私のことを殺してくれませんか?
顔を洗って教室に戻ると、僕の顔にクラス中の視線が集中したのが分かった。それがなんだかうざったくて、僕は自分の席で寝たふりをすることに決めた。なんなんだこいつらは。本当に馬鹿な奴らだな。
先生に何か言われるかと思ったけれど、なにも言われなかった。
放課後、僕は雨木との約束を守るために昨日と同じルートを歩き続けた。深い森を抜けることには、やっぱり日が暮れていて辺りは真っ暗だった。廃墟に近づくと、屋上にぶら下がっている人の足に気付いた。ローファーに紺色のハイソックス。雨木の足だろう。僕の存在に気づいたのか体を起こして僕を確認すると
「待っていましたよ。さぁ、始めましょうか」
と、体を伸ばしてアクビをした。
昨日の殺人現場にいくと、例の如く男が一人立っていた。昨日は中年オヤジだったが、今日は若い男だった。体格がよく、髪の毛が金髪。近づいて見て分かったが、うちの生徒のようだ。いわゆる不良だろうな。
廃人と化したその男の視線はぼんやりと遠くを見つめていて不気味だった。表情はもうなかった。昨日の刃物を雨木が持ってきた。
「平井くんもやってみますか?」
僕に刃物を差し出してきたがやんわりと断った。人殺しなんて冗談じゃない。なんで見ず知らずの人間を僕が殺して罪を背負わないといけないんだ。
「そうですか。じゃあ少し離れていてください。服に血がつきますよ」
雨木がクラシックを口ずさむ。昨日と同じ手順で処理をする。首の両側を切り裂き、最後に顔面をミドルキック。同じように床に頭部が落ちる。何度聞いても嫌な音だな。まだ夢では見てないけど。
昨日と同じ役割で雨木が頭部、僕が胴体。もちろんおんぶ。まだ少し温かい死体がなんともいえない気持ちにさせる。
死体の山に辿りついたときにようやく雨木が口を開いた。
「私のやっていることは悪いことですか」
「悪いことだな」
「じゃあ例えば君が今おんぶしている人間が、暴力で罪のない人間に後遺症を残したり、恫喝してお金を巻き上げたり、何も悪くない君のことをボコボコにするような人間だったらどうですか?」
「…………」
「冗談ですよ。気にしないでください。実際私は悪い人ですから。なんの罪もない友達みんな殺してますし」
雨木は死体の山に頭部を置いた。バランスを崩した頭部はやっぱり転がって地面に落ちた。僕は胴体を上に積むことが出来なかったので山の麓におろした。最後は例の如く黙祷でしめた。
廃墟を通り過ぎるとき、雨木が言った。
「もしよかったら、星でも見て帰りませんか」
僕たちは廃墟の屋上で仰向けに寝転んで並んだ。地上から眺めるよりももっと空が近い。風も冷たい。星が手に届きそうだ。僕は思わず空に向かって片手を伸ばしてみる。でも、何も掴めない。
「お星様、掴めましたか?」
「いいや……届かないな」
「そうですね」
雨木も隣で僕の真似をして手を伸ばした。今にも振ってきそうなくらい満天の星空なのに手を伸ばしてみるとあまりに遠い。僕の手は一体なにを掴むのだろう。そもそも何かを掴めるのだろうか。
「この世界が好きですか?」
「……いいや」
「じゃあ一緒に壊しませんか?」
こいつなら本当にやりかねないな……。でもそれは
「ダメだ」
「なぜですか?」
「お前が泣くからだ」
「……そんなことで泣きませんよ」
今にも泣きそうな声で、雨木は強がってみせた。
「お前、本当は誰かに止めてほしいんじゃねぇのか? お前のソレ、完全にコントロール出来ないんだろ」
「よく分かりましたね……」
雨木は上半身だけ起き上がり、僕を見下ろした。じっと僕の目を見る。僕は雨木の存在を見る。雨木の後ろに星空が広がっていて思わずみとれてしまった。この広い世界で必死にもがいて生きてる存在が儚く感じた。
「ねぇ、本当はどのくらい覚えていますか? 平井くん。いえ……、……フミくん」
「……は? え、どういう意味……」
クスっと笑って、涙を溜めた。雨木は僕の手を握ると
「ごめんなさい。人殺しに触られたくないですよね」
と小さく漏らした。
「なにがあったんだよ……。僕とお前の間に」
「なにもありませんでしたよ」
雨木は僕の手を握り直した。僕はそれに応えなかった。一方的に握られた手から、緊張が伝わってきた。
「今からお墓参りに行きませんか?」
「なんだ、肝試しでもやろうってか。言っとくが、僕はお化けが苦手なんだ」
「はい、知ってますよ。でも、そこで全てのことを話しますと私が言ったらどうですか?」
僕は立ち上がって言った。
「行こうか」
「足震えてますよ」
小便を漏らさないだけでも偉いね、と誰か僕を褒めてくれ。
***
廃墟から出て真っ暗な道を歩いた。手は繋いだままだった。転ばれるとめんどくさいので。という理由だった。僕は「なら、仕方がない」と返事をして承諾したが、内心は違った。
手を繋いでもらえなかったら深夜の墓参りなんて出来るわけない。失禁どころか脱糞ものだ。オムツを履いてようやくプラマイゼロになるくらい怖いのだ。しかし、今は違った。今は雨木が僕の手を繋いでいてくれるから、怖くなかった。
手入れをされていない草原の中にポツンと出来た人工の山。別名死体の山。僕が勝手につけた。雨木はなんて呼んでいるのだろうか。コレに名前をつけるなんて悪趣味なことはしないだろうな。その死体の山を横切り、まだ先に進んでいく。
虫の音が響く。余りにも静かだ。そして僕はやっぱりこの世界を壊してしまうのはよくないと思った。雨木のいう「世界を壊す」の意味は普通の奴らを全員殺してしまおうという意味だろう。でもそんなことしたら、僕はきっと三日も生きられないと思う。ご飯の原料となる肉や米、野菜、その他諸々全て、僕は一つとして作ることは出来ない。
だから壊したらダメだ。絶対に生きていけないから。その自信はあると同時に、自分が生きるためには誰かがいないとダメなことも知ってしまった。そいつらが憎いかどうかは別にして。
死体の山から歩いて10分ぐらいしたところに、窪みが見えた。近づいてよく見てみるとそこには小さな川があった。川幅3メートルほどで、深さも足首程度だ。子供が遊んでも溺れることはないだろうな。そのそばに大きくて綺麗な石が置かれ、花が添えられていた。まだ新しい綺麗な花だ。誰かが頻繁に来ている証拠だ。
「ここです」
僕はこの石がお墓なのだと理解した。それと同時に安心した。墓参りと言われたのでてっきり墓地にいくものだと勘違いしていた。よかった。失態を晒さずにすんだ。
「私が初めて殺した親友の墓です。私が作ったので質素なものですが」
そういうと、雨木は墓の手入れを始めた。自宅から持ってきたのだろうか。墓のそばには、バケツとブラシとタオルと恐らく線香が入っていると思われる箱が置いてある。小川からバケツで水を汲み取り、ブラシを使って石を磨き上げる。僕も周りの雑草を抜き取って手伝う。掃除を終えると、付属のマッチで線香に火を灯した。軽く払って火を消す。ゆっくりと煙が天に向かって伸びていく。
「祈ってあげてもらえませんか。お願いします。彼女もきっと喜びますから……」
「あぁ……分かった」
僕たちは並んで手を合わせた。川の流れる音が聞こえる。風に揺れて葉がこすれあう。水辺の寂しくなる匂いがした。黙祷が終わると、僕は訊ねる。
「この人は僕に関係する人なのか?」
「……今から話すことは全部本当のことです。君の記憶は変えられているので、信じられないことも出てくるかもしれませんが信じてください。私は嘘をつきません。親友に誓って」
「わかった」
「そして……、話を全部聞いたあと、私のことを殺してくれませんか? 刃物は廃墟にあるものを使ってください。私は君に許してもらえないことをしてしまいました。一生をかけて償っても償いきれません」
「それは僕が決めることだ。まずは話を聞こうか」
「分かりました。その前にすみません。もう少し近くに来てもらえませんか?」
言われたまま僕は雨木に近づく。雨木も僕に近づく。お互いの顔が目と鼻の先まで近づいた。じっと僕のことを見つめて、柔らかい笑顔をくれた。それはまるで愛する人を見つめるような瞳だった。自意識過剰なところがある僕は、そんなことを思ってしまった。
そして僕もそんな目をしてしまっていたのかもしれない。彼女の顔をいつまでも見つめていたいと思えた。美しかった。顔の造形がではない。雨木の歪んでしまった心が、僕にとって美しく感じたのだ。どれくらい経ったか分からない。もうずっとこのままでもいいかなと思えてしまった。そんなことをいうと変態だと罵られそうだから言わないが。でも、雨木も同じ気持ちだったら嬉しいのにな……。
「最後に見ておきたかったんです。今の君はまだ私のことを嫌っていないので。この話が終わってしまうと君はきっと、私のことを嫌いになる。殺したくなる。だから……、ごめんなさい。最後に君のその優しい表情を覚えておきたかったんです」
「明日もまた見れるよ。学校で」
「もう見られませんよ……」
一歩下がって、胸に手を当てて震えた呼吸をする。それを正してはっきりと聞こえる声で僕に告げる。
「私が一番最初に殺した親友は、君の彼女です」
あぁ……、そりゃ許されることではないわな……。