殺人少女
「あんな女いたっけ?」
二年生になって三週間。クラスメイトの顔と名前がようやく一致し始めたころ、最近仲良くなった柿谷がそう言った。そいつが指さした先は窓際の席の一番前。日光に照らされて半透明になった白いカーテンが風に揺れている。その内側に女の子がいた。
だいたい人間の性格なんてものは見た目ですぐにわかる。容姿とは、その人間が周りに自分がどんな人間か知ってもらうための一番の手段だからだ。そして彼女から受けた第一印象は「友達いなさそう」だった。
特別容姿が良くも悪くもなく、どこにでもいる女の子。地味で真面目そうな印象を受けるが、それ以上に絶対根暗だと確信した。みんな同じ制服だというのに溢れ出ているぼっち臭が僕の鼻についた。
彼女は耳にイヤホンで栓をして読書をしていた。聴覚と視覚を、この教室の人間のためには使いたくないみたいだった。
「えーっと、たしか雨木じゃなかったっけ?」
「あぁ、たしかそんな名前だったような気がするな。っていうかお前昨日のドラマ見たか?」
名前を思い出してスッキリしたのか、柿谷はもう別の話を切り出した。どうやら本当に記憶にも残さないくらい彼女に興味がないらしい。
しかし僕は雨木のことが気になり始める。顔が好みだとか雰囲気が儚くて好きだとかそんなお決まりなものではなかった。ただの好奇心。それもあまりよくないタイプのものだ。例えば、子供が虫かごに違う種類の虫を入れてデスマッチをさせるようなそういう類のもの。怖いもの見たさ。
自分の知らない人種はいったい何を考えてどんなことをして人生を過ごしているのだろうか。
こんな考えをしていることは誰にも言えない。僕だけの秘密だ。だってこんなことを話してしまうと僕の性格の悪さが知られてしまう。性格が悪いことを知られるのはあまり良いことだとは思わなかった。
雨木は休み時間は音楽を聞きながら読書をしている。昼休みは一人でどこかへ行った。
「おい、飯食べようぜ」
「わるい、今日は用事あるんだ」
「ちぇっ、分かったよ」
柿谷の誘いを断り、僕はこっそり彼女のあとをつける。校舎の階段を上がっていく。この先は何もない。扉が開かない屋上へ続くだけ。行き止まりってやつだ。
僕は一つ下の踊り場で彼女が降りてくるのを待った。ただ、5分待っても10分待っても雨木は降りてこなかった。授業開始のチャイムが鳴る3分前。雨木が階段から降りてきた。僕は何食わぬ顔でスマホをイジリ、目線を合わせずにすれ違った。尾行はバレていなかった。
たぶん、彼女は一人でご飯を食べていたのだろう。
放課後。授業終了のチャイムと同時に雨木はカバンを持って教室を出て行く。もちろん誰とも話すことはない。
「おーい、帰りゲーセン寄らね?」
「わるい、今日は用事あるから」
「ちぇっ、つれねーの」
柿谷の誘いを例のごとく断り、僕はバレないように雨木の後をつけていく。ワクワクしてきた。雨木がこれから何をするのかももちろん気にはなるが、僕は女の子のあとをつけるのは人生で初めてだからだ。
これが所謂ストーキングというやつか。バレたらこの学校にいる間は彼女は出来ないだろうな。ただ、その背徳感が僕の足をどんどん進ませる。
ダメだ。今ならバレていないから後戻りしろ。そんな脳内天使の声が僕を静止させようと励むが、無駄だった。僕は止まらない。誰にも止められやしない。夕焼けに透ける雨木の黒い髪が僕にとっては刺激的だった。
***
どのくらい歩いただろうか。辺りは暗くなってくる。それでも雨木は歩き続ける。だんだん建物が少なくなってきた。馬鹿でかい畑の横を通り過ぎる。隠れる場所もだんだんなくなってきた。
どうする? 今日はもうやめるか?
脳内会議が開催される。とはいっても、僕の脳のキャパシティーじゃせいぜい議員を二人召喚するだけで精一杯だ。完全対立の二人だけの会議が始まる。
――――が、すぐに決着が着いた。『今日は最後まで後を追ってみる案』が通る。
理由は簡単。明日にでも僕はきっと雨木を飽きてしまうだろうから。そんな刹那的な時間の使い方を美しいと思うし、僕は好きだ。何も残らない。何も積み重ならない。そんな無意味な人生。
どんどんと茂みの中に入っていく。気付けば深い森の中。それでもどんどんと雨木は進んでいく。
僕はどんどん不安になっていく。引き返したほうがいいと本能が告げた。危険アラームが鳴り響く。それでも何かに吸い寄せられるように僕は気になってついていってしまう。まさに怖い話でいうところの「ちょっと行ってみようぜ」とみんなの静止を振り切り一人で暴走して帰らぬ人となる役のようだった。
深い木々の中を10分ほど歩くと、道が開けた。辺り一面に壮大な草原が広がっている。別世界のようだった。
日はとっくに暮れていて、頭の上には満点の星が輝いて僕を照らしていた。肌寒い風が吹くと僕は思わず身を屈めた。
雨木はというと、それでもなお真っ直ぐに進んでいく。その先に古びた建物がぽつんとたたずんでいる。廃墟というやつだろう。写真で何度か見たことがある。人が使わない建物っていうのは独特の空気を纏っている。まるでタイムスリップでもしてしまったかのような。そこだけ世界と隔離され時間が止まってしまうのだ。
案の定彼女はその建物の中に入っていった。もうここまで来たら僕も最後まで尾行することに決めた。落ち葉や謎のゴミが散乱している中を足音も立てずに歩いた。かなり神経を使う。見つかったら殺される気がした。
一番奥の部屋に雨木は入っていった。そこで何をしているのかを覗いたらもう帰ろう。頑張ったと思う。我ながら、非日常を楽しめた。明日は柿谷にこの武勇伝を聞かせてやろうと思う。奴はテレビのドラマなんかで簡単に興奮できてしまう男だ。こんな非日常体験を話せば失禁してしまうかもしれないな。
僕はバレないように慎重に気配を読み取る。呼吸の音が聞こえた。
静かでそれでいて早い。乱れているのに一定のリズムで、それは華奢な雨木とは不釣り合いな音だった。僕はすぐに気づくことが出来た。この部屋には二人いる。雨木ともう一人。他の誰かが。
入口のそばまで身を寄せて、スマホを取り出す。画面をオフにした状態で手鏡のように使った。我ながら咄嗟に出てきたアイディアにしてはグッドだ。
画面に反射したのは、おじさんだった。中年オヤジで歳は50代といったところか。その男が立ち尽くしている。暗くて表情がよく見えない。その横に雨木がいた。刃物をもっている。外からの光が美しく反射していた。
唄が聞こえてきた。聞いたことのある曲だ。クラシック曲だということはわかる。雨木が歌っているのだ。下手くそだった。
その唄の中で雨木は中年オヤジの首元を切り裂いた。横に一閃。太い動脈を切ったのか、血飛沫がとぶ。映画で見た、というよりかはAVで見た違う水分を飛ばしたような吹き方だった。人間って本当に体の大半が水分で出来てるんだなぁって他人事のような感想を僕はもった。もちろん他人事なのでどこの誰が血を噴き出していようが関係ない。ビチャチャチャと滴る音が耳を洗う。血の匂いが次第に建物を満たしていく。
「ふん」
今度は反対側の首に切れ目を入れた。例の如く、切なく血が吹き出る。首元がグラグラになった男は、膝から崩れ落ちた。そんな男の顔面を、ミドルキックでシュートする。肉が千切れる嫌な音がへばりついた。夢に出てきそうだな。
中年オヤジの汚い頭部は少年漫画のように綺麗に壁にぶつかるわけでもなく、虚しく心残りがあるようにベチャッとスイカを落としたような音を立てて床に落ちた。胴体の方も後を追うようにゆっくりと倒れ込んだ。
あぁ、うん。いいもの見れたわ。うん。最悪だ。夢に出てくるだろ。誰が女子中学生の後を追ったらこんな殺人現場に出くわすと思うんだよ。もっとさ、あるだろ。他になんか。万引きとかさ。そういうクズが悪気もなく犯す犯罪みたいなんでよかったんだ。
そういう弱みを握って、知られていることも知らずに普通に教室で頑張って過ごしているこいつを腹の底で見下して2~3日優越感に浸ってみたかっただけなんだ。ばかじゃね。なんでこいつ人を殺して、僕も軽く同罪みたいな気持ちを背負わないといけないんだよ。
さぁ、バレないうちに帰ろう。僕はゆっくりと振り返ろうとした。足元がなんかこしょばい。反射的に足元に視線を移すと、そこには見たこともない大きさのゴキブリが触覚を別次元のスピードでクルクル回していた。そいつがなんと僕の足にへばりついていた。
「っああああ」
このときに限って、僕は今までの人生で一番大きい声をあげた。っていうより叫んだ。絶叫ってこういうことか。体の全てのエネルギーを消費して僕は声を発したのだ。
「…………だれ」
小さく呟く声が聞こえた。誰の声か分からなかった。よく考えると雨木と僕しかこの場にはいないのだから雨木の声だ。駆け足でこちらに近づいてくる。僕は観念した。あぁ、こんなことならクラスのアイドル矢木さんと一発やりたかった。めっちゃかっこいい彼氏がいるけど、矢木さん。
全てを受け入れたわけではないが、流石に現実逃避するコマンドしか僕のバトルウィンドウには表示されていないのでゆっくり目を閉じた。そういえば僕は美容院で髪を切ってもらうとき目を閉じる癖があるんだけど、美容師さんがその気になれば僕って一瞬で殺されるんだな。目を閉じても開いても「死」のイメージが僕の脳みそを支配する。
暗い。お母さんの足に引っかかってブチンと別れを告げられる家庭用ゲームみたいに、僕の生命もこの世界から隔離されるのだろうか。あぁ、別に好きでも何でもないけど、一度抱きしめてみたかったよ。矢木さんのこと。
「…………平井くん?」
一瞬ラグってそのあと正解を当てられた。ごめんね。ありがとう。雨木さん。今日僕が初めて君の存在を認知したというのに、君は僕のことを少なくとも今日よりかは前に知って覚えていてくれたんだね。ハハハ。こんなに僕の存在を知ってもらえて悲しかったことはない。
バイバイ。サンキュー。おはこんばんは来世。とりあえず柿谷。お前のしょうもない話、もう一度聞きたいかなって思ったけど、お前のドラマの批評。ネットの意見そのまんまなの気付いていたぜ……。
「違うよ」
「うそ、同じクラスの平井くんでしょう?いつも柿谷くんと一緒にいる」
え? クラスでの僕の印象ってそうなの? お願いします。殺してください。
「……そうだよ」
「いつからそこにいました?」
「えーと、今きたとこ」
「嘘ばっかりですね。君は」
「そんなことないさ」
嘘を嘘で塗り固めたらいつか本物にならないかしら。
「僕も殺すの?」
「考え中」
雨木の手にある刃物を奪ってしまおうか考えたけれど、その考えがまとまる前に雨木が何かグッドアイディアを閃いたようだ。まったく。頭の回転の早い女だ。
「君のこと殺さないことにします。代わりに私のお願いを一つ叶えてください」
おお、事態は良い方向に転がりそうだ。ちょうど死にたいか死にたくないかの天秤が傾きかけていたころだ。もちろん死にたくない側に。読み終わってない漫画がたくさんある。
「あぁ、いいよ。なんでも叶えてやるよ」
雨木は血がポタポタと滴り落ちる刃物を眺めてこう言った。
「私がこれからも犯していく罪を、君はずっと隣で見ていてください」
「オーケー、分かった。ずっと見ておくよ」
ぶっちゃけ意味不明だった。