第一話 ~プロローグ 出会い~
ここから主人公視点です。
今回はまだ続けて投稿します。
僕たちは、逃げていた。
全力で逃げていた。
手を取り、一緒に逃げている女性が少し辛そうにしている。
けれど、止まれない。
止まれば恐らく死ぬのだろう。
前後左右上下と、縦横無尽にどこからでも襲いかかってくる黒い影。
時折拳で迎撃しながら、走り続ける。
時間や平衡感覚が狂いそうな空間の中で、もう何時間逃げ続けているのかわからない。
ああ……どうしてこうなった、と益体も無いことを考える。
――あの日は、春にしては少し暑い日だったと思う。
「どうして暑い日に出かけなきゃならないんだ……」
僕ーー朝霧湊は、姉さんの命令により定期的な顔見せと持病の検査の為に親戚のおばあちゃんの家に向かっていた。
別におばあちゃんは医者とかでは無いのだけど、僕の持病は普通の病気とはわけが違うし、特殊な方法でもおばあちゃんくらいしか進行を止めておけないようなモノらしい。
僕のおばあちゃんの名前は姫宮セツ。
大昔から続く姫宮一族の前当主で、その世界では有名な呪い師らしい。
どうしてそんな人が僕らのおばあちゃんなのかというと……詳しく聞いたことはない。
父さんはあまり言いたくなさそうだったし、無理に聞くつもりもなかったしね。
……まぁ父さんの嫁が2人いて、片方の姓が姫宮って時点で、小学生でもわかると思うけどね。
『おーい、湊君?聞いてるー?』
いけない、誰に向けてるんだかよくわからんナレーションで姉さんからの電話を無視していたようだ。
「うん。やっぱりケバブにかけるソースはチリソースがいいと思うんだ。ヨーグルトは邪道だよね」
『何言ってるの⁉ヨーグルトが至高に決まってる……って何の話よ!全然聞いてないじゃない……いい?もう一度言うわね?ちょっと生徒会の仕事が終わりそうにないから、セツさんによろしく言っておいてってお願いなんだけど』
「それは了解したけど、日曜日なのに態々登校とか大変だよねぇ。僕絶対生徒会なんて入りたくないよ。姉さんまだ高1でしょ?何で生徒会に入れたのさ?」
ちなみに僕と姉さんが通っているのは私立で、中高一貫のエスカレーターだったりする。
『なんでって言われてもねぇ……お世話になってた先輩が高2で生徒会長になって、推薦枠で半ば強制だったから……「今までの借りを返して貰おう。大丈夫だ。死ぬことはないから」ってすっごく笑顔で言われたしなぁ』
余談だがこの先輩、女子である。
女子なのに行動が大体男みたいで、しかもかっこいい。
その為か中等部でも男女問わずファンがいるくらい人気だ。
「ふーん……まぁ頑張ってね。今日の夕飯は姉さんの好きなモノ作るからさ」
『ホント!?じゃあカレーがいい!』
ほぼノータイムで少年みたいなことを言ってきた。
可愛いなぁ……
「姉さんの好みって小学生の男の子みたいだよね」
『何をー!……ってすみませんすみません!もう切りますハイっ!……早く仕事戻れって怒られたよ。電話切るね……』
姉さんが少ししょんぼりしてる。
どうやら仕事を抜け出して電話していたようだ。
「うん、頑張って。じゃあまた夜にね」
喜怒哀楽がはっきりしてて、会話してると和む姉さんを愛おしく思いながら電話を切った。
「さて……行きますかね」
独り言を呟きながら、僕は歩き出した。
我が家から徒歩で20分の場所にある山。
その山の中ほどに、凄い規模のお屋敷がある。
この山そのものが姫宮の持ち物で、この屋敷は本家らしい。
ちなみに、ここに来る時は基本いつも学校の制服を着ている。
特に何か決まりがあるわけではないけれど、正装の方がこの屋敷の雰囲気に合ってるからだろうか。
「あら……お帰りなさいませ、若様」
そのお屋敷の玄関口で、長い黒髪をうなじの辺りで結った綺麗なお姉さんが挨拶して来た。
「……ただいま、瑞稀さん」
この人は姫宮瑞稀さんと言って、姫宮の分家の人らしい。
何故本家に住んでいるかというと……まぁしきたりなのだそうで。
正直、姫宮ですらない僕らには関係のない話……のハズなんだけどなぁ。
「ねぇ瑞稀さん。若様は止めようよ……それに、姫宮の姓名乗ってるわけでもないのに、お帰りなさいってのもさ……」
この人に限らず、姫宮本家分家問わず殆どの人から僕と姉さんはこんな感じに扱われている。
その度に、止してくれって言ってるんだけどね……
ちなみに僕は若なのに、姉さんはお嬢様って呼ばれている。
若って、ヤクザの跡取りみたいでやだなぁ……
「そうは参りません。直接の血筋でなくとも、御当主の立派な御子息、御令嬢なんですから。それに琴乃様もその方が喜ばれますし」
琴乃というのはセツさんの孫で僕らの腹違いの妹。
とても可愛らしい、いい子だ。
だけど……姫宮の現当主、雪乃さんと言うのだが、父さんとどうしたらこんなことになるのか全く想像出来ない。
本人曰く、それはもう劇的な出会いだったそうなのだが、放蕩親父の息子としてはバカが一体何をやらかしたんだ、と不安で仕方がない。
セツさんは「流さん(父さんのこと)が雪乃とリーナさん(僕らの母さん)を泣かせないならば、二股だろうがなんだろうが好きにしたらいい」と大変剛毅なことを仰ってたらしいけど。
「あれ?そういえば、琴乃は?雪乃さんもいないみたいだし」
いつも僕たちが来ると、何処から嗅ぎつけるのか真っ先に会いに来るのに、今日はそのドタバタの気配がしない。
「御当主は現在遠征中で御座います。今回の仕事は長くなる、とも聞いていますね。琴乃様も修行の為にご同行しています」
普段通りに振舞ってるけど、どうやら瑞稀さんは琴乃が心配らしい
いつもは物静かなのに、今日は若干落ち着きがない。
「そっかー……残念だね。ところで、今日はセツさんの用事で来たんだけど」
「伺っております。ご案内しますね」
話をそこそこに、瑞稀さんにセツさんのところまで案内してもらう。
このお屋敷は広くて、案内して貰わないと目的の場所まで辿り着かないのだ。
屋敷の中央にある大広間の前を通り過ぎて、建物の端っこにある大きな部屋。
そこがセツさんの部屋だ。
「先代様、若様がいらっしゃいました」
「よく来たね。お入りなさいな」
襖を開けると、お香のいい匂いが漂ってきた。
顔は暖簾で隠れて見えなくなっているが、声はとても100歳超えたおばあちゃんのモノではない。
毎回思うけど、部屋の中に暖簾って変じゃないのかな?
「こんにちは。セツさん」
僕は挨拶もそこそこに、近況をちょっとした小話を混ぜながら報告する。
暖簾越しに、セツさんの楽しそうな雰囲気が伝わってくる。
瑞稀さんも部屋の壁際に控えながら聞いてたけど、面白いのか笑ってる。
楽しんでもらえたようでよかった。
「そう……縁も頑張ってるのね。縁に、たまには用がなくても顔を出してって伝えてちょうだい。……それじゃあ、そろそろ治療を始めましょうか。瑞稀、一度下がって貰える?終わったら呼ぶから」
ちなみに縁と言うのは姉さんの事だ。
さて、瑞稀さんが出て行ったのでこの部屋にいるのは僕とセツさんだけだ。
「それじゃあ湊。治療を始めますから、こちらへおいで」
セツさんに呼ばれる。
この部屋は大きいけど、部屋の七割が御簾の向こう側にある。
治療するには直接触れなきゃいけないから、必然的に御簾を潜ることになる。
(セツさんの部屋って、お香とかでいい匂いなんだけど……この御簾の中は本当に思春期には毒だよ……)
セツさんの素顔を見たことがあるのは雪乃さんと琴乃、父さんと母さん、僕と姉さんの6人だけで、姫宮の人は皆見たことがないそうだ。
それが僕と姉さんを特別扱いしている理由の一つであるらしい。
セツさんは、外見の上では雪乃さんの姉と言われても納得してしまうくらい若い。
床にまで広がった艶やかな黒髪は一切手を加えておらず、それ故に扇情的だ。
肌の色はあまり外に出ないからか色白で、けれど不健康な白さではない。
和服は本来、身体のプロポーションがあまり出ないのに、それでもわかる大きな胸と、それに反して細身の身体。
全身で母性というものを体現した存在がセツさんという人だと思う。
「本当、綺麗ですよね。セツさんって」
思わずそう呟く。
「孫にそう言ってくれて嬉しいわ。……うん。準備出来たから、上着脱いで裸になったら、そこに横になって」
セツさんの言う通りにする。
部屋の中央にある布団の上に横になる
少し肌寒いけど、日差しが暖かい。
《我が心、我が魂よ。今こそ形を成し、我が厄災を祓え》
《――顕現――》
セツさんが唱えると、セツさんの胸から一振りの小太刀が出現した。
これは心剣といって、一部の人間だけが扱える能力だ。
セツさんはその小太刀で己の手に一筋の傷をつける。
《我が血を贄とし、願いのままに世界よ変われ》
これは姫宮一族の呪いの、始まりの言祝ぎ。
これを唱えなきゃ始まらない。
「寝ていなさい、湊。起きた時には全部終わっていますから」
……術の副作用で来た眠気に抗う事も出来ず、暖かい日差しと優しい声色に包まれて僕は眠りに落ちた。
起きたらもう、日が落ち始めていた。
セツさんはどうやら治療が終わった後も僕のことを診てくれていたようで、疲れたのか僕の隣でスヤスヤと眠っていた。
……実際は100歳超えのおばあちゃんだってわかってるんだけど、見た目が20代だからか、こんなことになるとどうしてもドキッとする。
起こすのも悪いし、そっと布団から出て、セツさんに布団を譲った。
上着を着ながら、お礼言いたいけど起こすのもアレだし、手紙にするか……と思って周囲を見渡す。
小さな机の上に、紙と筆があったのでさらさらと簡単にお礼を書いた。
最後に入り口でお辞儀してから退出した。
部屋を出て、廊下ですれ違う給仕の人達に会釈しながら瑞稀さんを探す。
瑞稀さんは大広間前の縁側に座ってボーッとしていた。
お仕事は終わったのだろうか?
「あのー……瑞稀さん?」
「あ、若様。終わったのですか?」
ちょっとびっくりした瑞稀さんが振り返りながら聞いてくる。
「うん、無事に終わったよ。セツさんは疲れて眠っちゃったみたいだったから、お礼の手紙を部屋に置いて出てきたんだ。姉さんの夕飯も作らなきゃいけないし、そろそろ僕帰るよ」
「そうですか。あ、先代様から治療が終わったら渡すように言われていた物があるので、少々お待ちください」
そう言って瑞稀さんは屋敷の奥に消えていった。
渡すものって何だろう?今までは治療の後に何か渡すとかなかったしなぁ。
……あ、瑞稀さんが戻ってきた。
「すみませんお待たせしました……これを渡すように仰せつかっております。」
そう言って瑞稀さんが渡してきたのは綺麗な装飾が施された指輪だった。
「……これは?」
「その指輪は、毎日一定まで魔力を注げば若様の持病の進行をさらに遅らせることが出来るそうです。ただ、あくまでも気休め程度だと思っておけ、とのことです。身体のどこかに不調を感じたら、すぐに来いとも仰っていました」
「わかった。セツさんにお礼を伝えといてもらえるかな?」
そういいつつ、僕は早速指輪をつけて魔力を込める。
意外と量が必要だな……お、少し身体が楽になった気がする。
確かに効果はあるみたいだ。
「承りました。それで、お行きになられるのですよね?それなら玄関までお見送りします」
さらりと当然のように言ってきた。
そういう扱いはいいって言ってるのに。
「いや、瑞稀さんもまだお仕事あるよね?見送りなんていいって!」
ちょっと強めに言えば遠慮してくれるかな……
「仕事ならもう殆ど終わっていますし、これは絶対に譲りません!」
ダメでした。
そうしてなんだかんだで、姫宮本家勤めの殆どの給仕さん達からお見送りされた僕だった。
「「「行ってらっしゃいませ、若様!」」」
……いや、いい人達なんだけどさぁ。
姫宮の山を降りた僕は、姉さんのリクエストであるカレーの食材を買いに街のスーパーまで来ていた……んだけど。
(なんだ……あの人)
スーパー横の路地、そこにダンボールを愛する蛇さんを彷彿とさせる動きで、こそこそ動く、ボロ布のフードを深く被った女の人がいた。
(丸見えだぞ、スネー……おっとそれはダメだ)
どうでもいい思考をしながら、女性に声をかけるかどうか迷った。
女性の風体が完全に怪しい人っていうのもあるけど、その人の方から魔術が発動しているのをビンビン感じてる為、確実に厄介ごとなんだろうなぁと思う。
まぁ、声をかけるだけかけてみますか……と女性の方に真っ直ぐ向かう。
「あのー……何やってるんです?」
「!」
声をかけた瞬間、すごい勢いで飛び上がり、ついでに頭の上にびっくりマークが付きそうなくらい驚いていた。
「……えーっと」
予想外の反応で僕もどうすればいいのかわからなくなってしまった。
そのまま五分くらいお互い無言だった。
……暫くして落ち着いたのか、女性が僕を信じられない物を見るような目で見つめながら言ってきた。
何故そんな目で見てくるかな?
「何故……私の姿が見えるのですか?」
そこまで目立つ行動しておいて何を言うか。
……いや、実際には発動してた魔術が姿を消すとかそういう類なんだろうな。
うん、そうに違いない。
「何故って言われても……見える物は見えますし」
「そんな……仮にも神である私の術が……こんな……あっさり……」
女性が何故か愕然とした感じになっている。
後半の方聞き取れなかったけどなんて言ってたんだろう?
まぁいいや。
「そんなことより、少しここから離れません?どうしてコソコソしてたのかとか聞きたいですし、困ってるなら手を貸しますから」
結構怪しいけど、困ってそうだし……と優しめに言ってみた。
「そ、そんなこと……そんなことですかそうですか……うぅ……これでも神様なのにぃ」
女性は何やらがっくりしてる。
丁寧に対応した筈なのに何故だ……
面倒な事に首突っ込んだかな……と少し不安になった。
口調って難しいですねぇ……