Ⅶ.籠からの脱出
電話を受け、急いで家に帰ると、
「凜、今お父さんが成田に着いたみたい。一瞬の隙を狙って、家を出ましょう。」
と、母がリビングであたふたしていた。
「え?家を出る…?」
「訳は後で言うから。荷物をまとめて、あの車に載せておいて。運転手には言ってあるわ」
「う、うん。わかった。」
母の言う通り、わたしは荷物をまとめた。
母は何か計画しているに違いない。母の行動力は、この大学受験で思い知らされたばかりだ。
荷物をまとめ、車に載せた。
お父さんが帰ってくるまで、料理を用意し、冷静を装うことにした。
家の門のオートロックが開く音がした。
間も無く父は家に入って来た。
「パパ、おかえりなさい!」
「凜…話がある」
「え…?」
「あなた、とりあえずご飯を用意したのでゆっくりみんなでご飯を食べましょう」
「そうだね、冷静に話をするためには腹を満たすべきだな。」
誕生日は数日前…いきなり日本に帰ってくるなんてとても珍しい。
夕食を食べ、紅茶を淹れる母。
テーブルに父と向かい合わせに座っている。
父が、重い口を開けた。
「凜…。怜くんと別れたとは本当か?」
「はい、お別れしました。」
「好きだから付き合っていたのではないのか?」
「いえ、怜は…怜は、俳優になりたくて私と付き合っていたのです。お父様の名前が欲しかっただけです」
「そんなことは知っておる。」
「え……。」
「あなた、それをなぜ…」
「揺すって来たんだ、あいつの親が。今、うちの事務所にプロジェクトを持ちかけて来ていた。それを、凜と復縁させない限りプロジェクトの融資を打ち切ると。」
「そんな…」
「あいつに嵌められたんだよ、私たちは。どうしてくれるんだ!お前は!」
いきなり、声を荒立てた。
「あなた、この子には何の罪もないわ。あなたは我が子を人形のように扱っていたあの子を許せるの?」
「いいか…凜。プロジェクトが終わるまででいい、怜くんと復縁するんだ。わかったな!」
そう言うと、父は席を立ち、「フライトで体が疲れている」と言って、寝室に向かった。
母は私の目を見て、決意を示した。
母は、用意していた離婚届と手紙を残し、私の手を引いた。
用意していた車に乗り込み、私たちは家を出た。
「ママ、これからどこ行くの?」
「知り合いのところよ。」
「知り合い…?」
「実家だとすぐバレるしね。」
「そっかあ。」
「あなたのことを大切にしたいと思ってる人がね、助けてくれることになったのよ」
「え…?大切にしたいと思ってる人…?」
「ほら、着いたわ」
大きなお城のような家の前。
表札には「泉」と書いてある。
「え…泉って…」
「そうよ、宗太郎くんのお家よ。」
玄関に通され、そこには宗太郎と宗太郎のお父さんらしき男性が立っていた。
「凜さん、ご無事で何よりです。」
「宗太郎…どうして?」
「突然、宗太郎から電話をもらってね。困ってるというから、空いてる部屋でも使ってもらって構わないよと。」
「信一郎から電話をもらったのよ。」
「立ち話もなんですから、早く上がってください。」
リビングに通され、私たちはソファに腰掛ける。
「あの…どうして宗太郎のお父さんが…?」
「信一郎はね、わたしの小学生の頃からの同級生なのよ。」
「同級生!?」
「まさか、子供同士が一緒の学校なんてね。」
「お母さんはね、学年一の美人さんでね。僕の親友の山邑誠人の恋人で、いつも二人の恋愛相談に乗ってたものだ。」
「山邑誠人…さん…って…あの…」
「そうだ、最年少内閣官房長官の山邑誠人だよ。」
「そうだったんだ…」
「ねえ、そういえば2人は付き合ってるの?」
「え?」
「い、いえ…」
「なんだ〜!期待して損しちゃった!」
さっきまで深刻そうにしていた母だが、やはりこのキャラが一番いいなあって思ったりする。
「僕にとっては凜さんは高嶺の花ですから。」
「初めて娘さんを見たけど、やっぱ優子の若い頃にそっくりだね。蛙の子は蛙だね。」
私たちが話していると階段を降りてくる音が聞こえる。
「もう、いきなりお泊りなんて…あら、もういらっしゃってたの?」
「真由美、懐かしい人が来ているよ」
「え、あら、優子じゃない!どうしたの?」
「旦那から逃げて来ちゃった。」
「え?今日からお泊まりするのは優子のことだったの?」
「ごめんなさいね、でも本当に助かったわ」
「優子…大変だったわね」
宗太郎のお母さんの真由美さんは、大学時代の同級生。
ママの誕生会で、宗太郎のお父さんとお母さんが出会ったことも知った。
「宗太郎、なんか私たちの知らないところですごい関係があったのね」
「僕も、まさかが続いててびっくりです。」
宗太郎は、わたしが受けたママの電話のあとに、すぐ父親に相談してその時に私のことを、夕蘭の娘だと伝えたところ、ママとは同級生と言うことを知ったのだった。
すぐに同級生から連絡先を聞き出し、ママに電話をくれたのだという。
「全然気づかなかったわ。過去の保護者間のトラブルで、あの学校の行事はほとんど保護者は参加しませんからね。」
「わたしも2人が結婚してたなんて知らなかったの。芸能界に入ってから疎遠になって、旦那と結婚して周りと縁を切ることになったから…」
「じゃあ、誠人ともあれ以来…?」
「会ってないわ。」
「誠人くん、結婚もせずに仕事一筋で最年少で官房長官になったからね。」
「優子のことがきっと今になっても忘れられないんだろうな。」
「そう…なんだか、あの人の人生を壊してしまったみたいで、後ろめたいの…」
「壊したのは君じゃない。嵐山健だ。」
「過去のことは、水に流すことにしたの。こうやってあなたたち夫婦に助けてもらったんだから。」
「離婚する気なんだね?」
「うん…前からずっと悩んでたけど…今回の凜の件で決心したわ」
「弁護士なら、こっちで手配してあげるよ。」
「信一郎、ありがとう。真由美も…本当に迷惑掛けてごめんなさいね」
「いいのよ。あ、そうだ、宗太郎。凜ちゃんにお部屋案内してあげて。」
「はい。凜さん、こちらへ。」
宗太郎は、わたしの荷物を持ち、階段を上って行った。
「凜さん、こちらが凜さんのお部屋です。私は隣の部屋ですので、いつでも困ったことがあったら言ってください。」
「宗太郎、何から何までありがとう。宗太郎のお父さんって、あの外務大臣の泉信一郎さんなの知らなかった。」
「僕も、怜さんのことが最近問題になって来てたので、それで凜さんのお母さまの名前を調べました。まさか、同級生だとは思いませんでしたが。」
「山邑誠人さん…とっても気になるなあ。会ってみたいな。」
「山邑先生は一度お会いしたことがあります。とても誠実な方ですよ。官房長官になってからは本当に激務みたいですね。」
「ママはね、私は嵐山健の娘だって言ってたけど…なんだか違うような気がして。」
「離婚するまでは、そのことは公に調べない方がいいかと思います」
「そうよね。わたしも、やっぱ法律を勉強してる立場からすると、不利になる行動は今はやめておこうって思って。」
私のお父さんは、本当はどっちなんだろうか。
真実を知りたい反面、もしパパが本当にお父さんだったとして、離婚は淋しいとも思ってしまう。
でも、ママが私の幸せを願ってパパと別れると決意したのなら、それを尊重するべきと思った。
目が覚めると、私の携帯電話にはパパからの電話やメールの着信でいっぱいだった。
わたしは怖くて、電源を落とした。
部屋の扉をノックする音が聞こえた
「凜さん、お目覚めですか?朝食はどうしますか?」
「あ、準備が終わったらいただきます!先に行ってて。」
「かしこまりました」
「あ、宗太郎!」
わたしは、ドアを開けて宗太郎を呼び止めた
「どうかなさいました?」
「あ、いや…携帯電話、今度はお父さんからの電話がすごくて…どうしよう」
「今は着信拒否か電源を落としたままでいいんじゃないでしょうか。凜さんにとっては、お父様であることは変わりないでしょうし…」
「そうだよね。特に連絡ないと思うし…電源落としておくことにする。」
宗太郎のお母さんが作ってくれた朝食はとてもおしゃれで、少しテンションが上がった。
「うん、ママより料理のセンスがある!」
「凜、真由美は栄養士の資格を持ってるのよ」
「すごーい!毎日宗太郎のママのご飯食べたい!」
「あら、凜ちゃんとっても嬉しいこと言ってくれてありがとう。凜ちゃんがお嫁に来てくれるなら、毎日作ってあげたいわ。」
「でも、のちのちそんなことになりそうね。」
「え?宗太郎と?考えたことないなー。」
「宗太郎は昔から気弱だからね。」
「あらそうなの?宗太郎くんは気がありそうだなって。」
「凜さんは、永遠に僕のヒーローです」
「ヒーロー?ヒロインじゃなくて?」
「僕が小学生のとき、友達にいじめられて。そのとき、学年で一番大きな体格をした同級生を凜さんは言葉で追い払ってくれたんです。」
「ふふ。凜ちゃんは優子の分身ね。」
「え?分身?」
「優子も昔から男気溢れてたもの。」
「わたしは、凜とはちがって上品な女の子だったわよ!」
「いーや、ママは絶対肉食系女子。」
「優子から誠人くんにアタックしたんだもの。」
「ち、違うわよ!誠人がどうしても付き合って欲しいって言ったの!」
「ママ、ムキになってる〜!」
「もー、真由美、凜に余計なこと言っちゃダメよ!」
「ふふふ。あ、いけない!もうこんな時間!」
「凜さん、今日は僕が車を運転して送り迎えしますので。」
「本当?ありがとう。」
「二人とも、気をつけてね。宗太郎、安全運転でお願いね!」
「ご心配なく。行ってまいります。」
「行って来まーす!」
「凜さん、こちらへどうぞ。」
「宗太郎、あなたはわたしの召使じゃないんだから、そんなことしないで。」
「僕は小さい頃からレディファーストを教育されてましたから…あまり気になさらないでください。」
「そんなこと言われても気になるわよ!」
「ふふ、そうですね。」
あまり笑わない宗太郎が、笑った姿を見たのは久しぶりな気がした。
とても優しい目で、少しドキッとした。
「凜さん、シートベルトちゃんとつけましたか?」
「おっけー!」
「では、出発します。」
「そういえば、宗太郎、いつ免許取ったの?」
「ええ、この前。」
「宗太郎、いつもバイトとか一緒だったし気づかなかった。」
「父の知り合いのところで授業の空き時間とかでも行けるようにやってもらったんです。まあ、怜さんのことがあって、僕も凜さんの周りにいるものとして守って行かなきゃと思いまして。」
「宗太郎って、私のことずっと守ろうとしてくれたよね。修学旅行のときも。」
「あのときは、守りたくても守れなかった。だから、今度こそ守りたいです。」
宗太郎の気持ちは高校時代から薄々気づいてた。
守りたいという言葉はきっと裏返せば、好きだということであることには変わりない。
わたしはわざと気づかないふりをした。
それが一番私たちの距離を保ってくれるような気がしてたから。