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聖女の火種



「ぐえ、がっ、ごほ、ゴホ!」


管を通して薬を飲ませ終わって少し経つと、レオが目を開けて大きく咽た。


「ああ、レオ!!」


何か月も眠り続けた息子に、真っ先に駆け寄って抱き付いたのは夫人だった。

よかったよかったと呟きながら、涙をボロボロとこぼしている。


レオの方は驚いたようだったが、状況を把握してからは母親の背を優しく撫でていた。

そしてそんな2人を包むように抱きしめて、よかったと静かに泣いたのは侯爵だ。

使用人たちは号泣し、互いに抱きしめ合ったり歓声を上げたりしている。


「魔法だ!すごい。魔女も治せなかったのに」

「ありがとう、ありがとう。本当に!」

「ああ聖女様、彼女を遣わせてくれてありがとうございます」


魔法使いだ天使だ何だと、皆とても感動してしまっているようだ。


でもまあ、無理もない。

痛みも無いし恐ろしい傷口があるわけではないが、知識のないこの国の人の目に、この眠り病はとても恐ろしく映ったことだろう。

なにせ、終わりが見えない希望も見えない病名も分からないまま、ただ体が弱っていくのを指を咥えて見ている事しかできない病に見えるのだ。

死んでいるわけでもなく生きているとも言えない状態になってしまう本人とその周りは、とても恐ろしい思いをしたのではないだろうか。


でも、よかった。

治せてよかった。

また抱き合えるようになった家族が見られてよかった。


薬師として各地を回り、見聞きし学んだ知識さえあればこうして人を助けられる。

助けることのできる人を、助け損なうことはしない。したくない。




「エーレさん」


寝起きのような少しかすれた声で、名前を呼ばれた。

振り返ればベットの上でレオがエーレを見ていた。


「不思議なもので、ずっと耳はぼんやりと聞こえていました。今日の朝から今まで、この部屋で誰が何を話していたか覚えています。あなたの名前も、あなたが治療をしている時の話し声も、聞こえていました。あなたが私を救ってくれたんですね」


「私はよく効く薬を知っていただけですよ」


「ありがとう」


「いいえ、どういたしまして」


エーレはニコッと笑った。

回復の兆しが見えた患者の笑顔程嬉しいものはない。

薬師には最高のご褒美だ。




「でも、一瞬で完治したわけではないですよ。これから一か月は、この薬を欠かさず飲むようにしてください。あと、少なくともこれから一週間は一日の大半を寝て過ごすことになると思います。だるいかもしれませんが意識がある時間はなるべく立って、何かに掴まりながら歩いて、出来るだけ動くようにしてください」


「はい」


「私も一週間ほどこの街に滞在します。薬を作りながらレオさんの経過を見ようと思います」


「それなら!是非うちの屋敷に滞在を……ゴホゴホ!」


しばらく使っていなかった喉に無理をさせて大声を出したからか、それとも少し興奮したからか、レオは大きく咽た。

宥めながら背中をさすってやると、レオは恥ずかしそうに目を伏せていた。


「……エーレさんはやっぱり聖女のようだ」


「え?」


「この国には昔から聖女伝説があって、どこからともなく聖女が現れるんです。ねえエーレさん、あなたは実は聖女なのではないですか?」


「いやいやまさかまさかまさか、私はただの薬師ですって。何言ってるんですか」


「でも目覚めた時、薬師ではなく聖女がいると思ったんです」


レオが頬を少し赤らめて、控えめな動作でエーレの手を取った。

エーレは微笑を作って穏やかに握り返してあげた。


「エーレさん」

「ふふ」


頬を染めた若い男性に、ぎゅっと手を握られる。

聖女云々は置いといて、なんかいい雰囲気っぽい……

なんて思った人がいたなら、それは間違いだ。


実は手を握られるとか抱き付かれるとか、そんなことは薬師をやっていると割と良くあることだ。

生死の淵から引き揚げられた患者は往々にして、ただの薬師を女神さまだの天使様だのと呼んでくることがある。

また更に情熱的な患者だと、命を救われた感動で結婚を申し込んできたりもする。

各地を放浪する薬師のエーレが結婚を申し込まれたのは、低体温症で死にかけた青年を暖めた時とか、溺れた男性を助けた時だった。

また、おじいちゃん患者の面倒をみていると孫の嫁なってくれとお願いされたりもする。


まあ要するにこれは、弱っている時に優しくされ、命を助けられた事によって、彼らの目に薬師美化フィルターがかかっているのだ。

ただの薬師を聖女と呼んでしまうレオも、その例に漏れないということなのだろう。


調合に使った機材を片付けるから手を放してほしいと頼むと、レオは渋々エーレの手を放してくれた。

洗い場を借りて器具を洗浄していると、今度は侯爵と侯爵夫人がやって来た。


侯爵と侯爵夫人もエーレに過剰とも言える感謝をしているようで、「何か欲しいものはないか」「ドレスをプレゼントしたいわ」「宝石と髪飾りもいらないか」と忙しなく聞いてくる。

もちろん感謝を伝えてくれるのは嬉しいが、エーレは薬師としての仕事をしたまでだから治療代しか貰わないことにしている。

それに高価な衣装や装飾品は旅の道中で盗人を呼び寄せる餌にもなってしまうので、貰ったところで使えない。


「じゃあ、一週間ほどこの街に滞在するというのなら、この屋敷に泊りなさって。レオも喜ぶわ」


レオに代わって知らないうちにエーレの両手を握っていた夫人は、ドレスもアクセサリーもいらないと言うエーレに畳みかけた。


旅の薬師は、基本宿暮らし。

そして時々患者さんの家に泊まるか、キャンプだ。

助けた患者さんに寝床を用意してもらえることは珍しい事ではないし、侯爵たちは見るからに善良そうなので、有難く申し出を受けることにした。


「じゃあ、お世話になります」

エーレが頷くと、早速昼食を用意させてくると夫人はパタパタと部屋を出ていった。


昼食の席では好物の葡萄パンやら、なかなかお目にかかれないような肉塊やら、豪華な食事を振舞われた。

流石侯爵家、どれもとても美味しかった。

それから間髪入れずにお茶に誘われ、そして息つく間もなく夕食の時間になって。

もう食べられないとおなかを擦れば、今度は大きな浴槽にお湯を準備してありますと言われて、温かい湯気と石鹸の香りが充満する広い浴室に案内された。

湯から上がれば夫人が用意したパジャマを着せられて、エーレはこの屋敷で一番広いという客室に通されていた。



ようやく一人にしてもらえた。

大きなベッドの上でフワフワで上質な枕を膝に抱き、エーレは目を細める。


「ベッド、広いなー。これほんとに一人用かなあ」


いかにも高級そうな調度品がたくさん置いてある客室。

エーレがいつもとるような、こじんまりとした宿の部屋の5倍はある広い部屋。

そして上を見上げればレースのあしらわれた天蓋付きで、ただの薬師は少々落ち着かない。


「お姫様のベッドみたいだなあ」


フワフワ過ぎて慣れないベッドだな、とエーレが思っていたのも束の間。

たくさん食べてたくさんお喋りして疲れしたのか、エーレはあっという間に眠りに落ちていった。



エーレは翌日からレオの体調を気にかけ、彼のリハビリを手伝いながら薬のストックを作った。

その合間に、薬師の噂を聞いて訪ねて来る街人の対応もした。


そうしてこの街のこの侯爵屋敷に滞在しているエーレが、何だかんだと忙しくしていた時。


エーレの知らないところで、この国の高名な医者でもお手上げだった貴族青年の眠り病をいとも簡単に直して見せた女がいる、という噂が漂い始めていた。

病気を治せるだけではなくて、日に透ける淡い色の髪と、森に薫る雨のような瞳の色の美しい女。

もしかして彼女は、聖女なのではないか。

ただの旅の薬師にしておくには惜しいそのエーレの容姿も相まって、スラムの死体を蘇生していたとか、子猫を一瞬で成獣に変えていたとか、根も葉もない話までまとわりつけてその聖女の噂は大きくなった。

聖女の伝説があり、最古の聖女の血を受け継ぐとされる王族が治めるこの国で、その噂は燃え移る火のように広がっていった。




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