郵便屋の仕事(3)
カタンカタンと電車が心地よく揺れる。
横間さんが指定した住所はあと1つ駅を通過したところの最寄だ。
しばらくの間、することもなさそうなので景色を見つめてみる。
吊革につかまりながらぼんやりとしていると、車内に何やら「怨念」をぶつけようとしている男性の霊を発見した。
「……こんな人の多いところでやらなくたって」
僕はポツリと呟いてから小さくため息をつく。
無視しようかとも思ったが、余波がこっちに回ってきて気分が悪くなるようなことにはなりたくないので、今のうちに破壊しておくことにする。
ちょうど、電車が停車し、人が移動を始めた。
どさくさにまぎれて、その霊に近寄り、肩を小さく叩く。
すると、その霊は怨念だけを残して消え去る。
後は「怨念」を回収し、霧散させるだけ。
「……」
それが終わると、僕はさっきの場所に帰ってまた吊革につかまった。
霊の呪い、というものは大半が勘違いだ。
何故なら、霊は人間に物理的な攻撃ができないからだ。
ものが突然飛んできたり、霊が人を消したり、そういうことは、大抵の場合違う理由がある。
だけれど、怨念というものは確かに存在している。
それは死んだ人の思いの塊で、それをぶつけられると頭痛がしたりするなど、体調が悪くなる。
もちろん、ぶつけられたって何も感じない人間もいるけれど、感受性の豊かな人間は自分に向けられた怨念でなくとも体調に異常をきたすらしい。
これは師匠の言っていた言葉なので、僕は本当かどうか知らないけれど、怨念が存在しているというのは事実だ。
そして僕は霊とともにその怨念を見ることができ、またその怨念は「触れるもの」が触ると簡単に霧散してしまう代物なので、僕は自分が巻き込まれる前に霧散させることにしている。
「……駅に到着いたします。お忘れ物などございませんよう気をつけて……」
と、ぼんやりしている間に次の駅に到着していた。
僕はフードを今一度深くかぶりなおし、電車から降りる。
改札口を出て、僕は住所と地図を記憶から引っ張り出し、そちらの方へ歩き出した。
土地勘はあるわけではないが、筋金入りの方向音痴というわけでもないので、地図さえあればそれなりに歩き回ることぐらいできる。
僕は時折電柱に貼り付けられた「ここは3丁目です」という文字を見ながら歩いた。
「……ここか」
見上げると、それなりの大きさのアパートがある。
一般的な独り暮らしの大学生や高校生は住めないくらいの大きさはあった。
横間さんが社会人だったんだから、彼も社会人である場合が多いだろう。
僕は特別何も考えることなくアパートに近づき、郵便受けを探した。
「305……305……」
集合住宅らしく、101から609までの郵便受けがずらりと並んでいて、僕は少しだけ気が滅入った。
そして、ようやく305の郵便受けに手紙を入れ、今日の業務は終了と伸びをすると、後ろに人の気配を感じた。
これは霊じゃない。生きた人間だ。
ここのアパートの住人が帰ってきたのかな、と、僕は特別深く考えるでもなく振り返り、歩き出す。
スーツを身に着けた男性は、仕事帰りなのか手にコンビニの袋をぶら下げていて、まだ昼時なのに早い帰宅だな、と僕は他人事のように思った。
「……君、今305の郵便受けに何かしてただろ」
その男性に話しかけられるまでは。
「そこは僕の部屋の郵便受けだ」
そして、気づく。彼が依頼人の恋人の杉原太一であると。
厄介だな、と心の中で毒づいた。宛先の人物に会って、良かった経験なんて今まで一度も無い。
「何かいたずらでもしていたのか?中学生だろう。学校はどうした」
どうやら、横間さんの恋人は、まじめな社会人のようだ。
確かに、僕のこの格好を見たら怪しむとは思うけれど。何せ目までフードで覆っているし。
何か悪さをしていて、そのために顔を隠していると勘違いされても仕方がない。
「何か言ったらどうなんだ」
ご近所のことも考えてか、彼の声は少し小さめで、だけど声に迫力があった。
「……頼まれたことをやっていただけですけれど」
本当は頼まれた、というよりこれが僕の仕事なのだけれど。
そんなこと教えてもどうにもならないのでそういうことにしておく。
「頼まれた?誰に?」
どうやら、使い走りだと勘違いされたようで、彼は眉を寄せた。
もともと釣り目のようだか、さらに目が釣りあがっている。
「横間理穂さんに」
そして、僕が正直に答えると、彼は目を見開く。
その隙に僕は走り出した。全速力で。
「こら、待て!ふざけるな!」
慌てて彼も追いかけてくる。
やっぱり驚かせて逃げようというのは計画として杜撰すぎたらしく、普段運動をしない僕はすぐにつかまった。
逃げ切れるとは思っていなかったけれど、近くにある人がいない公園まで引っ張っていかれるとは予想外で、僕は心の中で舌打ちをする。
パーカーの袖をつかまれて、所謂強制連行という感じでベンチに座るように促された。
「どういうつもりだ」
「何がですか」
「何故彼女の名前を知っているのかと聞いているんだ!」
彼は、そう怒鳴って僕の方を睨む。
「本人に聞いたからですよ」
「はぁ?」
「だから、本人に聞いたんです。彼女の名前も、貴方の住所も」
僕は平坦な口調で淡々と事実を告げた。
だが、もちろんそんな話が信じてもらえるわけではなく、「だからふざけるなって言ってるだろ!」とまた耳元で怒鳴られる。
「彼女は死んだんだよ!2週間前に」
「知っています」
「お前、」
「貴方が認めようが認めまいが、関係ありません。
僕は、彼女から頼まれたんです」
彼は怪訝な表情で僕を見て、僕は下を見ていた顔を上げた。
「郵便受けに入れた手紙、僕を怒鳴る暇があったら読んでください」
そう言って立ち上がる。
「おい、待て」
「その手紙を読んでも言いたいことがあるのなら、聞きますよ」
僕はそれだけ言って、歩き出した。
彼は、僕の言葉の信憑性を疑っているのか、つかみかかって怒鳴ることはもうしなかった。