9話 「海食洞の隠遁者」
「んーで? 旦那よお、この俺様のところへわざわざやってくるってこたあ、なーんか厄介事にでも巻き込まれたんだろ?」
小さな海食洞の奥……ちょっとした岩場に上がった僕たちへ向かって、そう訊ねてくる不審者、もといサク。
「そうでもなきゃ、俺様のとこなんてぜってー来ねえもんなぁ?」
その辺に置かれた、というよりは流れ着いたのであろう流木へ腰掛け、偉そうに足を組んで小首を傾げる仮面の口が、少し笑ったような気がしてしまう。
「そんなことはないだろう。一昨日、会いに来たばかりじゃないか」
「昨日は来なかったじゃねえかよ! なんだぁ? この村娘とよろしくやってたのかよ、おい。ぐへへへ……」
「へっ……?!」
下品な笑い方をしながら、下世話なことを言い出すサクに、こめかみを押さえながらため息をこぼした。ファニスはと言えば、心なしか顔を赤くしている。
まったく、教育上よろしくない要素しかないな、こいつは……。
「あんまりふざけてばかりいると、本当に来なくなるからな」
「おい、おいおいおいっ! 真っ赤になった村娘をかばうたあ、いよいよ怪しいなぁ、おい! こりゃ参ったぜ、くはははっ!」
誰かのものとそっくりの嫌味な笑い声が反響して、ひどく耳障りだ。……まったく。
僕の知り合いは、総じて他人をからかうのが好きな趣味の悪い奴が多すぎる。
「あ、あの。クロルさん……本当に、この子に訊くんですか……?」
冗談と言ってくれ、そうファニスの瞳が僕へ必死に訴えかけているが、それに応えることはできない。なぜなら、こいつが賢者であることは紛れもない事実だからだ。
「……まったくもって、気は進まないがな」
「だ、だって、この子、こんなに小さい子どもですよ?」
確かに見た目は、どこから誰がどう見ても、子どもにしか見えないだろう。
身長は僕の胸にまで届かないくらい……いいところで十の子どもだと思われるくらいだ。
「おいこら、村娘よぉ」
ファニスの言葉を聞いたサクは、心外だと言いたげに背伸びをしながら彼女の目の前にまで歩み寄る。
…………どうやら目の高さには、届かなかったようだ。限界まで体を伸ばしているその姿には、何とも同情を誘うものがある。
「あんまり俺様を見くびってもらっちゃ困るぜ? てめえよりナリは小せえかもしんねえけどよぉ、それが頭にまで影響するとでも思ってんなら、とんだオツムだぜ、おい」
「それはそうかもしれないけど……」
だって、子どもにしか見えない。おそらくそんな言葉を飲み込んだのであろうファニスは、困ったような笑みを僕に向けた。
あの女に喧嘩を売られた時と対応が違うのは、未だにサクのことを子どもだと思っているからなのだろうか。僕はそれに苦笑しながら首を振る。
「本当に子どもじゃないんだ。……信じられないというのなら、何か訊いてみればいい」
相変わらず疑うような目でサクを見続けるファニスに、僕はそう提案した。
自らを大賢人だと言うサクに難しい質問をし、それに見事答えられたなら、おそらくは信じざるを得ないというものだ。
「………………分かりました」
しばらく考え込むようにしていたファニスが、そう言ってサクの目線に合わせて屈み、仮面の瞳と目を合わせる。
「くはははっ! こりゃ傑作だな!! 村娘が俺様に謎かけでもするってのか?」
「ううん。謎かけじゃなくて、私の知りたいことを訊こうと思って」
「おーおー、何でも訊けよ! この大賢人様に遠慮なく、がんがん訊いてくるがいいぜ!」
「それじゃ……――」
調子に乗って高笑いしているサクに、少し微笑んでからファニスがゆっくりと口を開いた。
「――――この世界に、神様は居るの?」
ほう。僕は少し持ち上がってしまった口の端を隠す為、手で顎を撫でる。
訊かれたサクの方はと言えば、完全に硬直してしまっていて、微動だにしない。
何とも、面白いものを見せてもらうことができたようだ。
「ん、んんっ……えー、神は本当に居るのかって質問で、合ってるか、村娘」
「うん、それで間違いないよ」
どうやら、本当に返事に困っているらしく、サクのローブが少し揺れている。
この世界において、神とはこの世界を支えている存在のことを指す。
数々の奇跡によって人々を救い、崇め奉られている神を特に、四大神と呼ぶのだ。
そして、この加護を得た都市がそれぞれ、北が氷神グラキエスの魔法都市グラキエス・アンブレオ、南が火神イラフマエラのイラフマエラ帝国、西が風神アイテールの風都ウェントゥエルム、東が水神アウテルの水都アウテル・ガーデンと存在し、これらは一括りに四方大国と呼ぶ。
有名どころと言うと少し違うかもしれないが、大抵の人間……魔族にすらも知られているという意味では、この世界で一番有名だと言っていいのではないだろうか。
しかし、ファニスが今問うている神……本当に居るのかと訊ねている神は、おそらくこれのことではないのだろう。
この森の守り神にして、マーマウでのみ信仰されている神……狼竜イサークのことだ。
人が住む以前からこの森を守り続けてきたとされる、田舎神であるイサークは一般的に悪とされるようなものを悪としない珍しい信仰であり、しかし分を弁えることを良しとする。
つまり、何をしていたって構わない。が、調子に乗って大きな顔をして歩いていると、イサーク様に食われてしまうぞと……半ば脅し文句のような教えなのだ。
……まぁ、教えというよりは、他人のシマであんまり勝手してると手痛いしっぺ返しを食らう、と言っているだけなのだが。
「ねぇサクちゃん。イサーク様は、本当にこの世界に居るの?」
そして、それをなぜ問うのか。きっと、あの村が魔族の襲撃を受けた時……魔族たちが我が物顔で村や森を荒らしているというのに、現れなかった狼竜の存在に疑問を抱いているのだろう。
……もし、本当に言い伝えられているような、とんでもない力を持ったイサークがあの場を収めに現れていたならば……おそらく、彼女の両親も生きていられたのだから。
「…………居るぞ」
「!」
ぼそりと呟かれた言葉。
「てめえが居ると信じ続けるなら、そいつは存在する。神ってのは、そういうもんだ」
「…………そっか」
ファニスの肩が、心なしか少し下がった。
信仰されるから神はそこに居る、誰かの心の中に。それはとても美しい綺麗事で、サクの口から出るにしては、あまりにも薄い言葉だった。
「うん、ありがとう。とりあえず、サクちゃんが子どもじゃないってことは信じようかな」
子どもがそんな答え方するわけない、ということなのだろうか。
ファニスは複雑な笑みを浮かべて、サクの頭に手を置こうとした。
「っと、いけねえなあ。村娘、大人の頭をそう簡単に撫でようとしちゃいけねえよ。禿げちまうからなっ!」
しかし、それを少し身を引くことで避ける。
別にこいつも嫌だからという理由で、そうしたわけじゃない……と、僕には分かるが。
「……そっか」
思った通り、ファニスはサクの行動を誤解しているようで、少し気まずそうに微笑んで手を引く。
サクもまたそれをどうすることもできず、ただ無感情な仮面で僕を見上げた。
……やはり、彼女をここへ連れてくるべきではなかったらしい。そう後悔しながら、僕はため息をつき、二人の間に入った。
「悪く思わないでやってくれ。さっきのように、こいつはよく子どもに間違えられるせいで、こういう難儀な性格になっているんだ」
「ううん、あたしの方こそごめんね。何となく、昔よく遊んでた子を思い出して……」
そう言ったきり、しんと静まり返る洞窟内の空気。
これは、早々に用事を済ませて村へ戻るのがいいだろう。ここへ来る前の自分にため息をつきながら、後頭部を撫でた。
「あー……それで、サク。お前に訊きたいことなんだが、魔女の実という物を知っているか? 魔力を回復する薬なのだそうだが……」
「――――……」
しかし、そうは問屋が卸さないらしい。
魔女の実という言葉を聞いた途端、サクの様子が一変した。
「……おい、旦那。どこでそいつを知ったよ」
「ある紙切れに書かれていたんだ。見たところ、どうやらかなり前に書かれたものらしい」
ファニスへと目を向ければ、小さく頷く。
そして鞄からあのメモを取り出して、サクに見えるよう広げてみせた。
「あたしの両親、薬師だった先代から受け継いだ薬学辞典の背表紙に隠されていたの。でも、先代が遺した他の物の字と、全然違うんだよね……」
言われてみれば、確かにそうだったような気がする。
ファニスの両親は走り書きすらも、あまり崩れていない整った字で書いていた。
しかし、このメモに書かれた字は走り書きと呼ぶに相応しい、乱雑なもの。おそらくは彼女の言う通り、別の人間が書いたものなのだろう。
「んん? この字は……つっても、あのやろーはウン年前に埋められたはずだしな……」
そのメモを間近で見ながら、ぶつぶつと呟きながら唸るサク。
「心当たりがあるのか?」
「ま、旦那に隠し事しても仕方ねえ。分かりやすく教えてやるから、ありがたーく俺様の話に耳を貸しやがれよ、おい」
そう言って、組んだ足を下ろしたサクは僕とファニスを一瞥してから、一つ咳払いをした。
*=*=*=*
「てめえら、この森にゃ魔女って奴がいんのは知ってるよな?」
海面の立てる音が、ふいに止まったように感じる。
「魔女……? 村でよく話されている、昔話のこと……かな」
「それだそれ、村娘。悪さをして村から追放された、悪しき魔女って奴。実はあれな、作り話なんてもんじゃねえ。本当に居た奴のことを面白おかしく書いたもんだ」
仮面の奥で、サクの目が鋭く光ったような気がした。
「そのやろーは性格の悪い、最ッ悪の女でな。この俺様の仮面を何度となく割りやがったんだ! 後にも先にも、んなことした奴はあのやろーだけだぜ?!」
大げさに肩を竦め、それから僕の方へ仮面を向ける。
……まぁ、僕からすればその奇っ怪極まりない仮面がいくつ粉々になっても、何一つ困らないのだが……サクにとっては一大事なのだろう。
「この際、それはとりあえず放り出しておくとして……魔女の家に伝わる最高の秘薬……それこそが旦那たちの探してる、魔女の実ってやつなんだよなぁ」
少し傾けられた首にならい、フードの脇からこぼれる毛の束が揺れた。
「魔女の涙草を煮詰めた蜜に、とっぷりと漬け込んだ月のしずく。そいつを一口食べりゃ、不老長寿になるなんて村の馬鹿共は騒いでたが……さすがに寿命を延ばすことはできねえ」
蜜……ということは、それがリコリスの蜜というものだろうか。
それなら最悪でも魔女の涙草さえ手に入れれば、どうにかなるかもしれない。
少し見え始めた希望に気持ちを軽くする。
「ああ。僕たちは、そこまでのことはその薬に求めていない」
「旦那がそんな間抜けだとは思ってねえよ。あくまで説明しただけだって」
フードを揺らして笑うサクに、ファニスが首を傾げた。
「作り方まで知ってるの、サクちゃん」
「当ったり前じゃねえかよ。薬の存在だけ知ってたって何の役にも立たねえだろ?」
「え、じゃ、じゃあ……作れる、の?」
店では挑戦してみると言ってはいたものの、心細かったのだろう。
ファニスは期待するような目でサクを見つめる。
しかし、その首が縦に振られることはなかった。
「俺様は知識をてめえらにくれてやることはあってもな、俺様自身が何かを施すことはねえんだよ。甘えんじゃねえ、村娘」
サクはこういうことに関しては、自分の立ち位置に例外を作らない。
……と言いつつ、何だかんだで面倒見のいい変人なので、僕みたいな例外も結構居そうではあるのだが。
そうは思ったものの、口は閉じておくに限る。
何も言わずに顎を撫でながら肩を竦めれば、サクが満足げに息をついた。
しかし、そんなにきつい言い方をしては……とファニスを横目に見れば、その顔は意外にも驚きや悲しみといったものに染まってはおらず。
「分かった。それなら、あたしに作り方や材料について……その薬を作るのに必要な知識全部を教えて」
サクの言葉に少しも動じた様子のない、真剣なものだった。
それどころか、先ほどのサクへ期待を向けたものよりも目が輝いているくらいだ。
「はっはぁ……こいつはいい目しやがるぜ。村娘、てめえのことも気に入った! 魔女の実について教えてやる。ついでに、材料調達も面倒見てやるから、感謝しろよなぁ!」
「お前が動くとは珍しいな」
座っていた倒木の上に立ったサクが、僕たちを見下ろして胸を張る。
落ちないかとファニスが心配しているようだが、こいつに限っては必要ないだろう。
サクを見上げて苦笑してみせれば、馬鹿にしやがってとこぼれてくる言葉。
「その材料ってのが、俺様にも関係ある場所に生えていやがるんだ。……いい加減、隠れてばっかってのも情けねえ、ちったぁ天狗になってやがるあいつらの鼻っ柱を折ってやんねえとなぁ?」
「は……?」
こいつに関係がある場所、そう言われて自然と口が半開きになってしまう。
それはつまり……。
表情を変えないはずの仮面が、やはり少し不敵な笑みを浮かべたような気がする。
「もちろん、俺様が直々にてめえらを案内してやる」
「まさか、お前……」
あの場所はもう、人の行けるような場所ではないと……そう、サク本人が言っていたはずだ。
いくらこいつでも、そんなに無謀なことは言い出さないはず。色々な意味で規格外な奴とは言え、だてに大賢人を名乗ってはいないのだから。
しかし、そんな僕の信頼をすべて裏切り、神妙な様子で頷くサク。
「――――イサーク様の神殿ってやつになぁ」
腹の底から響かせたような声で紡がれるその言葉に、僕は思わず、額に手を当ててため息をついたのだった。
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こんにちはーです。
さぁ、リコリス9話「海食洞の隠遁者」です!
怪しいちびっ子大賢人サクさんですが、改めて読んでみても、まぁ口の悪いこと悪いことw
曲者ぞろいのリコリスパーティー、常識人枠二人の胃が壊れない程度に、これから暴れさせてみますっ。
次は神殿に行くとか行かないとかっ(ぇ
ではでは、読んでくださってありがとうございました!