私と彼のぬくもり
私達は図書館を出た。
その直後、私は振り返り、後ろに美咲君が存在することを確認すると、急に止まった私と美咲君は衝突した。透明になってないってことは、図書館は関係してないのかな?。
そんなことを黙々と考えていると、美咲君は仄かに頬を染め、慌てて私から距離を取る。私は頬をぷくっと膨らませて、美咲君との距離を縮めた。
「ちょっと、何で距離取ってるの?」
私がギロリと睨むと、美咲君は視線を泳がせ「え、あ、その」と呟く。
「…お、お俺、女の近くに居ると鳥肌が立つんだよ。そ、そろそろ限界で…」
私は美咲君の言葉に「ぷっ」と吹き出して、大笑いした。ここまで女性恐怖症だったとは。
「なっ…わ、笑うな!。俺だってな、好きで身に着けたんじゃねぇっつの!」
「いや、別に馬鹿にしたわけじゃないよ。ただ可愛いなぁって思っただけだから、大丈夫大丈夫」
「どこも大丈夫じゃねぇよ!。というか、170cm台の男に可愛いなんて、馬鹿にしてる以外ありねぇだろ!。本気なら、お前は今すぐ眼科行くべきだ!」
「外見じゃなくて、中身の話をしているんだよ。私は」
「は、はぁ!?。お、おまっ…お、お男に可愛いとか言ってんじゃねーよ!」
美咲君の顔は真っ赤になり、湯気が噴き出ていた。おっ、出ました!。二次元界の名言が。
「褒め言葉なのに?」
「どこがだよ!。ったく、可愛いなんて言われたの、初めてだぜ」
そう言って、ため息を漏らす美咲君に「初めてもらっちゃった」と冗談交じりに言うと、頭をチョップされた。なんか、私の扱いのほうが酷くなったんだけど。
「この様子だと、現象と図書館は関係してないみたいだね。となると、まずは何人かの人に接触しないといけないなぁ」
「なんか、セクハラしにいくみたいだな」
「美咲君。私、女子だから。それじゃあ、ただの百合になっちゃうよ」
百合と言えば、私には百合の友達が居る。この間、その子は女の子とイチャイチャする夢を見たらしいのだが、最近はイタチと時計が性的行為をする夢を見ると言っていた。イタチと時計がどうやってするんだよ。
「とにかく、今から「人に触れられるか実験」をしたいと思います」
そう言って、ドヤ顔の私はビシッと指を立てた。ふふん、良い作戦名だな。
「…それ、題名つける意味あんの?。そのままじゃん」
美咲君の言葉に疑問を持ち、私は首を傾げる。いやいや、どこも間違ってるところないじゃん。美咲君は本当に変人だなぁ。
未だ理解不能なのだが、昔からネーミングセンスがないと言われる。私が作品や動物の名前などをつけると、兄が哀れな物を見る目をする。酷い時は「頭大丈夫か?」と心配される。私がおかしいんじゃないよね?。みんながおかしいんだよね?。
「えっと、君の言葉の意味が分からないから、本題の話を続けてもいいかな?」
「いやいや、おかしいだろ」
「…それで本題だけど」
「ちょっと待てって。スルーすんなよ」
「…んんっ、それで本題だけど、高等部と中等部、どっちで実験を行おうかと思ってさ。はっきり言って、人が居ればどこでも出来るから、君が決めてもいいよ」
私は大きく咳払いして、ギロリと美咲君を睨んだ。すると、美咲君は目を逸らし、すぐに口を閉じた。ふっ、勝った。
そして、美咲君は首を傾げ、長い唸り声を上げ続ける。優柔不断か。
「そこまで悩むこと?。まぁ、いいけどさ。君は女性恐怖症なんだから、知ってる人の多そうな高等部のほうがいいんじゃないのかな?」
「…いや、高等部は嫌なんだよ」
「え、美咲君、いじめられてるの?」
もしかしなくても、美咲君はM。イニシャルもばっちりだぜっ。
「んなわけねぇだろ。ただ、最近行けてねぇから、先生とかに見つかるとやっかいだなって。後、俺が女子と居るところ、知り合いに会ったら絶対笑われるし」
「…なんか想像できるね」
そう言って、私は思わず笑みを溢した。
「笑うなっ。大体、お前だって、知り合いの居ない高等部は緊張するだろ。べ、べ別にっ、お前の心配とかはしてないけどっ!」
「何、その唐突なツンデレ。というか、私、高等部に知り合い居るから、その点に関しては大丈夫だよ」
ま、今の時間じゃ、居るとは限らないけど、居たら手伝ってもらおう。というか、私は友達少ないし、中等部でも高等部でもそう変わんないというか。
「あれ?、お前、中学生だったよな。というか、どう見ても中学生にしか見えないけど」
その美咲君の言葉に、私の体内からはカッチーンと何かが割れる音が聞こえた。
「何?。もしかして、私が幼児体型とでも言いたいの?。この体で高校生とかありえないとっ。俺の好みはボッキュボンのムチムチ女子だとでも言いたいかな!?。確かに中学生だけど、もう中三だから来年で高校生なんだからね!」
「おいおい、何怒ってんだよ。お前、さっき自分で言ってたじゃん。というか、お前小さいのは体型以前に…」
「そうだね!。確かに私の胸は小さいよっ、まな板だよ!。でも、胸っていうのは大きさだけじゃないっ、体とのバランスが一番重要でしょうがっ!。これだから巨乳好きは困るよ!」
「誰も胸とは言ってねぇだろ!。俺が言いたいのは背っ、背っ!」
私が不機嫌そうに口を尖らせていると、美咲君は「はぁ」とため息を吐いた。
「…ったく、めんどくせぇなぁ。あーはいはい、お前は可愛い。世界一可愛いから大丈夫だ」
そう言いながら、美咲君は私の頭をくしゃくしゃっと乱暴に撫でた。私は緩んだ顔を伏せて、唇を噛みしめる。ヤバいっ、私、相当キモい顔してるっ!。
そう思いながら、美咲君に視線を向けてみるが、鈍感な彼は何にも気づいていない様子だった。
そんな美咲君の態度に、私は頬をぷくっと膨らませてた。すると、超絶的な鈍感である美咲君もさすがに気づいたらしく、私の怒りを鎮めようとし始めた。
「えーっと…なんか、怒ってらっしゃる?」
「怒ってないよ。ただ呆れてるだけだから、気にしないで」
「気にするわっ!」
そう言っても、私が不機嫌なままなので、困った美咲君は「無視ですか」と言って、頬をぽりぽりっと掻く。そうだ、もっと困っちまえ。
「えっと…ぁあっ、で、でっ!、結局、高等部に居る知り合いって、誰なんだ?」
美咲君は下手な作り笑顔を浮かべ、ぎこちない喋り口調で話題を変える。
「ただの知人である美咲君に、私の交流関係を教えなる必要なくない?。それって、プライバシーの侵害だよねぇ?」
まるで拗ねた子供のように、私は嫌味っぽく返事を返した。だが、戸惑う美咲君の姿を見てると、さすがに罪悪感を抱いてしまった。確かにカッコ悪かったかも。
「…私、兄が居るんだ。兄は高等部の人気者というか、もうアイドル的な存在だから、兄に頼んだほうが早く済むんじゃないかなぁって。まぁ、居ればなんだけど」
「ん、あ、ああ、そうなのか…って、アイドル!?。お前の兄がアイドル!?。なんか、会ってみたいわ」
美咲君は「アイドル」という単語を聞いた途端、まるで秋葉原に居るアイドルヲタクかのように、目をキラキラに輝かせる。まさか、そんな趣味がっ。
「良く「似てない」って言われるよ。美咲君が会ってみたいなら、やっぱり高等部に行くべきかな」
「…まぁ、時間帯的に居ないかな。うん、居ないことを願うことにしよう」
「じゃあ、高等部に行こうか。急がないと、最終下校時間になっちゃうよ」
「あ、そういえば、そうだな」
という会話を交わし、私は美咲君の手を引っ張り、高等部の校舎へと足を運んだ。
その途中、私は美咲君に兄の事を熱弁していた。え、ブラコン?。言っとくけど、私にとって、それは褒め言葉ですよ。
この学校は、主に他学年の校舎への立ち入りを禁じている。
移動教室や職員室への用などは許されているが、最低限の出入り以外は禁止されていて、見つかると職員室へ連行される。
この規則は私的にはどうでもいいのだ。言うなれば、スカートの規則と同じレベル。逆に、この規則のおかげで兄が中等部校舎へ来ないので助かるぐらい。
でも、今はその規則に少し困っている。なぜなら、私が規則を破ろうとしているからだ。
現在の時刻は午後5時半過ぎ。たぶん、先生とは滅多に遭遇しないと思うが、可能性が完全無いわけじゃないので、私達は慎重に行動をする。
私は元々勉強(英語以外)が出来るので、そこまで内申には響かないだろうけど、問題は長時間の説教だ。この時刻から説教されてしまえば、確実に実験が出来なくなってしまう。そう思い、私は先生に遭遇した際の言い訳を今の内に考えておくことにした。
そんなことを黙々と考えながら、私は中等部の下駄箱で靴を履き替え、高等部の下駄箱で美咲君と待ち合わせをした。
そして、私達は会話を交わしながら、職員室から一番遠いい4階へと向かった。その際、もちろん手を繋いで歩くのだが、いつの間にか、美咲君は私の横に居た。
今まで気づかなかったけど、男子と女子では歩幅が違うわけで、歩調が合わないのは当たり前のことなのだ。特に小柄な私に合わせるのは大変のはず。たぶん、いつの間にか気を遣われていたんだ。
そう思い、私はちらちらと何回も美咲君に視線を向ける。なんか、ちゃんと隣に居るんだと確認する度に嬉しくて、何度も、何度も何度も、君を見つめた。
「って、あれ?。ヒナじゃね?」
「ん、あー本当だ。めっちゃ懐かしいね」
という見知らぬ男子達の声が、急に後ろから聞こえた。そして、私が美咲君の顔を覗きこむと、引きつった笑みを浮かべていた。うわ、キモっ。
「おーい、ヒ…ってぇい!、なんか、ヒナが女の子連れてるんですけど!?。手まで繋いでるし!」
未だ振り返ろうとしない美咲君の代わりに私は振り返る。そこには、少し小柄な金髪男子と、平均身長の黒髪男子が居た。どうやら、騒がしいのは金髪みたいだ。
そんなことを考えながら、私はじっと男子二人を見つめた。
「し、しかもっ、めっちゃ可愛い子じゃん!。女性恐怖症のフリして、彼女作りやがって、何様だよっ!」
「いや、俺、彼女居るから。というか、あの子…」
そして、金髪男子は「ヒナ」と名前を連呼する。その「ヒナ」というのは、美咲君のあだ名なんだろう。名前も可愛いのに、あだ名も可愛い(笑)。
そう思い、私は必死に笑いを堪えた。すると、急に金髪男子が「美咲」と呼び、美咲君の体はピクリと反応した。
「だからっ、下の名前で呼ぶなっつってんだろうがぁっ!!」
美咲君は振り返って、大声で怒鳴る。そこが階段だったせいか、その声は一気に響き渡った。
そんな美咲君の声に、驚いて呆然としていたのは私だけで、金髪男子は「ヒヒヒっ」と変な笑い声を上げ、黒髪男子は耳を塞いで平然としていた。慣れって恐ろしい。
「…って、美咲君、そんな大声出したら先生来ちゃうよ!」
そう言っている間にも、近づいてくる足音が聞こえてくる。私は慌てて辺りを見回し、隠れる所を探すが、混乱しているせいか一向に見つからない。
私は「ごめん」と言って、美咲君の背中に隠れ、繋いでいた手を支えに精一杯背伸びをした。
「コラぁぁぁ!!、何の騒ぎだ!」
数秒後、先生は怒鳴り声と共に登場した。声からして、中年男性の先生のようだ。
だが、既に私の足は限界を超えようとしている。やはり、筋肉がほとんどついていない足では、長時間の背伸びはきつい。足はピクピクと震えるので、私は唇を噛みしめ、必死に耐えた。
きっと、美咲君は赤面してるだろうな。そう思うと、美咲君の顔を覗いでやりたいが、今の私にそんな余裕は残ってない。きついぃぃっ。
「…す、すみません。ちょっとした言い争いをしてしまって、でも、今解決したので大丈夫です。お騒がせして申し訳ありません」
そう対処してくれたのは、予想外なことに美咲君だった。私が驚いていると、つんつんと美咲君の指に突っつかれる。その指に視線を向けると、それは美咲君の背中を指差していた。どうやら、美咲君は背中に寄りかかれと言っているらしい。
女性恐怖症じゃなのかよ。それとも、私を女だと思ってないってこと?。
そう思いながら、私は美咲君から手を離し、彼の背中に寄りかかった。
この時、こんなにも美咲君の近くに居るはずなのに、私は悲しくなった。さっきまで、あんなに嬉しかったのに。
「そうか、次から気をつけろよ」
そう言って、先生は踵を返し、職員室へと戻っていった。先生の後ろ姿を見て、美咲君は「すみませんでした」と謝り、それに便乗して、金髪男子と黒髪男子も「すみませんでしたー」と棒読みで謝る。
先生の足音が聞こえなくなると、美咲君は「行ったぞ」とだけ告げる。私は美咲君に視線を向け「ありがとう」とお礼を言おうとしたら、彼は後ろからでも一目瞭然なぐらい顔を真っ赤にしていた。
「…どうして、顔真っ赤にしてるの?。さっきまで、あんなに冷静だったのに」
私は不思議に思って、そう美咲君に問いながら、彼の顔を覗きこんだ。だけど、美咲君は片手で顔を隠してたので、良く見えない。
「い、いや、さっきはお前が辛そうだったから、早く終わらせなくちゃって…あっ、べ、別にっ、お前が心配とかじゃなくて、バレて実験出来なくなったら、俺が困るからっつーか」
「…実験くらい、私が居なくても出来るよ」
「うっ……えっと、それはだな…と、というかっ!、お俺っ、女は苦手って言ってんじゃん、何で俺の後ろに隠れんだよ!」
必死に誤魔化す美咲君を見つめながら、私は彼の手に触れた。
「…だって、美咲君と、手、離したくなかったから」
そう言って、私が満面の笑みを見せつけると、美咲君は若干目を逸らしながら、「バカか」と私の額に凸ピンした。
「おーおー!、よくやったな、ヒナっ」
という明るい声が共に、空気を読めない金髪男子が私達に歩み寄る。そういえば、居たんだった。こんな人。
「ごめんね。つぐは空気読めないんだ。アホだから」
もう一人の黒髪男子は呆れながら、金髪男子の首根っこを掴んだ。うん、分かる。
「えっーと、美咲君、この人達は?」
私は今まで疑問に思ってたことを口にすると、美咲君は「しょうがないかぁ」と言いながら、ため息を吐いた。と、友達なんだよね?。
「この馬鹿そうなのが「島田正嗣」で、陰険そうなのが「松川信長」だ」
この紹介だけだったが、私にはとても分かりやすい説明だった。
「随分酷い言われようだな」
「つーか、いつも赤点ギリギリのヒナだけには言われたくないつーの」
そんな文句を言う二人を「はいはい」と軽くあしらう美咲君。というか、正嗣さん声でかいな。後、顔もうるさい。
「で、ヒナ、そっちの子は?」
そう言いながら、信長さんは未だ口を尖らせる正嗣さんの頭を撫でていた。な、な何だっ、この二人「おホモだち」なのか!?。
「ああ、こいつは日向棗だ」
美咲君の紹介と共に、私は「宜しくお願いします」と頭を下げた。すると、信長さんは「ん、宜しく」と返事を返してくれたが、正嗣さんは「あははっ、お前等、どっちもヒナじゃーん」と無駄に騒いでた。何が面白いんだろう。
「やっぱり、君が噂の子だったんだ」
「は?、お前等知り合いだったの?」
「いや、知り合いじゃないけど、日向さん有名じゃん。えっと、何だっけ…あ「中等部のマドンナ」」
「中等部のマドンナ」という知らない言葉に、私は思わず首を傾けた。どうやら、表情や反応を見る限りでは、美咲君も正嗣さんも知らないようだった。
「あれ、知らない?。これ、高等部でも中等部でも結構な噂なんだけどなぁ。IQ170の天才美少女が、中等部から高等部までの男共を魅了してるっていう噂。君、その子でしょ?」
そう言うと、信長さんは私の額を指で突いて、じっと見つめてくる。その瞳はまるで全てを見透かしてるようで、私は怖くて視線を逸らしそうになった。
「というか、中等部のマドンナはお兄さんのガードが鉄壁過ぎることでも有名なんだけど、お前はどうやって手に入れたの?。童貞ボーイ」
信長さんは悪戯そうな笑みを浮かべて、美咲君に視線を移す。彼は口元に微かな笑みを浮かべただけで、完璧目が死んでいたので、私には余計怖く見えた。
「は、はぁ!?、べ、別にっ、俺とこいつはそんな関係じゃ…っ」
「いや、お前、クラスの女子と日向さんとじゃ接し方違うし」
美咲君の必死な言葉は信長さんによって簡単に遮られ、「ち、違くねぇし!」と言いながらも、次第に顔が赤くなっていく。
「そうだそうだっ。俺達が下の名前で呼ぶと怒鳴るのに、日向さんが呼んでも怒鳴んねぇじゃんか!。不平等すぎっ」
正嗣さんは口を尖らせて、信長さんに便乗して文句を言った。
「ま、もし付き合ってなかったとしてもさ、傍から見ると付き合って見えるから、気を付けたほうがいいじゃないの?。じゃないとお前、もうすぐ死ぬぞ」
うん、死ぬな。私も今気づいたけど、手と繋いで兄の所なんか行ったら、例え元に戻れても学校に来れなくなってしまう。はい、今、死亡フラグ立ちました!。
「ヤバイ…ヤバイじゃんっ、俺!。お、おいっ、早く終わらせて帰るぞ!」
そう言って、美咲君は私に視線を向け、繋がってる手にぎゅっと力を込める。兄が怖いなら、手を離せばいいのに。
「え、ちょっと、美咲君!。まだ実験が終わってないよ!」
私がそう言うと、美咲君は踏み出そうとしてた足を止め、少し躊躇いながら「悪い」と言って、正嗣さんの背中を思いっきり叩いた。おお、いい音や。
「いったぁぁぁぁ!」と叫びだす正嗣さんを無視して、美咲君は私の手を引いて走り出した。そんな姿が輝いているように見えて、私は思わず目を擦った。
「…太陽だ」
あの後、私達は階段を駆け下り、高等部校舎の下駄箱から中庭へと飛び出す。すると、急に美咲君が立ち止まったので、私は顔面から激突した。文句を言いたかったが、全力疾走したせいか思考回路はうまく回らない。
「み、美咲君……早すぎ…っ」
「あ、悪いっ」
私が呼吸を整える為、唾をごくりと飲み込んでいると、美咲君は制服の袖で汗を拭いながら振り返った。その瞬間、私の思考回路は一瞬停止して、足元がよろけた。
「って、おい!、日向っ!」
そう言って、美咲君は倒れそうな私の体を引き寄せてくれた。そして、「大丈夫か!?」と言いながら、心配そうに私の顔を覗く。
「あ、ごめん。大丈夫」
「お前なぁ、ちょっと走っただけで貧血とかどんだけだよ」
そう言いながら、美咲君は青白い私の顔に手を触れる。あぁ、もう、暑いっ。
「うるさいなぁ。元々体質なの」
「いや、どうせ不健康な生活送ってたんだろ。大体、さっきから思ってたけど、お前軽すぎ。ちゃんと飯食ってんのか?」
「そんなのどうでもいいじゃん。元はと言えば、美咲君が勝手に全力疾走するからでしょ。この自己中野郎っ」
「ほら、無理して喋んな。少しはその負けず嫌いどうにかできないのかよ?」
美咲君に正論を言われたことが何よりも悔しいのに、それに反抗出来ない自分が情けない。そのせいか、私は頬を膨らませて、美咲君から離れる。
そして、美咲君は「しょうがねぇなぁ」と呟いて、私の目の前で急にしゃがんだ。
「ったく、乗れよ」
その言葉を聞けば、鈍くなった私の思考回路でも意味が理解できた。これはおんぶしてくれるということだろう。
人に頼るとか負けたみたいで嫌だけど、今回ばかりは意地を張っていても迷惑をかけるだけで恰好悪いので、私は素直に美咲君の背中に乗った。しょうがなくね。
「おお、素直じゃん」
「良く言うよ。こんな真面目で純粋な子に」
「ほほう、俺には反抗期のガキにしか見えないけどな……やっぱ軽」
その言葉に、私は「うるさい」と言いながら、美咲君の頬を軽く抓り返した。
「効かねぇよ、お前の弱い力の攻撃じゃな。だから、勝ちたいなら、ちゃんと食べること。分かった?」
「母親か」
「言っとけ」
そう言うと、美咲君は笑い出す。そんな姿を見て、私は美咲君の頬から手を離し、今度は首にそっと抱き着いた。
その時、私は自分でも気づかない内に笑っていた。そういえば、さっきも同じようなことがあった気がする。人を笑顔にすることは、誰にでも出来ることじゃない。たぶん、私には一生出来ないことだ。そんな君は最高に魅力的だから、私は君に興味があるんだ。
「ねぇ、美咲君。私の噂について、どう…思った?」
「どう思ったって……すげーなぁって思った」
私は小さい声で「そう」と素っ気なく返事をした。だって、その言葉は私の嫌いな人達が良く言っていたから。私のこと見てくれない人達。
「後、俺、元々噂とかあんま信じないんだけど、さっきの噂聞いたら、やっぱり噂は所詮噂だなって思った」
「どうゆうこと?」
「…あの噂だけだと、お前は完璧に見えるかもしれねぇけど、こうやって、ちゃんとお前と向き合っていると、お前だって俺とそう変んないかなって。こんな出会ったばかりの奴を助けるお人好しな所とか、意外と口悪い所とか、死ぬほど負けず嫌いな所とか、不器用な所とか…後、笑った時の顔がすげーか、可愛い所とか、あんな噂より、俺は俺が知ってるお前が好きだから、あの噂は俺にはどうでもいいってゆーか、まぁ、それだけ」
私は美咲君の言葉が嬉し過ぎて、どう反応していいか分からなくなった。すると、私は思わず唇を少し尖がらせて「ふーん」と言った。
その後、美咲君は「何だよ?」と私に問いかけてきたが、私は「別に」と返事をするだけだった。今、私のこの気持ちは私の心の中へと仕舞うことにしよう。君が自分で気づいてくれるまで、君には内緒。
あれから、妹からの連絡がない。
こっ酷く告白を断って、泣かせてしまった女の子のことなんか忘れて、妹のことで頭が埋め尽くされる。どうも嫌な予感がする。
そんな不安をかかえながら、俺は自分の教室の席で寝そべり、妹からの連絡を待っていた。だが、一向に連絡が来る様子がない。
俺は気分転換に廊下へ出て、静かな廊下を歩きだす。そして、チラリと携帯を確認するが着信記録はないので、俺は「はぁ」とため息を吐き、もう自分から妹にメールを送ってしまおうと、携帯を弄りだした。
「今、何やってるの?」と打ち、すぐに送信ボタンを押そうとした時、俺はふと窓へ向ける。すると、そこには妹が見知らぬ男子におぶられていた。
それを見て、俺が睨みながら「チッ」と舌打ちをすると、窓ガラス越しに見えたものに、次第に力が抜けていく。
「…………っ」
窓ガラスの向こうに見えるのは、妹の満面の笑みだった。あんな顔、俺にも滅多に見せないのに、あいつには見せるのかよ。
俺の表情には怒りも喜びもなく、ただの悲しみだけが残る。まるで、俺の時間だけが静止したかのように、俺は窓ガラスの向こうの二人を見つめた。
どんなにたくさんの女に好かれても意味なんてない。俺が欲しいのは一つだけなのに、それが絶対に手に入らない。
「なぁ、俺は本気にならないんじゃないんだよ。本気になっちゃいけないだけなんだよ」
そう呟きながら、俺は送信ボタンではなく、削除ボタンを押した。