聖女の伝説
何日かかけて王子ゲランと共に護衛に守られながら戦線に入り、司令部のある砦でその時を待つ。一介の薬師が救護小屋ではなく司令部で王子と共に待っているのか分からなかったが、まだ打ち合いが始まったわけではないからとエーレは黙っていた。
「はい、どうぞ。いりませんか?」
硬い表情を崩さないエーレに、すっと湯気の立つ飲み物を差し出してきたのはゲランだ。
要らないと言っても何故と聞かれて結局手渡される気がする。
結局受け取ることになるのなら、とエーレが渋々受け取ると、彼は隣に腰を下ろしてきた。
「知っていますか?我々の国の戦争史には、往々にして聖女が登場します。そして、聖女と共に勝利を掴んだ戦いを聖戦と呼ぶんです」
「……」
「我々の戦争には、聖女がいてこそ実行できる戦術があるのです。そして我々の先祖は聖女に導かれて何度も勝利を収めてきました」
「戦術……?」
「はい。素晴らしい戦術ですよ。聖女様の加護があるこの国しか成せない果敢勇猛な戦術」
ゲランは相槌を待っているのか、エーレの顔を見つめたまま何も言わなくなってしまった。
へえとも思わないし、何か質問をしたい訳でもないし黙っていると、その分だけ沈黙が続く。
飲み物を飲んで気を紛らわせたいけど、何となく飲む気にもなれないし、居心地が悪い。
どれだけの時間そうしていたかは知れないが、ぱっと手元の飲み物が消えた。
ゲランが穏やかに奪って、脇にあった小さなテーブルに置いたらしい。
「さあ、時間ですよ。行きましょう」
立ち上がった彼はエーレの手を強引に引く。
エーレが何か言う隙など与えず、司令部の扉を開けて外にでる。
「貴方のその御力、今日は使わせていただきます」
ウッとエーレが外の光に目を細めるより早く、歓声に包まれた。
司令部の外には、目が回るくらい大勢の兵が集まっていて何かを声高に叫んでいる。
そんな彼らを見渡せる場所に立ったゲランは腕を振っただけで兵達を一瞬で黙らせ、微笑んだ。
「皆、良く集まってくれた。長く慢性的な攻防を繰り返したこの南の戦は今日我々の勝利で終わる。今日はエーガルディア王国の歴史に残る日となろう」
「我々には、聖女がついている。勝利の女神がついている!」
兵達の眼前に引きずり出されたエーレは、全身から血の気が引いていくのが分かった。
変な予感がする。
良く分からないけれど、途方もなく嫌な予感がする。
兵たち一人一人のと目が合った気がした。
彼らの妄信的な瞳が途轍もなく恐ろしいと感じた。
「死など恐れるに足らず!勇猛に戦え、突き進め!ここに聖女様がおられる限り、皆が死ぬことは永遠に無い!」
「待って!何を言って」
ふらついたエーレの声は、兵の大きな歓声にかき消された。
大勢の兵たちが一つのモンスターのようにも見えて、足が竦んだ。
「死者蘇生の祈りに、そして祖国エーガルディアに万歳!」
ゲランが片腕を天に付き上げる。
それを見た兵達も意気揚々とそれに続く。
エーレが絶望的な目で見つめた兵士たちの顔は、自分たちの勝利と生存を一遍も疑っていなかった。
何が起こっているのか、今完全に理解した。
「私は聖女なんかじゃない……死んだ人を生き返らせることなんてできない!死なないで、行っちゃだめ……!!」
走りだそうとするエーレを取り押さえる護衛に必死に抵抗しながら、エーレは泣き声を上げた。
だがその声は、行軍の音と砂ぼこりによって散り散りにかき消された。
昔々。
この国に降り立った聖女は、負けるしかなかったエーガルディア王国の戦争を勝利に導いた。
兵達を腹の底から奮い立たせ、百戦錬磨の軍隊を作り上げた。
彼女が美しい女だったから、兵たちが奮い立ったなんて生易しい逸話じゃない。
美しい女が微笑んだから、鼓舞を受けた一人一人の兵が頑張って敵を倒して歴戦の戦士になったわけではない。
そんな美しい伝説などこの国には存在しない。
聖女は、死んだ兵を次から次へと蘇生していった。
いとも簡単に死人を生き返らせた。
兵が奮い立ったのは、自らが死なないと分かったからだ。
軍隊が百戦錬磨になったのは、何度も生き返って戦いの経験を積んだからだ。
エーガルディア王国は、そんな聖女が作り上げた国だ。
国民は伝説の聖女を信じ、聖女を崇拝している。
彼らにとって聖女の力は絶対であり、聖女は絶対にこの国に更なる繁栄をもたらしてくれる。
戦場では一人の薬師の声など最後まで誰にも届かなかった。
ただの薬師の祈りで死人が救えるはずもなく、その戦いは終結した。
「これより、聖女裁判を行う」
「この女の本当の素性は旅の薬売り。しかし今回、自らが聖女であると偽り、彼女を信じて聖戦を再現しようとして奮い立った大量の兵の命を悪戯に奪った」
「ゲイン王子殿下の采配により敵国の王都は落とせたが、負死傷者の数は許容範囲を超えている」
「あれは聖女を信じて身を捧げた兵達を虐殺したと言っても過言ではない行為」
「この女は巧妙に我がエーガルディア王国を、臣民を騙していました。この女が聖女でないと知っていれば、我々は聖戦に則った特攻など許さなかった。ですが我々がこの女が聖女ではないと見破った時は既に遅かったのです」
「この女の悪質なところは、この国の性質を熟知して策を講じていたことにあります。女は医学に明るく、未知の薬を使って不治の病を治して見せました。それも何度も。この国の医者よりも腕がいいこの女が聖女を名乗れば、この国の人間は王家含めてみな信じてしまうと女は見抜いていた」
「この女はおおかた、この国で崇拝対象になって一生遊んで暮らそうとでも思っていたのでしょう。舐められたものだ」
「我々の聖女の名を騙り、侮辱する行為まで働いた」
「我が国の神にも等しい聖女を騙るなど、決して許されてはならない行為」
「聖女を騙って我が国の臣民である兵を虐殺した」
「やはり弁明の余地はなさそうですね。ということは判決は言わずもがな、ということで良いですか?……………………では、あなたの刑の執行日は追ってお知らせしますね、虐殺聖女様」




