7. 運命の……3人?
ふー。やぁっと終わったー!
と声をあげたくても、あげられない。私にはまだやることがたくさんある。
優雅に揃えた指先。それがそっと触れるのは……
夜顔の会への招待状。まさかとは思ったけど、タマスティカ秘伝の藍染がそれを物語っている。
王子直々に持ってくるとはね。
これを断わりゃ、南州とタマスティカの関係さえ悪化する。
まんまとはめられたな。少なくとも、シユウはそういうだろう。それが私の狙いとも知らずに……
私は周りに気づかれぬよう、少しだけ口角を上げる。はめられたのはどちらでしょう……
タマスティカが、あの事件に直接的には関与していないことは、私だって重々承知している。だってまず動機がね……王族に関していえば、オリナスとタマスティカは持ちつ持たれつ。タマスティカだって、オリナスとの貿易で十分儲かってたはずだ。多分、やったのはそれを不満に思っていたタマスティカのどっかの貴族と、オリナスの誰か、そして……
「きゃあああああ!」
向こうの廊下から、女の叫び声がした。
「何かしら?」私は隣に控えるリヨンに尋ねる。
「さあ?」そう言いながらもリヨンは足早にそちらへ向かう。私もと思って足を早めると、
「ステラ様はここに」と見越したようにリヨンは言い残して、言葉通り風の如く行ってしまった。
あ〜つまんないの。せっかくこの後宮でハプニングだっていうのに。でもステラ様は気高いオリナスの姫。
私はきた道を引き返すようにして、後宮の自室を目指す。まずはこの重い宝石と化粧を取り去ってから詮索にしよ。
そう思って廊下を下っていくと、曲がり角の向こうから誰かが来る気配がした。
おかしいな。そう思って私は後ろに付き従う侍女と目配せをする。
ここは後宮の中。男性はシユウか余程の身分の方しか出入りできないはず。
なのに。
これは確実に男の足音だ。
後宮には三つの顔があると私たちは言う。
まずはもちろん、主人の憩いの場。まあざっくり言うと、シユウが生活するところね。それが後宮の真ん中で、それを取り囲むようにして、女たちの住まいがある。で、二つ目の顔は、その女たちの場。稽古事をしたり、教養、美しさを保つためのそのような施設が、実を言うと後宮で一番多くの場所を占める。これは後宮の奥と呼ばれて、驚くことに森林浴用のオアシスまである。まあ私は滅多に行かないけど(行きたくない……ここでの女の派閥争いはむちゃくちゃに怖い。どこぞの後宮の泥沼ストーリーはほぼここで生まれるといっても過言じゃない。)で、最後の一つは、もてなし用の客間。ここは滅多に使われないけど、異国の王子とか、あと他の州の王族が来たときなんかはたまに泊まってるのを見ることがあるかな。もちろん後宮内にあるってことは、側女たちがもてなしを担当するってことでまあ色々あるらしいんだけど(夜のお務めまであるなんて噂も)、私は一度も担当させられたことはなく全くもって内情を知らない。まあ私は多分シユウの気遣いもあってそっちに回されないんだろう。いくら私がこんなに快適に過ごしていようとここは後宮で、女の扱いなど、シユウの後宮であってもその程度なのだ。これがシユウの後宮でなければどうなっていたものか。
ということは。多分この足音は、王族のもの。私の耳には入っていないが、客人のようだ。
私はもう一度侍女と目配せをし、廊下の壁に沿って跪き、手を前に合わせ、頭を垂れる。この国の敬礼の挨拶だ。2人の侍女もそれに習う。
ど、ど、ど………
ゆっくりながらも床に響く音。そしてそれに追いつこうとするちょこまかと小さな足音。間違いない、これは確実に客人だ。
足音はだんだん近づいてきて、ついに私の前で止まった。
動いてはならない。出来るだけ早く切り抜けて、即刻この場を立ち去る。
「その方、名は。」想像していた以上に若い、低い声が私に問うた。
「ステラと申します。」そっと私は答える。
「オリナスの姫、か……」
「はい。」
ちくしょう……知られてたか……こりゃめんどくさいことになった。
私は社交界で活発に活動してはいるが、それはシユウが許してくれていてこそだ。普通の男はそう来ない。運良く社交界にいかせてもらえたとしても、ずっとつきっきりで、他の男と会話すらさせてもらえないのがオチだろう。隣国の王子なんかとは、目を合わす機会さえないはずだ。
絶対に気に入られてはならない。
私があんなことになってもずっとオリナスを離れなかったのは。どこか他の国に嫁げば、女として行きていかなければならないから。オリナスにいた頃のように、積極的に外交して、他国と文を交わして、貿易船に乗って奔走するなど、もうできなくなると思ったから。
別に家庭がほしくないわけじゃない。ちゃんと結婚して子供だって欲しいけど、でもその前に。
オリナスを潰すことだけは絶対にできない。
だから。
こんなところで男に気に入られて嫁ぐなど絶対にあってはならない。絶対に。
「その方、面をあげよ。」
普通ならば、そんな滅相なと返すところだが、そうやって相手に興味を煽ったところで、いいことはひとつもない。私は素直に顔を上げた。その拍子に膝あたりのミサンガにくくりつけた指輪が、コトンと床に触れて音を立てた。
いけないいけない……えっ?
顔を上げてびっくりした。
どこかシユウを思わせる端麗な顔つき。きゅっと結んだ女のように赤い唇。歳はシユウと同じぐらいだろうか。私の7つ上ぐらいだろう。すっごく冷たい目をしている。でもその目は……
綺麗な湖の色。どこか懐かしい。
私はハッとして息を詰めた。
少し青みがかった真っ黒な髪。もしかして……
そう期待する自分をもう一度抑える。冷静に。あなたにはまだやり残したことがあるでしょう!
「噂に聞く以上だな。」
そっと彼が呟いた。その嫌な響きに私は身構える。
「オリナスの姫、」私が答えるのも待たずに彼は私を呼んだ、「私の元に嫁ぐ気はないか?」
はぁ?
待て待て待て、展開早すぎるって。
この国に来た頃からいつも思うけど、結婚ってそんな簡単なもの?目に入って綺麗で欲しいからポーンと結婚してたら、女が何人いたって足りんよ?
でもそういう国なのだ。
少しドキドキする心臓を抑えながら、私は顔を伏せ、いつもの常套句を絞り出す。
「もったいないお言葉ありがとうございます。ですが、主人のシユウには返すべき多大な恩がまだ残っておりまして。一生を通して返してゆこうと思う所存でございます。」
「そうか……」そうとだけ言って彼は側女に従われて去っていった。
なぁーんだ、意外と簡単に引き下がってくれるじゃない。
安心したのもつかの間。
「シユウはお前によく仕えているようだな」と振り返ってとんでもないことを口にした。思わず顔を上げそうになる。
この人、何を……どこまで知っているの????
でもここで動揺しては向こうの思う壺。
「私には私ばかり彼に仕えているように感じられるのですが……そんなふうに見えていたとは存じ上げませんでした。」くすっと笑ってみせる。
「その方……」と彼が次の言葉を紡ごうとしたとき、
「ヒューギ殿下!」廊下をまたばたばたと渡ってくる足音。はしたない、後宮だというのに。
「ヒューギ殿下、こちらにおられましたか。」
ユレイ、サエゴ、エドのあとに、セトンが続く。皆、秘棟の者たちだ。セトンにはまた怒られるだろうけど、今回は本当に助かった。
「ヒューギ殿下、これを……」
そう言いながら、ユレイ、サエゴ、エドはヒューギ殿下と呼ばれる彼を引き連れて、廊下を渡って行ってしまった。私とセトンを残して。
「セトン。」まだ跪いたままで上目遣いに彼を見ると、セトンは黙って私の腕をとり、立ち上がらせた。それに連れて侍女たちも起き上がる。
ああそうだ忘れてた。侍女がいた……
私はそっちを見ると向こうも恥ずかしそうに私たち二人を見ていた。全く何を想像してんだか……でもこっちもいろいろ探られると困るから、少し目配せをして、先に戻っておいてもらうことにした。
今度こそ本当に私とセトンと二人きり。
さて、どう切り出すか……
「セトン……」
「手紙読まれましたか?」彼は割って入ってくる。まだに決まってるだろうが。
「いや、まだだけど……」
「至急読めとお伝えしたはずですが?」
いや、お前何も言わなかったぞ。と言いたいのを堪えて、私はまた平静を保つ。
「中身はあのことについてだと思ってたんだけど?」
顔色も変えずに彼はまた続ける。
「はい。でもあとそれと……」
彼が顔を近づけて、オリナスの言葉で耳打ちする。
『ユリナスの国王殿下がいらっしゃいました。』
あ………
不覚だった。
さっきの彼は……
思わず見開いた目がセトンのそれと合う……
やっちまった……
「だから行くなとあれほど……」
セトンがボソッと呟く。はいはい、すみませんねー、いつも後先考えず行動して。でもこっちだって収穫は……
あったのだとセトンに伝えようとして、はっと驚く。セトンの左の耳側に、一筋の黒髪が見える。
まさか……
そう思うととっさに私の右手は伸びていた。でも、それを交わせないセトンではない。
さっという音がして、優しくセトンの左手が私の右手首を掴む。
「姫、何をなさろうと?」
いつもよりちょっと低めの警戒を込めた声で、セトンが私を睨む。
「あんた、その髪……」
「急いだのがいけませんでしたね、」そう言って彼は私を掴んでいた手を話すとその手をそのまま額へ持っていき、ゆっくりと後ろへ滑らせた。髪を撫でるようにして。
じわじわと、彼の金髪が深い色に染まっていく。
彼がその手をまた前へ持ってきたとき、彼の髪は漆黒の色に染まっていた。
ちょっと、待って……
どういうこと?
私は朝からの記憶をもう一度繰り返す。
まず驚いたのは、タマスティカの王子の外見。真っ黒ながらわずかに青みがかった、どこか見覚えのある髪。そしてどこか聞き覚えのある声。顔を上げてみたその瞳は、
真水のように淡い青だった。
えっ、と一瞬声を詰まらせた。でも、オリナスの姫が動揺するところを見せてはならない。
でも心の中ではずっと思っていた、もしかしてこの人が……
私を助けてくれた方かしら?
思い返せば、あのときタマスティカは多くの軍隊を私の捜索に送っていた。彼が私を助けて、でもそのときのオリナスのタマスティカへの態度を考えて、それ以来会いに来なかったとしたら……?すべての辻褄が合う、と……
でもその帰り。まさかとは思ったけど、全く同じようなことを彼にも思った。そうあの、国王陛下にも……
そして、今度はセトン。だって彼はほんとは黒髪だったなんて誰が思った?そして見れば彼の瞳も透き通るような青。
ああ、神さま、と思わず私は信じもしない神様に訴える。どうしてあなたは……
連れ去られて真っ暗な生活をして、やっと誰かにまたもとの明るい生活を取り戻してもらってから10年。社交界では貴族と、お忍びでは多くの市民と、本当にたくさんの人と関わる中で、私は常にその人を探していた。なのに……
一度も出会わなかった。ただの一度も。それが今……
同時に3人も会わせるなんて。それはちょっと卑怯なんじゃないの?
それでも私の口角は上がりっぱなしだ。
ねえ、神さま、誰が私の運命の人ですか?
だって彼が見つかれば、あの事件だって、解けるかもしれないから。
なんかやっと話がはじまってきたな、と……。でも私自身全く先が読めないので、3人の運命の人が出てきたときはさすがにびっくりしました。これ以上増えないといいなと個人的には思っています……
続きは来週の日曜日ごろまでには投稿を予定しています(あくまで予想ですが……)
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。