郵便屋と学校(1)
「じゃあ、配達は明日で」
『お願いします』
着物に身を包んだ老人の霊が頭を下げてから消えた。
僕は、書き終えた手紙を鞄の中に投げ入れ、ちらりと時計を確認する。
時刻は午後5時30分。
そして、その隣に一応設置されているカレンダーを見て、ふと思い出した。
「来週、テストか」
面倒だな、と顔をしかめてため息をつく。
定期テストが面倒なわけではなく、学校に行かなくてはならないこと自体が億劫で仕方がない。
封筒の束の横に無造作に置かれている教科書には埃がかぶっていて、しばらくの間手をつけていないことは明白だった。
「もう、あれは内容全部覚えたしなあ……」
問題集の解答例を覚えれば、僕の試験勉強は終了する。
後ろを振り返って小さな衣装ケースの中に、いつものパーカーと並んで制服が詰め込まれていた。
近隣の中学校の校章が胸ポケットに刺繍されたブレザーの制服は、テストのときしか着ていないので新品も同じだ。
「面倒だなあ……」
声に出して呟くと、余計に面倒に感じられた。
そもそも、テストしか受けないのだったら、学校に行く意味などないのだと思う。
中学校という場所は、勉強をするだけのところではないと思うのだ。
むしろ、集団生活というものを学ぶための場所であって、こんなことを不登校の僕が言うことではないと思うけれど、僕みたいな人間がテストだけ受けたって何の意味もないのだ。
後日テストの結果だけとりに行くのもまた面倒な上、高校を受験する意思はないのだから尚更である。
僕は郵便屋としてこの先も生きていくつもりなのだから、高校に入学してどうこうなる訳ではない。
「中学が義務教育じゃなかったら行かないんだけど」
そう呟いて、再びため息をついたとき、
「……いらっしゃい」
ドアが「開いて」、誰かが来店した。
「……」
僕の目の前に立つ少女は、何も言わずに僕を見据えていた。
制服は僕が「一応」通っている中学校のもので、顔にも見覚えがある。
名前は確か……、
「佐久原結子さん」
僕が呟いた名前に、彼女はピクリと肩を震わせた。
僕を見つめていた瞳に、分かりやすく動揺が走る。どうして名前を知っているの?と、何も言わずとも尋ねているのと同じだった。
「去年のクラス名簿で見た名前と顔ですね」
去年の担任は熱心な人だった。ほんの数日しか学校に出ない僕なんかのために、わざわざ顔写真付きのもの見せてくれたのだ。
必死で学校に出てくるようにとも説得された気がする。もちろん、行く気なんてないけれど。
「それで……何か用事ですか?」
あくまで客として、敬語で話しかけてみたが、彼女は畳の上に座っている僕を見下ろして相変わらず口を結んでいる。
と言うより、どうしてこの場所が分かったんだろう。
未だここに来て何もしゃべらない彼女に、僕は怪訝な表情を浮かべる。
「あの……聞いてます?用がないならお引取りを」
「ねえ、幽霊が見えるって本当?」
そして彼女は、唐突に切り出した。
「はあ、見えますけど」
肯定の答えを返しながらだからなんだと言うんだ、という問いを言外に発すると、彼女は再び黙ってしまった。
僕は眉間にしわを寄せたが、このフード越しでは彼女には見えていないのだろう。
何かを考えるようなしぐさをしながら、彼女は相変わらずこちらを見ている。その瞳は揺れていて、何かを思案しているようだった。
そして、大きく息を吐き出してから彼女は僕に言う。
「姉に会いたいの」
「……は?」
話が唐突過ぎて、僕には全く意味が分からない。
きょとんとした僕を尻目に、彼女は「姉」の個人データを勝手にしゃべり始めた。
「名前は佐久原澪子。高校2年生で、長い黒髪が腰まであったわ。
顔は、今度月9のヒロインをやる……名前は忘れたけど、その女優を少しぽっちゃりにした感じ。
死んだのは4日前で、死因は自殺で、それから」
「ちょ、ちょっと待った」
僕は敬語を使うことも忘れて佐久原さんを止めた。
「……あの、幽霊は見えるけれど、そういうのは管轄外」
「管轄外ってどういうことよ」
話を途中で止められた彼女は明らかに不機嫌そうに僕を見る。
僕は、ため息を吐いてから佐久原さんのほうを見た。
「僕は、死んだ人間の手紙の代筆をするのが仕事なんであって、霊を探すことは管轄外。
それに、死んだ人間は神出鬼没で現れたり消えたりもできるし、壁も人もすり抜けられる。
何の手がかりもなしでどこにいるかなんて探せるわけがないだろう」
「……」
大体、どうして僕が霊を見ることができることや、この場所を知ったんだ。
そう尋ねようとしたが、彼女が突然頭を勢いよく下げてきたので、できなかった。
「お願いします!あなただけが頼みの綱なの!」
肩にかかった黒髪が乱れるのもかまわずに、彼女は深々と頭を下げる。
「……そんなこと言われても」
僕は再び眉間にしわを寄せて彼女を見た。
「どうしても、どうしても姉に会いたいの!話がしたいの!いつになったって構わないから!」
「……いつになったって、というのは無理がある。
霊が地上に居られる時間は限られているし、僕がお姉さんを見つける前にその人が消えてしまっていたら骨折り損だ」
僕の言葉に、佐久原さんは顔を上げた。
「それでも構わないわ!」
「……いや、僕が構うんだけど」
どうやら、少しばかり周りが見えなくなっているらしい彼女を見て、僕は大きくため息を吐く。
「炭酸しか置いてないけど、飲む?」
とりあえず、佐久原さんを落ち着かせることが先決だと判断し、師匠のために再び買いだめて置いた炭酸飲料を適当に掴んで、彼女に差し出した。
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