中毒
「私はここからはずっと遠い場所にある海辺の国で、この薬のことを知りました。そこでは泡沫の薬と呼ばれた薬です。多くの患者さんがこれを欲しがっていました。泡沫のように消える良い夢を見せてくれる薬ですから」
「……何が言いたい」
グラディウスの顔は怪訝なままだ。
側妃の枕元で膝をついてエーレを窺うマリーも、話の流れをつかみ損ねたような顔をしている。
エーレが本を読んだ限りだと、この国で中毒性のある薬物が流行ったことは無かったようだった。
きっと2人も、薬物中毒や薬物依存症には馴染みが無いのだろう。
「これは中毒性のある危険な薬物です。摂取すれば体を蝕んでいくのに、自分では止めることのできなくなる薬です。鎮静薬なんかじゃないんです。この薬が側妃さんの禁断症状の発作を起こしていた元凶です」
「何を根拠に……」
「側妃さんの症状です。体の痙攣、心肺機能の低下、肌の急な劣化、禁断症状と発作。薬物依存症です。そしてこの薬の青さ。綺麗な発色と、海のようなにおい。こんな特徴を持つ薬はこれしかない」
「だから、聖女でもないお前を信じろと?」
「はい」
「王宮から支給される薬が、良くない薬だと信じろと?」
「はい」
腰から剣を下げた自分よりも大きい男の鋭い目線にも怯まず、エーレは大きく頷いた。
「薬に関しては、薬師を信じてください」
薬師が患者を助ける為には、信じてもらうしかない。
信じて、そのまま身の全てを預けてもらうしかない。
でも預けてもらったからには、絶対におざなりな治療はしない。
「……あの男なら、やりかねんか」
暫く睨みあって、グラディウスが何か呟いた。
聞き取れなかったエーレが聞き返しても答えてはもらえなかったが、その代わりに手に持っていた青い薬を奪われた。彼は間髪入れずに、それを窓から投げ捨てた。
そしてくるりとエーレに向き直る。
「お前、治せるんだろうな」
「はい。海辺の国の医者と共にこの中毒を治療したことがあるんです。薬も手順も分かっています」
「わかった」
グラディウスの返事に、エーレは頷いた。
早速、は背負ってきた大きな薬箱の蓋を開け、中を漁る。
今回調合する薬は、特別な解毒薬だ。
今回使うのは涙真珠に乾燥させた黒蛸の足の皮。それから緑茸の傘。
黒蛸の足は暖かい海でよく見かける割とありきたりな材料だ。
緑茸もそこかしこの山に生えているが、痒みを起こす毒があるのでちょっと注意が必要。
それから涙真珠は涙貝から取れる真珠で、これはちょっと珍しい。
薬に使う物は形にこだわらなくてもいいから高価すぎることはないが、本当に綺麗に真ん丸な涙真珠は装飾品として人気が高い。
「まずは、薬を体から抜かないことには始まりません」
「どうやって」
「特別な解毒作用のある薬を作ります。でも中毒との戦いは長期戦です。治療は最短でも半年、薬を飲み続けるのは3年に近いと思ってください」
この世界のこういう中毒は、まず解毒。
何日も何日もかけて特殊な薬で解毒を行っていく。
それから同時進行で、泡沫の薬の摂取を断つ。
禁断症状をどうにか耐えて、体内の清浄化を行っていく。
「3年、そんなに長いのか……なにか特効薬のような物はないのか?」
「ある訳ないじゃないですか。それこそ聖女さんくらいですよ、病気を一瞬で治せるのは。薬師の薬は、病に対抗するきっかけを体に与えるだけなんです。完治させるには時間と根性が要ります」
心配そうにしている側妃らの視線を感じながらも、エーレは薬箱から取り出した先ほど材料を砕き、絞り、慎重に混ぜて解毒作用のある薬を作り出した。
薬自体は粉末だが、飲みやすいように湯に混ぜて液体にする。
エーレは器に入れたそれを侍女のマリーに差し出す。
マリーは心得たとばかりに頷いて、その薬を側妃の口に優しく含ませた。
「はい、お飲みください」
「……」
ごくん、とはならなかった。
「うぐっ!うぇぇ!」
側妃は悲鳴にも似た声を上げた。
恐ろしい勢いで薬を吐き出して、ゴホゴホと苦しそうに咽始める。
「まさか、毒か!」
毒でも飲まされたかのように苦しそうな側妃の様子に、グラディウスがハッと目を見開いて叫んだ。
腰の剣に手をかける素振りはなかったし、グラディウスはエーレが毒を盛ったなんて本気で思った訳でもなかったようだが、その目は鋭く細められた。
「まさか。薬師が患者さんに毒を飲ませることは万に一つもありません」
しかしエーレはグラディウスのそんな視線をはねのける。
「飲んでみせましょうか」
証拠に、とエーレは勢いよく解毒薬一回分を煽った。
ごくごくごくごく。
ゴクンと大きく喉を鳴らして、最後の一口を飲み込む。
そして、ほらこれでどうだとばかりに口を拭った。
「これは、この病気を治すための薬です」
「本当だな」
「もう一杯飲んでもいいですけど」
「……まあいい。信じてやろう」
少し取り乱したことをごまかすように、グラディウスは手近にあった椅子を引き寄せてどかっと腰掛けた。
相変わらずぶっきらぼうな男だが、物分かりが悪くない訳ではなさそうでよかった。
いや、そんなことより。
「……っ、はー。この薬、物凄く不味いんですよねえ」
思わず独り言ちた。
口の中が渋皮で磨かれたように不味くてシビシビして、物凄く気持ち悪い。
側妃がビックリして吐いちゃうのも仕方ないと言えば仕方がない代物だ。
「でもね、側妃さん。あなたはこれを一日三回飲んでくださいね」
マズい薬に頬を引きつらせながらそう指示するエーレを見て、側妃は毛布の中で大きくブルリと震えたのだった。