王子との遭遇
あの日からピッタリ一週間が経ったある日の昼過ぎ。
エーレは薬箱を背負って侯爵家の大きな門の前で頭を下げていた。
一か月分の薬も作り終わったし、レオも若者らしくぐんぐん回復の兆しを見せていたので、もう心配いらないと判断したのだ。
そろそろ次の場所を目指す時間だ。
「いろいろとありがとうございました。それでは」
「ありがとうございました、エーレさん。くれぐれも、気を付けて」
「本当にありがとう、エーレ君。再びこの街に来たときは必ずこの家を訪ねておくれ」
「エーレさーん!坊ちゃんを助けてくださってありがとうございました!」
夫人と侯爵、それからアランをはじめとした使用人たちが勢ぞろいでエーレを見送ってくれた。
そして、杖をついたレオも。
「エーレさん、本当にありがとう」
「いいえ。でもいいですか、レオさん。薬はきっちりなくなるまで飲んで、規則正しい睡眠を心掛けて再発防止を心掛けてくださいね」
「うん、分かった」
「よし、よろしいです。ではもう行きます」
「また。また必ず」
「はい、また」
まだ行ったことの無い土地を求めて進む旅の薬師の「また」がどれだけ信用できるかは分からないけれど、でも健康で生きてれば「また」がある。
生きていれば次があるし、明日があるし、希望がある。
彼らに笑って手を振ったエーレが、侯爵家の門をくぐって外に歩き出してから、数日。
道中にあった街に寄って補給をしたり患者を診たりしながら、エーレはマイペースに進んでいた。
馬が借りられないときは商人の荷馬車に乗せてもらったり、旅の傭兵や冒険者に混ぜてもらったり。
そんな時もあるが、今回はゆったりと一人だ。
そこでぴたり、とエーレは足を止めた。
いや、足を止めざるおえなかった。
周りに広がる牧歌な風景とは明らかに異なる、鋭い雰囲気を纏った黒馬が前方からやってきて、エーレの行く手を塞いだからだ。
「お前が聖女エーレだな」
「え?」
ひしひしとオーラを放つ黒馬から降りて姿を現したのは、これまたいかにも不愛想を絵にかいたような男だった。
背が高くて作り物のように整った顔の男で、腰に重そうな剣を下げている。
夜の色の髪と日暮れ色の目をしていて、腰の剣に添えられた手の甲に傷跡が見える。
男は羽織っていたマントをばさりと払った。
隠されていた腕が一瞬現れ、そこにあった腕章も見えた。
あの蔦と鷲の紋章は、この王国の王家の紋章だ。
エーレはこの国の人間ではない国籍不明の薬師だが、この国に入った時の隙間時間を使って、基本的な事は勉強していた。
この国の地理や文化はある程度頭に入っている。
「もう一度問う。お前は聖女だな?」
「違います」
「お前の名はエーレだろう?」
「私の名前はエーレです、けど」
「ならば一緒に来い」
土の道を大股で歩いてきたその男は、あろうことかエーレの腕を掴んで引っ張った。
そんなことは予期していないエーレはぐらりとバランスを崩してしまいそうになったが、辛うじて踏ん張る。
「ま、待ってください。だってあなたこの国の王族の方でしょう。私はただの旅の薬師です。あなたが私に用なんて」
「噂は聞いたぞ、聖女。母を助けろ」
時々、レオのように医者や薬師を神の遣いだ聖女だなんて呼ぶ患者もいるし、医学を齧った者はなんであれ神の力の一端を請け負っているのだ、なんて言い出す宗教もあるし。
そう考えたら、思いっきり真面目腐った顔でエーレを聖女と呼ぶ目上の男にこれ以上突っ込む気にはなれなかった。
それに何より、患者だ。
苦しんでいるであろう患者が第一だ。
「……治療が必要なんですよね?」
「ああ、お前の聖なる力が必要だ」
「患者さんはどこに?」
「王都だ。王宮にいる」
「分かりました。診ます。患者さんの元に連れて行ってください」
エーレは大きく頷いた。
患者が手の届く範囲にいるのなら、手を伸ばす。
救えるのなら救いたい。
天命を待つしかなくとも、人事は尽くすのが薬師の在り方だ。