郵便屋の師匠(2)
加筆修正しました。
「それで、俺は妙な気配に気づいたわけだ」
「はぁ……」
僕はドアを直しながら、メロンソーダを片手に旅の道中の出来事を語る師匠に相槌を打った。
「俺ぐらいの実力者になれば気配の数は簡単に探れるからな。
すぐに探ると、ざっと数えて10人は超える霊の気配を察知したんだ」
「そうですか」
自分に酔っている師匠は、僕が適当に返事を返しても気にすることはなく、独りで盛り上がり始める。
僕が律儀に相槌を打っているのは、相槌が消えると師匠が怒鳴るからだ(相槌の内容は全く聞いていないのに)。
「俺はその場に立ち止まり、出て来い!と格好よく叫んだ!
すると現れたのは8人の霊たち!」
「……10人超えていないじゃないですか」
「しかも、全員怨念を背負ってやがる。厄介な敵だ、と思ったが、それを恐れる俺ではない!」
「そりゃあ、師匠は怨念の影響は全く受けませんからね」
「そいつらは、酷い形相で俺のことを睨みつけながら、怨念をぶつけてきた!
だが、俺はその攻撃を華麗にかわし、霊に掴みかかって全員投げ倒してやった!」
「まさか生きている人間が死んだ人間に触れるとは、その霊の皆さんも想定外でしょうから、油断していたんでしょうね」
僕の的確な指摘も、師匠の耳には半分以上届いていないのだろう。
机に足を乗せて、メロンソーダを振りかざしながら決めポーズのようなものをする。
「そして俺は言った!お前らなんか、俺の敵じゃないぜ!とな」
「……何か、少し間違っている気がするのですが」
師匠はようやく机から足を下ろし、メロンソーダを一口飲んだ。
「だが、分からないことは、何故あいつらが俺を攻撃してきたか、なんだ」
「……」
心底不思議そうにそういう目の前の「ご老体」に、僕は手を止めてじっとりとした視線を送る。
僕も、死んだら師匠に怨念をぶつけますよ。2年前までの修行―――と言う名の虐待―――をお忘れですか?
という意味を込めて送ったその視線だが、師匠が気づくことはなかった。
「俺のような危ない職種の人間は、根がどれだけいいやつでも、誤解されることが多くて困るぜ」
「……」
僕はもう何も言わなかった。
「お前も気をつけろよ?
郵便屋って言うのは手紙を書いて運ぶ単純な仕事だが、その代償に頂いているのはほとんどの場合、霊自身のエネルギー、つまり寿命なんだから。
代償にこんなに寿命を持っていかれるのはおかしい、なんて考えるやつが出てきたら、危害が及ぶ可能性だってある」
「分かっていますよ」
師匠の言葉は、半分は本心からの心配のようだったが、もう半分は「ま、お前なら大丈夫だろうけど」というような雰囲気で成っていた。
「まあ、「狩」はしていないようだし、お前も進歩したみたいだな」
「……」
満足げにそういう師匠。
僕は、前回の裕二さんの怨念騒ぎのときと過去2年間でほんの数回だけ、誘惑に負けそうになったことがあるが、それは言わないで置いた。
「ま、もしまだ「狩」を続けているようだったら、もう一度修行しなおしだけどな」
「……でしょうね」
修行―――と書いて苛めと読む―――はもうこりごりだ、という気持ちを存分に表した「でしょうね」と言う言葉だったが、師匠には伝わらなかったらしい。
僕は、再び道中の出来事を語りだした師匠に適当な相槌を打ちながら、師匠に初めて会った日を思い出していた。
僕は、逃げ出していた。
灰色の冷たいコンクリートの建物を抜け出して、走っていた。
「はあ……はあ……」
追っ手はないだろう。あれだけ「エネルギー」を吸収されれば1時間も動けまい。
それでも僕は不安だった。開かない右目を手で押さえながら、何度も後ろを振り返る。
走って、走って、ようやく町に出たとき、先ほど頂いた「エネルギー」分の体力は使い果たし、ビルとビルの間の狭い隙間にしゃがみこんだ。
入院服、のような水色の簡単な衣服はぼろぼろで、足は靴を履いていなかったため傷だらけ。
夜だというのに星は全く見えず、町はネオンによって照らされている。
そんな町を練り歩く大人や、その大人に反抗する高校生などの若者が、僕なんかには目もくれず歩き去っていく。
僕はまだ動かせる左目を閉じた。
息が荒い。呼吸が苦しい。
「ねえ、坊っちゃん」
突然話しかけられ少し顔を上げると、目の前に中年の男性が立っていた。
「ひょっとして、家出かな?
それ入院服?ひょっとして病院抜け出してきたの?」
なんだ、こいつ。
なんで、僕に構うんだ。
何も喋らない僕をみて男は首をかしげながら、「警察はどこだったか……」と呟いた。
そして、僕がその言葉の意味を理解する前に彼は僕の腕を掴んだ。
少しだけ息を飲む。
僕は、その行動はこの男性にとって危険であると知っていたが、振り払うつもりは微塵もなかった。
「あ……?」
みるみる内にエネルギーを吸収された男性が倒れる。
僕はいただいたそのエネルギーによって体力を回復させるとまた歩きだした。
否、歩き出そうとした。が、薄暗いビルの隙間から抜け出す前に、
「おい、坊主」
老人に声をかけられ、僕は立ち止まる。
見ると、結構高齢な男性が立っていた。
いくらここが都会の町だといっても、老人が身に付けている派手なアロハシャツと顔のサイズに合っていないサングラスは目立って、というより浮いていた。
「お前、その水色の服……あの研究所から逃げてきたのか」
その言葉にピシリと固まる。
ひょっとして、追っ手だろうかと警戒したが、こんな目立つ老人は研究所にはいなかった気がする。
「そうか……」
老人はそう言うと、顎に手を当てて何か考え、不意に僕の腕を掴んだ。
「あれ……」
今度声を上げたのは僕だった。
エネルギーを吸収できない。
目の前の老人を見上げると、にやりと笑っていた。