郵便屋と学校(3)
お久しぶりです。
「ここよ」
佐久原さんはそういって立ち止まり、目の前のビルを示して見せた。ふと見ると、足元に花束が供えられている。確かにここが彼女の姉が自殺した場所のようだ。納得するように頷く僕を確認して、佐久原さんは心なしか青い顔をして、1、2歩後ずさる。確かに、姉の自殺現場など、近づきたくはない場所だろう。僕はそう思ったが、ここに来ることを望んだのは彼女なので、同情心はまったくわかなかった。
「……」
ゆっくりと視線を上げていく。じりじりと日の光に焼かれているような錯覚を覚えて、下げたくなる視線を我慢した。佐久原さんが背後から僕の方をじっと見つめているのがわかる。その視線に急かされるように、僕は屋上を見た。
「あ」
そこには確かに、女性の影があった。
はっきりと見えているわけではない。だが、髪の長さと服装から、女性だということは判断できる。
「……いたの?」
佐久原さんが後ろからためらいがちに囁きかけてくる。まるで、何か咎められるようなことをしていると錯覚しているかのような行動に、僕は少しのいらだちをはらんだ声で返した。
「お姉さんかどうかはわからないけど。人影は見えてる」
「屋上?」
「ああ……」
僕がそう答えると、彼女は僕の横に立ってゆっくりと屋上を見上げる。
その時、
何かが、ぐしゃりと音を立て、落ちてきた。
「……っ」
僕はその光景に一瞬息をのむ。思わず後ずさり、視線をそちらから外した僕は、佐久原さんが怪訝な表情でこちらを見ていることに気付いた。
そうか、彼女には見えていないんだ。この人が落ちる音も、聞こえていないんだ。
当然のことに思い至り、僕はこの「惨状」を彼女に伝えるべきなのか悩む。佐久原さんは、姉に会いたいと言っていた。だが、この状況ではとても……。
もう、死んでいるはずなのに。その落ちてきた「何か」を中心に赤黒い液体が大きな水たまりを作っている。その手足は明らかに曲がってはいけない方向に曲がっており、僕は思わず口に手を当てた。
思考を巡らせている間に、その女性の霊は、手足をおかしな方向に曲げたままのそりと起き上がると、ビルの、自分が立っていたあたりを見上げる。それとともに、血だまりもすっと消えていった。彼女はそのままふらふらとビルの方に向かって歩き出す。僕はそれにつられるように一歩踏み出した。佐久原さんは、相変わらず怪訝そうな表情のまま、しかし僕に付き従ってついてくる。
「ねえ、何なの?姉なの?そこにいるの?」
彼女は、前をじっと見つめて歩く僕に小声で問いかけた。僕は何も答えずにフードを深くかぶりなおす。その女性の霊は後に続く僕らに気付いているのかいないのか、相変わらずふらふらとビルの階段を上っていく。明らかに死んでいるのに、まるで生きている人間と同じように一段一段踏みしめていた。後ろから見ていて、僕は気付く。その女性の霊が階段を上っていくたびに、彼女の全身から流れていた血が消え、ぐちゃぐちゃに曲がっていた手足が元に戻っていくのだ。こんな光景を見ることは、めったにない。僕は驚きと君の悪さに、ずっと顔をしかめていた。
行き着いた先は、やはり、屋上であった。
おそらく僕が先ほど女性の人影の人影を見たあたりで、彼女はわざわざフェンスを乗り越えて止まる。僕は屋上の入り口あたりで佐久原さんを制して自分も立ち止まった。
「ねえ、何なのよ」
彼女はしびれを切らしたように先ほどまでより大きな声で話しかけてきた。僕はそれすら無視して、フェンスの向こうにいる霊をじっと見つめる。
そして、彼女は、まるで風にあおられたかのように、ふっと視界から消える。駆け寄って下を見ると、その霊は再び、地面にたたきつけられていた。
僕はその様子から視線をそらし、その場から少し距離をとって、フェンスにもたれかかった。しばらくすれば、きっと彼女はまたこのビルに上ってくるだろう。人が落ちていく現場なんて、そんなに見て気分のいいものではないし、はっきり言って気分はかなり悪いが、今ここで確認しなければならないことがある。パーカー越しに頭をがりがりと掻き、明らかに先ほどよりいらだった様子でいる佐久原さんを見上げた。
「お姉さんって、長い黒髪が腰まであるんだよね?」
「そうだけど」
彼女は不機嫌そうに返事をして、腕を組んで僕を見下ろす。佐久原さんには霊が見えないのだから、僕の突然の行動は不信感しか与えなかったのだろう。しかも、僕は彼女の問いかけをずっと無視していたし。
その時、ちょうどそこに、あの、霊が再び現れた。好都合だと、僕はその霊の特徴をぽつぽつとしゃべりだした。
「……それで、自殺した日の服装は、白いシャツに黒地に花柄のスカート。あ、スカート丈は膝の少し上。茶色くて、少しヒールのある靴。それで、あってる?」
「……あってるわ」
「そう……、じゃあ、ここにいる霊は君のお姉さんか」
そういった瞬間、女の霊……佐久原澪子さんは、三度地面にたたきつけられた。
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