2. 現れた少女
「えーとっ。ここの角を左に曲がって、と。ん?でもそしたら……」
私は身投げしていたベッドから顔を上げる。声は廊下からする。
さぁて、誰かしら。
選ばれてここに勤めている侍女たちがこんな声を出すはずないし、まさか側女がそんなことするはずがない。ここは廊下だし、こんな奥深くに寝所を構えているのは私だけ。さては……
私はさっきティアの言っていたことを思い出した。今日から新しい側女がきたって。あんな皮肉な言い方してたから多分、身分はあまり良くないのだろう。もしくは、あまりにも良すぎて私に対抗するぐらいなのか。
どっちにしたって私には関係ないけどね、とベッドから起き上がりながら私は笑う。誰がなんと言おうと、私は願ってまでしてシユウの正妻になる気はない。まあ、どうしてもと言われれば考えるけど。
シユウ王子は、ここらでは知らぬ人のない、いわゆる美男子らしい。みんなの憧れの。ただ、私の目にはそんなふうに映ったことは一度もない。だって私には……。
ドンっと何かがぶつかる物音がして、そのあとに「いったぁ」というはしたないかけ声がかかった。おっとぉ。そんな声を後宮であげるとは、どこぞの子猫ちゃんかな?
立ち上がって扉の方に向かう私の口元が少し緩む。なんでか知らないけど、とんでもない興奮が私の胸をよぎる。
私は扉を開けた。
とたん、「ぎゃっ」と小さく叫んで遠のいたものがいた。
私の部屋はシユウの気遣いでまるでそこには無いかのように工夫されてる。それを知っているのは、私の信頼している侍女とシユウだけだけど。
おびえるようにあげられた顔は、小さくかわいいものだった。
歳は15、6で、私の二つ下ぐらいかな。肩の長さで切られた金髪がユスレムの人には見えないけど、その子が発した言葉は、生粋のユスレム語だった。
「すみません、私……」そう言って私と目があった彼女は、目を丸くした。
お決まりの反応。ほとんどの人が私を見ると、びっくりするか、ニヤけるかどちらかだ。私が綺麗なのかもしれないけど、それは少し嫌なんだよね。顔で買われてるみたいで。お母さんと瓜二つなだけなのに。
ただ、彼女はすぐに話を切り替えた。
「道を教えてください。」そう言って、真剣な眼差しで私を見つめる。
やっぱりこの子は新しく入ってきた側女だろう。服も新しく、きれいだから、後宮に着くなり着替えさせられたのだろう。この子は多分シユウが拾ってきた子……。
なんでだろう。私と関わらせない方がこの子の身のためなのに、普通に話しかけてもらったことが嬉しくて、つい、「いいわよ、どちらへ?」と聞いてしまった。
でも、その少女は満面でにっこり笑って、
「フクトソウの間まで。」と答えた。
新しくきたものが賜うフクジュソウの間は、ここ数年、空き家だった場所。そこをあえて使わせるんだから結構シユウには気に入られているんだろうけど、フクトソウと読み間違えるなんて……
この子には相当な教育が必要だ、と先が思いやられた。
「ここよ。」と言うと、少女は目を見張った。後宮の他の部屋と比べるとそうでもないのだけれど、それでも彼女にとっては、びっくりするほど豪華なのだろう。
ここまでの長い道のり、私はたわいないおしゃべりの中から、彼女のここまでの経緯をだいたい理解した。
シユウは結構、お忍び視察が好きで、よく私を連れて行ったりもするんだけど、そこで見つけた酷い境遇の人たちの中からたまに側女を選んだりする。側女は多いほど権力を主張できるし、そうすれば、側女が賜う小遣いや名誉から、その地域の発展につながるから。この少女もそんなところをシユウに見つけられて、即後宮入りを果たしたようだ。そして、連れられてきていざ寝所へ行こうとなった時、渡された地図の読み方がわからなくて私のもとへ来てしまったという。
その地図を見せてもらうと、どうやったって私のところへはたどり着かない(私の寝所は極秘だしね)から多分この子の見間違いもあるんだろうけど、それにしても分かりにくいし、配置もおかしい。こんなに屈託無く笑う彼女に言うのは悪いけど、間違いなくいじめだ。
後宮には何人か彼女のような事情を持つ側女はいるけど、ここまでいじめられている子は見たことない。さすがにはじめての後宮で、案内の侍女もなしに間違った地図を与えるなんて前代未聞だ。随分とシユウ様に愛でられているようでというティアの言葉も引っかかる。そこまで嫉妬されるほどシユウはこの子をかまっているのだろうか……。
もしや、シユウ、あんたはこの子に恋をしてるの?
思わず、私はニヤッとする。
こんな何も持たない少女に恋をするなんて、果てしなく前途多難!だけど、
「めっちゃ、小説っぽい……」私はつい呟いた。
「え?何ですか?」少女が私を振り返る。
「いいえ、それより…」
なんか久しぶりに楽しみができたかも⁉︎私は微笑んで彼女を見る。
「お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
彼女は待ってましたとばかりに微笑み返す。この国では、身分の高いものからしか名前を聞くことが許されない。
「リナと申します。よろしくお願いします!」
「ステラよ。こちらこそ」そう言って私は手を差し出す。
握り返してきた手は、緊張で固まっていた。
かわいい……
自分の新しい寝所に入っていく彼女を見ながらそう思った。シユウが惚れるのも分かる気がした。
そして、ふと思った。
もし、シユウがあの子を正妻にしたいなら……
私はあの子から離れなきゃいけない。私があの子と一緒にいたら、嫉妬の対象になるから。いじめの対象に狙われるから。
でも、やっぱり私の中にはあの子から離れたくない自分がいて、なんかムズムズするから、今夜シユウに聞いてみようと思う。
二人きりの時に。