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郵便屋の師匠(5)

 シャワー室から出て、ふと前を見ると、鏡は大きな布で覆われていた。

 先ほどの自分の醜態を思い出して恥ずかしくなる一方で、老人が言った言葉の真意なども気になる。

 そして、ふと思い出した。

 僕は、あの老人のことを何一つ知らない。

 彼が何故僕を助けてくれたのか、何故研究所のことを知っているのか、いったい彼は誰なのか。

 用意されていたタオルで髪の毛を拭きながら、ぐるぐるとそんな疑問が頭を駆け巡る。

 ……というか、まだきちんとお礼も言っていないのではないか?

 僕ははっとして、早く着替えてお礼を言わなくてはと足元に目をやる。

 タオルのあった場所の横に、少しだけよれよれになったスウェットが置かれていた。

 正直、あのど派手なアロハシャツが置いてあったらどうしようかと思っていた僕は、少しだけ安心して、それらを身に着け、老人の下へ駆けた。


「おう、ちょうどいいサイズじゃねえか」

 老人は、スウェットを着た僕を見て、満足げにうなずく。

「俺の親友の息子が来ていたやつの処分を任されていたんだが、面倒で箪笥に入れっぱなしだったんだよな」

「はあ……」

 この老人の親友、と言うものを思い浮かべようとしたが、アロハシャツを着た老人が笑っている姿しか思い浮かばなかったので、僕は思考を止めた。

「そんで、お前俺に言いたいことや聞きたいことがあるんだろ」

 そんな僕に、老人はまるで全て分かっているぞというような口調で言う。

 僕は座り込んでいる老人の前に座って、頭を下げた。

「助けてもらってありがとうございました」

「まあ、気にするな。研究所出身者の好ってやつだ」

 手をひらひら振りながら平然と答えた老人の言葉に、僕は愕然とする。

「……研究所出身、なんですか?」

「ああ、そのことも伝えていなかったっけか?」

 老人の言葉に、僕は目を丸くしたままうなずく。

「お前もあそこに居たなら分かるだろうが、あの研究所は“異端”を取り扱う場所だろ?」

「……はい」

 僕は、あの研究所という忌々しい場所のことを思い出した。



 その研究所は、医療・薬品開発を名目とした人体実験施設だ。

 現代の社会にそんなものがあるものか、と馬鹿にするかもしれない。

 信じられなくたって、それは事実なのだから。

 それに、“異端”な人間であるか、研究所の研究者にならない限り、その場所と関わり合いになることはないと断言できる。

 だから、知っている人間はほとんど居ないのだ。

 僕は、小学生になる寸前にそこに放り込まれた。

 物心付いたときから父親は居らず、ただし、僕の第一の異端な点である「記憶力」で、父親と呼ばれる存在の顔は完璧に記憶していた。

 記憶しているのは顔だけで、何故彼が出て行ったのかについては、分からないままだが。

 そして、彼女はたった一人で僕を育てた。

 目の色が人と違ったって、この子は私の息子よ。

 そう言って、彼女は僕に愛情を注いでくれていた。

 ……というのは、錯覚であったと言うことを、僕は身をもって知った。


 ある日、気が付くと、あの研究所に居た。

 彼女が居ないことで泣き叫んだが、それもはじめのほうだけだった。

 僕は研究員の言葉から、彼女に捨てられたのだと言うことを知った。

 最後に見た彼女の顔は、家を出て行く父親と呼ばれる存在と同じ顔をしていた。

 僕は、彼女に会うことをあきらめた。

 年齢はまだ6歳だったが、僕はあらゆることを知りすぎていた。


 冷たいコンクリートの床に、簡易なベッドと水色に統一された衣服。

 食事はそれでも一般的なものが毎日支給されていた。

 が、僕はその食事に手を付けたことはなかった。

 僕の周りに居るのは、僕と同じ“異端児”と、貧困に苦しむ家の子供だけだった。

 異端児、という特殊な体質の子供は、その力の使い方を毎日学び、研究員がその観察をする。

 外見が特殊な子供も、また然りだ。

 肌の色に変化はないか、瞳の色は変わらないか、研究員が毎日その観察をして、けれども後の時間は全く自由時間だった。

 けれども、“異端”の中に居る“普通”の子は違った。

 彼らは、特別にするように決められたこともなく、自由であったが、気が付くと誰かが居なくなり、そして居なくなった誰かが居た場所に、別の誰かが現れていた。

 僕はそれを気にしたことはなかった。

 あるとき誰かが、居なくなった子はどこへ行ったのか、と尋ねた。

 研究員は、彼らは「家族のところへ帰ったのだ」といっていた。

 僕は自分には家族は居ないのだと、その言葉すら気にしたことはなかった。


 生にしがみついていたわけでもなく、かといって死にたいわけでもなかった。

 あの研究所ですら、自分は異端であったが、そのことを気にしたこともなかった。

 何も食べなくても、寝なくても、ただ毎日は過ぎ去っていく。

 そんな僕は、あの時はまだ、決して生きたいわけではなかった。



「おい、大丈夫か?」

「……っ!」

 目の前に老人の顔があり、驚いて身を引く。

 と、そこで自分がぼんやりと考え事に没頭してしまっていたことに気づいた。

「すみません」

「ま、あそこから出てきてまだ1日だし、疲れもまだあるんだろ」

 頭を下げた僕に、老人はまた手をひらひらと振った。

「で、俺があの研究所の出身だってのは……まあ、言ってみればお前と同じだ」

「……脱走した、ってことですか」

 僕の言葉に、老人はうなずく。

「そんで、今は郵便屋を生業にしてる」

「……郵便屋?」

 老人が続けた言葉に、僕は首をかしげた。

誤字脱字などありましたら、ご指摘いただけると幸いです。

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