第一章 馬笛を盗る少年
やってきたのは下町。
ここでは、春暖の宴で釣った観光客に金を落とさせるために、今は期間限定で市が開催されている。
東国の伝統工芸品や郷土料理の露店が数多く出展され、観光客からの評判は高い。
また、市が出ている期間のみは違法の露天販売は取り締められるため、地元民もこの期を狙って買い物を楽しむ者が多い。
それ故、普段の下町では絶対に見られない、人混みで賑わう光景が広がっている。
そして今日はその市最終日。
肉包、焼売、春巻、鳩肉串……水飴や琥珀糖などの甘味も勢揃い。普段口にしている物も、食べ歩きならではの別の旨味や楽しみがあるというもの。どこぞの馬鹿が宴を襲撃せずに、直接皇帝を狙っておけば宴の後始末に追われることなく市に遊びに行けたのに! それも……
「綺麗な陶器。玻璃色がいい。あ、この袱紗、捧日(側近)にお土産に買って帰ろうかな」
「来儀様、視察に行くたびに捧日様に袱紗をあげないでくださいませ」
「地酒もいいかも」
「棒日様は下戸です」
こんな仕事で来るような生殺しな目にも遭うこともなかったのに!
それにこの犯罪大国の東国では、こういう人が賑わう場所では、食べ歩きや買い物以外の目的で楽しむ悪い輩が不特定多数存在してしまう。
だからこそ、こんな誘惑だらけの空間で気を抜けないのが辛い。
(ん?)
それは、3人が雑貨販売の露店に夢中になっている時に起きた出来事だった。少し離れた場所から3人の様子を監視していると、そこに忍び寄る小さな影に気づいた。
露店を覗きたがっていると言うよりは、視線は人の動きを注視しているように見える。
密かに目を光らせていると、その影は天籟の腰元の巾着にそっと手を伸ばし、動きに合わせて瞬時にそれを掠め取って走り出した。
「あ!」
下町では決して珍しい光景ではない。
況してや危機感の薄い鴨が多く遊びに来る今の時期ともなれば、尚更である。
普段なら大事にならない限り放置しておくところなのだが、仕事ならそうは行くまい。
「旦那、良いもん持ってんじゃん〜」
「な!?」
すれ違いザマにしれっと盗った腰巾着を盗み返してやると、子どもはすぐに持っていたはずの物がなくなっていたことに気づき、周囲を見渡した。
「返せ!!」
「じゃあほら、奪い返してみな〜?」
奪った巾着を取り返そうと子どもが手を伸ばそうとするので、吊り上げて届かないように誂う。働いているあっしの気も知らずに市で楽しんだ憂さ晴らしだ。
「ごめんなさい! その子ども!」
そうこうして遊んでいるうちに、盗まれたことに気付いた天籟が追いかけてきた。
さらにそれに気付いた子どもが諦めて逃げようとしたところを、空かさず襟首を掴んで捕縛した。
「くっそ! 離せ!!」
「ありがとうございます! 助かったわ~」
盗まれた物を取り返して、安堵の顔を見せ、天籟は胸を撫で下ろした。
それよりも、さっきは声を聞かなかったから気づかなかったが、天籟ってオネエだったのか。
「それじゃ、少年はもらって行きます」
「え?」
「おい! 離せって!!」
「駐在所に連れて行くのかしら」
「ええ。終わったら戻りますので、へ……じゃなかった、来儀様にお伝え下さい」
「分かったわ」
これで多少は護衛の仕事をサボる口実が出来た。
つい綻びそうになる口元を引き締めながら、あっしは暴れる少年を担ぎ上げ、人気のない路地裏へ引き込んだ。
「離せ!! 離せってば!!」
言われた通りに離してやると、降ろした瞬間から逃げ去ろうとする少年を捕らえ、後ろから羽交い締めにしたまま、話をすることとした。
「まあ落ち着けって」
「お前誰だよ! 離せ!」
「衛兵隊の香月デース」
「盗みくらい他の奴らもやってんだろ!」
「ああ、やってるさ。ただのスリならあっしも放置するんだが、わざわざ貴族を狙ったのに、なーんで財布を狙わない。それも」
カランカラン!
「こんなに馬笛を盗んで何する気だ。換金目的じゃねーよな?」
膨らんだ懐部分の服を捲ると、出てきたのは大量の馬笛。恐らくすべて盗んだものなのだろう。
強気だった少年の目は泳ぎ、明らかな動揺を見せつつも、あっしの腕を振りほどき、落ちた馬笛を拾った。
一つ残らず必死に拾うその姿は、明らかに異常に見えた。
「何故こんなに馬笛を盗む」
「俺の母ちゃんを殺したお前らに、何を話せってんだよ!!!」
目に涙を溜めるほどの怒りを顕にし、少年はあっしの胸ぐらを掴み、感情的に語った。
「母ちゃんは、あの宴の謀反人としてお前ら衛兵隊に処刑された!」
「そりゃあ、悪いことしたら罰するのがあっしらの仕事だからな」
「違う! 母ちゃんは賊なんかじゃなかった!」
「あ?」
「母ちゃんはあの騒動に巻き込まれた被害者だ! それを碌に調べもしないで状況証拠だけで判断したお前ら兵士が母ちゃんを打ち首にしたんだ!」
……ただ興味本位で馬笛だけを盗む理由を聞くつもりだったのに。ガキがおっさん使用済みの馬笛を収集する理由が何か知りたかっただけなのに。
なんだか、面倒くさい予感がする!
処刑が実行されたのは、確か3日前だったか。
本来ならば首謀者だけ処刑するところ、来賓客に怪我人が出たことであの宴で襲撃に関与した残党は、全員即刻処刑となった。恐らく、その残党の中の一人に彼の母親がいたのだろう。
刑部が杜撰な調査をするとは考え難いが、あの時は人数が人数だったし、状況証拠だけで判断せざるを得ない場合がなかったとも言い難い……
『んじゃあ、ここからここまでぜーんぶ死刑。酌量なしで打ち首ね』
言い難いのだ!悲しいことに!
普段は頼りになるのに、ニ徹すると大人買いの要領で死刑宣告をする判事が微妙に信用し切れない!
せめて、こいつの母ちゃんが何徹目で死刑宣告を受けたか分かれば黙らせられるのに!
いいや。とりあえず面倒事を持ち込まれてもあっしにはどうすることもできないから、刑部の人間じゃないことを理由に、訴状先だけ教えて誤魔化して帰ろ。
「お前の事情は分かった。ただ、母ちゃんの死と馬笛盗んだのとは別の問題だろ?」
「……」
「あ、そうでもない?」
口を噤んだあたり、どうやら的を射てしまったらしい。
「処刑後、遺骨の代わりに罪人の遺留品が返還された」
今回のように一度に処刑する人数が多いと、東国では集団火葬が行われる。一人一人火葬するには時間が掛かってしまい、その間腐敗した死体から腐敗臭が漂ってしまうからである。
それ故、他の遺骨と混ざって分別ができなくなるため、集団火葬した場合は遺骨の代わりに遺留品を遺族に返すことにしているのだ。
「その遺留品の中に、母ちゃんの馬笛だけがなかった。他は全部あったのに……」
「母ちゃん何の仕事してたんだ?」
「宮中の馬丁。馬が好きだったから。仕事に行くときはいつも首から馬笛をぶら下げていた。あの宴の日も同じだった」
「首からぶら下げていたなら、混乱に乗じてどこかで落としたんじゃねーの?」
「……」
「あ、また?」
少年は再び口を噤んだ。これはまた、嫌な予感がする。
「金成木で朱雀が掘られた馬笛がかっこよくて、以前に一度だけ『俺も欲しい』とねだったことがあった。でも母ちゃんは、あの馬笛を『もらった物だから』と、困った顔でダメだと言った」
「!」
「俺は、あの馬笛を盗んだやつが、母ちゃんを賊に仕立て上げた犯人だと思う……!」
堪らえていた涙を流しながら、少年はそう言った。
なるほど。だから貴族を狙って馬笛を盗んでいたのか。
金成木は、その名の通り金持ち共に人気のある高級木材だ。ただの馬笛を、そんな無駄に高い木で作る庶民はそういない。
……ともすれば、これはいよいよあっしが腹をくくるしかない……てか?
「分かった。わーったよ! とりあえず、お前と母ちゃんの名前を教えろ」
「嫌だね!!」
「母ちゃんの処刑の真相をあっしが調べてやるって言ってんだよ。城の中に入れないお前が、自由に城の中を調べられる駒を手に入れられる、またとない機会だ」
「フン、信用できるか。お前になんの利益もないじゃないか!」
「ある」
決定打には欠けるものの、少年の推理は決してない話ではない。
仮に彼の推理通りだった場合、こいつの母ちゃんは賊を招き入れた内通者と接触した可能性が高い。
つまり、このガキに協力すれば、身を潜める黒幕の尻尾を掴めるかもしれない。
「母ちゃんの死について、あっしが徹底的に調べてやるよ」
少年の名前は、浩然。地元の寺子屋に通う、13歳の子ども。
母親の名前は、明林。未婚で息子を産み、5年前から地方から下町に移住し、1年ほど前から馬丁として宮廷で働いていた。兵部の馬丁に女性はいないため、他部署に所属していたのだろう。
少年と別れた後、手始めに処刑記録と母親の所属部署を特定し、彼女の宴前後の情報を集めるために、あっしは一度宮殿に戻り刑部へと向かった。
「つーわけで正ちゃん、処刑した奴らの記録見ーせて」
「まずは僕の靴を舐めろ。話はそれからだ」
「お前はとりあえず寝ろ。寝言は寝てから言え」
まるで墨で書いたような隈を目元に携え、思考瀕死状態で働く男は、東国の十人の判事が一人 正威。つい3ヶ月前に昇格試験に合格したばかりの新米判事である。
父親も判事だった刑部の純血で、厳正中立を擬人化したような人間。平常時は、育ちの良さが滲み出る程の物腰の柔らかさで、温厚な人柄の良さから密かに女官からも高い人気を得ており、「天使」の異名を付けられている。
しかし、温室というぬるま湯で育てられた代償か、彼は不摂生な生活への耐性が皆無に等しい。
それ故、一定の睡眠時間を確保しないと、彼の目覚めさせてはいけない第二の人格が表出する。
「きーろーく! 部下に見せるように指示するまででいいから!」
「やだねやだね! 絶対やだね!! 僕がこんなにも仕事が終わらないのに、なんで他人の仕事を終わらせるために働かなきゃいけないのさ!」
ちなみに、この第二人格は別名「堕天使」と呼ばれている。
その前触れがこの徹底的な仕事放棄ぶり。
潔白が故に放棄の仕方は子どもじみてはいるが、ちょっとした頼みでさえ、是が非でも働こうとしない。
私は愚か、直属の上司から命令をされても労基違反を脅し文句に黙らせる。その豊富な司法知識を武器に、彼の不労は休みを得るまで止まらない。
「他部署の人間が記録見るには判事の許可がいるんだから、許可だけ出してよ。あとは部下に頼むから」
「ハハッ! いいこと思いついたよ、香月。許可出すからさ、書庫全部燃やしちゃってよ」
「そんな許可いらねぇ」
「いつも宮殿内の物を壊しているじゃないか。ただ火をつけるだけだから物損より遥かに楽に壊せるよ、全部」
「じゃあお前がやれよ」
「判事の僕が放火なんてできるわけないじゃないか」
「何故あっしはその常識の適応外なの?」
「酒蔵にある酒を部屋に撒けばいい。以前放火犯が引火剤に扱いやすいと言っていた」
「判例を元に犯罪教唆すんな!」
「君は記録が見れるし、僕はしばらく仕事をしなくて済むから一石二鳥だ」
「あっしの代償がデカ過ぎんだろ! つかその余力で普通に許可出してくれよ!」
「全て消し炭にしてくれたら報酬に記録見せてあげるよ」
「順序が逆!」
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このままでは埒が開かない。
と言うことで、致し方なくやる順序を変えることとした。
正威の部下に苦情言って休ませるよう伝えておいたから、記録は明日辺りには見られるようになるだろう。
非常に非効率的だが、母親の持ち場の特定に移ろう。
とは言え、これは骨が折れる。官吏なら吏部に行けば一発で分かるが、それ以外は各雇用責任者である官吏に一任されている。そのため、労働規模が大きければ大きい程、馬丁などの末端労働者は聴取を行っても空振りが多いのだ。
「香月?」
「あ」
どこから手を付けるのが得策か、そんなことを考えながら刑部を後にしようとしたところ、偶然入れ代わりで、衛兵隊の頭脳派 九垓と出くわした。