郵便屋と学校(2)
お久しぶりです。
これからは、もっと定期的に更新します。
「落ち着いた?」
レモンスカッシュを押し付けて佐久原さんに尋ねると、彼女は小さくうなずいて見せた。
「で、さっきの話だけど」
「やる気になってくれた?」
彼女の眼がらんらんと輝く。僕はその輝きに圧倒されながらも、首を横に振った。
「やる気とか、そういう問題じゃなくて、さっきも説明したとおり、僕は幽霊が見えるだけで、探すような能力は持ち合わせていないんだ。そして、どこにいるかわからない幽霊を探すっていうのは、普通の人捜しよりも労力が必要なわけ。霊は、壁だってなんだってすり抜けられるし、しかも時間がくれば消えてしまう。
僕にそれだけのことをする義理はないよ」
突き放したような、というか、実際突き放した僕の言葉に、彼女は怒った様子も見せず、それはそうねと言った。
僕は、佐久原さんのその様子に安堵のため息をつき、
「わかってもらえましたか」
「でも、諦められないの。
どうしたらやる気になってくれる?お金?それとも仕事の手伝いとかすればいい?
何でもする。お願い」
その安堵のため息は、一瞬で困ったため息に変わった。
「だからぁ……」
僕はフード越しに頭を掻く。その様子をじっと見ながら、彼女は今までよりも声を張って言った。
「了承してもらえるまで、ここを離れない」
なんという、開き直った宣言だろうか。僕の迷惑はかけらも考えていない。
「僕も客商売なんだよ。手紙の代筆が仕事なの。
君は、誰かに宛てた手紙の内容他の人に知られたくはないでしょ?だから、君がここにいたら僕は商売にならないんだよ」
「だから、お願い。あなたが頷いてくれたら、居座ったりしないわ。それで終わる話じゃないの」
「終わらない話でしょう。承諾したら僕は何ら僕にメリットのない話を飲み込むことになる」
「代償はちゃんと払うわ」
埒のあかないやり取りに頭が痛くなる。
どうにかして、彼女を諦めさせる方法はないのだろうか。警察を呼ぶと脅すか。いや、この店がそもそも営業許可だのは取っていない、非合法な商売だ。警察を呼んで困るのは僕の方だ。どうにか言いくるめる、というのは、さっきからのやり取りからしても不可能だろう。力ずくで追い出すというのは論外だ。僕は極力彼女に触れないようにしなければならない。
ぐるぐると思考をこねくり回して、浮かんだ解決方法はたった一つだった。
「……わかりました。とりあえず、お姉さんが自殺した場所に向かうだけは、する」
佐久原さんの顔がぱあっと輝く。「ありがとう!」とお礼を言う彼女に、僕は釘をさす。
「もし、現場にお姉さんの霊がいなかったら、諦めてよね」
彼女は、大きく頷いた。
ドアに「鍵」をかけ、配達中の看板を掛ける。
日の光に小さくうめいてから、彼女を振り返った。
「で、どこ?」
「ここから少し行った廃ビル」
彼女が挙げた会社は、僕には聞き覚えの名前だった。潰れたのがずいぶん前なのか、それとも僕が世の中を知らな過ぎるのか。おそらく後者だろうと、僕は自嘲気味に笑う。
「……飛び降りよ」
僕の笑みを何かと勘違いしたのか、聞いてもいない情報を与えてくれる彼女は、ぎゅっと唇を結んで僕を睨んでいた。
「ふーん」
僕はそんな様子はまるっきり無視して、案内するように促す。
歩き出した彼女の背中を追いかけながら、僕はふと思いついたことをそのまま尋ねてみた。
「お姉さん四日前に亡くなったってことは、まだ葬式から日が浅いよね?家にいなくていいんだ?」
「一人になりたいって言って、出てきたの」
彼女は、静かにそう答えた。そこまでして、佐久原さんは亡くなった姉に会いたいらしい。
僕は、顔しかわからない「父親」と、「彼女」を思い浮かべてみる。まだ生きているのか、もう死んでいるのかはわからないが、少しも会いたいなんて、感じられなかった。
「そこまでして会って、どうするのさ」
僕がぽつりとつぶやいた言葉は、彼女には届かなかったらしい。振り返って首を傾げる彼女に、僕は「何でもない」と言い返した。
彼女は首を傾げたままだったが、しばらくして僕にまったく別の質問を小さく投げかけてきた。
「ねえ、幽霊が見えるって、どんな感じなの?」
「どんな感じ、って?」
佐久原さんが何を意図して聞いているのかは、大体わかっていたが、僕は素知らぬふりをして尋ね返す。彼女は言いにくそうに少しだけもごもごと何かをつぶやいた後、先ほどよりもさらに小さく「怖くないの?」と尋ねてきた。
「怖い?なぜ?」
予想通りの言葉だったが、僕はまたそうやって首をかしげて見せる。彼女は、眉を寄せながらこちらを見た。
「だって、幽霊って、得体のしれないものじゃない?」
得体のしれないもの、と佐久原さんは言い切る。自分が会いたいと願っているのはその「得体のしれないもの」であることは、すっかり失念しているらしかった。
僕はため息を押し殺して、淡々と答える。
「幽霊だって、人間だよ。人間の思いの塊なんだ。君は、自分の姉が死んで、得体のしれないものになったと思っているのに、その得体のしれないものに会いたがっているのか」
佐久原さんは、ぐっと押し黙った。そして、しばらく考えた後、「そうね。ごめんなさい」と、頭を下げる。
「自分の身内だけは違うなんて、自分勝手すぎるわね」
僕はその言葉に何も返事をしなかった。
実際、怨念持ちの霊なんて、得体のしれないものに含まれるのだろうけれど、僕がそこまで説明してやる義理はないだろう。どうせ、彼女には今もこれからも、見えない存在なのだから。