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リコリスの魔女  作者: 桂香
1章 「狼の森」
8/13

8話 「海岸のその先」

耳をくすぐるさざなみの歌が響き渡る、リート海岸。

端から端まで、走れば五分はかからないという距離のその海岸は、村の人間も用がなければ立ち寄らないほど、何もない場所だ。

森に囲まれたマーマウの東に伸びる、踏み固められただけで作られた小道を五分も歩けば、その場所に辿り着く。

早朝であれば、リート魚の漁をする漁師が慌ただしく駆け回っているが、夜の九時では漁師たちも酒場で飲んでいる頃なのだろう。

掘っ立て小屋のような小さな港と、その横にはもう少しきちんとしているとはいえ、廃屋と見間違えられても文句は言えないような小屋、漁業組合所が建っている。

桟橋には、これまた小さな漁船がいくつか錨を下ろしているだけで、人影の一つも見当たらない。

ただ、靴底が食む砂浜の音が、僕の分と……それから僕の音よりも少し早いテンポのそれが、後ろから聞こえてくるだけだ。


「……お前は店で待っていても良かったんだがな」


振り返り見た視界に入るのは、髪を揺らしながら早足で駆けて来るファニスの姿だ。

あれから……材料がファニスも分からないと判明してから、僕はこういうことを訊くのにうってつけであろう人物の元へと向かうことにしたわけだが。


「く、クロルさんだけで行かせるわけにはいかないじゃない! 怪我もしてるし……」

こう言って聞かずに、ファニスがついてきてしまったのだ。

正直なところ、あまり僕以外の人間と会いたくないであろう人物なので、どうにか一人で行きたいのだが、昨日今日と人狼や狼が襲ってきたのだ。村の近くとはいえ、ここまで来てしまっては、一人で村に引き返す方が危ない。

「怪我と言っても、頬を人狼の爪が掠めただけだ。大したことはないだろう」

「ダメです! どんなに小さな傷でも、油断していると大事になるかもしれません!」

「はぁ…………」

ならないだろう、と言ったところで聞かないことは、既にこの押し問答を何度も繰り返して知っている僕は、深いため息だけをこぼした。


「それで、この材料について知っている人っていうのは、こんなところに住んでるんですか……?」

辺りに広がる砂浜と海を見渡し、ファニスはそう問いかけてくる。

もちろん、家のような建物は見当たらない。小さな港と漁船、村へ続く小道と、森の木々……それから海岸の端にそびえる、絶壁の崖があるだけだ。

「ああ。あの崖下にある小さな洞窟で寝泊りしているんだ」

「えっ?! な、何で村に泊まらないんですか、その人……」

ファニスが目を丸くしている。まぁ、確かに普通の人間なら、そうしない理由はない。

……つまり、その人物が普通の人間じゃないということになるわけだが、彼女には言わない方がいいだろう。

「あー……まぁ、何だ。懐が寂しい奴でな」

「うーん……でも、危ないですよね。女の人なら、あたしのお店にある空き部屋くらい貸してあげられるんだけど……」

どうなんですか、と何か複雑な顔をして僕を見るファニス。対する僕はといえば。

「女、なんだろうか、あいつは……」

「えぇっ?! く、クロルさんっ? その人と会ったこと、あるんですよねっ?!」

詰め寄ってくるファニスに苦笑いをしつつ、本当に分からない自分に驚く。

声は女のような気がするが……言葉遣いは、男のような気がする……仕草も、男のような気がする。外見については、いつも上から下まで隠しているからなぁ。

「うぅむ……」

「えぇぇ……それはあまりにも他人に興味がなさすぎるんじゃないですか……?」

「いや、あいつの場合はそういうわけでもないと思うが……お、着いたな」

そんなことを話している内に、いつの間にやら目的の崖下まで辿り着いていた。

リート海岸が狭いのか、それとも話が長かったのか……少し苦笑しつつ、僕は海の中へと足を踏み入れる。

「へっ、海の中に入るんですかっ?!」

「ああ、言っていなかったか。入り口が海に向かって開いているから、どうしても少し海に入らなければならなくてな……泳いだりはしないが、ふくらはぎくらいは濡れるな」

波打ち際で立ち止まったままのファニスが、愕然とした表情のまま僕を見つめていた。

騙したな、とでも言いたげなその視線が痛い。

……とは言え、勝手についてきたのはお前だろうと言いたいような気もするが。


「まったく……ほら」

「へっ、えっ?!」


まぁ、心配してついてきてくれた相手に、そんなことを言うほど性格は曲がっていない。

未だに海の中へ入ることを躊躇っていたファニスの腕を取り、そのまま背負うように引っ張ると、簡単にその体は僕の背中へと倒れ込んだ。


「わっ、わわわっ、お、下ろして下ろして! じ、自分で歩くからっ!!」

「濡れるのが嫌なんだろう? 負ぶって運んでやるから、大人しくしていてくれ」

じたばたと暴れるファニスにそう声をかけると、途端に動きが止まる。

「………………う、ううん。やっぱりいい、自分で歩くから下ろしてください……」

やがて、風に吹き消されてしまいそうなほどに小さな声で、そう言った。

ふむ……さすがに年頃の娘にすることではなかっただろうか。

「僕は別に構わないが、嫌ならやめよう」

「うん……嫌ってわけじゃないけど、恥ずかしいから……」

「そうか。じゃあ、ゆっくり下ろすからな」

足が地面についたのを確認し、ファニスを放してやると、背中へ何かが当たった。

首だけで振り返れば、そこに当てられていたのは彼女のこぶし。

「……何だ?」

「クロルさんって、本当に天然ですよね……はぁあ……」

「?」

天然というと……僕は、もしかして馬鹿にされているのだろうか。

そんなに変わったことをしたつもりはないのだが……それとも、先ほどのが相当気に食わなかったのか。首を傾げていると、ファニスが靴を脱いで急に駆け出した。

今までとは打って変わり、躊躇うことなく海へと踏み出した足は、水しぶきを上げて楽しげな音を奏でる。


「ふふっ。最初からこうしていれば良かったですね、水が気持ちいい」


微笑みながらそうする彼女は、どうやら本当に楽しんでいるらしく、意味もない足踏みを繰り返しては、辺りに水をはね散らかしていた。

彼女のお気に入りであるはずの青いスカートまで濡れて、少し透けてしまっている。

「濡れるのが嫌だったんじゃないのか?」

「……そんなことを気にしてる場合じゃなかったかなって」

困ったように苦笑するその様子に、僕も少し笑った。

未熟でも年頃の娘でも、ファニスは薬師なのだなと認識を改める必要がありそうだ。

振り返り、僕を待つ少女の姿にそんなことを思いながら、その隣へと歩み出た。



*=*=*=*



リート海岸の浅瀬を歩くこと数分、僕たちは小さな洞窟の入り口に到着した。

風の音や波の音が反響し、まるで奥に何か化け物でも居るような唸りが聞こえてくる。

改めて、こんなところに住む奴が普通なわけはないなと、密かに苦笑を漏らした。

「ここ、ですか……?」

少し怯えた様子のファニスが、僕の腕を掴みながらそう訊いてくる。

「ああ。……念の為にもう一度訊いておくが、本当に一緒に来るんだな?」

「もちろんです!」

あまり怖いようならば、入り口で待たせようかと思っての言葉だったが、そんなものは不要だったらしい。ファニスはそう即答し、僕の腕からも手を放す……が。


「で、でも、あの、う、腕だけはその……抱きついていても、いいですか……?」


怖いものは怖いらしく、薄っすらと涙目になっている青い瞳をこちらへ向ける。

仕方ないなと苦笑しながら腕を差し出せば、喜んだようにそこへ飛びついた。

……まったく、こういうところは昔から変わらないな。



「あーあーあー……ったく、こんなとこまで来て、いちゃこらいちゃこら……てめえらよぉ、ちったぁ俺様に遠慮したらどうなんだ。おい」



ふいに洞窟の奥から響いてきた、美しい声で紡がれる汚い言葉。

これは間違いなく、あいつのものだ。気づかれないようにため息をこぼし、顔を上げれば暗がりに紛れる人影が一つ見えた。

「……その言葉遣い、いい加減にやめた方がいいと何度言わせれば気が済むんだ、お前は」

「はんっ。俺様は俺様の好きなよーに喋らせてもらうぜ、旦那の指図は受けねえよ」

「まったく……せっかく綺麗な声をしてるというのに、もったいない……」

「うるせえよ、俺様は本当ならもっと野太くて、そりゃあもう威厳のある声をしてたんだ! あいつらのせいで……。けっ、今度見かけたらぜってえ食い殺してやる……」

忌々しい、と言わずともよく分かる物騒な言葉を吐いて息巻く人影。

横目にファニスを見てみれば……思った通り、ただただ唖然としている。

初対面の時は、僕もあんな顔をしていたのだろうな。ひたすらに大笑いされたのを思い出しながら、笑いをこらえて視線を逸らした。

「んでよ、そこの娘はなんだよ。俺様に差し出すってわけじゃねえんだろ? まさか、独りで寂しく隠居生活を送ってる俺様に、見せびらかそうってそういうことじゃねえだろうなあ、あぁっ?!」

……妙にいきり立っているように聞こえる言い方だが、これがこいつの常だ。

まぁ、いつもより少し力が入り過ぎていると言えば、そうではある……そうではあるのだが。

当然、そんなこととも知らないファニスは怯えた様子で、僕の影へと隠れてしまっている。

これで、こいつは若い娘が好きだから、純粋に僕を羨ましがっているだけだ……なんて言ったところでファニスは信じないのだろうなぁ……。


「……僕をお前と同じにするな。そんな発想すらできないくらいには、真人間だ」

「おう、旦那よ。その言い方だと、俺様が真人間じゃねえみたいじゃねえかよ」

そう言いながら、ゆっくりと影から出てきたそいつは、僕の目の前で立ち止まった。

しかし全身が月光の元へ晒されてなお、その姿は隠されたまま。

なぜなら、深々と被ったフード付きのローブによって、頭からつま先まですっぽりと覆われてしまっている為だ。

更に言えば、その顔も狼か狐を模しているらしい珍妙な仮面によってそのすべてが隠されており、表情も何も見えない。……向こうからは、僕たちのことがしっかりと見えているらしいが。

「はぁ……そんな怪しい格好をしておいて、よくも真人間だと言えたものだな」

呆れて物も言えないとは、まさにこのことだ。

「くはははっ! 旦那は相変わらず手厳しいぜ」

笑うそいつの右肩に、ローブの留め具が輝く。

……そして、そこにはある紋章が彫られているのも、僕は知っていた。

あれほど隠しておけと言っておいたのに、堂々と目立つ場所につける奴があるものか。


「えっと、あの……」

突然始まった掛け合いに、ただただ目を丸くしていたファニスがやっと言葉を漏らした。

そして、僕とそいつを交互に見て、それから怪しい仮面をつけた不審人物を指差し。



「――――どこからどう見ても、小さな子なんですけど……」



見た通りの感想を述べるファニス。

「ちっちっちっ……村娘。見た目で判断するのは、ただの阿呆という奴だぜ? この俺様は偉大なあの……!」

「サク」


調子に乗って、大きく息を吸ったそいつの頭へ手を乗せる。


「………………」

何の表情も映さない仮面がこちらへ向けられ、不満げに沈黙が流れた。

困るのはお前だというのに、なぜ僕がそんな態度を取られなければならないのか……。

理不尽さを感じつつ、ため息を一つ。


「こいつはサク。僕の……切っても切れない腐れ縁の、友人だ」


こんな奴が僕の知り合いだと紹介しなければならない日が来るとは、まったくもって遺憾だ……。

ファニスが目を丸くして見つめるのに耐えながら、僕はそう……謎の不審者を紹介したのだった。



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こんにちはです。

さぁ、8話「海岸のその先」……ここからエリカお嬢さんは、少しの間不在になります。

メインヒロイン(笑)感が否めませんが、彼女がメインです。はい。


さてさて。

今回から登場の、口が悪いクロルの友人サクさん。

一人称が俺様呼びのキャラらしく、乱暴で自分大好きさんですねw

怪しいちびっ子サクが、これからどう暴れてくれるのか……どうぞお楽しみに。ありがとうございましたー!

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