落日の森にて
じっとりと重い夜気を孕んだ風がか細い鬼哭啾々たる音を立て乍ら、微かに何かが焦げ付く様な臭いと共に、巨大な有蹄類の化け物染みた肋骨を思わせる白褐色の谷を吹き抜けて行った。それは休暇旅行の三日目の夕方のことで、私はそれまでに勢いに任せて八枚の絵を仕上げ、九枚目の彩色に入ったばかりのところだったが、筆の走り方は順調だったにも関わらず、不図気が付くと何やら言い様も無く虚しい、空っぽな気持ちが魂の底に口を開けていて、自分の今していることが一時の気散じ、それ自体に目的を持たぬ徒為し事であることが実感されて来ていた。筆が乗っている時は何も考えず目の前の荒涼たる無人の風景以外全てを忘れていられるのだったが、少しでも勢いが弱まったり筆を止めたりしようものなら、途端に何処からか得体の知れない、雲の様に掴み所の無い決然とした着想の気配が浮かんで来ては、私の心を掻き乱すのだった。私が大学に残るのを諦め、一介の高校の一数学教師の道を選んだのは、自らの研究の方向性にどう仕様も無い行き詰まりを感じ、それと共に自らの非才さ加減が痛い程に自覚されて来たからのことではあったのだが、殆どが真理への情熱など持たぬ生徒達を相手に何年も同じことを繰り返している内に、自分がまだ三十にも達していないこと、偉大な数学的発見の多くは発見者が二十代から三十代の内に為されていること、そして以前に読んだり聞いたりしたことの有る数々の偉大な数学者他f値の生涯等が思い出されて来て、ひょっとしてら自分は判断を誤っていたのではないか、自分自身でさえまだ気付いていない素晴らしい可能性が私の中には眠った儘でいるのではないか、私によって開拓されるべき新たな領域が首を長くして私を待っているのではないか、と云う身の程知らずの野心が疼き出して来るのだった。しかし、だからと云ってそれが直ちに、私の名声を確立すべき何か具体的な手続きに向けての構想に繋がってくれる訳でもなく、私は惑いの内に気分転換の為にこの旅行へと飛び出して来たのだった。暫くの間数学から離れて、窮屈な世間的な気遣いや、生徒達やその保護者達や同僚達や上司達や一切の知人達、とにかく目に映るあらゆる地上的な人間の顔色を窺うことからすっぱりとおさらばして、この光明の見えない日常とは別の場所で何か創造的な作業に没頭してみれば、自分の将来も少しは見えて来るのではないかと云う、非常にあやふやな期待を抱いて、この別天地の中に唯一人身を投じたのだ。そして、宿の連中とも成可く顔を合わせないようにしてどうにかそこそこに満足の行く孤独を周囲に張り巡らせ、通常の観光地や人気の多い所は避けてわざわざ無人の峡谷にまで足を伸ばし、子供の頃から好きだった絵画に必死になって集中したのだ―――上手か下手かは自分ではどうも判断が付かない。自分で気に入らない作品は直ぐに判るが、少なくとも美術作品に関しては私は批評することには大して興味を持てないのだ―――が、気が付くと何時の間にか、今にも何かが掴めそうだと云う漠とした予感が、絵筆を執っている間に知らず知らずの内に少しずつ生長して膨れ上がり、門戸を開けよと無言の訴えを始めていたのだった。その予感は何等具体的な内容を帯びてはおらず、数式や図形の様な何等かの手掛かりとなる様なイメージも含んではおらず、寧ろ未だ言語化されざる概念の漠然とした関係性の、ピントがずれてぼんやりとしか見えない、その存在の事実のみを告げ知らせる徴標の様なものだった。その存在感はこと有る毎に自らを主張し、奇妙な切迫感を私に押し付けて来たのだが、だからと云って予感が実際の感触を伴った予想や閃きにまで発展すると云うことは無く、私は絵を描いている間中、屢々この妖めいた感じに悩まされた。記憶がそれ程確かであると云う自信も無いので、はっきりそうだと断言するのはやや躊躇われるのだが、それは宿に帰って食事をしたりベッドに入ったりしている間は殆ど姿を現さなかった。これは推測だが、人目が近いとそれは出て来ないのかも知れなかった。日中移動している最中にはよく現れたものの、行きと帰りの道中では現れなかったからだ。
つい先刻までインクをたっぷり溶かし込んだ様に真っ青だった空は、何時の間にか陰鬱な灰色に変わってしまっていて、唯西の彼方の口を開けた地獄の溶鉱炉の様な夕陽の周りだけが、ぎらぎらとどぎつく強烈な色彩に染まっていた。描き掛けの絵は彩色の半ばだったのだが、改めて良く見るとそれは何とも表現し様の無い、禍々しい色彩に埋め尽くされていた。それは眼前に広がる現実の光景とも、想像力によって適宜補正や補足をされた記憶の中の光景とも、気の向く儘に改変を加えられた想像の中の光景とも違っていて、まるで私の全く与り知らぬ異界からひょっこりこの世界の中へと紛れ込んでしまったみたいに、私には全く馴染みの無い、奇妙な心騒がされるものだった。それは部分的には、正常な判断力を鈍らせ理性の王国の下での知覚力と鑑賞眼とを曇らせる毒々しい夕闇が、この急激な変化の最中に何処かからこっそりと持ち込んで来る、秘めやかな狂気によるものかも知れなかった。昼の間は私の没頭と目映いばかりの日光によって鳴りを潜めていた無人の風景に付きものの不穏な気配が、今や様々な無数の夜の恐怖の予兆へと姿を変え、この見捨てられてた天地に忍び寄って来ていたのだ。前日、前々日の夜とも月は明るかったが、日が落ちてからの用心の為に一応リュックの中に入れておいた懐中電灯と、キャンバス用の照明が有った。だが、世界そのものが不気味な変質を遂げつつある現状では、余り役に立つとは思えなかった。何とか記憶を頼りにその後を描き足し、或いは在るべき姿に描き直そうと思っても、最早自分が今手にしている絵筆の先に付いている絵の具が何色なのかさえ判らぬとあっては、これ以上その絵に手を加えることは無理な相談の様に思えた。もう少し周囲の色彩が落ち着いてから照明を使うか、或いは明日日が昇ってから描き直すかするより他に手は無い様だった。
私は暫く周囲を見回してからキャンバスを畳み、器材一式をリュックに纏めて、帰り支度を始めた。これ以上ここに居ても、空っぽの私の中に正体の知れぬ邪気が混入して来るばかりで、良い作品も出来そうにないし、気分転換もこれ以上は無理の様だと悟ったからだ。金属や木材の立てる軽い乾いた音が峡谷に響き渡り、小さな谺をリレーさせて行った。それと共に、それまで殆ど気にしていなかった静寂がどっと押し寄せて来て、私は、自分が今一人切りであることを今更の様に再認識した。夜の到来を告げ知らせる風が運んで来る微かに不快な湿気には、何処か心を落ち着かなくさせるところがあって、私は撤収作業を急いだ。まだ時間も早いし、宿の者には遅くなるかも知れないと断ってあるのだから、私がその気になればその儘続けられないことも無く、原因も良く解らずに時間を無駄にするのも惜しい気がしたのだが、列車の中で読む積もりで出発前に買っておいた古典推理小説が三冊ばかり鞄の中に有った筈なので、それでも読んで長い夜を楽しめばよいと自分に言い聞かせた。幸い宿の者達や他の泊まり客の中にはうるさくするのが好きな連中も居ない様だったので、静かにお茶でも飲み乍ら、木製の部屋で独りゆっくり読書に耽るのも良いではないか。その予定表が如何にも言い訳めいているのを自覚しつつも、私は結局荷物を纏め、黙って宿への帰路へと就いた。
行きはあちこち寄り道や回り道を挟んでいたのだが、帰りは最短距離を取ることにした。峡谷の谷底を抜けて森の東南部を近道し、その先の平原を通る道にすれば、一時間半余りで宿に辿り着ける筈だった。うねうねと曲がりくねった幅の狭い谷の壁面は高い所では十六、七フィートはあり、歳月と水流に磨き抜かれて非常に滑らかになっている底の方には、乾期の為に干上がった川の残滓があちこちに水溜まりや小さな池を作っていたが、昼間は青空を映してまるで鏡の海を切り取って来たかの様なその水面も、今や忍び寄る夜の息吹を吹き込まれて、冥界まで通じる暗黒の穴へと徐々に変貌を遂げつつあった。私が足を踏み入れる度にそれらは谺を思わせる波紋を広げ、何種類もの異なる弧を描く飛沫を飛び散らせ、靴に纏わり付いたが、只の水の筈なのに、何故か石油の様な粘度と重さとを持っている様な錯覚を覚えた。そうこうしている内にも陽はどんどんと落ちて行き、遠くからちらほらと響いて来る聞き慣れた昼の鳥達の啼き声が、やがて夜の鳥達のそれに取って代わられて行った。私の両側に聳える壁面は、頭上の暗くなりつつある空よりも更に暗く、乏しい日光を遮断して視界を包み込み、自分がまるで二枚貝の口の中に閉じ込められた様な気分がした。空の一端にどろどろに溶けた陽がまだ残っている内は、凡その方角は何となく見当が付いていたのだが、やがて燃え滓の様なカサカサの灰が天の蓋をゆっくりと閉じてしまうと、もうそれも判らなくなった。私は只、地図に拠れば自分は正しい道を歩いている筈だと云う頼り無い信念に従って先を急ぐばかりだった。
峡谷の底が次第に浅くなり、周囲にちらほらと灌木の茂みが散在して来る様になると、曲がりくねった道の先に、どんよりと重く地上に垂れ込める木々の緞帳が見えて来る様になった。峡谷を構成する岩々は白っぽい明るさをしており、反対に森を構成する木々には濃い色のものが多い所為か、昼間でも何処となく暗い感じがして、遠目に見るとそのコントラストが鮮やかに浮かび上がって、絶好の奇観を形作っていたのだが、今、赤い夕陽の全てを融溶させる光線の中でそれらは奇妙に混じり合い、影によって互いに繋がり、侵入し合い、無数の襞を持つひとつの大きな光の流れを成していた。神々でもなければ到底望むべくもない、地上のものの手に依るものでは決してない、何処までも真っ直ぐな赤く昏い光が、見渡す限り全てのものを貫き、梳り、荘厳だが何処か内に不穏な反逆の邪気を孕んだ、オルガンによるフーガの様な、複雑だが筋の通った多重旋律に纏め上げていた。微かに聞こえていた数々の昼鳥の啼き声は今はもうすっかり止み、陰気な沈黙を乗せた微風が生き物達の声と鼓動と息遣いを、風音のずっと後ろの方へ逐い遣ってしまっていて、私は黄昏時の影の中から地上へと一度浮上し、それからまた林立する別の影達の中へと足を進めて行った。
森の木々は概して小高く、三十フィートを超えるものもざらにあって、私が通らなければならない東南に突き出した部分は精々が最大幅が四分の一マイルも無い筈なのだが、森の最深部がその儘峡谷の先に広がっている様にも見えた。地面は不規則に起伏が激しい上に大きな岩がそこら中に幾つも転がって視界を塞いでおり、また、背の高い木々の枝の届かない低い部分には鬱蒼と灌木が生い茂っていて、見通しは非常に悪かった。それでも隙間を縫って細々と差し込んで来る落日の鈍い光は、樹齢を重ねた幹や入り乱れる枝々や少し湿った岩肌や、雑草や落ち葉に覆われた地表を幻想的に照らし出していたが、光の領域の直ぐ隣には、まるでそこだけ切り取ったかの様に黒々とした深い闇の領域が、長く長く尾を引いていた。私が近付いて行く短い間にも、横殴りの闇の流れの濃度はじわじわと増して行き、森の影が落ちる風の通らない右手のなだらかな斜面からは、思わずゾッと身を震わせられる重く沈黙した闇の勢力が、ゆっくりと這い登って来ようとしていた。
唐突に始まった森の境界線の向こうへ足を踏み入れてみると、微風の代わりにこの時刻にしては少し早過ぎるようにも思えるしっとりとした冷気が全身を包み込んで来た。ここは滅多に人が通らないらしく、凹凸だらけの狭い道は雑草によって好き放題に蹂躙されていた。込み入ってひっそりと閉ざされた許された視界から様子が窺えるのは精々六十フィート程度までで、次々に重なり合う木々、枝々、岩や影が延々と続いている中で動いているものはひとつも無く、唯手で触れられる程の気配を漲らせた大気のみが、ゆっくりと目には見えない軌跡を描き乍ら、何処からか悠然と流れて来るのが微かに感ぜられた。頭上では木々の梢が静かに風に揺られている筈だったが、縦横に張り巡らされた枝々に邪魔されて視認することは出来なかったし、その音も耳に届いては来なかった。地面から真っ直ぐに聳え立つ木々の幹は立派なものばかりで、直径が四フィートを超えるものも珍しくなく、然乍ら自然界が作り出した森の神殿の堂々たる柱廊群と云った観を呈していたが、それは周囲に存在するあらゆるものの手綱を引き絞り、大気に厳格な沈黙を強いる、立ち並ぶ強権的な神官達の様な柱廊群で、余処から来た闖入者にとっては、心安らぐ平穏な印象を与えるものではまるでなかった。燃え盛る光と、段々と真闇へと近付いて行く影とが複雑怪奇な模様を描いて交錯する様は、何か我々が慣れ親しんでいる通常の人間社会の理の埒外に在る奇怪な死のムードが巨大な翼と化して、世界のほんの一角でしかない、しかしそれよりも更に矮小な生命体の中に閉じ込められた、不安に戦く一個の精神を跡形も無く呑み込んでしまえる程には十分に大きい、この闃然とした森の上に覆い被さっているのを思わせた。森は、まるで居並ぶ木々が全ての音を吸い取られてしまったかの様にひっそりと静かり返っていて、自分の足音すら定かには聞き取れず、時々衣服が擦れて微かに音を立てたり、背中の画材道具のどれかがカタカタと小さく鳴ったりするのが、直ぐ近くで起こっていることの筈なのに、何か分厚いガラスの壁を隔てた遠い異次元世界で起こっていることの様に感じられた。
油断のならない緊張が世界全体に満ち満ちていたがはいた。が、私は何か具体的な危険を想定していた訳ではなかった。この森に人に害を為す様な動物が現れるのは滅多に無いことだと知っていたし、毒の有る虫についても、迂闊に素肌を曝して茂みの中等に首を突っ込んだりしなければ先ず大丈夫だと宿の者に予め聞いてあった。この落ち着かない空気は大部分、解答の出ない問題を長いこと繰り返し繰り返し考え詰めて不安定になっていた私の病める精神状態の投影に過ぎないと判っていたし、紅と黒に染まったこの怪奇な風景も、確かにそれ自体酷く幻惑的ではあったが、通常慣れ親しんだ世界の枠内に全てが収まっていることに疑いを差し挟む余地など有りはしなかった。この時の私は、確かに日の当たる世界の崖っ縁に立っていたのかも知れないが、それでも、極く真っ当な常識的なものの見方を意識の片隅に容れておけるだけの正気は十分に保っていたと断言出来る。
だから、最初にそれを知覚した時にも、こうした場所、こうした時間帯で期待される様な現象ではないし、またそれに限らず、凡そどんな条件下に於ても、それに類した現象は聞いたことが無いと云う認識を直ちに得ることは出来ていたのだった。それは少なくとも私が知っている限りに於ての多種多様な「自然現象」の範疇には分類され得ないもので、それについての合理的で納得の行く説明は、少なくともこの時には全く思い付かなかった。私の目の異常に因るものでもないことは明白だった。それは私の身体の移動や揺れに対して独立性を保っていて、外的な物理的世界の中に確かな位置を占めていたのである。幻覚にしてはそれは余りにも鮮明で、しかし現実と言い切るにはまるで万華鏡の幻燈絵を見ているかの様に掴み所が無さ過ぎた。
しかし乍ら不思議なことに、私はその第一回目の直観をはっきりと自覚してい乍ら、それ以上の推測を巡らせると云う様なことはしなかった。それどころか、私はそれが恰もそこに存在していないかの様に、それともそんなものが存在していようがいまいが、それは周囲の枝や葉と同じ様にどうでも良いことであるかの様に、或いは無視してさえいれば最初からそれがそこに存在していなかったことにでもなるかの様に振舞い、それに対して一切の関心や反応を示すことを拒んだのである。この私の心理状態の不可解さについては、私自身満足な解釈を得ていない。或いは、その場にそれを認識しているものは私一人しか居ないと云う事実から、私がそれを存在しているないことにしてしまえば、それは存在していないも同然になるのだからと云う強引な決め付けの誘惑に逆らえなかったのかも知れない。或いは、思考と感情がぎゅうぎゅうに藻掻き苦しんで軋轢を起こした私には、そうしたものへ振り向けるだけの心理的な余裕が残っていなかったと云うことなのかも知れない。それとも、明確な自覚は無いにしても、未知のものに対する警戒心が、私をその様な行動へと駆り立てたのかも知れない。何れにしろ私はその異常の存在を、その異常なものがそこに厳として存在していると云う事実を、何の躊躇いも逡巡も無く回避し、自分がそれが存在している世界を容認しそこへ参入してしまうことに対して、はっきりとした拒否の態度を示した。私は、その世界の傍らを、最初から何事も無かったかの様に素知らぬ顔で通り過ぎようとしたのである。
それは一見、虹の柱の様だった。私は敢えて視線を向けなかったので、はっきりと細部に至るまで見た訳ではないのだが、そこには虹か、或いは陽光の中で一寸した角度の違いによって千変万化の色彩を展開させる水に濡れたレンズの様に、多彩で鮮やかな数々の色が混在していて、それ程明るい訳ではないが、刻一刻と宵闇に沈み込んで行く森の中で、蛍の光よりも微かなぼうっとした光を浮かび上がらせていた。一瞬それが本当に何等かの物理的実体を持った柱か、或いは人影に見えた様な気もしたが、恐らくそれは単なる錯覚だったのだろう。高さは丁度人の背丈位はあって、全体的に円筒形の柱の様な形をしてはいたが、輪郭は曖昧で、私はずっと移動していたのでひょっとしたら見る角度によって形が違って見えただけかも知れないが、それはゆっくりと蠕動している様に見えた。視界の端で捉えただけなので正確な距離は確信を持って言えないのだが、それは私が歩いている半ば以上雑草に覆われた道の左側約六十フィートから八十フィートの辺りに、周囲の木立の中に紛れ込む様にして立っていた。それは初めぼんやりとした光の線として視界の前方に現れ、私がその方角へ近付いて行くにつれ、それが帯びている微妙な色彩や掴み所の無い変化する形態が明らかになって行った。それが立っている位置は一寸見たところでは全く変わらず、若しそれが知覚力と運動能力を備えた存在だとすれば「佇んでいる」と云う表現がピッタリ当て嵌まる様な風情で、同じ場所で回転運動と何とも違う奇妙な動きを続けていたが、形態や色彩の変化の仕方は一定しておらず、そのパターンや周期を特定することは出来なかった。発せられた光には目を突き刺して来る様な鋭さは無かったものの、空間の内部からじわりと滲み出て来る様な不確かさを備えている癖に、何故か周囲の事物とは截然と区別された、まるで次元の異なる存在がそこに顕現しているかの様な奇妙な異和感を強烈に放射していた。基調となっているのは真珠か貝殻の内側の螺鈿質を思わせる柔かな乳白色で、それが一寸した加減で様々な陰影を帯びるのだが、何処か生き物時染みたところを思わせるその変幻模様は美しいと言えないこともなかった。光は周囲の木々や茂みを照らし出す程には明るくはなかったが、己が存在を森からくっきり際立たせて浮き上がらせるには十分な光輝を内側から発散しており、私は確かに、否定はしつつも心の何処かで、それに魅せられていた。それは妖しく心騒がされる経験だったが、その蠱惑的で静謐な輝きを何としても否認しようとする心の働きが、単なる理性による検分を求める範囲を超え、半ば盲目的な衝動によって、私の視線をその光の柱から逸らさせ、私の足をひたすら前へ前へと進めさせた。
その光の柱を知覚した途端、私の皮膚は総毛立ち、四肢の筋肉が収縮して堅く緊張し、胃の腑がきゅっと縮まるのが判った。私の精神は努めてそれらの自分では理解出来ないおかしな諸変化を無視し、現在起きている異常事態を異常事態として認めることを拒絶しようとしたのだが、どうやらこれらの情景の全てを、この怪異すらもその極く自然な一部として認識する何処か焦点の定まらない鳥瞰的な視点が、こうしてわなわなと戦慄いている私の身体的な諸反応からは隔絶して連続的に流れる時間の外側に立ち、あらゆる事柄を正確に把握してい乍らも一切の口出しをせずに黙って眺め続けているかの様な不可思議な感覚が、私には、その場の隠れた通奏低音として全てを規定している様に、半ば無意識の裡に直観せられたのだった。
実際、その輝きは奇妙極まり無いものだった。電気を使った人工の照明であれ程有機的な印象を抱かせるものは見たことが無いし、かと言って何等かの生物が発光しているにしても、それに少しでも類似したものは見たことが無かった。蛍や深海魚のものとも違うそれは、発光部分がもっとそれ自体が生きて息衝いている様な感じがしたのだが、烏賊や蛸の一種に見られる様な、細かい宝石を鏤めた様な輝き方をするのでもなかった。それは寧ろ、表面に薄らと油脂が塗りたくってある様なぎとついた色合いと、昆虫の羽の様な鈍さを備えていた。それでいて光の強くなった部分には恰も幻燈でも見ているかの様な夢見心地にさせられる蠱惑的な力があって、凝っと見ていたらその儘何かの催眠術にでも罹ってしまうのではないかと思わせる妖しさが有った。私は極力それを視界の中央に持って来ないようにし、焦点を合わせないようにしていたのだが、ひょっとしたらそれは正しい対応だったかも知れないと、後になって何故か奇妙な確信が芽生えて来たと云う事実からしても、少なくともこの現象に対する私の心理的な反応が、通常の意味での合理性を超えた、常識的な視点からは理解し難いものであったと云う点は確かだと言える。それは私にとって恐らくは、通常の経験世界の埒外に在る遠い外宇宙の深淵より侵入して来た、異質の次元の異常な生命に他ならなかったのだ。私の目は私の身体から遊離して周囲に見えているこの森とは全く別種の存在がそこに確かに存在していることを認識し、そのことによって私はつい先刻まで自分が身を置いていた筈の、居心地が悪く不愉快ではあるが、それでもまだ私がそれまでの成長過程で身に付けて来た世界の認識からは一歩も外れることの無い、極く在り来りの時空間から、私の精神が弾き出されてしまったことを知ったのだった。
光の柱に一番近い所まで来ると、その動きがまるでブンブンとけたたましい音を立てているかの様な不気味な威圧感を放散しているのが感じられたが、これは無論私の錯覚で、実際には辺り一面はひっそりと死に絶えた様に静まり返っていた。私がその呪縛から逃れる様に無言で、必死になって、前方だけを見るようにして先へ歩き続けると、その柱は直ぐに私の視界の外へと消えて行った。だがその後も、まるで頭の中のフィルムに焼き付けられてしまったかの様に、その柱の存在は自らを主張することを止めようとはせず、私は残して来た背後に、幾ら直接的知覚を消し去って否定しようとしても否定し去ることの出来ない、何か法外な世界の深部への巨大な入り口がぽっかりと開いているのを、一瞬たりとも忘れることが出来なかった。
私が辿った小径は精々が半マイル程度だった筈だなのが、その時は永久に森から出られないのではないかと云う不安が何度も頭を過った。森を出る頃までには日はすっかり落ちて西の空の彼方にぎらぎらと居残っていた残照もまた夜のあわいへ融解し、全てを溶かし去ってしまう様な闇の静寂と同一化し、茫漠たる沈黙の風景がひたひたと何時の間にか周囲の全てを席捲してしまっていた。夜風は論理的な思考よりも更に古々しいものどもを呼び醒まして来た様で、私は、自分が今見たものは一体何なのだろうか、どんな意味が有るのだろうかと云う疑問に没頭するよりも寧ろ身も凍る様な硬く張り詰めた驚愕の中にずっぷりと首まで漬かって、壊れたレコードの様に自分でも訳の分からない言葉の羅列を、声には出さずとに口の中で何度も繰り返し繰り返し呟き乍ら昏い戦慄をずっしりと背中に背負った儘、そこから逃れ去る様に必死に先へ進もうと焦り足掻いた。気持ちばかりは先へ先へと急ぐのだが、強張った身体は思う様には動いてくれず、恰もそれ自身が自らの意思を持っていて、私をその場に留まらせようとするか、或いは今有った出来事が紛れも無い現実であることをまざまざと私に思い知らせようとしているかの様だった。その不可解な呪縛は私が森を抜け、生い茂る雑草を踏み分けて街灯も舗装も無い狭い道に出、人気の絶えた平原を通って宿に辿り着くまで解けず、薄暗い明かりの洩れる扉の前に立った時、私は自分が今人間の存在している時空に帰り着いたのだと云う実感がどうしても湧いて来なかった。
自分が異様な顔付きをしているだろうと推察出来る位の分別は残っていたので、私は態度から不自然さを消そうとぎこちない乍らも呼吸を整え、少し間を置いてから扉に手を掛けてゆっくりと中に入った。ホールには私の他の泊まり客が三人ばかり座っていたが、私は成可く彼等に見られないよう、主人に夕食の準備が出来ていることを確認すると、早々に部屋に引き上げた。荷物を片付け、軽くシャワーを浴びている間、私は極力何も考えないようにした。いや、考えられなかったと言った方が正しいだろうか。私の頭の中は一時に大量のミルクを注ぎ込まれたカップの様に今にも混乱と驚愕が溢れ返りそうな具合になっており、先程までよりも更に一層その量と質を肥大化させ複雑化させたかの様な情報の濁流が、無数の小さな螺旋の爆発と成って引っ切り無しに渦を巻き、それでいてそれらがひとつの流れに纏まって何等かの流れを形を結ぶことは無く、強烈な印象と破裂寸前の諸概念が強迫的に脈動を繰り返すばかりで、筋道を立てて思考を整理することなどとても出来ない相談だった。
シャワーの後に強制的に意識を集中させようと、今日描いた絵を取り出して眺めてみたのだが、そもそも何を描いたのかと云うことさえ一向に頭に入って来ず、却って一度過ぎ去った混乱を呼び戻すだけだったのでそれは諦め、代わりに数理パズルを何問か解くことにした。単純な計算作業の他に若干のインスピレーションを必要とする問題を選んだのが効を奏してか、問題そのものの意味にまで関心を向かわせることは出来なかったが、少なくとも気散じには役に立ったらしく、空回りするばかりで一向に前へ進まない状態から、自分自身の意志で立ち止まることが出来るまでには落ち着くことが出来た。そうした中で、只狂乱に翻弄されるばかりだった幾つもの疑問が徐々に安定した形を取り始め、やがて自分でも何とか辛うじてそれを口にすることが出来る程度までには多少の余裕も生まれて来た。が、それでもまだ混乱が完全に収まった訳ではなかったので、何等かの建設的な回答を得るには至らなかった。
甲斐の無いことではあったが、私は何とか心理状態を切り替える為にも、少し部屋の中で漫然と時間を潰してから食堂に下りて行き、そこで夕食を摂り乍ら、同席していた他の宿泊客達や宿の者に、会話の合間を見付けては出来る限りそれとなく、この近辺に何か奇妙な噂やニュース、言い伝えや伝承の類いは無いだろうかと探りを入れてみた。だがどうにも私の内面の緊張が下手な作り笑い程度で誤魔化せるものではなかったのか、或いは私の話の振り方が唐突過ぎたのか、その席に居合わせた六人の内二人はあからさまに不審な表情を浮かべ、一人は当惑の色を隠さなかった。途切れとぎれに会話を続けてみることは出来たものの、見交わされる視線によって強化される雄弁な無言の防壁の前に私は撤退を余儀無くされ、私の話に積極的に食い付いて来る者はおらず、一応客の殆どはここには逗留し慣れている者だったのだが、聞き込めた成果と言えば、精々が、この近隣の住民が時々密漁に来ては釣り場を荒らすとか、近くの谷で昔珍しい蝶が捕まって新聞記事になったとか、或いは上流で一寸した洪水が有った時に、何にやられたのか判らない無残な傷を負った野狐の死骸が流れて来たとか、その程度のことだった。そしてそうしたあれやこれやの奇妙な話題を繋げて行く内に私の当初の質問は何処かへ追い遣られてしまい、何時の間にか最早改めて遮ることを躊躇われる談笑の壁が私の前に立ちはだかって来たのだった。
私は夕食後も続いた暇潰しの会話に加わることはせず、早々と自分の部屋に引き上げた。他の者達からは愛想の無い奴だと思われたかも知れないが、私はとにかく独りになりたかった。部屋に籠って扉の鍵を閉めると、今日描いた分の絵の細かい直しをしようと思って画材を広げたが、いざ絵筆を取ってみると頭に浮かんで来るのはあの奇妙な光景ばかりで、目の前の枠の中の確定済みの世界に没入しようとしてもどんどんそれに引き摺られて行ってしまい、結局どの絵も駄目にしてしまいそうだと云うことが解った為に、これも諦めることにした。代わりに私は薄暗いスタンドライトの付属した狭い机に陣取り、日記帳を広げて、普段よりも若干長い記入を始めた。記述は大分混乱した筆致で進められた様だったが、良くは憶えていない。言葉はまるで滝の下に置いたコップの縁からどぽどぽと水が溢れる様に大量にノートの上に満ちて行き、私は然乍ら自動筆記でもいしているかの様に半ば朦朧とした状態で書き進めて行った。取り留めの無い考察や漠然とした印象、悍ましい妄想や混濁した不安が入り乱れ、自分でも何を書いているのか解らなかったが、一度自分の中に在るものを全てどうにかして吐き出してしまわないといけないと云う止むに止まれぬ衝動が、私をして深更に及ぶまで筆を離させなかった。
ベッドに入ったのが何時頃になるのか、正確には憶えていない。その時には時計も見ようとすらしなかったからだ。何度か筆を止めたり、その度に思い直しては先を書き進めたりを繰り返していたのが、やがて粗方言わねばならぬことは言い尽くして失速し、或る地点でピタリと止まった。エンジンはまだ勢い良く回ってはいたがカラカラと空回りを始めており、私は今までの反動から半ば窒息させられた様に硬直した儘、異常な緊張の糸が緩み始めて、五感によってその存在を成立させている世界が徐々に私の周囲に戻って来るのを凝っと黙視していた。気が付くと外には雨が降り込めており、静かな打撃音が夜を押し黙った静寂の中に閉じ込めていた。私は熱に浮かされた様にぼんやりとした儘、習慣の惰性に任せてのろのろと着替えを済ませ、明かりを消してベッドに入った。枕許の明かりを消すと、安物の紗のカーテンに覆われた窓から、薄らと外の光が差し込んで来るのが分かった。どうやら存外に明るい夜だったらしく、上空を覆い尽くす分厚い雨雲の層が月の光を受けて、陰微な影を湛えた薄紫色に輝いているのがカーテン越しにも微かに認められた。重い瞼を閉じると、先程までの余波がまだ残っていたのか泡の様な想念が次々と浮かんでは消えて行ったが、直きに眠りの翼が全てのものの上に覆い被さり、昼の世界に完全に終わりを告げた。
重苦しい大気が忌まわしい寝苦しさを招き寄せたのか、その夜は長い長い夢を見た。目覚めの微睡みの中で藻掻き慌てる内に、私は夢の後半の幾つかの重要な場面を何度も反芻したのだが、整理しようとすればする程それらの印象の大部分は何故かぼやけ、何とかその輪郭を捕えて「分かった」と安心したのも束の間、その安心感と共に急速に強度を下げ、萎え凋んで行ってしまった。その後世界が完全に切り換わるまで空白の数瞬、或いは数分が過ぎ、漸く頭がはっきりして来たのだが、結果的に、断片的な記憶を拾い集めて繋げたものは、何処か酷く重要な部分を欠落させてしまっている様にも感じられた。私は自分が何を失ったのか、何故それが重要なものだったのかすら理解出来ずに、段々と落ち着いた形に定着して行く想起の流れに全てを任せてしまった儘、ベッドの中で時が満ちるのを待った。私はたっぷりと眠った後の筈なのに、何故かぐったりと疲れていた。厖漠たる喪失感と共に、何とか私は切れぎれの場面と印象の数々を時系列的に纏め上げた。
始めに運動が在った。跳躍だ………私の身体の跳躍、それは飛行の夢にも似て、自分の身体であり乍ら信じられない程身軽な動きだったが、着地した時の硬い衝撃は、私が紛れも無く重さを持った存在であることを示していた。私は体の左側に両手を突いて、それを支点にして大きく体を捻って左側に跳び降りていた。手に掛かる重さと、跳んでいる時の風を切る音と感触、着地した時の叩き付ける様な衝撃をはっきりと感じた。私は階段を駆け降りていた。一段の縦の長さは一フィート弱で、二十段か三十段程降りた所で、左側に百八十度折り返し、また同じ様な階段が続いていた。私はその三分の二程までは一段跳ばしで乱暴にダン、ダン、ダンと勢い良く駆け降りて行くのだが、折り返しが近くなるとわざわざ走って曲がる時間が惜しいらしく、手摺りに両手を突いてやっとばかりに身を躍らせ、踊り場を省略するのだった。狭い踊り場は簡素な造りをしていた。飾りも何も無く、大きな窓が取り付けてはあるが外は真っ暗で何も見えなかった。階段をを包む空間は完全な暗闇ではないものの、可成りの暗さだったが、何か明かりの類いが有るのかどうかは定かではなかった。階段は全て四角四面の機能重視の味気無い造りをしていて、まるで温かみと云うものが感じられなかった。唯一の例外は手摺りで、掌には大き過ぎて余る位の球体を幾つも溶接して繋げた様な形をしていた。表面は炎の様にも皺の様にも切り傷の様にも見える、見たことの無い奇妙な模様が大胆な技法で彫り込まれていた。手触りからすると材質は石の様だったが、ややざらざらしている様に感じるのは元々そう云う材質だからなのか、それとも経年劣化によって表面が傷んだ為なのかまでは判断が付かなかった。暗くて良くは見えなかったのだが、恐らく色は白だった様に思う。壁や床の材質は判らなかった。手摺りと同じものの様な気がした瞬間も有ったし、全く違う、もっと硬質な灰色の石材の様な気がした瞬間も有ったし、或いは鋼鉄かステンレスに近い金属の様な気がした瞬間も有った。更に混乱させられることに、そうした相異なるイメージが重なり合ったり切り換わったりして、二重写しか切り貼り合成の様な具体になることさえ有った。自分がその中に居る場所は幾星霜を閲した古代の遺跡の様な気もしたし、現代のピルディングの様な気もした。その辺は幾つもの印象の記憶が入り混じってしまっているらしい。この一連の運動は恐らくループしているらしく、私の跳び方は録画したものを繰り返している様に毎回殆ど同じで、時々気紛れで少し変化を付けてみることは有るものの、そうしようと思わなければ、或いは全く同じに跳ぼうと思ったら、私は完璧に前と同じ跳び方で全く同じ具合に跳ぶことが出来た。そしてその情景自体がまた繰り返されているらしく、幾つ降りても降りても同じ階段が延々と続いているばかりで、一向に何処かへ行き着く様な気配は感じられなかった。或いは本当にその階段に際限が無かっただけと云うことなのかも知れないが、それを確かめる方法は無い。運動がループしていたのだから、その舞台もまた同じ様に同じものが何度も何度も繰り返されていたと見るのは不自然なことではないだろう。
その後暫くして、幾つかフラッシュバックの様に交錯する部分を交え乍ら、時間が遡った。私は階段の下の始点らしき所に立っていた。背後に位置する扉の入口からは眩しい光が差し込んでいたが、階段の下は却ってその所為で暗い帳の陰に沈み込んでしまっていて、不気味な位何も見えなかった。私は呼吸が乱れ、焦っていた。何かから逃れているか、何かを追っているか、とにかく火急の用件で私は先を急がねばならなかったのだ。私は手前の手摺りの始点に片手を載せ、熱い息を繰り返し乍ら、きょろきょろと周囲を窺っていた。それに応えて現れるものは何も無かったが、今見えているものの背後の何処かに、何かが居ることははっきりと理解していた。危機が迫っていた。
それから更に時間が前へ戻った。私は狭いが掃除の行き届いた路地裏に立っていた。先程見た階段の入口まで近いか遠いかまでは判らなかったが、走って直きに辿り着ける程度の距離であろうことは解っていた。私が居たのは道が三つに分かれている所で、それぞれの通りの両側には木製や煉瓦造りの建物が立ち並び、内私の直ぐ近くに有った一軒は何かの店舗らしく、小洒落た看板が装飾の多い扉の上に架かっていてた。そこで見えているもの全てが良く出来た相応しい場所を構成しており、在るべきものが全て在るべき場所に収まっていると云う感じがしたが、そこには何処か取り澄ました様な作為的な調和の気配が、書き割りの様な完璧さが有った。その異和感の正体は推測するしか無いが、ひょっとしたらその場所もまた記憶の混入か置換に因って出来たもので、本来はそうでなかったかも知れない、もっと別の光景がそこには広がっていたのかも知れないと考えてみたとしても、それ程無理の有ることだとは言えないだろう。どうせ夢の中での話だ。とにかく、そこで私は何かを見た。だが何を見たのかははっきりとは思い出せない。酷く悍ましいもの………崩れ落ちるもの………溶解する白い肉体………人間………人間の様で人間ではないもの………腐汁……恐怖……実体の無い更に恐ろしいもの………三ツ角に立つ恐怖………絶対の無音と静寂………私ではない誰かの、他者の、ここではない何処かの、今ではない何時かの記憶………。それが起こる前に何かが在った筈だった、先行する事象が、それとも行為が………。だがどうしても思い出せなかった。それがあってはならない性質のものだと云う漠然とした印象は有った。何か酷く忌わしい、恥ずべきことだ。してはならないことを私がしてしまったか、見てはならないものを私が見てしまったか………身の毛もよだつ様な、起こってはならないことがそこで起こったのだ。更に詳しく時間を遡ろうとする動きが有ったが、それは何故か前方にブロックでも積まれてがっちりと阻まれているかの様に強力な抵抗に遭い、途中で力尽きてしまうのだった。格闘と苦悶が有った。私には耐えられなかった。だが恐るべきことに、情景はそこで静止し、一歩も動かなくなってしまった。全宇宙の崩壊を高らかに告げ知らせる鐘の音の如き恐怖と嫌悪と底無しの不安とが、無情にも凍り付いた儘、私は呼吸も瞬きも脈動も、悲鳴を上げることすら禁じられてしまった………。
それから再び断片的に階段を駆け降りる情景が続き、体が宙に浮く時の痛快感がじわじわと狂気染みた哄笑を喉元まで込み上げさせて来た。情景は得体の知れない空隙によって屢々中断されたが、その空白が元々空っぽの儘だったのか、それとも他に何かがそこを埋めていたのかまでは分からなかった。
どの位その状態が続いたのかは判然としないが、次に変化に気が付いた時には、私は大きな部屋――恐らくは地下深くに造られた部屋の中に居た。大きな扉を手前に開けると、そこから眩しいばかりの光がどっと溢れ出て来た記憶が有る。恐らくは階段を降り切ったその先にその扉が在ったのだろうと私は推測したが、自信を持って言い切れる訳ではなかった。私が思い出せないだけで、実は大きな断絶があって、全く別の場所へ、或いは場面へ移動してしまっていた可能性も有るのだ。階段の情景がそれでもまだ二、三度フラッシュバックの様に閃いたが、その後は完全にその地下室と思われる部屋の情景に切り換わり、それと同時に私の心構えも完全に切り換わった。私は先程までの焦燥や怯えとは少し違う心理状態になっていた。非常に緊張していることに変わりは無いのだが、先程までの絶望的な感じが薄れていたのだ。その代わりに私の心を満たしていたのは殆ど圧倒的なまでの畏怖、恐慌にすら近い畏敬の念だった。
その原因にはさっぱり心当たりが無かったものの、そこで私は自分が明晰夢を見ていることに気が付いた。ここに今、私と云う一個の精神が確かに存在していて、夢――と云うよりは胸締め付けられる悪夢――を見ている―――名付け様の無い不安が不気味な実体を有し、感覚知覚が直接的に精神の奥の闇に向かって経路を通じ、昼の世界では明かされることの無かった真実が明らかにされ、確たる核を失い通常の検閲行程を迂回されてしまった私の肉体が、物理的に許容された極く狭い範囲に於てではあるが、より深遠な世界の真相に向かって開かれて行っている―――そして世界を解体し、再生させる為の場に、これが舞台であることを自覚した唯一人醒めた俳優である私が身を置いて、この異様な情景の異形の住人としてこの〈現在〉を演じている―――その事実に思い至ったのだ。この時点で私が手にしていた過去――階段や三叉路の記憶――が通常の夢のものだったのか、それともまた明晰夢だったのかについては確信が持てない。その可能性について考えを巡らせた時点で、それらの記憶の手応えが書き換えられてしまった可能性は否定出来ないからだ。その〈現在〉は、それ以前に遡るどんな〈現在〉よりも強かった。従って、曾て〈現在〉であったところのものが、回想されると同時にその〈現在〉に取り込まれ、同化されてしまった可能性が有る。そして私はその時、曾ての〈現在〉達に対して背信者めいた動揺を感じると同時に、それらの優位に君臨するその〈現在〉についての揺るぎ無い確信を抱いたのだが、それもまた、目覚めの段階の中で私が取り纏めた拾集作業の中で改変されてしまったと云うことも有り得るのだ。そうした疑念はひとまず措くとしても、その時私の記憶が大きな転換点を迎え、〈現在〉の持つ意味がすっかり変容してしまったことには間違いは無いだろう。私は眠りつつ目覚め、そこに存在しているその時間をはっきりと自覚し始めたのだ。
私が立ち尽くした部屋は、高さが目算で凡そ十二から十三フィート、幅が三十フィート強、奥行きが八十から九十フィートと云ったところで、材質は一見したところ褐色の砂岩だったが、手で触れてみると似て否なる、もっと硬質の岩の様だった。地下室の様だと先に述べたが、どの壁にも窓は無く、明かりは壁に埋め込まれた円柱陣に取り付けられた篝火によるもので、ゆらゆらと夢幻めく黄昏めいた炎が室内をぼんやりと浮かび上がらせ、あちこちに暗い影を作らせていた。室内に調度品の類いは一切置かれておらず、奥の壁に一方の面がぴったりくっ付いた、なみなみと水を湛えた大きなプールが中央部を占拠していた。こちらは高さが二フィート強、幅が約二十フィート、奥行きが五十から六十フィートと云ったところだった。但しこれらの目算は全て、夢の上での私の肉体が元の通りの大きさであると仮定しての話である。階段を駆け降りている時に強く感じたことだが、どうも私の体は軽過ぎた。人間の体とは思えぬ位に易々と動いた。視界には私の胴体や四肢が在るべき位置に収まっていたし、強く体重が掛かった時に手の平や足の裏に感じる衝撃も確かに間違え様は無かった。だが、概してそこには何故か、これが私の肉体だ、私はこの肉体と確かに繋がっている、と云う体の内側から感ぜられる実感が、確信が欠けていた様に思う。体が動いていたのは間違いなく私の意思によるものであるし、私はその動きを欲していた、と云うよりも寧ろ、私の精神はその動きと一体化していた。しかし、そこに実体を持った肉体が厳として存在していたと云う事実に、今ひとつ断固たる確信が持てない様な状態だったのだ。それはまるで私が何処かから他の体を借りて来て、かのホムンクルス宜しくその中に入り込んで見たり聞いたりしているかの様な感覚だった。私は、私が普段見知っている私のものだと見做している肉体に、今も入っているのだろうか? そんな奇妙な疑念が、頭の中で渦を巻いて、私が答えを出すのを押し止めた。
部屋の中は、壁にも柱にも装飾らしいものは一切無く、床や天井も四角いブロックをぴったりと敷き詰めてあるばかりで、周囲には美的な装いの要素が皆無だった。唯一の例外は奥の壁とプールだった。厚さ十数インチのプールの枠は完全に四角く造られていた訳ではなく、丁度上から厚い布か何かを被せた様に、角の所が直角ではなく柔らかい曲線を描いていた。表面には、最も広い所で約三インチ、最も狭い所で約一インチ弱の幅で縞々の模様が彫り込まれており、それが交わること無く複雑な曲線を描き乍ら、華麗な流線型を形作っていた。最初にその模様を確認した時、私は咄嗟に何かを連想したのだが、それが何なのかには直きに思い至った。鯨の腹だ。蟬鯨等の縞々模様の入った鯨が、甲板の上で腹を切り裂かれて横たわっている様に似ていたのだ。そう云ってみれば、それは何かの祭壇を思わせなくもなかった。何等かの儀式がここで執り行われ、何等かの生贄が捧げらるのだろうか………? 或いは、それ程視覚的な類似点が有るものとも思われないのに、そんな惨たらしい連想をしてしまったのは、予め私にそうした思い込みが有ったからなのだろうか? 私には分からなかった。その連想の原因は模様に有るのかも知れなかった。全体的に見てみると、プールの枠は左右両脇が中央部へ向けてなだらかに盛り上がっており、手前の壁はその流れを受ける様に逆に中央部が凹んでいた。縞々模様はプールの内側から外側へ向かって溢れる様に流れており、一部は床にまで続いていた。緩やかな起伏と線同士の幅の具合の所為か、見る角度によっては所々それが螺旋を描いてうねっている様にも見えた。それで全体としてはプールの縁から何かが溢れ出て来ているかの様な印象が強く脳裏に焼き付いたのだ。それは死物である筈の石が、只動かないだけで我々人間には凡そ窺い知ることの出来ない秘密の生命活動を営んでいて、地質学的単位で物事を見る目によってのみ捉えることの出来る変化が、永の年月を経る内に徐々にその刻印を固い表面に上に刻み付けて来た様を思わせた。良くよく目を凝らしてみると、はっきり刻まれた溝の表面には無数の細かいひび割れの様なものが毛細血管の様に走っていたが、これが意図的に刻まれたものなのかどうかは判断出来なかった。
奥の壁にはもっと複雑な彫刻が設えられていた。これは大部に分けると二種類のものから成っていた。ひとつは、天井から床へ向かって緩やかに弧を描き乍ら裾を広げている直線を基調とした流れで、表面には間隙の不揃いな山型の突起の列が無数に走っていて、カーテンか川の流れの様にも見えたが、上から下まで真っ直ぐと云う訳ではなく、所々にさざ波の様な起伏があってアクセントを付けていた。これはそれぞれ天井や床、プールの模様の中に極く自然に融解して行っており、然乍らこの部屋の中に大きな木の根が張り巡らされているかの様だった。もうひとつは曲線を基調としたもので、大小様々の球型や、角の取れた四角形の様な形のものが、水面下から顔を覗かせる様に、直線的な波の間から浮かび上がっていた。僅か一インチにも満たない小さなものまで含めるとその数は数百にも上り、単純に言えば泡の様でもあったが、所々でお互いの間に細い橋が架かったり、何段にも重なって融合し合ったりと、奇怪な集合体を成していた。これらの表面には実に様々な模様が施されており、豚の形の様なものや布の繊維の目の様に見えるもの、細長い斑点が有るもの、蔓草が絡まり合った塊の様なものや、亀の甲羅を思わせるものも有った。全てが余りに入り組んでいる為、全体として何か意図された形状が存在するのか、何等かの一定のパターンや規則性が存在するのかどうかについてはお手上げだったと言う他無い。但、一目見ただけで直ぐに判別出来る大きな特徴が二つ有った。
ひとつは中央上部に位置する一際大きい瘤で、大きさは概ね五フィート程だろうか。各面の中央部が膨らんだ、角の丸い、少し横幅が長い立方体をしていた。これにも全体に立体的な模様が浮かんでいたが、これだけは他と違って、中国やアラビア世界の建築物や工芸品に見られる様な、直線を基調とする美事な幾何学模様だった。私は始めその模様の方に目を惹かれて、全体的な意匠については注意が向かなかったのだが、何度か角度を変えて機械の配線図を思わせるその線と角度の群れを異なる陰影で見比べている内に、どうやらそれは人間の顔を模したものらしいと云うことに気が付いた。それは額と目が異様に大きく、凹凸が平板で、耳は無く、大きな顔と分厚い唇を備えていた。目は無く、眼球の在るべき所は良くよく見ないと判らない程度に緩やかに窪んでいたが、眼球を抉り取ったと云うよりは、単に最初からそこに存在していないと云う感じだった。耳の在るべき所は髪の毛か帽子かそれとももっと他のものか分からないがくねくねと入り乱れる模様に覆われていて、それらしいものは見当たらなかった。全体的な形は南米や南太平洋上の島々で見受けられる巨顔石を何処となく彷彿とさせるものではあったが、それにしてもやはり直線的な形象の組み合わせによって曲線をも表現しているその様式が何とも異様で、古代文明の産物と云うよりはキュービズムの絵画がその儘三次元の世界へ抜け出して来たかの様な印象が強く心に残った。私は考古学や人類学には造詣が浅いので、これに類似したものを生み出した文明が曾て存在したことが有ったのかどうかと云うはっきりとした判断は私の知識の埒外に在ったものの、少なくとも私が知っていた限りに於ては、こうした様式を持つ文明は他に例が無い筈だった。
もうひとつはその巨大な顔の両脇に、シャンデリアか何かの様に天井からぶら下がっている、人の背丈程もありそうなふたつの半球だった。こちらは模様も浮き彫りも装飾も全く無く、驚く程滑らかな表面をしていて、奇妙なまでに瑕疵が無く、磨き抜かれていた。これだけは他のものと違ってやや灰色にくすんでおり、材質は先程の階段の手摺りの様な、石なのか金属なのか見ただけでは判断が出来ないものだった。実際その地下室はどう見ても古代遺跡の様な造りをしてはいたが、歳月による風化や摩耗の兆候は何ひとつ無く、全てがまるでつい昨日造り上げられ、最後の仕上げをされたばかりの様に真新しく堂々としていた。それに篝火を見ても明らかな様に、ここは今も現実に使用されており、人が出入りをしているに違い無いのだ。私は、自分がこんなものを夢に見る様な原因を回らない頭で何とか考えようとしたが、どうも心当たりには思い至らなかった。一部は実際に体験したことや絵や写真、何等かの映像で見たもの等の記憶がごっちゃになってしまっているのだろうと云うことで片付けることも出来たが、青醒めた木星の亡霊を思わせるふたつの半球は、そうした小手先の解釈を峻拒するかの様に、私に馴染みの有る存在の世界からは隔絶した冷厳な沈黙を放ち続けていた。
息が詰まり全身が凍り付く様な圧倒的な存在感が周囲に立ち込める中、私は恐るおそる水槽の方へと近付き、先刻から気になっていた中の黯々とした水面を覗き込んだ。揺らぎも震えも無く微動だにしない波の無い水面は、非常に不自然なことに、夜の空を映し込んだかの様に真っ黒な色をしていた。そして真っ暗な背景の中にたったひとつ、晄々とした白い月の影がぽつんと浮かんでいた。余りに場違いなその光景を目にして、私は天井を見上げてみたが、天井はやはり天井でどれだけの厚みが有るのか判らない石の壁が広がるばかりで、明かり採りの窓どころか通気孔さえ見当たらず、外部から光が入って来ることなど有り得ない様に思われた。それに若し仮に、この光景が何等かの方法によって何処かの夜空を映し出しているのだとしても、星がひとつも映っていないのは妙だった。中央部に映っていた月は我々が良く知る満月で、それらしい陰影もあり、銀盤の様にくっきりと周囲と一線を画して微かな光の輻を四方に放射していたが、本来星空であるべきところの空間には、それ以外の輝きが一切無かった。それは何処までも続く深い深い虚空の広がりで、まるで夜の闇を何層倍にも重ね合わせた漆黒のインクで一面を塗り潰してしまったかの様に滲みもブレも濃淡も無く、あらゆる光を吸い込んで打ち黙していた。この黯黒は何処から来たのか? 何を映しているのか? その意味するところは何なのか? これもまた記憶の混乱に由来する錯覚のひとつなのだろうか? 自分でも可成り大胆だとは思うものの、水際の辺りに掌を差し込んで水を掬ったり軽く叩いて揺らしてみたりもしたが、どうやら水自体に色が付いている訳ではないらしく、また、水槽の内側に彩色が施されていると云う訳でもない様だった。この水面に広がった光景が一体どんな仕組みによるものなのか、私には見当も付かなかった。目の前の奇怪な事態に対して合理的な解釈を施せないと云う事実と、そして、明らかにこの夢は完全に私の制御下に在るものではないと云う事実が、私を戦慄させた。夢の世界には夢の世界の論理があり、殊に明晰夢ともなれば、主体に該当する視点乃至事象にとって、未だ明かされぬ謎は有り得るとしても、絶対に納得の行かない不合理な出来事は起こる筈が無いのだ。私自身に対する疑いの透明性はそれ以上の遡及が不可能な確かなものであったが、それに加えてその疑念を惹き起こした事象の途方も無い不透明さは、私が曾て一度たりとも経験したことが無いものだった。
殆ど触知出来る位の異和感に押し包まれ乍らも、私は何とか事態を解明しようと、懸命になって水面の下へと目を凝らした。水面の光の反射具合はやはり真っ暗な空を移し込んでいるとしか思えなかったが、水自体は至極澄んでいるらしく、水底まで見通すのはそれ程難しいことではなかった。
水槽の底には、丁度月が映っている場所の真下に、大きな四角い穴が開いているらしかった。明かりが少ない為にその下がどうなっているのかまで判別するにはもう少し時間を要したが、どうやらその下へと続く階段が有る様だった。私は白く輝く月の姿を透かして見えるその深淵への入り口に、凝っと瞳を凝らした。
その後のことは―――良く憶えてはいない。何かまた大きな記憶の混乱が有った様にも思うのだが定かではない。引き延ばされた目覚めの時間に突入したことが判ると、私は記憶の巻き戻しを行い要点を整理しようと試みた。最初は全て上手く行った様に思われた。この夢の重要部分の全体像を把握出来た様に思えた。だが、冒頭部分に取り零しが有ることに気が付き、苦労して何度か該当箇所の記憶を手繰り寄せている内に、再体験に近いその再生に、手許で手綱を握っていた筈の私の時間の方が引き摺られて行ってしまい、結局、あちこちを行ったり来たりすることになってしまった。そうして慌てふためいている間に手綱は完全に私の手を離れて行ってしまい、ハッと気が付いて再び時間を時系列順の符牒として並べ直した時には、可成りの部分に欠落が生じてしまっていた。何か非常に重要な意味の有る出来事を失ってしまったことは解ってはいたが、果たしてそれが具体的にどう云ったものなのかは推測することさえ覚束無かった。
混乱した頭の中を整理しようと、私は暫くベッドの中で固く目を閉じた儘動かずにいたが、それでもその損失が回復し様の無いものだと分かって、諦めて目を開けた。ベッドに重い躯を腰掛けさせてぐったりと項垂れていると、サーッと云う微かな、聞こえるか聞こえぬか程度の囁き声の様な雨の音が聞こえて来た。霧雨が降っている様だった。窓の外に目を向けると、星ひとつがうわあんと云う耳鳴りのする残響と共にどうっと倒れ込んで来たかの様な真っ白い空が広がっていた。その白さは寝起きの目には単純に眩しい様であったが、それでいて何処かそれ以上に冷たく、まだ私の頭上に重苦しく蟠っている悪夢の残滓と何処かで繋がっている様な忌まわしさがあって、不自然な程私に対して馴れなれしい様な気がした。
私はその皮膚にべたべたと貼り付いて来るような息苦しい呪縛の中に凝っと座って、暫く自分の存在を確定することに意識を集中させた。私はこの閉塞した世界の空気を身体一杯に吸い込み、それが自然に落ち着いて沈み込んで行くのを待って、私を即融的な関係性の内に巻き込んでいるものから、自分自身を引き離すことを試みた。枕許に置いてあった腕時計に目を遣ったが、光の加減で文字盤がはっきり見えないので手に取って覗き込んでみると、何時もより一時間近く早く起き出してしまったことが判った。朝食の時間までにはまだ大分時間が有ったが食欲は全く無く、全身がまるで大雨でぐっしょり濡れそぼった冬物の衣服の様に、鈍重に疲れ切っていた。私は二度、三度と呪詛の呻きとも諦めの呟きとも取れないぼろぼろの溜息を吐くと、何をする気にもなれず、腕時計のアラームを設定してから、その儘再びベッドの上に横になった。二度寝出来る自信はこれっぽっちも無かったものの、とにかく目を瞑って体を休ませないことには、今日一日何も出来ずに終わってしまう様な気がしたのだ。
私は棺の中のファラオ宜しく胸に手を当てて凝っと身じろぎせずにいたが、全く気が晴れないので、何か外部からの退屈凌ぎになる様な刺激に身を任せようと思い、備え付けのラジオのスイッチを捻ってみたのだが、どうも期待した様な効果は上げてくれそうにないことが直ぐに分かった。人間同士の愚にも付かないお喋りなど聞きたくもないし、下品な流行歌は耳に付くばかり、ジャズも普段ならば嫌いではないのだが、今はどうもそんな気分ではなかった。バッハの無伴奏チェロ組曲が出て来たところで、私は何故か急に腹立たしくなり、抑制されてはいるが苛立ちの込もった勢いで一度ドン、とラジオに拳を叩き付けると、スイッチを切ってしまった。結局その後私は時間一杯まで、後から後から怒濤の如くに湧き上がって来る様々のイメージや言葉、音声や概念に翻弄されることになったのだが、その間私の中を駆け抜けて行った埒も無い妄想染みた想念の数々については、いちいち言及する必要は無いだろう。時間になってみると、疲労はまだ抜け切ったとはとても言えないが、多少は楽になっていた。私はシャワーを浴びて残っていた寝汗を流すと、朝食の席へと下りて行った。
食べ終える頃には雨は止んでいて、まだ空一面を重い雲が覆い、地面は濡れていたものの、出掛けるのには支障は無さそうだった。当初の予定では、今日の日中一杯まで何処か気に入った場所で絵を描き、夕方から電車を乗り継いで帰国することになっていたのだが、どうにも絵を描く気分などにはなれないと云うことが明らかだった為、私はいざ行動を選ぶ段になって戸惑った。だがさして多くもない荷物を纏めている時に不図気が付いて、この近くに郷土資料を集めた図書館か博物館の類いが無いものか探してみようとと云う選択肢を前の晩に想定していたことを思い出した。直接人に聞いて駄目ならば文献資料を当たれば良いと思ったのだが、宿の電話帳や手持ちのパンフレットで調べた限りでは、この近辺にそうした手頃な施設は存在していない様だった。半径五十マイルに範囲を広げてみても該当するそれらしき施設はひとつだけ、百マイルに広げてみてもたった二件しか見付からなかった。しかも記述には必要な情報が決定的に不足しており、規模も、サービス内容も、この施設にそうした資料がありそうかと云う見当も付かないし、電話等で聞いてみるにしても内一箇所は連絡先が不明だった。第一、何れも鉄道の線路からは大きく外れた所に在るから、車でも借りないことには行けそうもなく―――この辺りの住人は恐らく皆移動には自家用車を利用しているのだろう―――一番近くに在るレンタカーショップは直線距離で八十マイルも離れていて、しかもそこまで鉄道で行くとすれば大分遠回りをしなければならない様だった。ざっと計算してみたが、帰りの電車に間に合うようにするにはどの施設へ行こうと十分な時間が取れない様だったので、資料探しは結局止めることになった。宿の者に幾つか質問をぶつけてみたが、助けになりそうな情報は得られなかった。
それから早々にチェックアウトを済ませた私は、一見宿から然程遠くない駅のコインロッカーに荷物を預けた後、画材道具と昼食、そして雨具一式を背負って、昨日絵を描き掛けの儘にしてしまった最後の場所へと向かうことにした。今日の自分が絵を描くのには相応しい精神状態ではないと云うのは理解していたが、物事を途中で放り投げた儘にしておくのは気持ちが悪いし、実際に足を運んでみればまた気も変わるかも知れないと云う想いも有った。が、恐らくはもっと強力な動因となっている秘められた理由については、私は努めて考えまいとした。
昨日足を運んだ峡谷へ行ける道は三通り有った。先ず平原を通ってから森の西側に広がっている斜面の麓を行く道で、これは昨日私も往路に利用したもので、正確には人の手による道は通っていないのだが、歩いて行くのには差し支え無い程度には障害物が無く、また見通しが良いので迷い様が無い。もうひとつは復路に利用した部分的に森の中を通り抜ける道で、この辺りには大した獲物が居ない為狩猟者達も近寄らず、今では利用する者は殆ど居ないが、昨日通ってみて判った様に、通行そのものにはそれ程困難が有る訳ではなかった。最後のルートは、森の東側を南北に走っている小高い丘陵地帯の、西側の斜面に残っている大昔の何かの道の跡で、これが最も歩き難く、また遠回りになっていそうだったのだが、今までとは違う視点から例の森を見てみたいと云う想いもあって、私は敢えてそこを選ぶことにした。
地図では丘陵とはなっていたが、この辺一帯の海抜が元々低い所為か、その連丘は実際可成り高く見え、丘と云うよりは小山と呼んだ方が良かった。表面は概ね荒れ果てていて高い木は生えておらず、殊に頭頂部から西の斜面に掛けては、まるで地滑りでも起こしたかの様に黒っぽい大きな石があちこちに散乱し、乾いた地肌が剝き出しになっていた。丘の東側ではまた森が始まって延々と広がっているのだが、そんな訳で一度丘の所で分断されてしまっている為、植生の分布や棲んでいる動物や昆虫の種類等も、丘の東西では微妙に異なっているらしいと云う話を宿で耳にした。荒涼とした地肌は緩やかな弧を描いて北側で峡谷に繋がっていた。
丘を渡り切るのにはその儘午前中一杯を潰し、峡谷へと下りて行った頃にはもう午後の一時を回っていた。何しろそもそも距離が長く、登り下りも有る上に、少なくとも定期的に人の足が踏み入ったことの絶えて無い、私の様な余程の物好きでもなければ足跡を残したことが無いであろうその道は、最早道と呼べる様なものではなく、遠くから大雑把な形を眺め渡してみた時に初めて、辛うじて周囲との見分けが付く程度のものだったので、凡そその上を人が通ると云うことにはまるで関心が無い様だった。如何にも硬そうな玄武岩を主とする大小様々の岩石が入り混じる半ば砂利道の様な地表は灰の様に脆く、私が足に体重を載せる度にずるずると崩れ落ち、私はまるで果てしの無い砂漠を歩いているかの様に、一歩いっぽ足を進める毎に自分の活力が少しずつ地面に吸い込まれ、消えて行くかの様な錯覚に陥った。うっかり転倒しそうになったことも一度や二度ではなく、私は杖かその代わりになるものを持って来なかったことを後悔し乍らも、何とか両手を支えにして先へ進み続けた。幸い、重い荷物は駅に置いて来たし、服装もこうしたことを予感して厚手の丈夫なものを用意して来ていたから良かったものの、若しそうでなければ、私は手や足や脛、ふくらはぎ等に無数の擦り傷や切り傷を拵えていたことだろう。道無き道は丘の斜面の頂上近くを、激しく上下を繰り返し乍ら辛うじて足場が確保出来る程度に心許無く続いていて、登る時には右手で岩が硬くなっている所を掴まなければ身体を引き上げることは難しかったし、下る時には、その儘ずるずると滑り落ちてしまわないよう細心の注意を払う必要が有った。行程は難行し、その距離自体も然ること乍ら、その歩き難さのお陰でとにかく時間が掛かった。
その代わり見晴らしは良かった。標高は精々のところざっと二百フィート少々と云う程度だったので、そう遠くまで見渡せた訳ではなかったのだが、それでも、丘の腹の中程より上にまで登ると、西側に円形の膨らみを成して広がっている森と、その向こうの斜面の可成りの部分を一望することが出来た。その遙か彼方にラプランドを望む凸凹の少ない地平線に至るまでの広大な広がりは、全天を覆う雲を貫いてぼんやりと地上に齎される弱々しい陽の光を受けて幻燈の様に非地上的な非現実感に満たされ、人間社会が我が身を縛り付けているところの日常の大地から遊離して浮かび上がり、放射状に膨れ上がる空と秘かな共犯関係を結んで見渡す限りの天地万象の全てを懐に抱え込み、何処か誰も知らない全く別の時空へと連れ去って行こうとしているかの様に見えた。どちらを向いても人間どころか動物一匹見えはせず、生きて動いているものの兆候は皆無だった。眼前に小さな森が広がり、物言わぬ木々達が人間の知覚には識別不能な速度で密やかな生を送っているのが見えなければ、私はきっと、ここが地球ではない何処か他の惑星の上だと言われても信じたかも知れない。影と光とが混濁して不気味に融溶した荒涼たるその世界はしかし、通常の意味での生気を欠落させてはいたものの、それ自身が何か我々の与り知らぬ外宇宙の深淵より発せられる律動に則って、法外な異次元的な活動を営んでいる様にも見えた。雲の動きは極くゆっくりとしたものだったが、それでも若干間を置いて同じ所を見てみるとやはり奇怪な変容を遂げていて、我々が通常知っている様な画一的なパターンとは異なる複雑な相互作用を及ぼし乍ら、崩折れた理法の残骸の如き想像も予想も困難な動きを繰り返していた。
私が昨日還り道に通った小径は森の西側に張り出した大きな突端部を貫いていて、丘からでは木々の陰に隠れて殆ど見えなかったので、昨日見た怪異の在った大体の場所を推測するのは困難だった。森の稜線や起伏等にも特にこれと云う際立った目印は無く、歩いた距離と時間から朧気に、南北の端に近い所ではないと云うことは分かるものの、それ以上位置を特定出来る様な手掛かりは思い出せなかった。
その時の私は、別に何か具体的な成果を期待していた訳ではなかった。ひょっとしたら何かが在るのかも知れないと云う淡い可能性も考慮に入れはしたが、実際に何か進展が有るだろうと云う楽観的な見通しは立ててはいなかった。私は只単に、昨日の理解不能な、そして何故か確かに不可解ではあるものの、同時に私の心に大変な負荷を掛けて来る事態のことを、昨日とは違った角度から、異なる視点から見直し、少しでも自分の心に余裕を持たせて、今尚強迫的に頭にこびり付いているあの光の柱のイメージから多少なりとも距離を取りたいと願っただけだった。事実私は黙々と歩き乍らも、体を動かすにつれて再び活発化し始めた無数の想念達の相手をしつつ、何等かの新たなタイプの霊感が閃いてくれることを待ち望みはしたが、結局、昨晩から一歩も先へ進んでいないことに落胆を味わっていたのだ。だから、それが起きた時には本当に驚いた。衝撃に数瞬、体がぶわっと持ち上がる様な感覚がして、目の前の事実を確認するのに些かの努力を要した。
丘の道程半ばを過ぎた頃、それは起こった。私は左下に広がる森とその先の広大な平原を見下ろし乍ら、足場の悪い地獄の焦土めいた斜面を苦労し乍ら進んでいたのだが、或る時不図左側の眺望に一瞥をくれた直後に、何かが見えた。何か形の有る意味の有るものを見たと云う突然の閃きがあり、ハッとなって私はその瞬間から二歩程遅れてその場で立ち止まった。改めてその直観がした方向に目を遣ると、私が把握したものと、私が把握したと思ったもの、そして現実に知覚される映像との間に若干のズレが生じ、その僅かな混乱に私は戸惑い、躊躇い乍ら、地に足が着かなくなってしまった意識の焦点に何とか注意力を集中させて、事態を把握しようと試みた。巨大な深淵を覗き込んでいる私が居て、その光景が在った。
対称性が有った。私が立っていた地点を中心の軸線上に在るものとして、左右に同じパターンが遠方へ向けて広がっていた。丘の連なりを放物線の底として、その底に円型をした森がすっぽりと嵌り、その先の頭の方に斜面が続き、更にその先に空漠たる平原が、外側へと向かう流れを受け継ぐ様に広がっていた。詰まり、私の立っている所を基軸として、法外な放射状の広がりが西の地平へ向けて伸びているのだった。或いは、西の森の中心点を爆心地乃至震源地として、巨大な力が西方目駆けて吹き抜けて行った、と言った方が適確かも知れない。よく見ると立体的な側面、詰まり高さの次元に関しては可成り不揃いではあったものの、二次元的な対称性については、まるで人の手になるものであるかの様に、不自然なまでに正確な鏡像を成していた。丘の輪郭を形作る曲線は小さな凹凸が多く、その気になって見なければ先ず間違い無く誤魔化されてしまうものの、凡その形は歪みの無い綺麗な弧を描いていた。森は好き放題に木々が生い茂っていたが、外縁部の大体の形状に限って言えばこれも円に近い、やや楕円形に押し潰された、実に美事な対称性を成しており、起伏の面ではややばらつきは有ったものの、まるで設えたかの様にすっきり纏まっていた。楕円は、こちらから見て下の部分を丘の弧に削り取られていたが、こちらは木々の途絶える所の距離がまちまちな為、統一感は無かった。森の向こうに広がる平原は、大体が岩と土ばかりの荒れ果てた土地ばかりで、草木は殆ど生えていなかったのだが、私の立っている角度から見てみると、丁度丘の弧の形に呼応する様な形で、丘が途切れる箇所からその先がずっと、羽根箒で地上を一掃したかの様に真っ直ぐに不毛地帯が続いていた。そこには文字通り草一本生えておらず、他の箇所と比べても明らかに起伏が少なく、それが目の届く限り地平線へ向かって延々と続いていた。まるでこの丘から、或いは森から、何か酷く忌わしい厳寒の冷気が這い出て流れ出し、地上から、我々が慣れ親しんでいる生命の活動のスケールに於て展開する一切の変化を薙ぎ払ってしまったかの様だった。これは地質学的なスケールに於て演じられたこの惑星のドラマのひとつの名残なのだろうか、それとももっと別の………。
私は何度も瞳を凝らして、自分が今見ているものの意味を突き止めようとしたが、それはやはり私の思い込みやこじつけや幻覚などではなく、物質的な基盤を持つものだった。私はハタと思い至ってリュックの中から地図と磁石を取り出し、揺れる針が落ち着くのをもどかしい思いで待ち乍ら、空いた方の手で地図の該当する頁を探し当てた。広角度で扇型に広がって行く開口部はどうやら真西ではなく、そこから少し南に外れた方向を向いているらしかった。この近辺を記している頁は直ぐに見付かったが、一瞥して大して有益な情報が載っていそうにないと判断した私は、三つ前の駅の近くの書店で手に入れておいた案内図を引っ張り出した。急く余り一度取り落としてから、膝の上に置いた地図の上にそれを重ねて広げたが、これは実際にこの辺りを歩き回る人達の為のもので、丘の東側については多少の情報は記載されていたものの、西の森は釣り人も猟師も、無論観光客なども滅多に足を踏み入れない地域である所為か、丸ごと省略されてしまっていた。私は苛立たしく先の地図をもう一度引っ繰り返すと、自分の今居る位置を確かめた。縮尺はそれ程小さい訳でもないのだが、丘や平原の起伏や標高等の詳しいところまでは書かれておらず、極く大雑把に数本の等高線が、この一帯を幾つかの領域に区切っているだけだった。私が求めていてたレベルの情報は得られなかったが、それでもこの辺りの凡その地形は把握することが出来た。よく見てみると、この丘の形は確かに綺麗な半円に近い弧を描いていた。地形や木々の所為で高さがまちまちなので一見した時にはそれで誤魔化されてしまうのだが、輪郭自体の方に着目してみると、それが一連なりに纏まっていることが判るのだった。森の向こうの平原は極く短い間隔で等高線が何本か描かれている切りで、植生の分布等、私の印象を強固に裏付けてくれる様なことまでは描かれていなかったが、丘の形と平原の起伏が繋がっていると言う私の直観通り、丘と森を起点に緩やかに放射状に、他の所よりも高くなっている所が広がっていた。丘の弧の直径は凡そ三マイル程も有ったが、その扇型の長さは優に九、十マイルから十五、六マイルにまで及んでいた。
私は頻りに地図と実物とを何度も見比べてみたが、実際、それは不思議な光景だった。まるで私の居る場所を頂点として、そこから南西の方角を見渡す巨大な玉座が大地の上に広がっているかの様だった。大自然は時に人間が想像も付かない怪事を途方も無いスケールでやってのけるものだが、この場合に於てもその解釈を採ろうとする常識的傾向に対して反撥し、疑念を抱く心が私の中には有った。私は地質学者でも地球物理学者でもないので、こうした形状を作り上げる原因となった大地の変動については埒も無い想像を巡らせることしか出来なかったのだが、何かそれだけで完全に片付けてしまうことの出来ない、何か意図的な、人工的なものがその背後には有ると云う印象が後に残った。その最大の原因は恐らく良く出来過ぎた対称性に求められるだろうが、私の立っている地点が基軸上に在るものと仮定して、そこから左右に等しく同じ大きさと角度を持った力が働いたとしか考えられないのだ。地図で確認してみると、丘の弧型は完全な半円と云う訳ではなく、緩やかな楕円を半分にした様な形をしていたが、この対称性は或る程度まで左右だけではなく、四方全てに適用可能だった。若しこれが隆起しているのではなく陥没しているものであったならば、地下から溶岩が噴き出て流出した跡であるとか、空から隕石が降って来て地面に激突した跡だと言われても然程違和感は感じなかったことだろうが、それでも完全に納得出来るかどうかは疑わしかった。先程の、隕石の落下と云うのがその形状を説明するのには一番っしっくり来るのだが、目の前のものはクレーターなどではあり得ない以上、有るとすればそれと同規模の巨大な力が高速度で地下から噴き出したと云う位のものだろう。だがそれが実際どんな力かとなると、まるで見当も付かなかった。
植物の分布の仕方も不思議と言えば不思議だった。辺り一帯が草一本生えていない荒涼たる不毛の地であるのに、何故この森だけが、何処からか切り取って来てそこに据え付けた様に、青々と枝を茂らせているのか? その部分だけ土壌が肥沃なのだろうか? ここで起こった何かが、何等かの変化を齎したのだろうか? このことについても、はっきりしたことは何ひとつ言えなかった。
と、その内、私が昨日見た光の柱の位置は、私の真正面、詰まり基軸の上に在るのではないかと云う想像が頭を過った。根拠も何も無いが、不図思い付いたのだ。私は再度、昨日見た地形と照らし合わそうと森林の外辺部にあちこち目を走らせたが、やはり場所を特定出来る様なものは見付からなかった。それよりはせめて、後で直接その場所に行った時に確認出来るよう何か目印になるものはないかと捜してみたが、決定的なものは見付からなかった。木の下の地形はこちらからは見えないし、何より高く聳えている木々のどれかを目印にしようにも、自分が木々の下に入ってしまったら見分け様が無い。この件に関してはどうやら諦めるより他に無い様だった。
他に幾つもの馬鹿気た空想や突飛な思い付きが暫く頭の中を占拠していたが、やがてここで幾ら考え込んでみたところで今見えている以上のものが何か分かる訳でもないと思い直し、私はまた先へ進み始めた。視点を移動させてみて初めて分かったことだが、この地形は見る角度を少し変えただけで、ひと続きになっていると云うことが判らなくなる様に出来ていた。丘の斜面や、その先の平原の扇型の外周部を成す部分に岩等の夾雑物が多く、角度によって大きく印象が変わってしまうことがその原因だと思われたが、実際、一連の事物の繋がりが見えて来る地点に辿り着いた時も、その直前になるまで気が付かなかったし、五、六十フィート程も離れてしまうと、もうその気になって見ないと、それが何か意味の有る形を成しているものだとは気付かない様になってしまった。
丘陵地帯からその儘続いている小さな峡谷で、私は午後の時間を過ごした。少し固めの乾いたパンをもそもそと口に入れ乍ら、私は昨日絵を描き掛けで止めてしまった場所まで行って画材一式を広げたが、昨日よりも日射量がぐんと少ない上に、やはりどうも気分が乗らない様だったので、私は可成りのんびり昼食を食べ終えるまでの間、折り畳み椅子に腰を下ろして、ぼんやりと無人の風景の中に溶け込んで行った。峡谷は極く小さなもので、当然見晴らしは良くはなかったが、煩わしい俗世界を忘却するのには十分な静寂と、万象の濃密な存在感が漲っていた。周囲からは鳥や動物の鳴き声ひとつ聞こえず、そよとの風の音もせず、耳に入るのは私が食べ物を咀嚼する音だけだったが、耳を澄ませて暫く凝っとしている内に、重い溜息の様な大気が、爆発前の怒りでざわめいているのが全身で感ぜられた。
食事を終えて気が付くと、私は絵筆を執っていた。画帳にではなくキャンバスにだった。半ば呆然として為す術も無い私の目の前で、驚異的な速度で絵が描き上げられて行った。それは普段の私よりもずっと乱暴な絵捌きで描かれてはいたが、技術的な面に関して言えば、寧ろ普段よりも微妙で複雑な表現が為されていた。下絵も無しにいきなり大胆に描き進められて行ったそれは、まるで枠の中のものを全て食い尽くそうとするかの様な勢いで猛然とキャンバスの空白を埋めて行き、寧ろそこから飛び出して更に外の世界へと融合して行こうとするかの様に、強烈な遡及と放射を行っていた。私は恰も自動書記にでも陥った様な具合に、私の手を借りて行われて行く強烈な存在の発露に唯々目を奪われているばかりだったが、その内、その絵には凄まじい勢い以外にも奇妙な点が有ることに気が付いた。今日は朝からずっと雨雲が停滞していて、頭上は今だ薄暗い影に覆われていたものの、キャンバスの中に広がる空の中には、ぎらぎらと眩いばかりに光り輝く太陽の姿が有ったのだ。その光はまるで周囲のあらゆるものを支配し、征服し、蹂躙し尽くす様に天地の上に君臨し、絵の力場の中心点を成し、力強く不動の地位を占めていた。それは世界を吸い尽くし、自らの内に取り込みつつ、同時に全世界を生み出し、爆散させていた。それは誕生と同時に死でもあり、創造と同時に破壊でもあり、生命の根源であると同時に徹底して非生命的な、生命を超越し、生命そのものには全く無関心な何かだった。それは宇宙的な広がりを持つと同時に只のちっぽけな一枚の絵であり、私が描いたものであり乍ら私が描いたものではなく、耳を聾せんばかりの轟音を轟かせてい乍ら、一片の音も出してはいなかった。絵の中の峡谷は現実世界と同じ様にどんよりと鈍い灰色の中に沈み込んでいた。だがその太陽はその直中に在って無数の触手で空を切り裂く様に力尽くで闇を駆逐し、その裏側に潜んでいるエネルギーの兆候を探り当て、貪婪にそれらから活力を吸い上げていた。それはまるで天地に鋭い根を張り巡らせた巨大な木の様でもあり、何もかもが光と化して雪崩れ込んで行く法外な異次元への開口部の様でもあった。あらゆるものがその絵を中心に編み直され、全く新しい形と意味とに作り変えられた。世界はそこで生まれ変わり、今までとは別の様相が、知られざる局面が、隠されていた相貌が姿を現し始めた。それが一体何なのかは私にもさっぱり分からなかったが、それも何れは明らかになるであろうと云う期待と不安の入り混じった高揚感が私を包み込み、そしてずっしりとした背筋の凍り付く様な畏怖の瞬間を待ち焦がれて、絵筆は加速して行った。
私の手は一心不乱に絵を描き続けた。外界から齎される如何なる刺激も、絵を描く以外のことへと私の集中力を逸らせることは出来なかった。途中一度だけ、少し薄くなった雲の隙間から弱々しい日差しが降り注いだことが有ったが、恐らくはほんの数分のことで、ちらりと時計を見ると三時を回っていた。今夜の夜行列車を乗り継いで帰国する積もりなら、夕方にはここを離れなければならないことは分かってはいたが、その時の私はそんなことなど全く考えてみようともしなかった。私達の頭上で次第に闇は深まり、落ち着かない大気から発せられる陰鬱な騒音が、電荷の高まりと共に微かにざわめきを高めて行ったが、それらも新旧の世界の世代交替のうねりに絡め取られて、画彩と云う活動に影響を及ぼすことも無く、その傍らを通り過ぎて行った。時間は段々に減速して鈍くなり、色褪せ、意味を失ってやがて停止し、再び動き始めたのは、私が、絵が完成したことに気が付いた時だった。
荘厳な禍々しさを全体から放射する奇怪な光景が私の目の前に在った。周囲の現実の上に超然と聳え立つその絵は既に私の手を離れて独自の存在と化しており、私の意思や思惑を撥ね除けて、それ自身の遣り方で万象と関わる術を心得ていた。それは通路――あらゆるものが包括的であってひとつのものが同時に無数のものであり、そしてひとつのものと云うものがそもそも存在せず、あらゆる関係性が一度すっかりヴェールを剝ぎ取られ解体されてしまう次元へと繋がる通路であることを――或いはあり得ることを、私は知るとも無しに知っていた。それは確信や信念とすら言えないもので、言うなれば、立っている人間が、自分の足の下に在る方が地面で、頭の上に広がっている方が空だと知っている様なものだった。私はこれが一体何の産物なのか、病み掛けの一個の惑乱せる精神の幻視の結果なのか、それとも宇宙が私と云う、媒体と成り得る局面を通して生み出したものなのか、それともこの場所に眠る人ならざる何物かの意志が私の深層から引き出した表象なのか、判断も理解も出来なかったが、その時はそうした諸可能性について、疑問として考えることはしなかった。分析に吟味も推論も、系統立ったあらゆる至高が私の頭の中で単なる潜在的な可能性に留まって顕在化せず、只そこにそうした存在が存在していると云う圧倒的な事実を認識するので手一杯だった。重力と云う檻の中に閉じ込められた大地の上に燦然と輝く太陽、白球、エネルギーの塊、光源、熱源、電磁気流の大焦点、爆散し続ける宇宙の種の影、そのまた影………歓喜も賛美も、恐怖も絶望も、法悦や退屈すらも意味を失うその強大な力を前に、私は立ち尽くしていることしか出来なかった。
どの位そうしていたのか見当も付かないが、その衝撃の余韻からまるで抜け切っていないぼんやりした頭で私が時計の表示盤を覗き込むと、既に五時を大きく回っていた。私は慌てて慌てようとした、慌てなければならないことは分かっていた。今からだと寄り道せずに大急ぎで駅に向かわないと、今夜中に列車の乗り継ぎが出来なくなるのだ。私の心の大部分はまだ絵に奪われた儘だったが、私はとにかく身体だけでも動かして具体的な行動を起こさなければと、反応の鈍い身体の尻を無理矢理引っ叩いて、画材を片付けさせたり、出来上がって間も無くまだ乾き切ってはいない絵にカヴァーを掛けたりさせた。五感が未だ醒め掛けの夢の中の様に半ば麻痺した様な状態ではあったものの、私は早々に荷物を纏め、昨日と同じ道を通って帰路に就くべく、足早にその小さな峡谷を後にした。
問題の森に差し掛かると、流石に背中がぞわりとし、そのショックから漸く私の意識も外界の事象に少しずつ注意を向けることが出来る様になって行った。先程から時折上空に閃くものが有ったのだが、上を向いて見回してみると、北東の方角に断続的に稲光が走っていた。音は全くしないが、峡谷の彼方に場所を定めて何度も何度も中空を引き裂いていて、まるで音声をカットした巨大なスクリーンを眺めている様だった。紫の妖しく折れ曲がった光の条脈が夕闇を貫く度に、周囲に在る雲の群れが異様に明るく照らし出され、数瞬、複雑怪奇な影の数々を踊らせた。見渡す限り一面に低く重く垂れ込める暗い雲の大陸は、全体としてはゆっくりと南東の方角へ流れて行っている様ではあったが、あちこちで緩慢な乱気流が奇怪な陽炎の様に雲を立ち昇らせ、渦を巻いたり捩れたりくねったり、幾つもの曰く言い難い流れを誘い出して、影の舞踏会の中に騒々しい乱舞を巻き起こしていた。雷鳴は全く無かったものの大気には怒気が満ちており、触れれば直ぐにでもショートを起こしそうな不安定な危うい感触が有った。
その辺りから、私の記憶はおかしなことに奇妙な変質を遂げてしまい、まるで夢の中の様にぼんやりと霞みがかったものになって来る。酷く強烈な体験が有ったことは確かなのだが、その強烈さがまるで漂白脱色でもされたかの様に想起出来なくなってしまっていて、鮮明に憶えている一部分も、恰も大昔の白黒写真を見る時の様な鮮明さしか備えていないのだ。恐らくその後に受けた何等かのショックが原因で、それに先立つ部分の記憶が影響を受けたのだと思うのだが、何しろ肝心の部分の記憶が空白になってしまっている為、確かなことは言うことが出来ない。無意識の抑圧が働いてその儘受け入れるには負担の大きい記憶を厳重にオブラートに包んだのかも知れないが、自分自身のことであり乍らも、不確かな憶測以上のことは語れないのだ。とにかくその先に起こった全ての出来事の記憶には、水中で演じられるパントマイムを見ているかの様なもどかしい非現実感があって、自分が本当に経験したことなのかどうかと云うことさえ確信を持てない。あの時の私の主語は、主体は、誰、或いは何だったのだろうか。
森の中へ急ぎ足で入って行ったことは確かだ。雨を受けてぬめった柔らかい石や土は昨日よりも滑り易くなっていて、足元とバランスに注意し乍ら進んで行ったことを憶えている。数秒も間を置かずに紫電を煌めかせる背後の上空の稲妻は、痙攣染みた照明を森の上に落としていて、その度にあらゆるものの影が僅かに痙攣した。ほんのささやかな微風しか吹いていないにも関わらず大気には嵐の前の様な緊張が漲り、辺り一杯が押し殺した不穏な騒々しさで溢れ返っていた。自分でも訳が分からない儘抑え難い張力の様なものに導かれて、私はあの怪異の存在していた場所へと、私があの虹色の光の柱を見た場所へと一心に歩いて行った。昨日と同じものがまだそのに在るだろうとか、昨日見た現象についての何等かの具体的な手掛かりが得られるだろうと云う確信が有った訳では全く無かった。但、私はそこへ行かねばならなかったし、灼け付く様な欲求は、私が再びあの現象に近寄ってみなければならないのだと告げていて、私はそれに抗うことなど出来はしなかった。
驚いたことに、光の柱は昨日と同じ所にまだ存在していた。穏やかにうねる地面と生い茂る木々とに阻まれてはいたが、あの幻妖な光は昨日にも増してその輝きの強さを高め、五、六百フィート先からでもその所在を確認することが出来た。これが全くの一時的な現象であるのか、一時的現象であるとしたら或る程度の幅を持って持続し続けるものであるのか、或いは一度消失しても再出現する可能性の有るものなのか、ひょっとしたら定期的に――例えば一日の或る時間帯だけ――出現する性質を持つものなのかは流石に判断の下し様が無かったが、それでも、若し過去にも同じ場所か或いはその近辺で同様の現象が発生したことが有るとすれば、それらについての目撃報告は無いものかと思ったりもした。昨晩私が宿で行った聞き込みはとても不十分なものだったし、地元の新聞や古い記録を調べてみれば何等かの事例が見付からないものでもないのではないか、と云う線も捨て切れなかった。そう云えば以前、こことは大分離れた所ではあるが、温泉地でガスが噴出して数人が幻覚を見たと云う小さな新聞記事を読んだことが有ったが、私が見た現象は幻覚などではなく物理的な現象であるとしか思えなかったし、若しそうであれば、目撃は局地的なものでなくてはならないと云う理由も無い。だがこの森へは先ず滅多に人は来ないし、西側は延々無人の大地が広がっているばかりである。東の森には数は少ないが釣りや狩猟に来るものが時々居るので、何かの弾みで西の森を見下ろす丘陵地帯のこちら側まで足を踏み入れる者が居ないとは言い切れなかったが、実際に自分が丘の上に立ってみた時のことを思い出すと、あそこから例の光の発している場所を見分けるのは難しいのではないかと云う気がした。試しに懐中電灯の光を頭上に向けてあちこちを照らしてみたが、広く枝を伸ばした木々の厚い層に遮られて、頂まで達する見込みは余り無い様だった。懐中電灯の光は少なくとも正面から見た時にはあの光の柱よりも明るい筈であるから、上からあの光の柱を見付けるのは先ず無理ではないかと思われた。電灯から真っ直ぐに伸びる白い光の柱は、次第に闇に沈み込んで行こうとする森の中に頼り無い探索の目を走らせたが、異常の兆候を示すものは何ひとつ見えなかった。
つるりと滑る、或いは苔生し、或いは地肌の露出した歩き難い道を私は光の柱が見える方へ向かって休まずに歩いて行ったが、昨日感じたのと同じ出所不明の欲求――一刻も早くその光の柱が存在している場所から立ち去りたい、おかしなものなど何も見なかった、何も存在していなかったことにして、全て忘れ去ってしまいたいと云う不可解な衝動が、はっきりとそれと分かる程に強まって来た。私は今や好奇心が渇望と化して私の行動を待ち望んでいることを自覚していたので、それを意志によって明晰にし、自分の行動を律する強力な指導規則として臨時採用することを躊躇わなかった。何か非常に重大なものか、少なくとも私の人生を大きく左右しかねないものがこの先に待ち受けていることを私は疑わなかった。輝きが益々大きくなって来るにつれ、私は目を逸らしたいと云う誘惑を必死になって撥ね除け、その魔力の中心を逃げずに直視しようと試みた。
そして私は見た、昨日よりも光輝を増し、虹かシャボン玉の様な賑やか鮮やかな色彩に彩られ、絶えず変幻を続け乍ら、まるで音のしないモーターの様に無音の儘強力な力で微かに振動を続ける、白い光の柱を。直ぐ近くまで寄ってみると、実際、全体的に以前よりも活動が活発になっているのが見て取れた。明るさは蛍光灯程にもなっていたので、周囲の草々や露に濡れた地面がぼんやりと夕闇の中に浮かび上がり、そこだけが他の世界から切り離されているかの様に見えた。よく見ると、光の柱と云うか光の矢と云うか、埃の様な糸屑の様な無数の小さな輝きがその辺りを複雑に乱舞していて、暫く見詰めてみたが、それが一体何なのか、また、それが光の柱から放射されているのか、落下しているのか、舞い上がっているのか、柱に吸い寄せられているのかは判断が出来なかった。だが位置や角度を変え乍ら更に観察を続けて行く内に、その光の乱気流が稲光りに合わせて微かにではあるが瞬間的に光量を増していることに気が付いた。柱の光が強いので、稲妻の光がそこまで届いているのかどうかがそもそも分からなかったので、その輝きの変化が内側からのものなのか、それとも稲妻の光を反射してそうなっているのかも分からなかった。
私は一旦荷物を置いて光の柱を上から下まで観察した。全体的な形状は円柱だったが、常に微かに揺らめいているのでそう断言してしまうのは躊躇われた。頭頂部も光が邪魔をして、本物の柱の様に切断面になっているのか円く膨らんでいるのかの区別は付かなかった。柱の表面の色彩は終始変転を続けていたが、固体は勿論のこと、私の知っている通常の液体や気体の運動とも違っていて、何等かの一定のパターンは無いものかと瞳を凝らしてみたものの、少なくとも私の肉眼視によって分別出来る規則性は見付からなかった。柱の基部に何か仕掛けがしてあったりはしないかとも思ったが、柱は地面から直接茸の様に生えていて、地面の凹凸も関係無い様だった。周囲の事物との関係もあれこれと詮索してみたが、どちらを向いても鬱蒼たる木立ちと岩と苔の多い地面が続いているばかりで、一応懐中電灯で光の届く限り四方を照らしてはみたものの、そもそも見通しが非常に悪く、それらしい手掛かりは何ひとつ見当たらなかった。
近くから眺めているだけでは殆ど何も進展が無いと悟った私は、思い切ってその光の柱に触れてみた。いや、少なくとも、触れようと試みた。その筈だ。と云うのも、触れた時とその後の記憶がすっぽり抜け落ちてしまっているからだ。腰を低く構え、手袋を嵌めた儘固唾を飲んで光の柱にギリギリの所まで近付けたが、熱や波動の類いは感じなかった。そこで逸った私は危険は無さそうだと判断してしまって、手袋を脱いで今度は直接に触ってみることにした。近付いて行く私の手の平に光が当たって反射的に妖しい影を作ったことを憶えている。が、それを境に、私の記憶はぷっつりと途絶えてしまっているのだ。
気が付くと、私は仰向けになって冷たい地面の上に引っ繰り返っていた。周囲はもう真っ暗で明かりひとつ見えず、何時の間に降り出したのか、霧の様な小雨がしっとりと世界を沈み込ませていた。体に痛みは感じなかったが、酷い寒気がした。もう長い間雨に濡れてしまっていたからなのかとも思ったが、気温は高い方だったので、他に何か原因が有るのかも知れないとも思ったが、それが何なのかは分からなかった。身体を起こしてみると、全身が酷く怠かった。ポケットにまだ懐中電灯が入っていたので、急いで取り出して点けてみたが、慌てていたのか眩しい光を急に覗き込んでしまい、暫く目が眩んでしまった。その時焼け付く様な瞼の裏に見えたオレンジ色の残像の中に、何か不穏な気配が漂っているのを感じたが、これは気の所為だったかも知れない。気を取り直して懐中電灯を周囲に向けてみると、何処も完全に真っ暗で光の柱も稲妻も消え去っていた。ひょっとして別の場所に来てしまったのではないかとも疑ったが、周囲の配置を見てみると、やはり私が気を失う前に居た所と同じ場所に違い無かった。大気の擾乱も綺麗さっぱり消えていて、耳に入るのは、放送の終わった後のテレビの画面を思わせる物憂気な微かなざわめきのみだった。つい先刻まで有った威圧的な雰囲気も無くなっていて、只の生気の欠けた寂れた森の、不気味な夜の光景が広がっているばかりだった。あれ程強力だった怪異の存在感も全く感じられなくなってしまい、それと共に私の精神に掛かっていた不可解な心理的圧力もまた霧散していた。
私は心にぽっかりと大きな穴が空いた状態の儘何をする気にもなれず、只ぼんやりと座り込んでいた。何か大きな喪失が有ったと云うことは何となく頭の片隅で理解していたがまるで実感が無く、何をすべきなのか、何が有ったのか、考えてみることさえ出来なかった。不図気が付いて腕時計を照らしてみると、既に午後十時を過ぎていた。あれから五、六時間は経っている計算になるが、その間何が起こったのかは全く憶えてはいない。こんも時間ではもう今日の分の夜行列車には確実に間に合わないことは理解していたが、私は一向に慌てる気にはなれなかった。何だか何もかもがどうでも良いと云う気分になってしまって、立ち上がることすら億劫に思えた。
だが、それでも何とか僅かな気力を振り絞って立ち上がり、近くに置いてあった荷物が無事なのを確認していると、多少は意識がはっきりして来たのだろうか、それまでずっと全く注意されて来なかった或ることに気が付いた。先刻から、いや目が覚めてからずっと、私の耳の奥で、何か低い音が鳴り響いていたのだ。それは何処か知ら金属質の、大きな鐘―――と言っても教会の鐘ではなく、仏教の寺院に有る様な、可成り太く重い音を出すもの―――を鳴らした後の残響の様な響きで、私が注意を向けるまでは一様に同じ調子で鳴り続けていたものの、私が捉えようとすると忽ちの内に乱れ散り、現時点で耳に届いているのが現実の物理音なのかそれとも再生された記憶の中のものなのか、或いは単なる想像か幻聴なのか、区別が付かなくなってしまった。そしてその音と共に、自分が何処かへ行ったと云う言葉にならない曖昧な概念、具体的なイメージを持たないぼわっとした印象が何処からともなく心の中に浮か上がって来た。その感触は非常にぼんやりしていて捉え難く、極く単純な筈のそのはっきりしない意味内容を把握するのさえ、やや時間を要した。その音の原因は何か、何から発したものなのか、また、自分は何処へ何時何をしに、どうやって行ったのか、まるで分からなかった。それが果たして不具合を起こしてしまった記憶の断片なのか、それとも私の想像か、記憶を失ったショックで混乱した意識が意味も無く投げ出した幻覚なのか、それとも気を失っている間に見た夢の残滓なのか、それらの背後に物理的な現実は存在しているのか否か、判断を下そうにもその材料になるものが余りにも漠然としていてい、少な過ぎた。私は記憶を失う前に何処かへ行って、何かを聞いたのだろうか。だが気が付いた時、私は場所を移動していなかったし、この辺には金属質の音を立てそうなものなぞ、私のリュックの中位にしか無いのだし、それにしてもあんな重い音はどうやっても出せない筈だ。
疑問は尽きなかったが、今はとてもものを考えられる状態ではなかった、周囲を見てもヒントになりそうなものは何も無く、私はもっと卑近な目的へと目を向け直してのろのろと重い体を引き摺って森を出た。休暇の日程にはゆとりを持たせてあったのだが、余り遅れると新学期の準備が間に合わなくなってしまう。今日の夜行を乗り継いで行くのはもう無理だろうが、翌朝出発すれば何とかなる。それにはっきりした根拠は無いのだが、私が見るべき怪異は、もうここからは居なくなってしまったので、これ以上ここに居ても無駄だと云う気もしていた。あの現象が再び同じ場所で発生すると云う可能性も考えてみたが、そんなことが有るかも知れないにせよ、当分はここにはあの光の柱は現れないだろうと云う予感が有った。これもまた私の心理が生み出した幻影のひとつかも知れなかったが、これ以上ここに留まってもあの現象がまた起きると云う保証が有る訳でもなく、また仮に若し再びあの怪現象を目撃することが出来たとしても、これ以上の発展が望めると云う見込みも無かった。いや―――これらの理由の内、どちらが先に来たのだろう―――私には分からない………。
月が出ていない夜だったので、私は懐中電灯を片手に霧雨の中無人の駅まで辿り着き、そこの片隅で一晩を明かしてから、翌朝の始発から乗り継いで帰国した。帰りの道中では何も変事は起こらなかったが、途中、何処の駅だったかまるで憶えていないのだが、その近くの踏切で事故が有ったらしく、車が一台ぐしゃぐしゃに潰れていて、運転席の男がハンドルを握った儘頭から大量の血を流して固まっていて、野次馬と警官達がその周りを取り囲んでいた。だが、私はその光景を見ても何も思わなかった。そんなことは全くどうでも良い位に疲弊していた。私は生ける屍だった。
それから数年の間については、思い出すべき出来事は余り多くはない。第一、はっきりと憶えている様なこと自体が少なく、殆どが薄らと霞み掛かっていて生々しい現実感に乏しく、まるで全くの他人事の様に遠い距離を感じてしまうのだ。乾いた水槽の様なあの期間に於て唯一鮮明だったのは、あの小旅行に於ける異常な体験と、それに魅せられたことについての記憶だけ。あの数日を境に、私の人生はそれを焦点として全く新たな位相へ転位し、新たな軌跡を描き始めた様だった。
反芻する度に、その記憶は重みを増して行く様に思えた。細部は混乱した儘の想像と入り混じって寧ろ次第に鮮明さを増し、全く何の根拠も無いのにも関わらず、自分の見たものには恐るべき重大な意味が隠されているのではないかと云う思い込みも、それと歩調を一にして強くなって行った。私は忙しい日々のの合間を縫って、あの現象を説明し得る理論はありはしないかと思い付く限りの文献や資料を漁りまくった。それこそ地球物理学から、ユングの象徴心理学、怪し気なオカルトや疑似科学の類いまで。あの近辺の図書館や博物館と連絡を取って、それらしい民間伝承や記録、昔話の類いが無いかも調べてみたが、どれもこれもそれらしい推測は出来るものの、私を納得させてくれる様な確定的な事実は何ひとつ出て来ず、結局最後まで進展を見なかった。一度だけ不図思い付いて、あの夜私が夢に見た遺跡のことについても調べてみたが、あの近辺でそうした大掛かりな石造の遺跡が発見された事実は全く無かった。世界中に存在している様々な遺跡の印象と記憶の中のあの奇怪な地下室の像とを比べてみたが、南太平洋に散在している太古の巨石文明の遺跡の幾つかに、あの独特の装飾を思い起こさせるものが幾つか有ったと云うだけで、それ以上目ぼしい関連は見付からなかった。それに、幾ら古代文明の伝播範囲が広大だからと云って、幾ら何でもそれが地球の反対側のものと何か直接の関係が有るものだとは考えられなかった。
記憶の方が何時までも生き生きとしているのに対して、私がトランス状態と言っても良い状態で描き上げたあの大陽の絵は、あの後は何故かあの魔力を完全に失ってしまっていた。あの時私の世界を完全に塗り替える力を持っていたあの光は、何度また私が呼び出そうと集中を続けてみても決してその力を表に出してはくれず、まるで頑丈な錠で厳重に封印をしてしまったかの様に、それがそこに確かに存在していることだけははっきりと分かるのだが、その内側に秘められた輝きには決して手を触れることが出来ないのだった。それ以前に描いた何枚もの絵も悉く色褪せ、まるで全くの見知らぬ他人が描いたものの様に、自分が一体何が面白くてこんな作品を作ったのか最早理解出来なくなり、遠い時代の誰も見向きもしない遺物の様な代物と化してしまっていたのだが、しかしそんな中でもその大陽の絵だけはやはり別格で、絵と云うよりは、寧ろ何かが燃え尽きた後の灰白色の塊の様なものとして私の目には映った。それは一度はあれだけ奇怪な変容の感覚を引き起こしたものであり乍ら、その時の意味へと通じる扉がに完全に閉じられてしまった惨めな残骸であり、既に絵とすら呼べる代物ではなく、私の驚異的な外部記憶に成り損ねた、無残な体験の残滓だったのだ。
その一方で、関係の有ることかどうかは断言出来ないのだが、私は以前よりも頻繁に夢を見る様になって行った。しかしおかしなことに、明らかに日常の断片から成り立っていると思われる極く詰まらない夢はそれなりに憶えているのに、何か重大な意味が有ったのではと思わせる夢については、その内容が悉く記憶から抜け落ちてしまっていた。目覚めている時のせせこましい日常よりも遙かに存在の密度の高い時間が流れたと云う微かな印象は有るのだが、具体的に何がどう起こったのかと云うことについては、何も呼び起こすことが出来ないのだ。但漠然とではあるが、その記憶が入念に消去され、或いは秘匿されたのではないかと思わせるぼんやりしたとても厭な印象だけは残っていて、そのもどかしい薄皮を剝がそうと何度も試みてみたが無駄なことだった。体験が記憶に成らないと云うのは嫌なものだ。自分の過去が、自分の歴史がそこだけぽっかりと空白になっている様に感じられる。放っておいても、我々は日々厖大な量の記憶を時間の流れの下に溺れさせて行っている。だが記憶を、少なくとも現在の想起能力としては失ってしまったと云う掴み所の無い感覚だけがあり、しかも自分が一体何を失ったのか分からない儘でいると云うのは、丁度見ず知らずの誰かに自分の時間を理由も言わずに蹂躙されてしまった様なもので、不愉快極まり無い。自分は何かを盗み取られたと云う事実だけが、その記憶の空白の周辺を上書きして行くのだ。記憶とは本来私秘的な領域を持つものであるが、それすらも持てない精神は、自らの内側に自らを蝕む腐蝕性の酸を抱き続けているのと同じことだ。自分が自分としてあるべき形を、少しずつこっそりと削り取られて行くのだ。
空白の夢の起こる頻度が上がって来た時、私は夜眠る前にテープレコーダーをセットしておく習慣を付ける様になった。せめて外部から見た夢の輪郭、詰まり寝言か何か、夢の内容を推測する為のヒントになってくれそうなものを、機械的手段によって記録として残しておけないものかと考えたのだ。だが、それすらも無駄だった。極く在り来りの寝言や鼾はちゃんと録られているのだが、肝腎の謎の夢が発生した夜になると、何故か途中で録音が止められてしまっているのだ。止まる直前の物音から察するに、どうやら私自身がレコーダーのスイッチを切ってしまっている様だった。まるで私の全く与り知らぬ別個の意志が私の体を乗っ取って、私のささやかな探究を妨害しようとして来た様な、不気味な印象を受けた。その内、簡単にはスイッチが切れないように幾つもの工夫をしてみたが、それらも結局自分で考えたことだからか、ひとつ残らず破られてしまった。自分で自分を欺く何か上手い方法があれば良かったのだが。
夢は最初の内こそ多くても週に一度起こるか起こらないかと云った程度だったのだが、やがて段々と回数が増え、最終的には週に三、四回見るところまで増大した。テープレコーダーの止められた時刻は、計算すると午前五時以降だったのだが、頻度が上がるにつれてそれも早まり、午前三時頃にはすっかり止められる様になった。その段階に至っても尚私が払ったあらゆる努力にも関わらず、夢の内容は今だ明らかにされない儘だった。それに、そうだ、夢に関係有るかどうかは分からないが、一度だけ奇妙なことが有った。満月の明るい晩、その晩だけ何故か私は、またあの夢を見そうな予感がしていたのだが、夜が更けて行くにつれ、体中で何かピリピリと極く小さな火種が燃えて爆ぜている様な異様な感覚が湧き起こって来た。手で触ってみると実際には熱は無いのに、体の中で無数の小さな大陽が流動している様な、それまでに経験したことの無い不思議なエネルギーに満たされた。時折フッと自分の体が何倍にも大きくなったかの様に錯覚する瞬間があり、その瞬間には、まるで体全体が無色透明になってしまって、そして戻る時には、撓められたエネルギーがぎゅっと集められる様な感覚が有った。肉体的な充足感とは異なる、それ自体実体を持っているかの様な法悦が、ちくちくする無数の微かな痛みと共にゆっくりと全身を犯して行った。私はベッドに横になった儘凝っとしていたが、やがては睡魔が私を捕え、またあの記憶に残らない夢の中へと引き摺り込んで行った。朝になると症状は綺麗さっぱり無くなっていた。一体何が原因だったのか色々と考えてはみたが、遂にそれらしきものは思い付かなかった。
未知の夢に加えて、この時期、私の孤独な生活に於てその重要度を増大させたものがもうひとつ有った。数学だ。元々私は数学の教師でもあるし、日常的に数学書に親しんでおくのは当たり前のことだったのだが、教師としての仕事に日々を忙殺され、詳しく専門分野にまで分け入って勉強をしたりする時間はそれ程多くはなかった。それが次第に、暇があれば専門書を読み漁る様になり、熱中はその内に度を越した没頭へと変わり、それに気を取られて他のことに注意が向かないことが多くなった。仕事中、以前には有り得なかった様なミスを幾つもやらかし、校長に呼び出しを食らったことも有った。授業中に全く別のことを考え込んでしまい、生徒に指摘されるまでその儘凝っとしていると云うことも何度か有った。それどころか、生徒の指導全般に関して注意力が散漫になり、次第に集中力が続かなくなって行った。いや寧ろ、私は人間存在一般に対しての興味や関心を急速に失って行った、と言う方が正確だろう。私は世の中の様々なニュースに対してどんどん注意を払わなくなって行ったばかりか、極く身近な人々が言ったりしたりすることに対しても、一種の超然と突き放した様な無関心を発達させて行った。その変化に対する自覚は有ったが、それに対して危機感や反省と云った、健常な人間として求められる反応も生まれては来なかった。教育に携わる者としてはこれは致命的なことだった。口調からは熱心さ、相手の理解を求めようと云う姿勢が薄れ、カリキュラムは以前のものを只なぞるだけの新味の無いものに堕し、生徒達への指導も、些か投げ遣りと云った程度から、全く心ここにあらずと云ったものにまで悪化した。実際、ひとつのことをやっていても、頭の中では全く別のことばかり考えていることが多くなり、同僚や友人達からははっきりと、目の前の現実が見えていないと云う内容の忠告を何度も受けた。私が時間を超越したものどもに惹かれ没入して行くのに比例して、人間達の社会は私にとって疎遠で、色褪せた、どうでも良いものになって行った。ちっぽけな時間の中で生起し移ろうあらゆるものどもは、普通の人にとって身の回りの微生物の生態がどうであるかなどと云うことがどうでも良いことであるのと同様、私にとって注意を払うべき価値や意義の全く無い、意味を持たないものへと転落して行ったのだ。
変化は私の日常習慣にも及んだ。私は元々若干時間にはだらしない方で、それを許さない日々の義務によって辛うじて規則正しい生活を送っていたのだが、自分自身の生活自体がどうでも良いものになって来るにつれて、私の日課からは日々の変化が消えて行った。朝起きたり夜寝たり食事をしたりトイレへ云ったりシャワーを浴びたり登下校をしたりと云った些細な決まり切った行動から、以前の様なブレが消えて行ったのだ。生活に必要な行動はどんどん自動化されて、私がそれらについて頭を悩ますことは無くなり、私の肉体を生かしているものは単に惰性のみとなって行った。その一方で私の精神能力は、以前には想像もしなかった様な深遠な秩序へと分け入って行くことに傾注され、全人類の内で恐らく数学者のみが知り得るであろう、あの清浄なる静謐な法悦に屢々満たされて行った。
私が特に心血を注いだのは、宇宙論との関わりが深い高次元幾何学の広大な領域で、これは以前には然程関心を持っていなかった分野だった。私の手が空いている時間は、片端から閲覧可能な論文を平らげることに費やされ、それが叶わない時には、無数の図形や関係式が、私の頭の中で犇めき合った。最初の内は既存の理論を吸収するのに精一杯だったのだが、やがて頭の片隅でもやもやと蠢いているだけだった掴み所の無い未分化の諸概念が、具体的な個々の理論と云う言葉を手に入れたことによって勢いを得、それらを手掛かりとして私自身の思索が広範囲に展開されて行くことになった。想像可能な諸々の空間の本性とそられが持つ諸可能性を解明しようと云うその壮大な試みは、我乍ら実に驚嘆すべきもので、どうやら私自身は他人にそれを納得させる為の理論の精緻化には大して興味が無い様なので細部の詰めは些か大雑把ではあったが、大筋に於ては極めて理路整然とした構造を持つものだった。私の美しい数学的宇宙像が私の世界を覆い尽くして行くにつれ、外界に対する私の関心は一層希薄になって行った。私の宇宙達は超越者の視点から、細部の差異に宿る人間らしい兆候を悉く飲み込んで没意味化しようとしていたが、私が他の人間達の群に立ち混じって暮らす生活が破綻を迎える臨界点は、最早間近に迫っていた。
長期休暇の時期が訪れると、私はカウンセリングを受けるようにとの校長の厳命を無視して、再びあの森へと向かった。どうしてそんなことを思い立ったのか、切っ掛けはどうしても思い出せない。恐らく大したことではなかったのだろう。突然に思い付いたことなのか、前々から秘かに計画していたことなのか、そんなことはどうでも良いことだ。私は出来るだけ身軽になるよう旅支度を整え、念の為に一応画材道具一式も用意して、再びあの驚異の出現した場所へと足を運んだ。重要なのはそのことだけだ。理由や動機などは些細な添え物に過ぎない。
駅に着くと、私は宿を取ることもコインロッカーに荷物を預けることもせずに、旅装の儘真っ直ぐ森へと向かった。そろそろその辺りでは雪がちらつき始めようかと云う時期で、空気は白く冷たく張り詰めており、天空が非常に澄んで、法外な空間の広がりを露にしていた。夜行列車に乗って来たので到着したのは午前中だったが、まだ解け切らずに残っている霜が、舗装道路を外れて独り無人の大地へと進んで行く私の足の下でざくざくと音を立てた。私は行き先を決めるのに躊躇いもせず、真っ直ぐあの森の、光の柱が出現した場所に向かい、そこで荷物を下ろして、時が満ちるのを待つことにした。予想した通り光の柱は現時点では何処にも見えなかったが、あれが再度現れると云う、何処から思い付いたのか自分でもさっぱり理解出来ない強烈な確信が有った。曾ての晩にも感じた、あの奇妙な全身の冷たい火照りもまた、出現を予告している様にも思えた。そうした根拠の無い確信が何時頃はっきりした形を取り始めたのかすら、今となっては特定するのは難しい。気が付いたら、それ以外の可能性は有り得ないとする本能的と言っても良い打ち消し難い感覚が私を突き動かし、一見実に愚かしい行動へと駆り立てていたのだ。
光の柱が存在していた場所は特にこれと云って特徴の無い所なので、普通に考えれば見付け出すのは難しいところだったのだが、奇跡的なことに、私は周囲の起伏や木々や灌木の配置を事細かに憶えていた。森に入るまではそんなことは思い出しもしなかったのに、狭い樹間を通り抜けている内に、急に鮮明に脳裏に経路が浮かんで来たのだ。恐らく、私の精神よりも肉体の方が手続き的記憶として良く憶えていてくれたのだろう、私はさして迷いもせずに目指す場所を見付け、リュックからスコップや懐中電灯や磁石やハンマー等を引っ張り出すと、その辺りの検分を始めた。光の柱が在った所には綺麗に何も無かった。地面を二フィート近く掘り返してもみたが、岩の多い固い層と、霜でふやけたやや柔らかい土の層とが入り混じっているばかりで、あの光を発生させそうな仕掛けは何処にも見当たらなかった。岩を砕いて検べてもみたが、若干の玄武岩が混じっている他は大半が只の砂岩で、怪しいところは何も無く、磁石にも反応は無かった。双眼鏡で四方や頭上を散々凝視してもみたが、何の変哲も無い、陰鬱な只の森なのだった。
素人染みた分析が全て徒労に終わったことが分かったので、私は折り畳み椅子を不安定な地面の上に何とか広げ、何時でも撮影出来るように準備した。小型のビデオカメラを些か苦労して三脚で固定した後、光の出現予測箇所の周囲に一ダースの磁石を並べると、問題の場所に向き合ってひたすら待つことにした。その間私が何を考えたのか、そもそも何かを考えたのかは判然としない。体を動かして疲れたのか、それとも緊張の糸が少し緩んだのか、何時しか私はうとうとと浅い眠りに落ちて行った。
突然、ハッとなって目が覚めた。私の主観では意識が途切れていたのはほんの一瞬だったのだが、腕時計を確認すると既に四時を回っていた。枝を伸ばす木々の隙間から西の方へ目を向けると、遮るものが無く地平線と境を成すばかりの広大な天空を、熟し切った李の様な赤色が隅々まで充血させていた。森の中にも容赦無く鋭い光は差し込み、逆光に浮き立つ物体は皆燃え上がる様に真っ黒だった。光と影のモザイク模様は強烈なコントラストで私の目を射抜き、凝っと見ているとゆるゆると微妙にその配置を変えて行き、そこから焙り出された沈黙の空間は、それらの背後に在る何か巨大なものの存在を連想させた。
私が目を細めて大陽の光る方向へ直接目を向けた時、何処からか微かに、まるで耳の裏側から頭の中に直接響いて来るかの様に、甲高い銀の鐘の音の残響の様な、グラスの縁を濡れた手で擦った時に出る様な音が聞こえて来た様に思った。それは実際にはほんの一瞬のことだったが、印象的なその音は私の頭に焼き付き、その後暫く反復して想起された。手で光量を減らして尚も大陽の方を見てみたが、同じことはそれ以上は起こらなかった。
予感と期待の入り混じった譫妄状態めいた興奮の中で、私はまだ三脚に固定していたビデオカメラで撮影を開始した。全身を駆け抜けて行くこれからまた何かが起こると云う感覚は、理性が命じる、現実はそれを裏切るかも知れないと云う窘めの声を圧倒した。細かいところまで確信が有る訳ではなかったが、私が待っていたものがもう直ぐ現れると云うことは全く疑わなかった。
一分、二分………じりじりと待つ内にも、影はどんどん長く伸びて行き、それと共に風景全体の色調も、やや青み掛かった、冷たく張り詰めた夜闇へと変化して行った。静止した世界の上を長い影の手がゆっくりと撫でて行く様に、世界は夜と云う、昼とは全く別種の存在領域へと変貌を遂げて行き、やがて残照の巨大なハロウが、没落して行く天国の門の様に、地平線すれすれの近くから断末魔を上げ始めた。
四時五十六分、それは起こった。何かの臨界点を突破したかの様に突如、光の柱が出現したのだ。出現した瞬間の光の輝度は私の記憶に有ったものよりもずっと眩しく、私の目が暗がりに馴れてしまっていた所為もあって、直視することすら儘ならない程だったが、その輝きは直ぐに収束し、私が知っているあの蛍の光の様な落ち着いた発光へと変わった。私は急いでビデオカメラをチェックし乍ら、対象の様子を観察した。出現箇所は先程私が掘り返した所為で大きく抉れて穴になっていたが、光の柱はそんなことはお構い無しに、穴の底からにゅっと突き出ていた。これでどうやらこれは地中から土や岩を貫いて発しているものでないかと云う可能性が具体性を帯びて来た訳だ。よく見てみると、地中に隠されていた部分が露になってより大きな全体像が見えたことで、僅かではあるが柱が先細りになていることが判った。地上に見えている部分は私の背丈程も有ったが、上の方で大体直径が四インチから五インチ、根元の方ではそれよりも一インチ半から二インチばかり太かった。表面全体にはやはりさざ波の様な震動が広がっており、絶えずパターンの読めない揺らぎを生み出していた。柱の周囲を乱舞する光の粒子と云うか筋と云うか、気体でも液体でもない奇妙な動き方をするそのもの達は、最初の強い光が収まった時にはその後に残された残光の様にも見えたが、落ち着いてから見るとやはりそれは独立して動いている何かだった。一瞬、虫の群れをも連想したが、仮にこの光の群れが小さな生き物の群れだとすると、それにしては不規則な細かい動きが多過ぎた。
私は手軽で安価な地場計測装置として一ダースの磁石を二組に分け、四つ一組で柱の出現位置を中心としてそれぞれ半径二フィート、四フィート、六フィートの所に同心円上に並べていたのだが、見回ってみると、そのどれもが顕著な反応を示していた。一番内側のものは、針が振り切れんばかりにぐるぐると不規則に回転しており、真ん中のものはそれよりは幾分安定してはいるが、何処を示すでもなくフラフラと動き続け、一番外側のものは例外無く、針が柱の在る方向を向いた儘、ピクリとも動いてはいなかった。磁石を手に持ってあれこれと試してみると、方向に関係無く、半径五フィートと少しの所で、針の動き大体安定する様だった。若し光の柱が光学的な錯覚の何かではなく何等かのエネルギー体なら、ひとつの可能性として周囲の地場に影響を及ぼすことも有り得るだろうとは思っていたものの、こうまではっきりした結果が得られたことには、正直、私は身震いを禁じ得なかった。それから私は市販のものとしては比較的精度の高い分光器を試してみた。光のパターンから何か分かるかも知れないと思い、予め光学を勉強したりもして来ていたのだが、光の波長が余りにも目紛しく変化して掴み所が無い為、殆ど徒労に終わった。判ったのは、肉眼で総体的に受ける印象よりも、光の柱はずっと活発に変化しているらしいと云うことと、予想していたよりも広い範囲の波長が発せられていたと云うことだけだった。
それから私は万が一光の柱が強い電気的特性を有していた場合の用心として、絶縁材として厚いゴム手袋を嵌め、用意しておいたアルミニウムの棒と鋼鉄の棒の二本を使って、柱への間接的接触を試みようと準備を始めたのだが、そこで私は耳の奥で、聞いたことの有る様な音が微かに響いていることに気が付いてハッとし、手を止めた。チャイムの音の様な、音叉の音の様な、何かの機械のモーターが高速で回転する時の音の様な、鋭く透明な音―――朧気に夢の中で聞いた様な気のする、あの不思議な音だ。音の出所は全く不明だったが、頭の中心に直接響いて来る様な気もしたし、周囲の空間全体がその音で一杯に満たされている様な気もした。私は半ば言い様の無いパニックにわなわなと体を震わせ乍ら音源を探し回ったが、何処へ移動しても音は一様に聞こえて来て特定は困難で、しかもそうこうしている内に、音は次第に強くなって行った。私は暫くどうすれば良いか分からずおろおろするばかりだったが、やがてその音が確実に物理的な振動であるか否か、ビデオカメラで確認してみれば良いことに思い至り、急いでポケットからイヤホンを取り出して接続した。だがそれも無駄だった。そう、音は確かに聞こえた。だがそれはイヤホンから聞こえる音なのかそれ以外の所から聞こえる音なのか、私には区別が付かなかったのだ。
ここに至って私は、事態がどんどん私の予想とは違う方向へ偏向して行っていることが実感として認識せれらて来た。常識を外れた事態の上に、更に異様な事態が起ころうとしているのだ。そして、急激に増大する切迫感に圧し潰されそうになり乍ら必死で両耳を塞ぐ私の眼前で、光の柱が次なる変化を始めた。
柱の柱頭近くの一部が、明らかに一層強い光を放ち乍ら傘の様に本体から剥離して広がった。直径一フィートに満たない光の円盤が柱の上に乗る様な具合になった訳だが、目を凝らしてみてみると、それは高速で回転か振動をしている様だった。本体の動き方はそれに影響を受けていない様ではあったが、傘の裏側の部分から下方向に光の輻が降り注ぎ、それに照らされた部分は、やや黄色掛かった、古い白熱灯の様な色一色に染まっていた。眩しくて正確に知覚出来ていたかどうか自信は無いのだが、傘の頭頂部はややピンク色に染まっていた。ハッと気が付いて腕時計を見ると、時刻はまだ四時五十六分だったが、気が付いてもう一度よく見てみると、時計の文字は「4:56:23」を表示した儘完全に停止していた。スイッチを弄ってみたが駄目だった。何の反応も無かった。他の観測装置を慌てて点検してみると、ビデオカメラは相変わらず録画を続けていたが、外側の円を成す八個の磁石は、今や内側の四つの磁石と同じ様に激しく動揺して針が振り切れそうだった。磁場が乱れているならビデオテープは無事だろうかと云う懸念が頭を過ったが、磁場の影響から絶縁する為の資材は用意して来ていなかったので、どう仕様も無かった。分光器を試してみると、先程より変化の速度が上がり、全体的に短い波長、赤や紫の領域の光が多くなった様に見受けられた。
私は、乾いた砂が指の間から零れ落ちる様に、事態が、私のささやかな下準備など嘲笑うかの如くにどんどん理解不能な方向へと向かっていることに戦慄を禁じ得なかったが、この儘踏み止まって事態の推移を見届けるべきか、新しいアプローチを考えるべきか、それともさっさとこの場を逃げ出してしまうべきか判断が出来ずにいた。私がそうやって手を拱いている内に、また新たな変化が起こりつつあった。傘の裏側から真っ直ぐ下方へ向かって降り注いでいる光のカーテンの表面を、振動数が変わったのか、上から下へ、地面と水平なさざ波が落ちて行く様になったのだ。波は最初はゆっくりした周期で現れていたのだが、次第に間隔が短くなり、数十秒程すると或る臨界点を超えたらしく、また急にゆっくりとした周期になった。同じ様なパターンを数回繰り返している内に、波の盛り上がった部分の輝きは増して行き、次第にひとつの輪に見える様になって行った。色は、最初は殆ど白だったのだが、徐々にオレンジ色が強くなって行き、丁度それにつられる様にして、傘から落ちて行く光の濃度が増して行き、まるで傘の外縁部が溶け出して光の滝になり、流れ落ちて行く様に見えて来た。やがて光の輪が上方に残して行く光と、傘から下方に垂れる光とが癒合し合い、上から下までひとつに繋がって、丁度光の柱の外側を、一回り太い蛇腹で出来た光の柱がすっぽりと包み込む様な形になった。この頃になると、例の音にも、私の耳で聴き分けられる程のはっきりした波が出て来る様になっており、それが次第に加速して光の柱が殆ど完全に二重透かしになってしまうと、今までよりも更に数オクターヴ上の銀色の音が森の中に響き渡って行った。
太さと輝きを増した光の柱は半ばギラギラと見る者の目を貫く鋭い光を放ち乍ら、更に暗くなり行く森の中で一際異常に見えた。そしてやがて日の名残りは完全に消え、何時の間にか空高く浮かび上がっていた月の銀盤から発せられる晄々たる冴えた白光が、高い木々の梢の間を縫って私達の居る場所へも差し込み始めた………。
次に凝固した時間が解けたのが何時なのかは分からない。元より時計は止まってしまっていて機械的に時刻を確かめる術は失われてしまっていたし、周囲には手掛かりとなるとビデオカメラや月は勿論、光の柱も、いや、森そのものさえもが忽然と消失してしまっていたのだから。私は何処かに居た筈なのだが、それが我々が通常知っている意味に於ける空間でのことなのか、そもそも自分が肉体と呼べる指示物や感覚の連なりを有していたかどうかさえ定かではない。上下や左右、何等かの遠近の感覚は有るのだが、何故かそれらは一定せずに絶えずあちこちと入れ替わり、不思議なことに平衡感覚を失って気分が悪くなったりはしなかったが、自分の居場所は全く掴めない儘だった。自分が何処かに存在していると云う根源的な感覚以外、情報刺激として私の知覚に入って来るものは何も無かった。それでいて、果てし無く感ぜられる時間の流れの中に自分が居ると云う強い印象だけは有った。一瞬の後、厖大な量の記憶が、概念が、知覚が、体験が、記録とその読解と云う一連の行為によって継承される更に遙かに古い歴史が、明確な目的を持ってでもいるかの様に特異な進化を続ける秩序が、私の中に轟然と雪崩れ込んで来た。そしてそれは何等の具体的な痕跡も残さずに、入って来た時と同じ位あっと云う間に私の中から出て行った。何が起こったのか考えようとする意志が、何かに強く弾き飛ばされて全く動けなくなってしまった。余りに異質なものを前にして為す術を知らない神経系が、頭の中を整理することさえ断固として拒否しているかの様だった。物理的時間に換算すれば私の一生などより遙かに永い期間、何百年か、何千年かに相当するだけの時間が、様々なレベルで私の中を通り過ぎて行ったのだと云う曰く言い難い印象が有るのは確かだったが、その限界を知ろうとすると忽ち気力も判断力も萎えてしまって、まるで実際にはそれより遙かに永い時間が通ったのに、それが私の限られた実感の許容範囲を遠く超え出ている為に、はっきりとは把握出来ないかの様だった。それから、全身の肌が粟立った時の様な奇妙な冷感が駆け巡ったが、やはり肉体らしき形状は一切感じられず、複雑な網の目状に絡まり合った一種の励起状態が、放射状の流れを形作っているのだった。それは単なる物理的変化ではなく、或る種の音声や映像めいた刺激の伴う或る種の思考、情報、計算、計画や設計図の様なものの無数の断片、詰まりは何等かの精神的活動ではあったが、それは私が慣れ親しんで来た人間のそれとははっきり異質なもので、私はその確かな手応えに圧倒され乍らも、その理解し難い異和感に起因する興奮と戦慄の大波に対して、不気味な疑念を抱かざるを得なかった。
その不可解な励起状態が続いたのはほんの一瞬のことだったとは思うのだが、私には永遠の様に感じられた。目印になる様なものが周囲に一切存在しないのに、そうやって客観的に自分の体験した時間の長さを推測出来ると云うのは、よく考えれば奇妙なことではあったが、判断の基準となっている時間の流れの感覚が何処から遣って来ているのか、私には想像すら出来なかった。或いはこうした客観視はもっと後の段階になって行われたもので、過去を手繰り寄せ直す記憶の活動の中でその時点でそうした判断が成立したものだと書き換えられてしまったのかも知れないが、私にはそれを知る術は無い。その後余り間を置かずに第二波が襲って来た。今度はより明確な具体的内容を含んでおり、持続時間も数瞬まで延びた。それから第三波、第四波が立て続けに遣って来て、確認された認識の輪郭を何度も浮かび上がらせてより強固な間違え様の無いものにして行った。目の眩む様な空間が在った。「光年」などと云う単位が、単に言葉の上のものとしてではなく、実際に体感されたもの、或いは体験された筈のものとしての意味を帯びて現れた。長い長い、恐らくは人間の寿命など遙かに超えた旅が有った。地下の大都市が広がり、そこで営まれる無数の活動が有った。光との交感が有った。月が、大陽が、生きていた。我々が知っている生命と同じと云う意味ではないが、それぞれが莫大なエネルギーの経路で、それが全宇宙と交感し合っているのが解った。両者が別個の存在であることが、その具体的な感触から理解出来た。この惑星のあちこちに縦横に張り巡らされた活発なエネルギーや物質、そして精神活動の流れが有った。「個体」と云うものの概念が一度破壊され、そこからすっかり組み立て直された。私は―――いやそれが私のことを指すのかは解らない、そこで精神活動を行っている何かは、より普遍的なものの連なりであり、私と同様の無数の精神活動達と、川の流れが互いに混ざり合う様に様々な強度で意志を共有し合う存在であり、それよりはもっと隔絶された別種の存在達と意思の疎通を図ろうとする或る種の存在であった。秩序立った計画があり、恐怖が有った。恐怖への様々な対抗措置と、新たなる恐怖が有った。人の形をした取るに足りない存在達が、極く不様で不完全な仕方で自分達の真似をしていた。大いなる嗤笑が有った。果てし無い思考の残響の中に、ひとつの強力な意志が有った。それは他のものとは全く異質な、新しい要素を古くて老朽化した組織に持ち込み、それ自身新たな流れを作り出していた。それは一見したところ周囲の組織と完全に同化し、吸収され、既存のパターンの一部へと変質したかの様だったが、その底流を見れば、何か全く新しいものがそこに発生していることは明白だった。気を付けてよく観察してみると、強大ではあるが何処か所々綻びを身に纏った一連のパターンには、何故か妙に馴染みの有る感覚がした。何処かでよく見知っている様な………有り触れてはいるが、その強度と目的意識に於て比類の無い、良く知っている在り方………。一心に意識を集中させる内に、深い地の底から、或いは遙かな高みから発せられたかの様に声が聞こえた。声、と言っても比喩的なもので、音声ではない。聴く者を目覚めさせ、強度と方向性を与え、命じる力のことだ、幾つかの薄衣の様に重なり合った、しかしその特性に於て源をひとつとすることに間違いの無い、誰かの声が、ものみながそれぞれの同一性を保っていられるかどうかさえ定かではない途方も無い彼方から、深淵を超えて囁き、流れ着いて来たのだ。私はその声がする方向を目指して進んで行った。それに近付き、自らとそれとの距離を縮め、それのこの世界に於ける相対的な大きさを増大させようと試みた。疑念と愉悦は全く姿を消した訳ではなかったが、それらは最早大して重大な意味を持つものではなく、奇妙にも静謐な驚異が、今や私を驚くべき精確さで以て律し、導いていた。これが私の求めていた答えなのだろうか? 何年もの、何十年もの煩悶の果てに得た最終的な結論がこの先に待ち受けているのだろうか? 私と云う一個の希求する精神の今までの足掻きは、これで報われると云うのだろうか? そんなことはもうどうでも良かった。今は只、この声の源を辿り、その先に広がっているであろう秩序と対面し、融合することが第一だった。その後でもまだ問いが必要ならば、その時にまた生まれて来るだろう。その時はその時だ。それからどうするかを考えれば良い。少しずつではあるが確実に、声の手触りは確かなものになって行った。私は進行を止めず、数学に没頭している時の様な、絶対的な調和感に満たされて行った。人智の限界を絶したおぼめく深淵を超えて、もう直ぐそこに………