第一章 母か女か
「刑部で何を、というか皇帝の護衛は?」
「色々あってちょっと調べ物。今刑部に行っても意味ねーぞ」
「おや、堕天ですか?」
さすが九垓。面倒なのを察知してすぐに踵を返した。
「ところで九垓さんや。ちょいとその賢い頭を貸してはくれないか?」
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「で、乗りかかった船ということで君の悪知恵を貸してくれたまえ」
「嫌です」
ここまで話を聞いておきながら二つ返事で断るとは。
「ホントは九垓もどうしたらいいか分からなかったりして〜?」
「なんとでもおっしゃい。そもそも子どもの話ですよ? 彼にとっては真実かもしれませんが、事実と異なる可能性は十分ありえます。地盤が不確定な話に耳を傾けられるほど我々は暇ではないのですよ?」
九垓なら間違いなくそう言うと思った。九垓じゃなくても同じか。
衛兵隊は探偵じゃない。こういう城内で起きた頭を使う問題は、警察の役割を担う近衛隊の管轄だ。
衛兵隊は、あくまで国内の治安を脅かされた時に出動する武力行使、所謂軍事に過ぎない。
挙げ句、衛兵隊の中でも命を落とさずにまともに動ける人間には限りがある。だからこそ、雨露や九垓は仕事の領域の線引にはうるさい。
……だが九垓。ここで偶然会ったのがもし雨露だったら、あっしはあいつにこの話をしなかっただろうよ。
「宴で賊を手引した黒幕……まだ捕まってないんだよな?」
「ええ。ただ先程、容疑者が浮上したと近衛隊から連絡があり、近々捕縛予定のため、協力要請がありました」
「容疑者の詳細は?」
「貴族という情報以外は、いつもの如くお預けですよ。捕縛当日にならないと分かりません」
笑顔で話しちゃいるが、九垓は内心イライラしてんだろうなぁ。
同じ兵部に属している仲間だが、衛兵隊と近衛隊は物凄く仲良くできない。
貴族出身者が多い近衛隊は、衛兵隊を見下しがちで、下請けのような仕事を割り振ってくることも多々ある。
この話もそう。情報を流さないのは、衛兵隊が先手を打って勝手に手柄を出さないようにするため、適当な理由をつけて直近にならないと詳細な情報を渡さない。
刑部の許可なしで誰がそんな馬鹿なことするかって話だがな!
そのせいで、こっちは事前計画も立てられなければ、適当な人員選出もできないもんだから、いつも現場で近衛隊に顎で使われる始末。
常々、こんな国でもまだ手柄に拘る即物思考なアホがいるんだとバカバカしく思う。
「毎度この調子でやられると仕事に支障が出兼ねないので、正威から何か聞けないかと思ってここに来た次第なのです」
なるほど。それはつまり、着火剤を与えるに、今以上に最っ高のタイミングはねぇってことだ。
「その馬笛少年の母親さー、宴の日より以前に誰かから馬笛をもらっていたらしい」
「それがどうかしたのですか?」
「その馬笛さー、朱雀の紋様が掘られた、金成木でできた笛だったらしい」
「……」
「渡した相手、ただの一般人だと思うか?」
近衛隊が動き、ここで衛兵隊も動いてみろ。もしもウチが真犯人を突き止めでもした場合、コソコソ手柄を立てようとしていた近衛の厚顔無恥なプライドはどうなるか。プライドは、高ければ高いほど潰し甲斐があるというもの。
近衛嫌いの九垓が、こんな楽しいイベントを逃すはずがない。
「欠員報告書」
「報告書?」
「今回のように賊の襲撃に遭い、大量処刑や負傷者が出た場合、生存確認も兼ねて欠員報告書を吏部に提出するはずです。それを元に、各持ち場で減った人員の新たな募集や補填をかけます」
「その手があったか!」
報告書の欠員は職種で分類されるが、確実に場所は絞ることができる。
「九垓ありがとう! さすが悪知恵大魔王!」
「それって悪口ですよね?」
――吏部
そこで見た欠員報告書には、合計23箇所の場所から欠員報告が為されていた。その内、馬丁の欠員が生じていたのは1箇所。
宮中の南東にある龍水殿で、そこには工部の執務所がある。浩然の母 明林はそこの馬舎で働いていた。
土木工事を担う工部では、荷運び用の馬や牛の飼育頭数が多く、馬丁は約20人程雇用されていた。
彼らに聞き込みを行ったところ、明林は同じ馬丁仲間の4人の女性から煙たがられていたことが分かった。
『明林でしょ? いい気味よ』
『地味な様相に反して、貞操が終わってる淫乱売女よ。工部内で彼女と関係を持っていない官人なんて、何人いるのかしら』
『馬笛? そういえばここで働き始めてからいつの間にか持っていたわ。誰からもらったかまでは知らないけど。あの人と会った官吏なんて1人や2人じゃないから』
『性処理で一回相手した人の中に、金成木を買えるほどのお金持ちがいても不思議じゃないわ。なんなら、その馬笛で逆に男に牝馬みたいに利用されていたりして』
勤務態度は普通だが、当初から男関係がだらしなかったことで評判だった。
だが、それだけ男性と関係を持っていたのに、彼女の本命の男が誰かはみんな知らない。
宴前の様子を聞くと、その日の彼女の持ち場は来賓の馬の管理だったそう。来場した客から馬を預かり、滞在期間中の世話を担う係で、彼女は炎美門付近で待機し、馬の受け子を行っていたらしい。
雨露の話によると、賊が侵入した際に門付近に死体が転がっていなかったから、ここまでの話を聞けば彼女も賊の手引きができる位置にいた、ということになる。
そしてもう一つ、情報が出てきた。
『宴の前の様子? 別に変わったことはなかったわよ。宴の前日だったけど定時で帰っていたし、金曜日だったから酒屋に行ったんじゃない? ここ以外でも働いていたらしいから』
『確か、半年ほど前だったかしら? 以前に星期五に飲みに出かけたとき、斌区で彷徨いているのを偶然見かけたわ』
斌区は「盗賊の隠れ処」と呼ばれる、知る人ぞ知る治安が悪い場所だ。情報収集のために、下町に繰り出した盗賊共が住民に扮して、最も盗賊達が屯する。
そんなリスクと給料が見合わないであろう場所で仕事をするのは、小汚い飲食店を営む自営業しかない印象なのだが……
「まあ、そりゃそうか」
翌日、目ぼしい酒屋に軽く聞き込みを行ったが、明林という名前に聞き覚えがある奴は誰もいなかった。
店舗自体が少ないため、酒屋だけでなく、他の飲食店や小売屋、名前以外にも女性の従業員がいる店にも詳細を聞いてみたが、情報は何も掴めなかった。仮に名前や年齢を詐称していたにせよ、これだけ探してかすりもしないのはおかしい。
馬丁4人組が腹の底では明林を嫌っていたように、明林もあの4人に腹の底を見せない何かがあったのか。
だとしたら何故、酒屋で働いているなどと嘘をつかなければならなかったのか。
「仕切り直しだなぁー、こりゃ」
手詰まりの時は視点を変えるべきだ。
彼女がなぜ、半年前からそこに出入りするようになったのか。
馬丁仲間以外に彼女のことを知る人間と言えば、あとは明林と肉体関係にあった男衆しかいない。工部内での乱交が横行していたのであれば、人を選べば何かしら埃は出てくるはず。
そこであっしは、再度女性の馬丁仲間の元に足を運び、とある条件を満たす者について聞き出した。
その人物が、今あっしの目の前に座る沈少という男。
若々しく爽やかな雰囲気だが、顔立ちは普通……所謂「雰囲気イケメン」と呼ばれる類で、チャーミングな笑顔が特徴的だ。
「兵部の女性少将が私になんの御用でしょう」
お堅い印象が板につく官職のイメージに反し、初見から親しみやすさが滲み出ている。
「忙しい所、呼び出してしまって申し訳ない。貴方に少し聞きたいことがあって」
「いいえ、構いません。私も以前より少将殿とお話したいと思っておりました」
「何故?」
「男社会の兵部の中で伸し上がれた女性が、どんな方か気になっていたのですよ」
「なるほど。それは光栄なことだ」
親しみやすい……が、思考はちゃんと官吏寄りだ。
「さぞや優秀な方なのでしょう。でなければ、身一つで男社会についていくことなんて、難しいでしょうから」
堅く、自身の認知に偏りや傾向があることに自覚がない。
注文通りの人選のお陰で、話を滞りなく進められそうだ。
「して、私に聞きたいこととは?」
「単刀直入に聞く。明林という女性を知ってるな」
「ええ。うちの馬丁でしたので、挨拶程度の関わりですが」
「避妊はしてたの?」
「そりゃ…………え?」
はい、言質取ったり〜。
「よし、じゃあ本題入るねー」
「いや、これは!」
「あ、誤魔化さなくていいよ。みんなアンタと明林との関係知ってるから」
「いや、違」
「いいから答えろ。でなきゃ奥さんにバラす。不倫がバレたらヤバいでしょ。色んな意味で」
明林の同僚のあの馬丁4人組に再度聞いたのは、明林と関係を持つ男性の中で、半年より以前に確実に肉体関係があり、他の官職との関係が良好で、かつ結婚している者はいないかと尋ね、条件に当てはまったのがこの男だった。
【結婚】は、今のように脅し材料になって情報を引き出しやすいから。【他の官職との関係】に言及したのは、一人からできるだけ多くの情報を引き出すため。そして【半年以上】の条件を出したのは、半年前の彼女の様子を聞くため。
「アンタが今こうして階級付きになったのは、奥さんの家柄の助力があったからなんだろ?」
「わ、私を脅す気か!! 馬鹿め! 明林と関係を持った証拠など」
「証拠はねーけど、あっしがお前に辿り着くまで何人から話を聞いたと思ってんだ?」
「ん゙んっ!」
女と不倫している分際で、女の昇進を妬み、剰え脅迫された腹いせに奥さんの権威を振りかざすなんざ、片腹痛いわ。
「分かったら明林との馴れ初めについて話せ」
感情の高揚を表に出さぬようにと、自身を抑圧する沈少の顔がタコのように赤くなった。
沈少が話した明林との関係は、7ヶ月前に遡る。
外勤に行く際に、直前に彼の馬を世話していたのが明林だったそうだ。重そうに撒餌を運んでいたところを偶然手伝ったのがきっかけで、彼女と話すようになったらしい。
地味な様相だったが隙のある女だったそうで、話が盛り上がった時のノリで体に触れることは何回もあった。しかし、彼女は頬を赤らめるだけで、嫌がる素振りは一切なかったそうだ。
そんなやりとりを繰り返す内に遊び気分で、ある日その場の雰囲気の流れで体の関係を持ったらしい。
二人の関係に深い愛情がないことは、お互い承知の上だった。片や未婚の子持ち、片や妻子持ち。倫理的に許される関係でなかった二人の密会場所は、必ず人気の少ない場所だった。
その一つにあったのが、斌区。
沈少の昔のヤンチャ仲間が経営する小さな飲み屋に、いつも行っていたらしい。口効きで、店の二階にある個室で営んでいたそうだ。
「その部屋は訳ありの客のみが使える場所で、使用条件は私のように店主と馴染みがある者。あるいは、店主と個人的なやりとりがある者に限られていたので、人目を憚るにはちょうど良かったのです」
店の建物はすでに潰れた古書店を使っており、斌区に古書店の看板を掲げる建物はそこしかないため、場所はすぐに分かるそうだ。
とはいえ、明林との関係は2ヶ月前からすでに途切れていたらしい。
そもそも月単位で関係が続く人物の方が珍しいらしく、彼と関係を持ったときから、明林は沈少以外の男とも何人も夜遊びをしていた。仲間内で時期がダブっていたこともあり、暇な時に彼女の話をすることも少なくなかったそう。
その中で最近密かに上がっていた明林の噂が、とある大物との関係疑惑だった。
「貴女もご存じの方です」
「あっしも知ってる? 一体……あ!」
それは多分、我らが一級上将 雨露のことだ。
おかん気質で根がしっかりして、普段は頼りがいのある雨露だが、意外にも女性関係はこの上なくザルだ。
来る者拒まず、去られる一方で一緒にいる女は週毎のシフト制である。
「彼女はまあ……私達からすれば、仕事の息抜きがてら話題のネタとして、都合が良かったので。休憩時間は、彼女のゴシップ話がないかでよく盛り上がっていました」