郵便屋の師匠(1)
「……」
今日も平和だ。
いつもどおりまばらにやってくる依頼人の手紙を書き、配達に行き、一息ついた昼下がり。
僕は小さく息を吐きながら、口元に笑みを浮かべた。
今日はなんだか、すごくいい気分だ。
平和な時間、当たり前の毎日、というのは、こうも充実したものだっただろうかと、改めて実感したような気がする。
畳に寝転がって、昼寝でもしようと布団を頭からかぶった。
「今日も平和だ」
口に出して言うことで、さらにその想いを感じる。
たとえそれが、自分が感じている「嫌な予感」を払拭するためのある種の現実逃避だとしても。
自分の嫌な予感が大抵外れないことを知っているからこその、現実逃避だとしても。
布団を被りなおし、睡魔に身をゆだねようとまぶたを閉じて、
「……」
僕は瞬間的に飛び起き、ドアに鍵をかけ、それから生死に関わらず人が入れないよう「鍵」をかけた。
その行動に3秒もかけず、僕はシンとしているドアから離れて畳の上に座り、耳をふさぐ。
次の瞬間、
「うぉーい!何で鍵かけるんだよ!開けろよー!」
というなんとも近所迷惑な叫び声と共に、ドアを壊れんばかりの勢いで叩く音が響いた。
「2年ぶりの再会なのに冷たいじゃねーか!」
僕は耳を、ふさいで何も聞こえない、と自己暗示をかける。
「お師匠様を敬愛するという意思はないのか愚かなる弟子よ!」
敬愛に値する行動を日ごろからされていたら、僕だって歓迎しますよ!と心の中でつっこみかけて、無視を貫くことを思い出した。
僕がいつまで経っても扉を開けようとしないことに痺れをきらせたのか、ドアを叩く音が大きくなる。
「ちっくしょー!ここの金誰が払ってやっていると思っているんだ!
水道代も電気代も、俺が払ってやっているだろう!差し止めることはいつだってできるんだぞ!」
それはただの脅しだ!という僕の心の叫びと共に、「ガシャ」というあっけない音で扉の蝶番が壊れて扉がこちらに倒れてきた。
「全く、最近の若いやつは、年上を敬うことも分からないのか。嘆かわしい」
その先に居たのは、2年前と全く変わらずど派手なアロハシャツに身を包んだご老体で、
「元気そうじゃねえか、バカ弟子」
僕を見てにやっと笑う師匠だった。
そのままずかずかとドアの上を通り、師匠は僕の目の前に立った。
蛍光ピンクの生地に青のハイビスカスが目に痛いアロハシャツを強調するように僕の前で胸を張る。
「……師匠もお元気そうですね」
「そりゃあ、お前なんかとは鍛え方が違う」
とりあえず、無難な返答は何か考えた結果行き着いた返しに、師匠はさらに得意げに言った。
年齢的にはまだ中学生で成長期真っ只中の僕とほとんど変わらない(むしろ師匠のほうが少し低い)身長は、2年前より少しだけ僕のほうが高くなったような気がするが、それ以外は何の変化もない。
相変わらずの白髪は無造作に輪ゴムで結ばれて、特に日が照っている日でもないのに顔に合わないサイズのサングラスをかけ、服装に関しては前述の通りだ。
「郵便屋の仕事もしっかりやっているみたいだな。
まあ、2年間の思い出話はこのドア直しながら聞こうじゃないか」
「……」
僕は師匠が上を歩いたことによってさらに壊れてしまったドアを見つめて、もう一度ため息をついた。
僕が後ろの戸棚から工具を出すのと同時に、師匠がさっきまで僕が座っていた畳に座り込んで「炭酸はないのか!」と叫んでいるが無視することにする。
とりあえずドアを立て、蝶番以外の破損状況を確認した。
師匠が踏んだことにより部分的に陥没してはいるが、大破はしていない。
僕は木製のドアの壊れた蝶番をきちんとはずしてから新しい蝶番を取り付けにかかった。
ドライバーを手にしたところで、
「冷蔵庫にメロンソーダならあったと思いますよ」
と師匠に声をかけた。
瞬間的に師匠は部屋に備え付けられた一人用の小型冷蔵庫に飛びつく。
僕は飲み食いはしないから本当なら冷蔵庫も必要ないのだけれど、「俺がいつ帰ってきてもいいように炭酸飲料は絶対切らすな!」と言い、冷蔵庫は自分が使っていたそのままで出て行った師匠の教えを律儀に守ってしまっていた。
「さっすが、俺の弟子だな」
嬉しそうにペットボトルを抱える師匠を見て、僕はようやく思い至る。
どうして、師匠は突然帰ってきたのだろう?何故、今?
そう尋ねようかと思ったが、この人の行動に何か意味があるとは思えなかったので、どうせ気まぐれだろうという考えの下、僕は質問するのを止めてドアを直すことに専念した。