第一章 計画外
――「……笑わせてくれる」
「「「!!」」」
回転椅子の上で朦朧としながらも、焦点が定まらない男の首が初めて座った。今の話を聞いていて意識を取り戻したのか。
「みんりん……明林……。あの女がしくじったせいで……全てが狂った…だが……時間は作られる。私が何も言わなければ、全ては元に戻る……!」
口から嘔吐物を垂れ流しながら、男はゆっくりと話した。
「『狂った』……?」
「ウ“っ……」
しかし、意識を戻ったのはほんの束の間で、無理に話したことで再び吐き気を催した男は、また大量に吐き戻し、項垂れて意識を失ってしまった。
「雨露、今のどういう意味?」
「黙秘を続けるってことなんじゃねーの? 香月に聞けよ」
『時間は作られる』この男が黙秘を続けることで、組み立ていたはずの計画の穴が修正できる。
修正するためには、時間が必要ってこと? たかが一人の協力者のミスが、なぜ計画にそんな大穴を開けることができた?
「ちょっと刑部行ってくる」
そもそも、明林の『しくじり』って何だ。情報収集に賊の誘導……いずれも襲撃が成功した時点で、彼女の仕事は達成できたはずだ。
「待て香月。鼠を調べるのは良いが、これから西国の護衛だろ。昨日だって」
「それならちゃんと代役立ててるから問題ない」
「あ、おい!」
今は御人の護衛よりも、やらなきゃマズいことがある。
情報は着実に集まっているのに、なぜか何もかもが綺麗につながらない。
そう言う時は、決まって『先入観』が邪魔になっている。いつ組み立てられ、誰に仕向けられた思考か分からない。
『それ』を取っ払うのに必要なことは、スタートに戻って情報を見直すこと。
あっしが一番最初に調べたのは、明林が何故処刑されたかについてだった。その時点から仮に間違いが生じていたとしたら?
あっしにその間違いを生じさせていたのは……くそ! こうなったのも全部正威のせいだ。
先に裁判記録を見せてくれていたらこんな面倒なことにならなかったかもしれなかったのに! 今度休みを取らせた恩も合わせて鰻でも奢らせてやる。
「少将?」
「!」
その刑部に向かう道すがら、あっしに声をかけてきたのは、偶然にも通りかかった西の王と、あの側仕えの二人だった。
(げっ!)
「ご機嫌麗しゅうございます、皇帝陛下」
「今『げっ』って思った?」
「滅相もありません」
頼む。早く通り過ぎてくれ! こっちは今、拝礼する間も惜しいというのに!
「これからどこへ? いや、それよりどこから出てきたの? なんか少将臭いよ」
「地下牢獄で収容者の尋問に同席し、これから刑部へ向かう所でございました」
「なら一緒に行こう」
嘘だろ、おい。
「丁度、刑部に見学に行く予定だったから案内してよ」
「そうしたいのは山々ですが、生憎今、緊急の案件を対応しておりますので、代わりに戊藩に案内させましょう」
衛兵隊第五部隊に所属する内の一人 戊藩。
今の時間帯は彼に護衛を代わってもらった為、近くでこの会話を聞いているはずだ。
「その案件は私の護衛より大事なこと?」
「いえ、そういうわけでは。ほら、今臭いもすることですし」
「護衛の任に着いて、少将殿はまだ一度も私の側についてくれたことはないね。今だって本来なら護衛の番だろう?」
こんな時に限って的確に痛い所を突いてきやがって。
「ですが、本案件はこれから東国で過ごされる陛下の御身に係る虞がございます故、決して護衛業務を蔑ろにするつもりは」
「僕を言い訳にしないでよ」
ド正論。これ以上は火に油を注いでしまいかねない。
「……返す言葉もございません」
「じゃあ行こうか」
手厳しい言葉を投げたと思いきや、自分の思いどおりに事が進むと、打って変わって優しげな表情を見せる。
まさに飴と鞭だな。多少の強引さも、皇帝ならではと言ったところだろうか。
ただ、一つ断っておくが、あっしにとって護衛の優先度は低いぞ。
あっしら衛兵隊の仕事は、脅威から国を防衛すること。どんな仕事が降り掛かろうと、そこから逸脱することはない。
だから、御人の護衛は近衛に任せろと言ったんだ。
この男の命に東国の命運が賭かっていたとしても、衛兵隊はいざと言う時、国防を最優先にさせることが役目だからだ。
国の将来に関わろうが、今国が脅かされる状況となっていれば、我々は国を守るために手段は選ばない。それが例え、皇帝陛下の命令に反くことになろうが、皇帝陛下が殺されかけようが、国を守るための足枷になろうものなら切り捨てる。
何故なら、残酷にもあっしらは、皇帝には代役が立つことを理解しているから。
そう遠くない未来で、その現実をこの男は目の当たりにすることになる。
その時、それでもあっしら第五部隊に、この男は護衛を望むのかは見物だな。
「ようこそ、西国皇帝陛下! お待ちしておりました!」
陛下が刑部に到着した途端、刑部長(刑部で最も位の高い人物)が満面の笑みで出迎えてきた。
「見学している間に仕事、してきていいよ」と、ありがたいことに陛下の許しが出たので、あっしは急いで正威の元へ向かった。
「いらっしゃい、香月さん。この間は折角来てくれたのに、失礼な態度を取ってしまって申し訳なかったね。そろそろ来る頃じゃないかと思って、書類の準備をしてもらっているよ」
この温厚で腰の低い男が、天使な仕事モードの正威だ。以前の堕天からは考えられない、人格の変わりようだ。
おまけに不在時に来訪した客の要望を部下から聞き、予め準備をしておくという本来の有能ぶりも発揮している。
「ありがとう」
礼を言うのは癪だが思わず言ってしまった。
「しかし、なぜ今さら彼女の記録を見たいと思ったんだい?」
「きっかけは、母親の冤罪を訴えてきた子ども」
「冤罪? それはないよ。だって、彼女は賊の副頭領なんだから」
「!」
やっぱり、嫌な予感が的中した。
急いで裁判記録を漁り、その時の状況を辿った。
彼女の裁判が行われたのは、宴のニ日後。
その上で彼女が副頭領であることが分かった理由は2つ。
1つ目は、彼女が炎美門の門番を拉致して殺害する目撃者がいたこと。その時間帯、彼女が持ち場を離れていた裏も取れていたそうだ。
そして2つ目は、仲間による裏切りだった。処刑を免れることを条件に、何人かに鎌をかけたところ、8人が彼女の情報を吐露した。
仲間に売られても尚、裁判中、明林は自らは何も語らず弁明もすることはなかったそうだ。
裁判終了後、彼女は拷問に掛けられ、さらにその二日後、原因不明の獄中死を遂げた。
「獄中死?!」
「獄中死と書いてはいるけど、本当は拷問が死因ではないかと推測されているんだ。重要参考人を死なせてしまったことで、近衛の連中は大変焦ってしまってね。それで血眼になって、内通していた被疑者や頭領について必死に調べている最中なんだ」
「ちょっと待て。あっしが謁見の間で殺した男は頭領じゃなかったのか?」
「ああ。あれは違う。本物の頭領の姿は誰も知らないそうだ。普段、表立って姿を現さないらしくてね。副頭領が頭領の橋渡し役をしていたらしい」
宴の襲撃を計画的に進めていたのに、顔も知らない頭領の命令を聞いていたというのか? そんな不透明なリーダー像だけで、明林は統制が取れない連中をコントロールしていたと。
賊共と頭領、頭領と内通者間の潤滑油としての役割。
そして、その証となっていたのがこの馬笛だ。盗賊内の全体的な橋渡しを担いながら、宮中に潜伏し、尚且つ母親業もこなしていた。
それも、長年息子に賊の副頭領であることを気づかれずに?
いや、副頭領であることも浩然は知っていて、敢えてあっしに協力者と言ったのか?
やっぱり、まだ繋がり方が綺麗にならない。
「それは?」
「馬笛。明林の物らしいんだが、見覚えは?」
「見たことないよ。尾の部分になんか彫られてるね。これは……南天?」
「南天?」
「って思ったんだけど、違ったかな?」
南天と朱雀……どちらも吉兆の象徴か。
「家紋じゃない?」
「うわっ!! へ、陛下!」
考え事をしていたせいで背後から彼が近づく気配に全然気づかず、思わず思い切り叫んでしまった。
何故、見学に行ったはずの陛下が正威の執務室に勝手に入ってるんだ!!
「ご機嫌麗しゅうございます、西国皇帝陛下」
後ろ気付いていたなら教えろよ、正威! 自分だけちゃっかり拝礼してんじゃねぇ!
「陛下、見学はどうされたのですか?」
「そんなことより」
話を逸らすな! ホント人の話に興味ないなこいつ!!
「やっぱり、近くで見たら朱雀の絵だ。それに南天と聞いたら、私は家紋のイメージが強い。実際、西国にも一族繁栄の意を込めて南天と朱雀が家紋に入っている貴族は多い」
朱雀と南天があしらわれた家紋……言われてみれば、心当たりがある紋様が一つだけある。
「少将殿は一体何を調べてるの?」
「春暖の宴での襲撃事件についてです」
「あのスリをした男の子と何か関係があったの?」
「!」
「天籟から報告は聞いていた。明らかにその少年を連れてから、少将殿は何かを調べることに夢中になった」
まあ、側近が主人に何も言わないわけがないか……にしては、少々察しが良すぎる気もするが。
「概ね、検討が付いたところです」
「ふーん。じゃあ、行こうか」
ん? 『行こうか』?
「どこに、でしょうか」
「用事、終わったならさっき緊急って言ってたから、この後何処か行くんでしょ」
「だとしても陛下と一緒には参りませんが?」
「え、そうなの?」
さっきあっしが案内を他の人間に頼もうとしていたのか、何故分からない!? 察しがいいのか悪いのか分からんやつだな!!!
それ以前に、そもそも何故ついて来ようとしてんだ?
「なーんだ。せっかく少将殿に仕事をさせてあげようと思ったのに。僕を邪魔者扱いするならやーめた」
「邪魔者扱いなど滅相もありません。陛下のお心遣いは大変嬉しいのですが、危険ですので我々衛兵隊に一任して頂きたく。陛下が気にかけて頂く必要はございません」
「はいはい。皇帝である僕は、少将殿に迷惑を掛けないよう、危険な場所に行かないようにしますよ」
厭味ったらしい言い方をしてくれるな。何がそんなに気に食わない。
第一、西の王は兵部案件に首を突っ込んでいる暇なんてないだろうに。
「そっちの仕事しないなら、護衛、引き続きしてくれるよね? この後少し出かけるから、一緒に付いてきてよ」