第一章 隠し通す秘密
「ここがその店か」
沈少の話を聞いた後、実際に店へ赴いてみた。
まあ初見じゃ間違いなく来ない場所だな。看板は古書店の時のままで、壁にはヒビ、屋根の軒先は一部欠けているところがあり、風が吹くだけで建物が軋んでいる。店の周りには捨てているのか置いているのか分からない、紐でくくられた大量の古書が並べられており、どう見ても酒を提供している店には思えない外装だ。
店の窓格子の隙間から中を覗き込んでみると、どう考えてもカタギじゃない、体中、傷だらけの筋肉ゴリラ共が酒を片手にはしゃいでいた。
人目を憚ってとは言え、男女がデートをできる場所とは言い難いな。
「お前、なんでここに……?」
店の様子を伺っていると、聞いたことがある声が聞こえてきた。
「よう、浩然。また会ったな。何してんの?」
もう亥の刻(夜10時)だと言うのに、彼はこんなところで何をしているんだろう。
それに気のせいか、あっしがここにいることに、驚き以外の感情も混ざっている反応のような気もする。
「ここで奉公してる」
「いつから?」
「そ、それは……」
何気ない質問に口籠る浩然。泳ぐ目を隠すように伏せ目になる。
「お前に聞くより店主に聞く方が早いか」
「春暖の宴の、翌日から……」
それを聞いて、あっしの中で考えていたある可能性が、確信に変わった。
「お前、本当は知ってたんだろ。母ちゃんが利用されていたんじゃなくて、協力者だったことに。どう考えても、馬笛がないだけで憶測が過ぎるんだよ。何故利用されたと確信が持てた」
押し黙る浩然に構わず、問いただし続けた。
今この時点で母親の冤罪は潰えた。
だが、こいつの返答次第では、今度は別の問題が浮上する可能性があったからだ。すべてを知った上でこいつが動いているのだとしたら、場合によってはこのガキも母親と同じ目に遭うことになる。
「お前の母親は一体何者だ。何故、盗賊に協力した」
「俺だって分かんないよ! つい最近、同じ宮中へ奉公に行っている友達の母ちゃんから、夕方には仕事が終わっていると聞いて不審に思った。母ちゃんは夜遅くにならないと戻ってこなかったから。それで、気になって仕事終わりに後を付けたら、母ちゃん、周りを気にしながらこの店に何度も入ってた。知らない男と一緒に来たりして」
「母ちゃんが一人で来たとき、中でどんな様子だった?」
「外から覗いて、大勢の盗賊が飲み食いしていて、その内の一人とカウンターで何か話してた。友達とか恋人とか、そういう親しい雰囲気はなくて、すごい真面目そうな話だった」
「その相手の特徴は?」
「外套を羽織っていたからよく分からない。でも、官服の裾が見えたから、多分そいつも母ちゃんの仲間だと思う」
官服……部署によって服の色が異なる場合もあるが、その情報だけでは誰かまでは特定困難。
だからと言ってこれ以上時間をかけるのも面倒だ。
「お前の提案に乗ったのは復讐のためだ。相手は盗賊と繋がっている貴族だ。下手に調べて消される可能性は十分にあり得た。自業自得でも、母ちゃんが盗賊や貴族に足を切られたのもまた事実。母ちゃんが盗賊共に協力した理由なんて知らないけど、道連れにしてやらなきゃ俺の気が済まない!」
「そこまで考えられるお前のことだ。この店の奉公に来たのも、市で馬笛を狙ったのも、貴族かその遣いが来ることに賭けてのことか?」
「だけど、宴が終わって以降はまだらしき人物は見ていない」
しばらく来ていないということは、落ち着くまで今は身を潜めているのか。
今回の襲撃で彼らの本懐は達成できていない。
だからと言って、体制を崩された状態でそのまま自然消滅することはないだろう。盗賊が主か、貴族が主かで話は変わるのだろうが、貴族側が捕まっていない以上、考えられる可能性は2つ。
盗賊側の頭がすでに処刑されたか。
人間・場所・手法を変えて連絡を取り合っているか。
とは言え、全体的な印象として、かなり綿密な計画を立てていた連中だ。頭が亡くなっていたとしても、その後の動きは計画の内に入れていると考えるほうが自然だ。
「……あれ?」
ふと無意識に店の中に目をやると、偶々、とあることにあっしは気がついた。
さらに翌晩、時刻は丑四ツ刻(夜3時)
丁度、街に繰り出した盗賊達が巣へ戻る時間帯。
酔い潰れたお客が千鳥足で帰路につく中、店の提灯も一つ、また一つ消え始め、斌区の夜が始まる。
闇夜に静まり返る西五丁目の通りを、東に歩く一人の男がいた。ボロボロの袍を着た男は、黒い外套を纏いながら、夜道に怯えながら帰路に着いていた。
ガタン!
「ひっ!」
背後から聞こえた大きな物音に男は思わず腰を抜かした。恐る恐る後ろを振り向くと、そこには夜風に煽られひっくり返った桶が、ただ転がっているだけだった。
「びっくりした、もう」
誰もいないことに安堵した男は再び立ち上がり、服についた土埃を払った。
「よう、待ってたぜ」
「!」
暗い裏路地から、油断した男に何者かが話しかけた。男は声に反応する間もなく、闇路から伸びた手に口を封じられ、あっと言う間に暗闇の中へとその身を吸い込まれてしまった。
「んうんんんーー!」
「あ? 何言ってるか分かんねーよ」
試しに手を離すと、案の定男は逃げた。
「助けてくれ〜」と怯えた声で叫びながら、力が抜けた腰を引き摺りながら逃げる、なんとも情けない姿だ。
追いかける程でもない。男の顔横を掠めるように刀を投げつけ、スイング音が男の耳元を掠めると、男は『ひい!!』っと完全に動きが止まった。
「た、頼む! か、金ならやる! 金ならやるからどうか命だけは!」
「あ? いらねーよ。盗賊じゃねんだから」
「そ、その声……まさか!」
「お前が、盗賊と連絡を取っていた貴族の遣いだな?」
「兵部衛兵隊少将の、香月!!」
盗賊じゃないと分かってもこの怯えよう。
いや、違うか。こいつにとって、今は盗賊よりも皇帝の下僕の方が恐怖の対象か。
「ちょいとお前に聞きたいことがあるんだが」
「わ、私は何も知らない!! き、貴族の遣い? 勘違いも甚だしい! 私はただの……」
「はい、ちょっとごめんねー」
「ちょ、な、な何を!!」
ごちゃごちゃうるせぇ野郎だ。こういう奴を黙らせるには証拠を突きつけたほうが早い。
ボロボロの服、艶のないバサバサした髪を見れば、一見は貧乏臭さが滲み出る格好を演出できる。
でも、根っからの育ちの環境の良さを掻き消すことはできない。
店を覗いた時に見たこいつの手は、本物の庶民にしてはきれい過ぎる。仮に盗賊であったとしても、あそこにいた盗賊の中で唯一拳だこが無かった。臭いだってそこまでキツくない。風呂に頻回に入れている証拠だ。
何より、こんなに盗賊に怯える庶民が、何も持たずに、無防備にこんな時間に出歩くはずがないのだ。
「……あった」
男の身ぐるみを引っ剥がし見つけたのは、朱雀紋が入った馬笛。浩然が言っていた例の馬笛だ。
「おにーさん、この笛の持ち主って誰?」
「知らん!」
「知らねーわけねぇだろ。お前が持ってんだから。なに? それとも盗んだの?」
「た、例え! 例え知っていても、この身が脅かされようとも!! 私は……私は! 絶対にこれだけは答えん!」
「へぇー」
ヘタレだと思っていたが案外根性あるじゃん。それとも、何か弱みでも握られているのか?
まあ、どの道あっしには関係ない。答えぬというのであれば、こいつの道はただ一つだ。
「紙一重の状況下で脅しに屈服しなかったご褒美に、とびっきりの美人がいる、天国に連れてってやるよ」
「へ?」
――夜は明け、宮中地下牢獄に場所は移る。
「くっさ!!」
「あ。汀州ー、雨露来ちゃった」
「まーじ?」
地下室で一徹した翌朝、話を聞きつけた雨露が朝一番に地下牢獄へとやって来た。
たかが一徹だというのに、扉から漏れる逆光だけで目がしょぼしょぼする。
「なんだこの臭いは!! くっさ!!!」
「汀州が絶賛拷問中だからな」
彼が拷問を行う目の前の獄中内を指差すと、雨露は口鼻を押さえながら腰を引き気味に近づき、様子を覗いた。
距離が縮まるに連れて目に潤みが溜まっていく様子から、もらいゲロをするまいと根性で必死に耐えているのだろう。
すでに地下牢獄には、むせ返るほどの嘔吐物特有の臭いが充満している。もちろん、地下だから窓はなく、臭いの逃げ場なんてないから無理もない。
「雨露見て! 大量だぜ!!」
徹夜明けだというのに、汀州は恍惚と無邪気な笑顔で桶に溜めた大量のゲロを見せてきた。
「そんなもん見せんでいい!」
「『ゲロ風呂作る』って、回転椅子に野郎縛り付けて吐かせるだけ吐かせてるんだ」
夜通しそれを繰り返したから、男は椅子の上で意識があるのかどうかも分からないほどピクリとも動きを見せない。半分白目を向いて天を仰ぎ、半開きになった口からはゲロが漏れ出ている。
汀州にとって『拷問』は、遊び。衛兵隊で牢への投獄者が出たという話では、汀州発信の情報以外にほぼ一度も聞いたことがないくらいに拷問への愛が強い。
今回だってどこから情報を得たのか知らないが、あっしが戻った時にはすでに牢獄の準備が為されていた。
本来であれば、脱獄への抑止力のため看守が拷問を担うのだが、滅多にない衛兵隊の来客だから存分に手が出せると本人は大喜びだ。
「それで、何か吐いたのか?」
「さっき見せたじゃん」
「そっちじゃねぇ!! なんか情報は出たのか聞いてんだ!! ゲロ臭ぇからそれ以上吐かせんな!!」
「情報は何も出てねーに決まってんだろ」
「汀州殺っていい?」
「一応何回か詰めたけど、名前も昨日斌区に行った目的でさえも答えない」
せめてこの男の名前だけでも聞くことができれば、黒幕を引き摺り出せるというのに。
「所持品からは何か分からないのか?」
「香月が持って行った馬笛以外は何も」
「馬笛?」
あっしは持っていた馬笛を雨露に見せた。
「この紋様は……朱雀か? これがどうかしたのか?」
「その笛の尾の部分をよく見てみ?」
「なんだこれ」
その馬笛の尾には、誰かが何かを彫った跡があった。
そこには、線が途切れたいくつかの円のような形が不規則な配置に浮き彫りにされている。
「どっかで見たことはある気がするんだが、雨露はなんだと思う?」
「さあな。ただ模様が欠けただけじゃねーの?」
「でもヤスリを掛けた跡があるだろ?」
「頭脳系は九垓に聞けよ。俺にはさっぱりだ」
訓練兵時代に座学が苦手だった雨露らしい匙の投げ方だ。
「じゃあ質問を変える。明林って名前に聞き覚えは?」
「明林? ああ、何回かヤった女だな」
「これ彼女の馬笛らしいんだが、ホントに見覚えないか? 明林とヤってるときとか」
「ないな。いちいち女の荷物なんか見ねーよ。というかあの女、金成木の馬笛を買える程金持ってないと思うが」
「送り主はそこで伸びてる男のご主人らしい」
「え、俺、金持ちと二股掛けられてたのか?」
「そこはどうでもいいんだよ」
八股掛けてた分際が二股掛けられたくらいでダメージ食らうなよ。
「その男のご主人が盗賊と繋がっていた貴族で、明林は協力関係にあったらしいが、怪しい動きとか本当に何もなかったか? 何かしつこく聞かれたりとか」
「もう覚えてねーよ。……でも、今思えば宴前によく会ってたな。『仕事大変?』とか『当日一緒に桜見られそう?』とか、そんな他愛ない話しかしてねーと思うけど」
「役立たず」
「うるせぇ。金持ちとデキてたんだったら、もしかしたらその笛自体が双なんじゃね?」
「双?」
所謂、ペアルックだ。婚前の恋人同士が、思い人がいることを示すために身につける装飾品のことである。
しかし、本来の双の形である指輪などの装飾品を買う余裕がない一般庶民の間では、装飾品以外の物で双の代用として贈り合うこともある。
「最近は恋仲同士で一緒の物を買うより、二体一対の物のほうが人気らしいぜ?」
恐らく、雨露に婚姻を迫ろうとしている女性の何人かが、彼への仕込みのために入れた知識なのだろうな。鈍感な雨露は、彼女達がわざわざそれを伝えた意図を汲み取れていないようだが。
「『双』か……」