこへミハルが、息を弾ませてやって来る。


「大丈夫ッスかー? いやぁ、さすが鮮やかなお手並み!」

「詩人さんも、お見事でした!」


 成功の喜びに押され、二人は笑顔で駆け寄ると、高く掲げた手をパシンと打ち合わせた。一拍置いてから、まるで歴戦の仲間のようなことをしたけれど実は出会って十日も経たないと思い出し、お互い奇妙な顔になる。

 二人はそれぞれ目をしばたたいてから、同時にぷっと吹き出した。ともあれ、戦果は戦果だ。


「やりましたね!」

「ヴィレムの奴、出番がなくて残念だろうなぁ」

「詩人さんの大活躍、伯爵にもきっちり報告しますよ」

「ぜひとも宜しく。ご褒美がもらえたら奢りますんで」

「そりゃあ楽しみです!」


 突発した瞬間的な『狩り』の興奮が収まらず、二人は饒舌になり、笑い続ける。

 駆け付けた軍団兵たちは、そんな様子を手持ち無沙汰で眺めていたのだった。


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