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01

腹が、減った・・・ようだ。


何日喰ってないのか、もう記憶も定かではないが、此処までくると感覚さえ鈍くなる。

寒ささえ感じなくなるほど。


ここ数年は、元旦に雪が降るなんて無かった筈だ。

なのに。

ひらり ひらり と、まるで牡丹の花びらの様に綺麗な雪が降っている。


足跡を消して行く雪はむしろ嬉しかった。


俺の、馬鹿な人生を消してくれる様で。



蜂王子の街から逃れて来た、此処は・・・もう、名前も覚えていない。

この、名も知らない街が俺の最後の地になるのか。

出来る事なら、己の人生と同じ闇に紛れたかったが。


踏み出した感覚の無い右足は左足の僅か数センチ先にしか伸びず、その重さは鉛の様に計り知れない。

それでも一度止めたら、もう二度と、動かすことは出来ないだろう。

ぼろぼろに疲れ切ったこの状態では。



川沿いの裏路地。

確かまだ夕刻の筈だが。

人の姿も少なく、俺の人生のような淀んだ雲が垂れ込めている。

向かう宛も無い霞んだ眼に何かが光った。

眼を凝らすと凍てついた心も躰も解きほぐす暖かな、だが儚い灯火。

橙色の、ふわりと優しい輝き。


そこには、きっと。

その価値に気付かぬまま、ガキの頃に手放してしまった大切な何かが有る。


あそこに辿り着けたなら、取り返せる気がする。


何故だろう。

その光を見て泣けてしまったのは。

涙がこんなにも熱いとは知らな・・・・・・






見開いた眼に映った天井は何処にでもある安普請のベニヤの板張り。

視線だけを動かせば窓に掛かったカーテンの隙間から白い光が漏れ、その中に六畳ほどの部屋が映った。


此処は何処だ。


身動き一つしないまま周囲を伺うが。

微かな記憶が浮かんできた。


見知らぬ三人の顔と押し付けられた、あれは・・・汁粉?

餓えた身には味など気にもしないまま飲み込んだ。

が。

美味いと思った。


苦笑が浮かぶ。


死ぬ覚悟などとうに出来ていると思って居た筈なのに。

生きている事が嬉しいと思っている自分に。

初めて、心から驚いた。


ああ。

生きていたんだ。

まだ。




狭い部屋のベッドの足元に、薄い毛布にくるまって眠る見覚えのある男を跨ぎ、俺はドアを開けた。

小さなキッチンが付いたダイニングと洗面所。

用を足しながら腹が鳴る。


どうやら野垂れ死に確定を救って貰ったが、無一文の俺に出来る事なんか何も無い。

これ以上の迷惑は掛けたくなかったし、後腐れの無い様にさっさと出て行くのが一番いいと承知しているが、せめてもの礼に朝飯ぐらい作って行こうか。

自他ともに認める半端者だがこれぐらいは出来る。

ついでに俺も喰わせて貰おう。


ジャーの中の冷や飯と冷蔵庫の半端材料を見て手が勝手に動いて行く。

食材は思ったよりも豊富だった。


記憶にあるのはやけにガタイの良い同年代の男と、若い青年。そして女の子。

間違っても家族と云う構成では無い筈だったが。

取り敢えず四人分を用意すれば良いだろう。


サラダとリゾットを並べ、チーズオムレツを焼き始めると二つのドアが揃って開いた。


「おお、おはよう。良い匂いだな。」

大柄な男に応えたのは青年。

「うむ、実に美味そうだの。」


「あ、昨日は・・・」

「礼なら良い、飯を食わせてくれ。」




焼きあがったオムレツを並べると二人は平然と食べ始めた。

少し硬くなったバケットを薄切りにしてバターに浸してトーストした物を出しながら尋ねてみる。


「あの、昨日の女の子は?」


聞いた途端に後悔した。

向かいに座った男の表情が完全に消え、ドンっと塊のような威圧がぶつけられる。

大概の悪さをしてきた俺でも声も出ないほどの、これは・・・警告?


「ゼル、脅すでない。四人分を用意してあろう。」

青年の声にふと気配が消えた。

「ああ、そうだな。済まない。」

もう元の表情に戻り、男はガーリックトーストに手を伸ばした。



何なんだ。

おかしいだろその威嚇。



「それでお前の名は何と云うのだ?」

上品に食べていた青年がやけに上から目線で尋ねて来た。

「山脇雅也、三十一歳。」

端的に答える。

どうせ此処を出れば二度と会う事も無い。

俺みたいな男に必要以上に関わる意味もこの二人には無い。


「世話になったがお礼も出来なくて。せめて朝飯ぐらいと思って作らせて貰った。」

そう云うと、青年が微笑んだ。

「うむ、実に美味いな。」

ガタイの良い男がふと顔を上げて呟く。

「・・・・早いな。」

そのまま立つと、体格からは想像もつかないほど滑らかな動きで洗面所の脇の階段を下りて行った。


見送った俺に青年が呟く。

「ああ、弓月が来たのだろう。気を付けるが良い。こと弓月に関してゼルは容赦が無いでの。」

「ゼル?」

「気にするな、唯の愛称じゃ。ちなみに私はガイと呼ばれておる。」



気になるさ。

愛称以前に、おかしいだろその話し言葉。



直に洗面所の横にある階段を上がってくる明るい声が届いた。


「お世話になってるからだって。きっと『ちょっとした幸運の誘い(魔動具)』のお礼だよ。」

と、俺の顔を見て笑う。

「おはよー。元気そうだね・・・・って、なに食べてるの?」

「山脇雅也が作ったリゾットなる朝食だ。お前の分もあるぞ。」

「おおお、美味そう。」

挨拶をしかけた俺を完無視してリゾットをぱくつきだす。



いけます。

goodです。

良い味覚してらっさる。

コンソメと野菜とベーコンと米が渾然一体となってトマトの酸味がきりりと引き締めてます。

おお、チーズオムレツもふうわりトロトロ。

侮るべからず山也脇雅!

惜しむらくは出来立てを食したかった。

無念で御座る。



なぁ、おかしいだろ、その実況中継・・・・・・


何だかどうでも良くなってきた。

普通の声でご意見ご感想を垂れ流しながら、満面の笑顔でリゾットを食べる少女に思わず苦笑が浮かぶ。

高校生ぐらいだろうか。

くるくるした癖毛を三つ編みにして、小さな躰から生き生きとした生命力を発散させる少女は、楽しそうに嬉しそうに俺の作ったリゾットを瞬く間に完食してしまった。


もう長いこと忘れていたな、この満足感を。

完食した少女が俺を見てにっこり笑い、俺もつられて笑いかけた時。

ドン。

俺と少女の間に壁・・・いや、三段重箱が立ちはだかった。


しまった、忘れてた。


「弓月のお母さんからの差し入れだ。お節と云うそうだ。」


氷柱のような冷気が突き刺さる。

右上から。

どうやらそれは俺にだけ向けられたようで、少女は平然と小皿を並べ、青年は我関せずで喰っている。


「ゼルも座って食べなよ、美味しいよ。昨日急いで作ったんだって。よっぽど≪ゲルマニウムな皺伸ばしコロコロローラー≫が嬉しかったらしいよ。」

あ、ゼルは知らないよね。

ガイがお母さんに『ちょっとした幸運の誘い(魔動具)』を呉れてね。

そしたら商店街の年末福引大会で二等賞の≪ゲルマニウムな皺伸ばしコロコロローラー≫が当たったの。

一等賞の≪誘惑のプラチナ風美顔器≫は持ってたから、≪ゲルマニウムな皺伸ばしコロコロローラー≫ が前から欲しかったんだって。

効き目が有るようには見えないんだけどね。                    

お父さんもお姉ちゃんもお兄ちゃんも欲しがってたから、ガイ、暇なときに作ってあげてね。


「≪ゲルマニウムな皺伸ばしコロコロローラー≫が欲しいのか。」


「違うでしょ。『ちょっとした幸運の誘い(魔動具)』です。

あ。でもガイが作れば≪ゲルマニウムな皺伸ばしコロコロローラー≫凄く効き目が有りそうだね。スチームアイロン並みに良く伸びそう。」


「弓月の頬ほどは伸びんぞ。」

「ウキ―――ッ!! ガイのバカチン!」


耳はしっかりバカな会話な会話を聞いて居るが、全神経は横に立つ大柄な男に向けられていた。

はっきり言って怖い。


ちらりと見上げた眼に精一杯の言葉を込める。

判った。

判りました。

もう笑い掛けたり、話しかけたりしません。

誓います。


明らかに男の気配が変わった。

通じた。

良かった。


何故だろう。

行きずりの、碌に名も知らない赤の他人なのに。

此処を出たらもう二度と会うことも無いのに。

少なくとも不快な思いだけは残したくない。

今まで、あんなに他人なんかどうでも良かったのに。



「山脇雅也、お前も喰うが良い。なかなかに美味いぞ、このお節とやらは。」


「頂きます。」


金色の伊達巻を一口食べてすぐに判った。

市販品を組み合わせた物では無い。

正真正銘の手作り。

手慣れた味に、少し曲がった切り口が料理人とは確実に違うと告げている。

毎年毎年、家族の為に作り続けた母親の味だ。

噛みしめるとこの少女の明るさの訳が判る。

揺るぎない愛情をふんだんに浴びて育った幸福な少女。


「美味いか?」

大柄な男が箱ティッシュを渡してくれ、俺は泣いていた自分に気がついた。

そうか、泣けるほど俺は餓えていたのか。

幸せや愛情とやらに。

妙に真面目な声が耳を打つ。

「美味しいなら全部食べて良いよ。雅山脇也。」

少女が云った途端、素晴らしい速さで二つの手が伸び伊達巻が攫われた。


唖然とした少女と、平然とした二人の顔を見て。

湧き上がる笑いを堪える事が出来なかった。








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