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郵便屋の師匠(7)

 ファミリーレストランで昼食をとった僕たちは、特別寄るところもないのでそのまま店に帰った。

 師匠は帰って早々冷蔵庫からレモンスカッシュを取り出してふたを開ける。

 そして、一口飲んでから思い出したように言った。

「そういえば、お前県外の郵便物あるだろ。

 俺が届けてやるから出せ。切手代が勿体ねえ」

「ああ、すみません」

 僕は、白い箱にしまわれている、自分の足では配達できない手紙を師匠に渡した。

 普段は、このような手紙は青い封筒の上から茶封筒に入れ、「正規」の切手を張り、「正規」の郵便ポストに入れるようにしている。

 師匠が真っ赤なウエストポーチにそれらの手紙を押し込んだのを見て、ふと、僕は尋ねた。

「……師匠、もう出発するんですか?」

「ああ、人気者って言うのは忙しいんだよ」

 僕は「人気者」と言う言葉は黙殺して、ちらりと時計を確認する。

 まだ、師匠がドアを蹴破ってから半日も経過していないのに。

 レモンスカッシュを一気に飲み干し、口元をぬぐった師匠は、空のペットボトルを僕に渡して腰を上げた。

「じゃあ、また気が向いたら帰るな」

「はあ……。次はどこに行くんですか?」

 僕が尋ねると、師匠は顎に手をやって少し考えるそぶりをした後、

「海外ってのもいいかな、と思ってんだ」

 と答えてにやっと笑った。

「……海外に行くにはパスポートが必要なんですよ?」

「……俺だって、それぐらい知ってる」

 あきれたような僕の顔に、師匠がいらだったように口元を引きつらせる。

「そうですか、それはすみません。

 何をしておられるのかは知りませんけど、気をつけてください。

 もうご高齢なんですからね」

「嘗めるなよ。俺はあと100年は生きるんだからな」

「……」

 それじゃあ、本物の化物じゃないか、と思ったことは口に出さず、僕は「じゃあな!」と叫んだ師匠に「いってらっしゃい」と声をかけた。


 ドアが閉まる音がして、とたんにいつもの静寂が帰ってくる。

 僕は空のペットボトルをぎゅっと握った。

「……」

 いつもどおりの光景のはずなのに、なんだか少しだけ寂しくて、僕は自分自身に苦笑する。

 なんだかんだ、僕のことを一番理解してくれてるのは、やっぱり師匠で。

 かつての修行―――という名の苛め―――がどれだけつらくても、師匠自身を思い出したくない存在と定義していても、やっぱり、自分自身を理解してもらえるのは、自分で思っていたよりもずっと嬉しいことのようだ。

「……次は、いつ帰ってくるつもりなのかな」

 そう呟いて、自然と口元が上がる。

 また、炭酸補充し解かないとな、と僕は師匠から渡されている「生活費」を手に取った。




「……思ったより元気そうじゃねえか」

 老人はそう呟いて、狭い路地の奥に見える建物を振り返る。

 かつて、自分が仕事場としていた場所であり、今は弟子の仕事場となっている場所だ。

 赤いウエストポーチからサングラスを取り出した老人は、それをかけて人ごみにまぎれた。

 誰もが彼の奇抜な格好に一瞬視線を向けるが、関わらないが吉とばかりにすぐに視線をそむける。

 死んだ人間も、老人に恨みがある怨念持ち以外は、皆一様にそうしていた。

「そりゃ、俺はどっち付かずだしなあ……」

 その様子を見てこっそりと呟き、老人は苦笑した。

 彼は死んだ人間に触れることができる。怨念の影響も全く受けない。

 それだけ見れば、老人は「死んだ」人間に該当するが、しかし彼の心臓はまだ止まっていない。

 理由も原因も分からないが、彼は昔から「どっちつかず」の人間だった。

 ゆえに、生きている人間からも死んだ人間からも疎まれた。

 それは、彼の唯一の弟子も同じだった。

 他者のエネルギーを奪うことでしか、生きることができない老人の弟子は、周囲の人間から「化物」だと呼ばれ続け、老人に出会うまで、誰も信じようとはしていなかった。

「俺も、昔はあんな顔していたんだろうな」

 老人とその弟子がかつて住んでいたアパートは、老人が郵便屋の仕事を弟子に押し付けた、調度あのころ取り壊されてしまい、今はもうない。

 その場所には新しいマンションが建っていて、面影すらなかった。

 老人は、そのことを少しだけ寂しく思っている。そして、寂しいと自覚すると、「俺も歳をとったものだな」と自嘲するのだった。

「それにしてもあいつ……この間力を解放したのを察知したからやってきたのに、飄々としてんじゃねえか」

 老人はそう口の中で呟いて、口元にやわらかい笑みを浮かべる。

「なんか思いつめたか、また狩でも始めたかと思ったが……違うみてえだな」

 弟子は、郵便屋の職務を全うし、狩をしていないという言葉も嘘には感じられなかった。

 老人がその弟子とであった直後は、「狩」と称して2、3日に1回夜中に徘徊し、生きている人間でも死んだ人間でもかまわず、相手が死んだり、消えたりしない限界のエネルギーを奪って回っていた。

 気づいた老人がそれをしかりつけ、修行を厳しくしたところ、弟子はそれを止めたが、修行が終了してからまだ2年しか経っていない。

 また、逆戻りしていてもおかしくはない。そう思って、慌てて帰ってきたのだが、完全に杞憂だった。

 弟子は、老人が思っていた以上に成長していた。

 ここら辺の死者たちの間で、郵便屋のことはもっぱらの噂になっている。

 彼ら曰く、『親切な郵便屋さん』であると。

 老人はそのことを嬉しく、一方で寂しく思いながら、歩を進める。

「あ、競馬の統計取ってもらうの忘れてた」

 そして、思い出したように呟いて、少しだけ悔しがった。

郵便屋の師匠はこれで終了です。

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